第十幕:virtual


 第十幕:virtual



 やがて『共和国』の最新兵器である歩行戦車ウォーカータンクに関する極秘資料を入手したレオニードは、その歩行戦車ウォーカータンクの試作機が存在する筈の格納庫を目指しつつ、軍事基地の通路をひた走っていた。

「急げ、レオニード! 何としても、如何なる犠牲を払ってでも、夜が明ける前に歩行戦車ウォーカータンクの試作機を破壊するんだ!」

「了解」

 無線機越しにそう言って、歩行戦車ウォーカータンクの試作機を破壊せよとのミロスラーヴァ少佐の命令を了承したレオニードは、研究棟の地下深くへと続く階段を駆け下りる。

「■■、■■■■■■!」

「■■■! ■■■■■■■■■!」

 そして階段を駆け下り終えたレオニードが鉄扉を潜り、研究棟の格納庫へと続く通路を渡り切れば、その終着点で歩哨の任に就いていた二人の『共和国』陸軍の兵士達が彼を見咎めるなりそう言って『共和国』語でもって警告した。そしてレオニードが警告に従わないと判断すると、彼を即座に射殺すべく、手にした自動小銃アサルトライフルを構え直す。

「遅い!」

 しかしながら歩哨の任に就いていた兵士達が自動小銃アサルトライフルの照準を合わせるより一瞬だけ早く、通路を駆け抜けながらそう言ったレオニードは、手にしたカシン12自動拳銃の引き金を素早く四回引き絞った。するとサプレッサーが装着された銃口から、ぷしゅっぷしゅっと言う炭酸飲料のペットボトルを開栓した際の様なくぐもった銃声と共に四発の銃弾の弾頭が射出され、それらの弾頭が二人の兵士達の胸部と頭部の急所を的確に撃ち貫く。

「!」

 レオニードの手によって胸部と頭部に直径0.45インチの穴を穿たれた二人の『共和国』陸軍の兵士達は、断末魔の叫び声を上げる間も無くその場に崩れ落ち、かっと眼を見開いたまま絶命していた。そして絶命した兵士達の死体をちらりと一瞥したレオニードが、彼らが警護していた格納庫のシャッター扉の脇のカードリーダーに偽造セキュリティカードをかざせば、ピピピと言う微かな電子音に続いてシャッター扉の電子ロックが解除される。

「これが歩行戦車ウォーカータンクの試作機……俺達が探し求めた『共和国』の最新兵器か……」

 重く頑丈なシャッター扉を潜って照明が灯された格納庫の内部へと足を踏み入れ、そう言って感嘆の声を漏らしたレオニードの眼前には、硬く冷たい装甲に覆われた一輛の戦車が堂々と我が物顔でもって鎮座していた。いや、果たしてそれを、単に『戦車』と呼称してしまって良いのかどうかと言う点にはいささか疑問の余地が残らざるを得ない。何故ならそこに鎮座していたのは巨大な特殊合金製の胴体と、その胴体の左右から、やはり特殊合金製の鳥類のそれにも似た逆関節の四本の脚が生え揃った、見るからに異様なシルエットの機動兵器だったからである。

「とにかく、こいつを破壊すれば、俺達の作戦は完遂された事になる。きっと今は亡きイエヴァの魂も、安らかな眠りに就いてくれる事だろう」

 まるで彼自身を強引に納得させるかのような表情と口調でもってそう言ったレオニードは、無人の格納庫を縦断して歩行戦車ウォーカータンクに接近すべく、一歩を踏み出した。しかしながら彼が歩行戦車ウォーカータンクまであと10mばかりの距離まで接近したところで、不意に格納庫内に、何の飾りっ気も無いコンクリート敷きの床を震わせながら耳障りな重低音が響き渡る。

