第二幕:virtual


 第二幕:virtual



 たとえ将来的な解散の可能性の有無を宣告されたとしても、実際に解散させられるまさにその瞬間まで部隊は存続し、また同時に彼ら『クラースヌイ・ピスタリェート』にとって課せられた任務を粛々と遂行する以外の選択肢など決して有り得ない。だからこそ今宵もまた、東ヨーロッパに位置するウクライナの首都キエフの街の中心部に於いて、みすぼらしいツナギの作業服と作業帽に身を包んだ一人の成人男性が大きな段ボール箱を抱えながら裏路地を歩いていた。

「毎度どうも、ダヌィローヴィチ青果店の者です! ご注文の野菜と果物、お届けに参りました!」

 裏路地を歩いていたツナギの作業服の男は一棟の一際大きなビルディングに裏口から足を踏み入れ、そのビルディングの厨房に顔を出すと同時に大声でもってそう言えば、真っ白いコックコートに身を包んだ見習いの料理人が彼を出迎える。

「おう、やっと来たか、待ってたぞ。それじゃあ注文通り商品が揃っているかどうか確認するから、その箱をそこに置いてくれ」

 多くの料理人やウェイターやウェイトレスなどが忙しなく行き来する厨房の一角で、未だ若い見習い料理人がそう言って命じれば、青果店の従業員だと名乗ったツナギの作業服の男は抱えていた段ボール箱をステンレス製の作業台の上に置いて箱を開けた。そしてそのダンボール箱の中に納められていた野菜や果物を見習い料理人が検品し始めると、ツナギの作業服の男は彼に尋ねる。

「今日はまた、一段と忙しそうですね。このホテルで、パーティーか何かでも開催されているんですか?」

 そう言ったツナギの作業服の男の言葉通り、この大きなビルディングはキエフでも有数の高級ホテルであるホテルハイエロファント・キエフであり、ここはそのホテルの裏口と直結した厨房の一角であった。

「ああ、今日はこの上の階のコンサートホールとレセプションホールでもって、国の内外のお偉いさん達が集まるチャリティコンサートとやらが開催されてるんだとさ。だからコンサートの後の立食パーティーの料理を揃えるために、この厨房も大忙しって訳よ」

「へえ、成程」

 ツナギの作業服の男がそう言って頷けば、ダンボール箱の中の野菜と果物の検品を終えたコックコート姿の見習い料理人が彼に伝票を手渡す。

「配達ご苦労さん、もう帰っていいぞ」

「毎度どうも、今後ともダヌィローヴィチ青果店をご贔屓にしてくださいますよう、よろしくお願いします」

 そう言ったツナギの作業服の男は厨房の一角でくるりと踵を返し、来た道を引き返すような格好でもって、ホテルの裏口の方角へと足を向けた。しかしながらつい先程まで野菜と果物を検品していた見習い料理人の注意が厨房のコンロへと向けられ、もう誰も彼の動向に関心を寄せていない事を確認すると、そっと帰路から外れてホテルの廊下の先の男子トイレへと侵入する。そしてトイレの個室に足を踏み入れてからツナギの作業服と作業帽を脱ぎ捨てれば、そこに姿を現したのはタキシードと蝶ネクタイに身を包んだ精悍な顔立ちの成人男性、つまり『クラースヌイ・ピスタリェート』の特殊工作員であるレオニードその人に他ならない。

「こちらレオニード、青果店の従業員を装い、裏口からホテルの内部へと侵入する事に無事成功した」

「了解した。それでは予定通り、パーティーが催されている筈のレセプションホールへと移動しろ。ホテルの警備員や従業員に潜入を気取られぬよう、慎重に事を運べ」

「了解」

 耳に装着された極小の無線機越しにそう言って、彼の直属の上官であるミロスラーヴァ少佐の指示を仰いだレオニードは男子トイレから退出し、そのまま何食わぬ顔でもって厨房の奥の従業員用エレベーターに乗り込んだ。そして厨房で調理された食材を運搬するホテルのスタッフ達に混じりながら34階まで一気に上昇すれば、そこはもうチャリティコンサートの後のパーティーが開催される、ホテルハイエロファント・キエフのレセプションホールである。

「こちらレオニード、滞り無くパーティー会場へと潜入した。これより、標的ターゲットを探す」

 無線機越しにそう言ったタキシード姿のレオニードは、豪奢なシャンデリアやペルシャ絨毯などの調度品で飾り付けられたレセプションホール内を決して目立たぬよう細心の注意を払いながら巡回し、今回の作戦の標的ターゲットである要人を探し始めた。広範なレセプションホール内には絢爛豪華なドレスやタキシードでもって着飾った紳士淑女がシャンパングラス片手に談笑を交わし合い、演壇の上では生バンドによるジャズが演奏され、真っ白いテーブルクロスが敷かれたテーブルの上には色とりどりの料理が所狭しと並べられている。

