イミテーションWORLD


 ドレイクとアキュートが拳を交わすより数刻前。

 朱向市あかむきし内にそびえる有名百貨店、その屋上に黒い影がひとつ現れた。

 見た目は中学生か高校生くらいの男子だが、その装いは突飛とっぴ奇異きいの最たる物。ぴっちりと体に貼り付くスーツは触手と古代の大型トンボ――メガネウラのはねが巻き付いており、腰からは翅脈しみゃく模様が浮き出たローブを身につけている。それに加えて長い前髪で左目を隠しており、一見すると中二病患者の痛々しいコスプレに思われるかもしれない。

 だが、なにを隠そうこの少年、ゾスの眷属のひとりである。

 その名はソグサ。本人達の仲はすこぶる悪いが、一応ガターノの同僚にあたる。


「我にふさわしい深き者、その悪意が萌芽ほうがする時は近い……」


 ソグサが地上に現れた目的は、当然ながらエルルの強奪であり、そのためのディープワン作りだ。

 ここ最近ガターノが立て続けに失敗している。醜い言い訳によると、魔闘乙女マジバトヒロイン側が以前より強くなっているらしい。

 ならば強力な配下を従えて攻め入ればいいだけのこと。戦略を立てず勢いばかりの低脳極まる同僚が悪いのだ。

 ディープワン作りにおいて一番大切なのは、素体となる人間の悪意の質。新鮮で活きが良い衝動的欲求か、長年発散されずに熟成した恨み憎しみあたりが狙い目。しかし後者はレア物で、滅多にお目にかかれない。やはり前者のような、軽い気持ちで生まれた悪意が手っ取り早く成果が出せる。


「刃向かう力なき弱者共が狭いむろで群れるとは、身の程を弁えた劣等種族だな」


 煌々こうこうと商品を照らしている店内。雑多にごった返す買い物客を眺めながら、ソグサは唾棄だきするようにぼそりと呟く。

 悠久の時を生きるゾスの眷属にとって生命の価値など塵芥ちりあくた。部屋の隅に溜まるほこりに等しい存在。ディープワンの素材たる人間すらも下等生物という認識だ。


「漆黒の念を振りまく悪しき者は……いるらしい」


 ソグサの翡翠ひすい色の瞳が、化粧品を取り扱う店舗へと向けられる。

 宝石のような輝きを放つ品々が並ぶ棚でうろつく女子中学生がひとり。自分の背後をしきりに確認しており挙動不審さが際立っている。


「ほう、欲望が渦巻き溢れているな」


 少女がなにを考えているのか、ソグサには手に取るようにわかる。ゾスの眷属の目を通せば、人間の心の内など筒抜け、プライバシーなど皆無なのだ。

 金欠で新作コスメを買えない。でも今すぐほしい。小遣いが貯まるまで待っていられない。

 それなら万引きしてしまおうか。

 いや駄目だ。バレたら警察に連行されて、両親と学校の先生が大激怒。それだけで済めば良い方で、もっと酷い展開だってあるはずだ。

 でも一回だけなら。誰にも気付かれなければセーフ。

 ごくり、と唾を飲み込む。

 意を決して、新作コスメに手を伸ばす。


「悪意誕生の瞬間、祝福の時だ」

「ひっ」


 少女の背後にぬるりとソグサは回り込む。

 彼女が万引きしようとする瞬間、つまり犯罪に手を染める決断を待っていたのだ。それこそ生まれたばかりの悪意、鮮度抜群フレッシュな素材である。


「人間の女よ、光栄に思うがいい。これより貴様は我のしもべだ」

「い、意味不明なんですけど」

「安心しろ、下等生物が理解する必要はない」


 状況が飲み込めず怯える少女を一瞥いちべつすると、ソグサはセピア色のヘドロンボトルを取り出し、


「きゃあっ!?」


 一切の躊躇ちゅうちょなく、少女の頭にインクを振りかけた。


顕現けんげんせよ、深き者ディープワン!」


 ソグサの叫びに応えるように、インクが拡がり少女の体をみるみるうちに包んでしまう。少女だったものは次第に触手まみれの醜悪な姿を露わにしていく。

 生み出されたのは化粧品を内包したディープワンだ。両腕には口紅、両足は香水瓶、そして頭にはコンパクト。可愛いコスメと不気味な触手が混ざり、ミスマッチさが目を引く造形だ。


「ふん、この程度か」


 いまいち締まらない見た目に少し失望する。だが問題ない。自分さえ格好良ければいい、むしろその不格好さは引き立て役に相応しいだろう。と、ソグサは脳内で納得する。


「ディープワンよ、小さき者共を恐怖の混沌に陥れてやれ」


 ババッ!

 腰のローブをひるがえしてソグサは命令を下す。


「……ディ?」


 ディープワンはコンパクト頭を傾けている。指示が理解できなかったらしい。

 ディープワンの知能は軒並み低く、また素体になった人間によってばらつきが出る。今回の場合、後先考えないタイプの人間を選んだため、残念な性能になったのだろう。

 ソグサはそう結論付けたのだが、もっと大きな原因があるだろう。指摘されたところで改善する気はなさそうだが。


「……」

「ディー?」

「貴様、暴れる。我、喜ぶ。オーケー?」

「ディー!」


 やむなく普通に指示を出すのだった。

 ディープワンが口紅ミサイルを放つと天井が吹き飛び、瓦礫がれきの雨が降り注ぐ。買い物客達は蜘蛛くもの子を散らすように逃げ出す。悲鳴を上げて右往左往する様は滑稽こっけいだ。ソグサは「ククッ」と冷笑をこぼす。

 派手に暴れていればそのうち魔闘乙女マジバトヒロインがやってくる。飛んで火に入るなんとやら。のこのこ出てきた連中をひねり潰して難なく勝利といきたい。


「……何事だ?」


 窓の外、夜を迎える街並みの先に、黒い煙がもうもうと立ち上っていた。

 場所は広大な空き地。新たな建物が建設予定の、平坦さが行き渡ったエリアだ。

 なんとなしにソグサが目をこらすと、その中心部で幾度も閃く光が見えた。炎と風がぶつかり合っている。


「あれは、魔闘乙女マジバトヒロイン……!」


 またたく鮮やかな属性エレメント。巻き起こる爆風と衝撃。その中を飛び交うふたりの少女。ただの下等生物である人間にはできない芸当だ。

 何故仲間同士で戦っているのか不明。特訓だろうか。なんにせよ都合が良い。暴れて誘き寄せるつもりが、あちらから居場所を教えてくれたのだから。


「我が暗黒の采配を下すに相応しい舞台は向こうのようだな」


 作戦変更だ。

 ソグサは百貨店を出て、魔闘乙女マジバトヒロインの元へ歩みを進める。

 敵はふたりのようだが問題ない。この強力なディープワンならまとめて確実に葬り去れるはずだ。自信しかない。


「待っているがいい、魔闘乙女マジバトヒロインどもよ。貴様らを闇の力で暗黒の淵に沈めてくれる……!」


 自分が勝利する姿を思い浮かべ、自信満々にソグサは工事現場へ向かうのだった。

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