「何だ?」

 果たしてそう言って訝しむばかりのレオニードを他所に、格納庫内に響き渡るその耳障りな重低音は、歩行戦車ウォーカータンクの心臓部とも言える巨大な内燃機関エンジンが奏でる駆動音であった。つまりそれは、眼の前の歩行戦車ウォーカータンクが起動した事を意味すると同時に、彼の潜入が『共和国』側に察知されていた事をも意味している。

「しまった! 既に情報が漏洩していたか!」

 レオニードはそう言って舌打ち交じりに口惜しがるが、残念ながら、こうなってしまっては時既に遅しと言う他無い。そして内燃機関エンジンが奏でる駆動音と共に特殊合金製の脚と胴体をぶるぶると震わせた歩行戦車ウォーカータンクは、四脚の逆関節の鳥脚の内の一脚をコンクリート敷きの床から高々と持ち上げると、格納庫の中央で身構えるレオニードの踏み潰すべくその鳥脚を振り下ろす。

「糞っ!」

 そう言って口汚く悪態を吐きながら、咄嗟に身を翻したレオニードは素早く後方へと飛び退り、眼の前に振り下ろされた歩行戦車ウォーカータンクの鳥脚による一撃を間一髪のタイミングでもって回避してみせた。振り下ろされた鳥脚を受け止めた際の衝撃がコンクリート敷きの床にびっしりと蜘蛛の巣状の亀裂を走らせ、もし仮にその先端が彼の身体に直撃していたならば、まず間違い無くレオニードは即死していたであろう事を如実に物語る。

「まさか歩行戦車ウォーカータンクの試作機が、既に実戦投入が可能なレベルにまで組み上がっていたとはな!」

 態勢を立て直しながらそう言ったレオニードの言葉通り、彼、及び彼が所属する特級秘匿部隊『クラースヌイ・ピスタリェート』の司令部に居並ぶ面々は、おそらく『共和国』の最新兵器は未だ未だ実験段階で留め置かれているものと予想していたのだ。しかしながらその最新兵器である歩行戦車ウォーカータンクが眼の前で起動し、事もあろうにレオニードに襲い掛かったのだから、どうにも驚かざるを得ない。

「レオニード、無事か?」

 するとレオニードの耳に装着された極小の無線機越しに、司令部に居る筈のミロスラーヴァ少佐がそう言って彼の身を案じながら問い掛けた。

「ああ、俺なら無事だ。少なくとも、現段階では掠り傷の一つも負ってはいない。しかしながら、どうやら歩行戦車ウォーカータンクの試作機の破壊命令は、一筋縄では完遂出来そうもないらしい」

 レオニードがそう言ってミロスラーヴァ少佐の問い掛けに答えれば、彼の眼の前に屹立する歩行戦車ウォーカータンクの胴体下部に搭載された機関砲の砲身がゆっくりと旋回し、やがてその砲口がこちらに向けられる。

「しまった!」

 砲口を向けられたレオニードはそう言うと、考えるより早く反射的に床を蹴って駆け出し、格納庫の天井を支える太く頑丈なコンクリート製の柱の陰へとその身を隠した。すると恐竜のそれにも似たシルエットを誇る歩行戦車ウォーカータンクは、柱の陰に身を隠した彼を照準に捉え切れていないにもかかわらず、大口径の機関砲による攻撃を開始する。

「!」

 こちらを向いた機関砲の砲口が耳をつんざく砲声と共に火を噴き、眼にも眩いマズルフラッシュを伴いながら、次々と雪崩を打つかのような格好でもって数多の砲弾が射出された。するとそれらの砲弾が絶え間無く着弾する事によって、レオニードが身を隠した柱の表層を為すコンクリートが見る間に削り取られ、彼はその場から一歩も動く事が出来ない。

「糞っ!」

 再び口汚く悪態を吐くレオニードであったが、このまま柱の陰に身を隠しているばかりでは、やがてジリ貧に陥ってしまう事は火を見るよりも明らかである。とは言え安易に歩行戦車ウォーカータンクの機関砲の射線上にその身を晒せば、あっと言う間に生きた人間から物言わぬ肉片へと変貌させられてしまう事もまた自明の理であるが故に、迂闊に飛び出す訳にも行かない。

