第19話 心の残り火

「仇討ちとはもっと胸が空くものかと思っていたが、俺にはただの人殺しと変わらなかった。

俺は思いがけず討ち果たしてしまったけれど、本当は幹尚殿に斬られても良かった。あの時の俺は多分、死に場所が欲しかったのだ」


 これが若干十五歳の少年の言葉なのか。


 長い話を終えたアオに差している深い影を祐之進は見つめていた。壮絶な告白を聞いた祐之進の目からは自分でも気づかぬうちに涙がしとどに流れていた。声一つ漏らすことさえ憚られた。

 そんな時、アオの指先が祐之進の前髪についと触れた。


「だから、なあ祐之進。前髪を嫌うな。それは子供を守ってやりたいと言う親心なのかもしれないぞ。

俺が即刻首をねられなかったのは前髪者だったからだ。その時は子供だったから許されてしまったんだ。

父が元服を許さなかったのは俺を守ろうとする親心だったのだ」


 重い言葉だった。自分の気持ちばかりで祐之進は親の気持ちにまで思い至ることは出来なかった。それを感じた時、祐之進ははっきりと自分がまだ子供であると自覚したのだった。

 そしてアオもまた、祐之進に話す事で己の立場を再び思い知らされた。幹尚を斬った事に後悔はなかったと美しい言葉で己を許せたらどんなに楽だろう。だが一人の人間の肉を切り裂き命を断ち斬ったその感触は、今でも忘れる ことは出来ない。そしてその先に続く己の罪は、今なお転がり続けてけて膨らんでいるのだ。


 鴇忠が死んではや二年、喪が明けてからまだ一年。仇討ちをするほど好きだった人と、孤独に苛まれていたアオに差し込んだ祐之進と言う一条の光と、その二つを比べることなどは出来ないが、それまで己を律し、鴇忠を偲んで一人で生きようと誓ったのに、祐之進に易々と心を許してしまった己の薄情さにアオは我ながら呆れた。

 子供だからと言ってあの時は赦された自分が許せなかったのに、今だけは赦される子供でいたいと思うだなんて。


「祐之進。だから俺は…お主を………すまない」


 だから俺は。お主を…、すまない。その後に続く言葉には、だからお主の想いには応えてやれない。そう祐之進の心には聞こえた。自分が恋をしたのはこんな壮絶な苦しみを背負って来た人だった。それを思うと自分の想いが酷く薄っぺらで軽々しく思えた。アオの丸めた背中が今は酷く遠く感じる。

 夏の花火が弾けて消え行くように、咲いた朝顔が夜には萎むように、二人で過ごしたこの夏がゆっくりと閉じようとしていた。それから暫くして誰に言われるでも無く、祐之進は中洲から出て己の屋敷へと戻って行った。




 こうしてまた祐之進のさだめられた日常が戻って来たのだった。浜路の小言だけしかない日常へと。


「まったく、本当に良かったですこと!あのまま中洲でずっと暮らせるわけはないんですよ。やっと正気に戻られたんですね。人騒がせな若様だこと!一時はどうなるかと気を揉みましたよ」


 高い青空に遠くなった太陽を目一杯浴びた布団を縁側から取り込みながら、浜路は小言ついでに部屋の中の祐之進を覗き込む。祐之進はうつ伏せに寝転がって、聞いているのかいないのか、「ああ」とか「うん」とか気の抜けた声を出しながら、さっきから少しも変わらぬ本の頁を眺めていた。


「若様。本が逆さまですよ」

「へ?」

「へ?じゃありませんよ。中洲から戻って来たと思ったら、今度は腑抜けじゃありませんか!素振りで体でも動かしたら如何ですか」


 自分でも良く分かっているだけに、浜路の甲高い声が耳と心に突き刺さる。


「…本当にお前は煩いな。そんなんだから行き遅れるのだ」

「まぁぁっ!何ですって?!若様っ!誰のせいで嫁に行けなかったと思うんですかっ!私だってねぇ良縁の一つや二つはあったんですよ!」


 浜路は早くから母から離れて暮らす祐之進の身の回りの世話をするた下女になった。今までずっと祐之進の母の代わりであり姉のような存在だ。祐之進に仕えるのが自分の務めと思ってこれまで励んできた女だ。好きでとうが立った行かず後家になったわけではない。嫁の話は彼女の唯一の逆鱗なのだ。そこを思いっきり剥がされて浜路はますます声を張り上げた。煩い小言は延々と続いていたが、耳から入った煙のように頭の中ですぐにそれは何処かへと霧散し、その代わりにモヤモヤとした気持ちが祐之進の中に残り続けていた。アオへの想いもまた祐之進の中で消えもせずに燻り続けていた。


 そんな日々が続いたある日、黒い編み笠を目深にかぶった見慣れぬ男が背中に背負子を背負い、突然の夕立に濡れた田舎道をやって来た。ここいらは余所者が来れば否応無く目立つ。


「おい、七助ありゃ誰だ」

「うん?なんだぁ?」


 夕方からの雨ではもう畑仕事は出来ないと早仕舞いを決め込んで帰り支度をしていた七助と六助の兄弟は、ススキの原を分入って中洲への道を行くその編み笠の男を遠目に見ていた。


「なあ、おかしいと思わねえか?ロク。あの道は中洲に行く以外誰も通らねえ道だ」


 見ろと六助が指差した先を七助がやれやれと目を眇めた。


「あん?ありゃあ侍か?渡世人か?」

「侍のような、そうじゃねえような…」

「どっちにしても確かに妙だな。鬼の所になんぞに尋ねて来る人間がいたなんてなぁ。ありゃ何モンだロク」

「馬鹿、それが分からねえって話だろうが」

「なら、…見に行ってみるかロク」

「雨降ってんのにか?」

「じゃ、止めるか?」


 結局は二人は好奇心に負け、スキやクワを放り出して、その不審な男の後をつけて中洲の道を分入って行ったのだった。

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