魔女の育て方

山口 実徳

お家にようこそ①

 ひび割れた荒野の先、暗く重く垂れ込める雲の下に、俺たちが目指していた館が姿を現した。


 いや、本当に目指していたのは、俺ひとりだけかも知れない。


 3年前、木こりだった俺は暮らしていたローゼンヌの森を焼かれ、生活のかても場所も、妻も幼い娘さえも失った。

 俺から俺以外のすべてを奪ったのは、最強の黒魔女グレタ。

 そう、あれはグレタの棲家すみかなのだ。


「アックス、ついにこのときが来たな」

 ポンと肩を叩いたのは、勇者ブレイド。

 自信と希望に満ちた瞳からは、最終目標の魔王ベルゼウスを倒したあとに訪れる明るい未来しか見えてこない。

 まったく、この顔を見ていると、失意のどん底にいた俺を、冒険の旅に誘った日のことが思い出されて、笑顔を返さずにはいられなくなる。


「無念を晴らすぞ、アックス」

 女忍者くノ一シノブが唇を固く結び、鎖鎌をジャラッと鳴らして、遥か遠くの館を睨みつけた。

 過去に何かあったのだろうか、敵討ちと聞いてから情報や武器防具の収集に、積極的に協力してくれた。

 今、装備している『真実の斧』も『ガイアメイル』も、彼女が譲ってくれたものだ。


「アックス、気をつけて。史上最強の魔女グレタが相手よ」

 僧侶ホーリーは、森を守るためグレタと戦っており、その強さも恐ろしさも知っていた。俺の妻と娘を守れなかったことを、今も悔やんでいる。

「悪いのはグレタだ、守ろうとしたホーリーには感謝しかない」

 何度そうなだめても唇を噛んで黙り込み、妻と娘の冥福を祈るばかりであった。


 近くから館を見上げたが、本当に最強の黒魔女の根城ねじろかと疑いたくなる小さな家だ。

 円筒形に積み上げられた石の壁には、妖しく手招きするように枯れたつたが絡まっている。

 少ない窓は固く閉ざされており、明かりはひとつも灯っていない。その数から、3階建てということだけがわかる。

 てっぺんには円錐形の屋根が、せた色をして載っており、無数のカラスとコウモリがこちらをじっと睨みつけている。

 グレタは、最上階にいるだろう。それまでに、いくつもの罠や使い魔が襲いかかるに違いない。


 長い年月、風雨にさらされた玄関扉は痩せて、木目がクッキリと浮き出ていた。

 ほうきに跨がって森を飛び回り、ケラケラと嘲笑あざわらうグレタの顔を連想させた。


 仲間たちが見守る中、背中を覆い隠していた『真実の斧』の柄を掴み取り、真正面に扉を見据えた。

 地中深くに伝わるほどに脚を強く踏み込むと、腹筋が割れ胸板が厚さを増した。『ガイアメイル』が窮屈で仕方ない。

 コブだらけの腕で『真実の斧』を振り上げる。

 熱い血潮が全身を駆け巡り、大樹に絡まる蔦のように太い血管が盛り上がる。


 グレタめ!

 貴様の嘲笑を、俺が叩き割ってくれる!

 電光石火の勢いで、扉目掛けて『真実の斧』を振り下ろそうとした、そのときだ──


 ギィィィィィ……。


 扉が悲鳴を上げながら、ほんの少しだけ開いたのだ。

 罠か!?

 使い魔か!?

 俺は動きを止め、仲間たちは身構えて戦闘態勢を執った。


 しかし、何も起こらない。


 どうした、フェイントか、何が起きるのか。

 体勢を維持したまま、静かに動揺した。

 すると、下の方から


「あなたたち、誰?」


 少女の声だ、警戒して強張こわばっている。


 扉の隙間から金髪碧眼へきがん黒衣の少女が半身を覗かせて、冷え切った視線を俺たちに送っていた。

 7歳か、8歳というところだろうか。

 娘が生きていたら、このくらいの歳だ。

 ダメだ、躊躇ためらうな、ここはグレタの館だぞ。


「グレタはどこだ」

「お祖母様は亡くなったわ、ついさっきよ」


 眉ひとつ動かさず、冷たく放たれた少女の言葉に、俺たちは息を呑んだ。


 死んだ……?


 あのグレタが……?


 少女は扉を大きく開くと、足元に黒猫をまとわりつかせ、館の中央を貫く螺旋らせん階段をゆっくりと上りはじめた。

 慌てた様子でブレイドが、そのあとをシノブが固い顔をして追った。ホーリーが恐る恐るついていき、俺は呆然としたままフラフラと階段を上っていった。


「お祖母様と言っていたが、お前は……」

「私はミルル、グレタの孫よ」


 最上階。

 少女と黒猫が見守っているベッドには、確かにグレタが微動だにせず横になっていた。

 笑い声を上げながら森を襲ったとは思えない、穏やかで安らかな永遠の眠りについている。


 目標を失った俺は、膝から崩れ落ちた。

 見つめる床板が、小刻みに震えている。

 ついた両手は、何も掴めず木目に触れている。

 俺の中で燃え盛っていた復讐の炎は、ぶすぶすと音を立て、灰になって辺り一面に散らばった。


 ブレイドは、燃え尽きくすぶっている俺からミルルへ視線を移し、心配するような、それでいて事務的な声色で話しかけた。

「ミルル、両親はいないのか?」

「お父様もお母様も亡くなっているの」

「他に頼れる親戚や知り合いは?」

 ミルルは、ベッドに横たわるグレタから視線を逸らした。


 ホーリーは眉をひそめて、両手で顔を覆った。人の心に寄り添ってきた聖職者だから、ミルルの気持ちが痛いほどにわかるのだろう。


 シノブは苦々しく顔を歪めると、ミルルの手を引いて足早に階段を降りはじめた。

「シノブ、どこへ行くんだ」

「この娘を、孤児院に連れていく」

 ブレイドもホーリーもシノブの後を追ったので、俺はアヒルの子のように後ろをヒョコヒョコとついていった。


 ミルルが孤児院へ行くことに反対するものは、誰ひとりいなかった。

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