「?」

 するとその時不意に、大口径の機関砲による制圧射撃がぴたりと止んだので、柱を背にしたレオニードは一体何事だろうかと訝しんだ。そこで身を隠した柱の陰からそっと顔を覗かせながら敵機の様子をうかがえば、歩行戦車ウォーカータンクの胴体上部に搭載された長砲身の滑腔砲の砲口がこちらを向いていたので、迫り来る死の気配に彼は戦慄する。

「ヤバい!」

 咄嗟にそう言ったレオニードが柱の陰から跳び出した次の瞬間、こちらを向いた歩行戦車ウォーカータンクの滑腔砲の砲口から粘着榴弾HESHが射出され、既に機関砲による制圧射撃によって弾痕だらけになっていた柱に直撃した。そして一拍の間を置いてからその粘着榴弾HESHの弾頭が爆発すると、ホプキンソン効果によって生じた衝撃波がスポール破壊となって柱を貫通し、つい今しがたまで彼が身を隠していた柱の陰が剥離飛散したコンクリートの破片によってずたずたに引き裂かれる。もし仮にレオニードが柱の陰から跳び出すのが一瞬でも遅れていたならば、柱とその周囲の床同様、彼自身の身体もまたずたずたに引き裂かれてしまっていた事は想像に難くない。

「!」

 すると粘着榴弾HESHの直撃によって格納庫の天井を支える柱の内の一本が破壊された事により、その支えを失った天井の一部が、がらがらと言うコンクリートの塊同士がぶつかり合う事によって生じる衝突音と共に崩れ落ち始める。

「糞っ! よりにもよって天井を支えている柱を破壊するだなんて、まるで後先を考えていないような危ない真似をしてくれる!」

 そう言って重ねて悪態を吐きながら、レオニードは遥か頭上から崩れ落ちて来る格納庫の天井の残骸、つまり重量が何tから何十tにも達するコンクリートの塊に押し潰されないように慌てて逃げ惑うばかりだ。そしてそこかしこに落着しては床に亀裂を走らせるコンクリートの塊を必死になって回避し続けていると、その惨状を生み出した張本人である歩行戦車ウォーカータンクもまた、崩れ落ちて来たおびただしい量の天井の残骸の下敷きになってその動きを止める。

「やったか?」

 自業自得、もしくは身から出た錆とでも言うべきか、自らの愚行によって生き埋めの憂き目に遭った歩行戦車ウォーカータンクの姿を前にしたレオニードはそう言って漁夫の利を期待した。

「!」

 しかしながら生き埋めになっていた筈の歩行戦車ウォーカータンクは、再び四本の鳥脚をぶるぶると律動させつつも床と大地を踏み締めると、自らの躯体の上に積み重なったコンクリートの塊の数々を跳ね除けながら立ち上がる。

「糞っ! 駄目か! なんて奴だ!」

 果たしてこれで何度目になるのか、崩れ落ちて来た天井の残骸をものともしない歩行戦車ウォーカータンクを前にしたレオニードはそう言って、重ねて悪態を吐く事しか出来なかった。そして彼が悪態を吐いているその間も、歩行戦車ウォーカータンクが跳ね除けた大小様々なコンクリートの塊がそこかしこに降り注いで来るのだから、危険極まりないとはまさにこの事であると言わざるを得ない。

「ヤバい!」

 すると崩れ落ちた天井の残骸を跳ね除けながら立ち上がった歩行戦車ウォーカータンクが態勢を立て直し、再び長砲身の滑腔砲の砲口をこちらに向けたのだから、そう言ったレオニードは体裁の悪さを気にする余裕も無いまま逃げ惑うばかりである。

「!」

 やがて逃げ惑うばかりのレオニードを照準の中央に捉えた滑腔砲の砲口が火を噴き、新たな榴弾HEが射出されようとした、まさにその時であった。どこからともなく飛来した対戦車擲弾発射器RPG-7の成形炸薬弾頭が歩行戦車ウォーカータンクの四本の鳥脚の内の一脚に直撃し、モンロー効果によって発生した高速高圧のメタルジェットがその鳥脚の特殊合金製の装甲を貫通すると、歩行戦車ウォーカータンクはぐらりと体勢を崩す。そして体勢を崩したまま滑腔砲の砲口から射出された榴弾HEが明後日の方向に飛んで行ったかと思えば、標的であった筈のレオニードが立っている箇所とは全く関係の無い、格納庫の一角で爆発して果てた。

「レ、レレレレオニード! ぶ、ぶぶぶ、ぶじ、無事だった?」

「ヴァレンチナ! どうしてキミがここに?」

 そう言ったレオニードの言葉通り、対戦車擲弾発射器RPG-7の筒状の発射器を手にしながら格納庫の入り口付近に立ったまま彼の身を案じた女性こそ、特級秘匿部隊である『クラースヌイ・ピスタリェート』で狙撃手を務めるヴァレンチナその人に相違無い。そして本来ならば研究棟の外の狙撃ポイントに居る筈の彼女が何故ここに居るのだろうかとレオニードが訝しんでいる間にも、ヴァレンチナは手にした対戦車擲弾発射器RPG-7の発射器に新たな成形炸薬弾頭を装填し、歩行戦車ウォーカータンクに照準を合わせつつも構え直す。

「く、くくく、喰らえ!」

 対戦車擲弾発射器RPG-7の発射器を構え直したヴァレンチナはそう言うと、その発射器の引き金を、彼女の右手の人差し指と中指の二本の指でもって引き絞った。すると眼にも眩い後方噴射バックブラストと共に射出された新たな成形炸薬弾頭が虚空を切り裂きながら、ロケットモーターの燃焼ガスを背後に従えつつも飛翔し、体勢を崩したままの歩行戦車ウォーカータンクの二脚目の鳥脚に直撃する。

「や、ややややった!」

 そう言って勝ち誇るヴァレンチナの言葉通り、彼女が射出した新たな成形炸薬弾頭もまたモンロー効果によって高速高圧のメタルジェットを発生させ、そのメタルジェットが歩行戦車ウォーカータンクの二脚目の鳥脚を破壊してみせた。

「レ、レレレレオニード! い、いいい、いま、今がチャンスよ! ととととどめを刺して!」

 ヴァレンチナは全ての弾頭を撃ち尽くした発射器を放り捨てながらそう言うが、彼女の手によって二脚もの鳥脚を破壊されてしまった歩行戦車ウォーカータンクは格納庫の床にひざまずきつつも、胴体下部に搭載された機関砲の砲口をこちらに向ける。

「ヴァレンチナ、危ない! けろ!」

 格納庫のこちら側に立つレオニードがそう言って警告した次の瞬間、歩行戦車ウォーカータンクの機関砲の砲口が火を噴き、耳をつんざく砲声とマズルフラッシュを従えながら数多の砲弾が雪崩を打つかのような勢いでもって射出された。そしてそれらの砲弾はヴァレンチナが立っていた格納庫の出入り口付近の床や壁に次々と着弾し、周囲一帯に飛び散ったコンクリートの破片や砲弾の燃焼ガスなどで、一時的に彼の視界は奪われる。

「ヴァレンチナ!」

 レオニードはそう言ってヴァレンチナの身を案じるが、真っ白にけぶる燃焼ガスの向こうに居る筈の彼女からの返事は無い。

「糞っ!」

 するとそう言って悪態を吐いたレオニードは格納庫の床を蹴って駆け出し、体勢を崩してひざまずいたままの歩行戦車ウォーカータンクの装甲が破壊された二脚の鳥脚の内の一脚に取り付くと、まるでロッククライミングに興じるクライマーの様な格好でもってその鳥脚をじ登り始めた。そしてじ登った鳥脚からやがて胴体へと至れば、緊急事態の発生時にパイロットを救出するための弁を解放する事によって、その内部へと続くハッチのロックを解除する。

「■■■! ■■■■■■!」

 ロックを解除したハッチを開けてみれば、そこには歩行戦車ウォーカータンクの戦車長を務めていると思われる『共和国』陸軍の兵士の姿が見て取れ、戦車帽を被ったその戦車長は『共和国』語でもってそう言いながらひどく驚かざるを得ない。

「うるさい、死ね!」

 しかしながらレオニードはそう言って死を宣告すると、突然ハッチを開けられて驚いている戦車長の胸と眉間に照準を合わせながら、手にしたカシン12自動拳銃の引き金を素早く四回引き絞った。サプレッサーによって減退されたくぐもった銃声と共に都合四発の銃弾の弾頭が射出され、その弾頭でもって胸部と頭部を破壊された戦車長は、苦しむ間も無く息絶える。

「これで終いだ!」

 カシン12自動拳銃でもって戦車長を射殺し終えたレオニードはそう言いながら、彼の腰回りに装着されたベルトポーチの中からC4プラスチック爆弾を取り出すと、それを歩行戦車ウォーカータンクのコクピット内へと無造作に放り込んだ。放り込まれたC4プラスチック爆弾は黄土色の粘土にも似ていて、電気着火するための雷管が何本も突き刺さっているのが見て取れる。そしてハッチを閉め直すと同時に素早くその場から退避し、歩行戦車ウォーカータンクの鳥脚を滑り降りて充分な距離を確保した彼は、C4プラスチック爆弾の遠隔起爆装置の起爆ボタンを押した。

「!」

 まるで直下型の地震さながらに、研究棟の建屋全体をぐらぐらと震わせるほどの轟音を従えながらC4プラスチック爆弾が爆発し、歩行戦車ウォーカータンクの特殊合金製の胴体が木端微塵に吹き飛ぶと同時にオレンジ色に輝く爆炎と黒煙に包まれる。

「やったか?」

 再びそう言って、C4プラスチック爆弾が爆発した際の爆風と爆炎を回避すべく床に身を伏せていたレオニードはゆっくりと顔を上げ、黒煙がもうもうと立ち込める格納庫内の様子を改めて確認した。すると胴体部分が内側から木端微塵に吹き飛んだ歩行戦車ウォーカータンクは完全に機能を停止しており、搭乗していた筈の『共和国』陸軍に所属するパイロット達もまた爆死したであろう事から鑑みるに、その特殊合金の塊が再び動き出すような兆候は毛の先ほどもうかがえない。

「そうだ、ヴァレンチナは? ああ、ヴァレンチナは、彼女は無事なのか? ヴァレンチナ! どこだ、ヴァレンチナ!」

 歩行戦車ウォーカータンクの試作機の破壊命令が達成された事を確認したレオニードはそう言って、彼の婚約者であるヴァレンチナの身を案じつつも、彼女が居た筈の格納庫の出入り口付近へと駆け寄った。すると砲撃を受けた床や壁の残骸の陰に力無く横たわる、都市型迷彩服に身を包んだヴァレンチナの姿が見て取れたので、レオニードは彼女の身体を抱きかかえながらその名を連呼する。

「ヴァレンチナ! おい、しっかりしろ、ヴァレンチナ! 眼を覚ませ! 眼を覚ますんだ、ヴァレンチナ!」

 抱きかかえた彼女の肩を激しく揺すりながらそう言って、ヴァレンチナの名を連呼し続ければ、やがて気を失っていたらしき彼女はゆっくりと眼を開けた。

「……レオニード?」

「ああ、ヴァレンチナ、気が付いたか! 良かった、てっきりキミもまたイエヴァの様に死んでしまったんじゃないかと思って、気が気じゃなかったんだぞ! それで、身体の具合は大丈夫なのか? どこか、怪我をしている箇所や、感覚がおかしいような箇所は無いか?」

「え? ええ、あ、あああ、あた、あたしなら大丈夫だから……」

 未だ少しばかり意識が朦朧としながらもそう言ったヴァレンチナが、レオニードの手によって抱きかかえられた状態から自力でもって立ち上がろうとした次の瞬間、自身の両脚に体重を乗せた彼女は左の太腿に走る激痛に顔を歪める。

「痛っ!」

 そう言ったヴァレンチナががくんと膝から崩れ落ち、硬く冷たいコンクリート敷きの格納庫の床に受け身も取れぬまま無様に転倒してしまったのも、無理からぬ事であった。何故なら都市型迷彩服に包まれた彼女の左の太腿には、どうやら機関砲の砲撃によって弾け飛んで来たものと思われる鋼鉄製の異形鉄筋の破片が、深々と突き刺さってしまっていたからである。

「おい、大丈夫か、ヴァレンチナ!」

「だ、だだだ大丈夫、ここここんな怪我くらい、な、ななな、なん、何ともありませんから……痛っ!」

 左太腿に負った怪我を押して立ち上がろうとするヴァレンチナであったが、彼女はそう言って、再びがくんと膝から崩れ落ちてしまった。

「無理だ、そんな怪我を負った状態では立つ事も、ましてや歩いたり走ったりする事は出来ないぞ!」

 かぶりを振りながらそう言ったレオニードの言葉通り、ヴァレンチナの左太腿の怪我は思いの外重傷で、異形鉄筋の破片が突き刺さった傷口の周囲の都市型迷彩服が見る間に真っ赤な鮮血に染まり始める。こんな重傷を負ってしまっていては、とてもではないものの、迅速な逃走行為への移行は不可能であると言わざるを得ない。

「だだだだけどレオニード、は、ははは、はや、早くここから逃げないと、おおお追手に捕まってしまいます! だだだだから痛がっているような暇なんてありません! そ、それに、ももももし仮にあたしが逃げられないとしたら、あ、あああ、あな、あなただけでも一人で逃げてください!」

「だったら、俺がキミを背負って、一緒に逃げおおせるまでの事だ」

 そう言ったレオニードはおもむろに身を屈めながらヴァレンチナの腕を取って腋の下に頭を潜り込ませ、更に彼女の左右の脚の間に彼の腕を通すと、俗に『ファイヤーマンズ・キャリー』と呼ばれる消防士が要救助者を運搬する際の手法でもってヴァレンチナの身体を肩に担ぎ上げた。

「さあ、行くぞ、ヴァレンチナ。歩行戦車ウォーカータンクに関する極秘資料を奪取し、可能であればその試作機を破壊せよとの命令は完遂してみせたのだから、いつまでもこんな所でぐずぐずしてはいられない」

 レオニードは意を決してそう言うと、左太腿に重傷を負ったヴァレンチナを肩に担ぎ上げたまま、木端微塵に吹き飛んだ歩行戦車ウォーカータンクと崩れ落ちた天井の残骸がごろごろと転がる格納庫からの退避を開始する。

「こちらレオニード、命令通り、極秘資料の奪取と歩行戦車ウォーカータンクの試作機の破壊に成功した。これよりこの場から退避し、司令部への帰還の途に就く。どのようなルートでもって帰還すべきか、指示を請う」

「了解した。レオニード、それにヴァレンチナも、良くやったぞ。既に外交ルートを通じてスイス連邦のディ・ゾンネ重工業インダストリアルからの部品の供給を断っている以上、これでもう『共和国』は歩行戦車ウォーカータンクの開発を断念するか、仮に継続するにしても、それ相応の遅延遅滞を余儀無くされる筈だ。そして帰還のルートに関してだが、コンテナ船を利用出来ない今となっては、キミ達二人には陸路でもって『共和国』と『連邦』との国境を越えてもらう。まずは地上に出てから西の方角へと移動し、軍事基地内の車庫から逃走用の車輛を調達してほしい。可能な限り戦闘を回避し、慎重に事を運べ」

「了解」

 無線機越しにそう言って、ヴァレンチナを肩に担いだレオニードは、遠く『連邦』の地の司令部に居る筈のミロスラーヴァ少佐による新たな命令を了承した。

「良し、ここからが正念場だ! いいか、ヴァレンチナ? 決して振り落とされないように、俺の身体にしっかり掴まっているんだぞ?」

 自分自身に発破を掛けながらそう言ったレオニードは研究棟の地下深くに位置する格納庫を後にすると、手負いのヴァレンチナを肩に担いだまま来た道を引き返すような格好でもって階段を駆け上がり、まずはミロスラーヴァ少佐の指示に従って地上に在る筈の車庫を目指す。

「お、おおおお願いですからレオニード、あ、あああ、あた、あたしなんかに構ってないで、ああああなただけでも一人で逃げてくださいってば!」

「馬鹿な事を言うな。この俺が、キミの様な美しい女性を、それも自分の婚約者を見捨てて一人で逃げ出すような甲斐性無しだとでも思っているのかい? もし仮に、そう思っているのだとしたら、それは俺を見縊みくびり過ぎていると言うものだ」

 そう言ってヴァレンチナの要求を一蹴した、もしくは一笑に付したレオニードは、やがて階段を駆け上がり切った先の鉄扉を潜って地上へと到達した。研究棟の建屋の内部から戸外の空気にその身を晒せば、真冬の『共和国』の凍るように冷たい北風が剥き出しの頬に突き刺さり、いつの間にか重く分厚い雪雲に覆われていた灰色の夜空にははらはらと小雪が舞っている。

「確か車庫が在るのは、西の方角だったな」

 レオニードが舞い散る小雪を気にする素振りも見せぬままそう言って、研究棟から見て西の方角へと足を向けた次の瞬間、遅蒔きながらも軍事基地内の火災報知器か緊急警報装置か何かが耳障りなサイレン音を奏で始めた。どうやらこれで、彼らが歩行戦車ウォーカータンクの試作機を破壊した事が、ここに居る全ての兵士達に知れ渡ってしまったものと思われる。

「糞っ! こうなったら、一刻も早く車庫に行って車輛を調達しなければ! ヴァレンチナ、急ぐぞ!」

 けたたましいまでのサイレン音が鳴り響く夜空の下で、ヴァレンチナを肩に担いだままそう言ったレオニードは可能な限り彼自身を急かしつつも、敵兵に発見されぬよう物陰から物陰へと身を隠しながら移動を開始した。すると雪上迷彩服に身を包んだ『共和国』陸軍の兵士達が、C4プラスチック爆弾の爆発によって発生した火災を鎮火すべく、もしくは歩行戦車ウォーカータンクの試作機を破壊した侵入者を発見すべく続々と研究棟に集結し始める。そしてそんな敵兵達の、決して広いとは言えない視野の死角を縫い繋いで行くような格好でもって、潜入工作に長けたレオニードは一歩また一歩と着実かつ確実に車庫へと接近する足を休めない。

「こちらレオニード、車庫を発見した。これより車輛を調達し、軍事基地からの逃走を開始する」

「了解した。その車庫の更に西の方角に在る筈の出入り口は、比較的警備が手薄で、軍事基地と外界とを隔てるゲートも突破し易いだろう。そこを突破して基地の外へと脱出した後は、凍った河沿いに、真っ直ぐ北の方角を目指せ。そのまま国境付近で、キミ達二人を回収する準備を整える」

「了解」

 彼の耳に装着された極小の無線機越しにそう言って、レオニードはミロスラーヴァ少佐の新たな指示を、迷う事無く即座に了承した。そしてヴァレンチナを肩に担いだまま眼の前の車庫の内部へと足を踏み入れてみれば、そこには今まさに退出せんとしていた『共和国』陸軍の兵士が立っており、彼らは図らずも至近距離でもって鉢合わせする格好になってしまう。

「■■■! ■■■■■■■! ■■■■■■■!」

 東北訛りの『共和国』語でもってそう言って驚くと同時に警告しつつ、兵士は肩から吊り下げていた自動小銃アサルトライフルに手を伸ばすが、そんな名も無き雑兵風情に後れを取るようなレオニードではない。彼はヴァレンチナを肩に担いだまま、兵士に先んじてカシン12自動拳銃を構え直すと、冷酷にも「邪魔だ」と言いながらその引き金を引き絞った。そしてサプレッサーによって減退された銃声と共に射出された直径0.45インチの銃弾の弾頭が、兵士の眉間を正確に撃ち抜けば、その兵士は断末魔の叫びを上げる間も無く息絶えてその場にどうと崩れ落ちる。

「よし、これにしよう」

 どうやら車庫の管理及び警備の任に就いていたらしい兵士を始末し終えたレオニードはそう言って、その車庫の一角に駐車されていた四輪駆動の軍用車輛の内の一輛に目星を付けると、まずはその助手席にヴァレンチナを乗り込ませた。そして彼自身もまた運転席に乗り込み、慣れた手付きでもってピッキングツールを利用しながら強制的にエンジンを始動させると、軍用車輛を車庫から発進させて西の方角に在る筈だと言う軍事基地の出入り口を目指す。

「さあ、行くぞ」

 そう言ったレオニードは時計回りにハンドルを切って軍用車輛を西の方角に向けると同時に、はらはらと小雪が舞い散る夜空の下で、アクセルペダルをベタ踏み状態になるまで踏み込んだ。そして有らん限りの速度でもって400mばかりも直進し続ければ、やがて前方に、ミロスラーヴァ少佐の言葉通り軍事基地と外界とを隔てるゲートが姿を現す。

「■■! ■■■! ■■■■■!」

 ゲートの傍らで歩哨の任に就いていた『共和国』陸軍の兵士達が慌てふためきながらそう言って、こちらへと急速接近しつつある軍用車輛に向けて『共和国』語でもって警告するものの、レオニードとヴァレンチナを乗せた軍用車輛はその警告を無視してアルミ合金製のゲートに突っ込んだ。彼ら二人の身体ががたがたと激しく揺さぶられるほどの衝撃と共に、頑丈なバンパーが激突したゲートが、まるで温められた飴細工の様にぐにゃりと明後日の方向に折れ曲がる。そしてミロスラーヴァ少佐が警備が手薄だと言っていた出入り口を跨ぎ越した軍用車輛は、いとも容易く軍事基地の敷地の外へと脱出する事に成功するのであった。

「良し、これで後は凍った河沿いに走り続けながら、北の方角に在る筈の国境を目指せばいい。ヴァレンチナ、ここから先は悪路ばかりで揺れるだろうが、キミの傷の具合は大丈夫か?」

「ええ、だだだ大丈夫。しゅ、しゅしゅしゅ出血も殆ど止まったし、ふふふ太い血管は傷付いていないと思うから」

「そうか、だったらもう安心だ。それじゃあ国境に辿り着くまで、辛いだろうが、我慢してくれ」

 軍用車輛の運転席でハンドルを握るレオニードがそう言えば、助手席に座るヴァレンチナは異形鉄筋の破片が突き刺さった左太腿に走る痛みを押しながら身を乗り出し、隣に座る彼女の婚約者にそっと顔を寄せる。

「レ、レレレレオニード……」

「ヴァレンチナ……」

 脇見運転と言う極めて危険な行為に手を染めつつも、そう言ったレオニードとヴァレンチナは互いの顔と顔とを寄せ合いながら、やがて自然な流れでもって唇を重ね合った。

「……ヴァレンチナ、愛してるよ」

「レ、レオニード……ああああたしも愛してます……」

 がたがたと激しく揺れる車中でそう言って、互いの愛念の有無を確認し合うレオニードとヴァレンチナの二人を乗せた軍用車輛は、北の国境目指して疾走し続ける。

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