「まったく、こんな切迫したご時世だと言うのに、ここに集まった連中はいい気なもんだな」

 レオニードはレセプションホール内を巡回しながらそう言うと、テーブルの上に並べられていた生フルーツの皿から真っ赤に熟した大ぶりな苺を一つだけ摘まみ取り、それを口の中にぽいと放り込んでからむしゃむしゃと咀嚼した。世界各地の紛争地帯に繰り返し潜入し、暴力や貧困の連鎖をその眼と耳でもって直接見聞きして来た彼にとって、何の危機感も抱かないまま饗宴に浮かれている男女の姿は実に滑稽なものに映ってしまって仕方が無い。

「さて、と」

 そう言って気を取り直し、口中の苺をごくりと嚥下したレオニードが改めてレセプションホール内を巡回し続けると、やがて一人の高齢男性の姿が眼に留まる。

「こちらレオニード、標的ターゲットを発見した」

 無線機の向こうの司令部に向けてそう言ったレオニードの言葉通り、彼が眼に留めた禿げ頭で恰幅の良い高齢男性こそ、今回の作戦の標的ターゲットであるイヴァン・コザチェンコその人であった。

「了解した。それでは標的ターゲットがパーティー会場を離れて一人になるまで、そのまま監視を続けろ。決してこちらの存在を気取られぬよう、慎重に事を運べ」

「了解」

 そう言ったレオニードは無線機の向こうのミロスラーヴァ少佐の指示に従いつつ、広範なレセプションホールの一角で着飾った男女と談笑を交わし合うイヴァン・コザチェンコの動向をつぶさに監視し続ける。コザチェンコはウクライナでは名の知れた貿易商の一人であり、また同時に『共和国』に対して経済制裁の対象である軍需物資を密輸する武器商人としての裏の顔をも併せ持ち、決して表沙汰にはならない悪行の数々には枚挙にいとまが無い。

「こちらレオニード、依然として標的ターゲットに動きは無い」

 パーティー会場の人混みに紛れたレオニードが監視を継続しながらそう言えば、そんな彼を、司令部に居る筈のアガフォンが無線機越しに囃し立てる。

「落ち着けよレオニード、そんなに焦らずに、役得だと思ってその会場のお偉いさん方が食っているような美味い飯と美味い酒でも楽しんで来ればいいのさ」

「いや、そう言う訳にも行かない。今は作戦行動中だ」

「はいはい、ホントにお前って奴は、昔っから生真面目だからねえ。そんなに生真面目だと、早死にするぞ?」

 呆れ返ったアガフォンがスナック菓子をぼりぼりと貪り食いながらそう言い終えた次の瞬間、今回の作戦の標的ターゲットであると同時に監視対象でもあるイヴァン・コザチェンコが、一人の若い女性と共にエレベーターの方角へと足を向けた。

「こちらレオニード、標的ターゲットが女を連れて移動を開始した。どうやらこのまま高層階用のエレベーターに乗り込み、最上階のVIP専用ラウンジか、もしくは宿泊しているプレジデンシャルスイートルームに向かうものと思われる」

「了解した。追跡を開始しろ」

「了解」

 無線機越しにそう言ったレオニードは女連れのコザチェンコを充分な距離を確保しながら尾行し、彼ら二人が高層階用のエレベーターに乗り込むのを確認すると、操作盤の表示でもって籠が何階で停まったかもまた確認する。

「やはり、スイートルームに直行か」

 独り言つようにそう言ったレオニードは、レセプションホールが在る階まで下りて来たエレベーターにそっと静かに乗り込むと、コザチェンコが宿泊しているプレジデンシャルスイートルームが存在する42階の行き先ボタンを押した。そして彼一人だけを乗せたエレベーターの籠が42階まで上昇する間に、遠く『連邦』の司令部に居る筈のアガフォンに要請する。

「アガフォン、お前の得意のハッキングでもって、42階の廊下の監視カメラを今すぐ無力化してくれ。出来れば俺が乗っているエレベーターの監視カメラの記録も抹消してくれれば、助かる」

「ああ、分かった。ちょっと待っててくれ」

 そう言ったアガフォンが司令部のデスクトップパソコンを巧みに操作すれば、レオニードの要請に応える事など朝飯前の些事でしかない。

「よし、レオニード、42階の廊下と高層階用のエレベーターの監視カメラを全て無力化したぞ。これでもう、そのホテルのセキュリティシステムに、お前が潜入している記録は残らない筈だ」

「了解。助かった」

 無線機越しにそう言ってアガフォンを労ったレオニードは、ちょうど籠が到着した42階でもって高層階用のエレベーターから降りると、監視カメラが無力化されている筈の廊下の様子を確認した。すると廊下の先のプレジデンシャルスイートルームへと続く扉の前には一人の大柄な男が立っており、どうやらコザチェンコが雇ったボディガードだと思われるその男は、エレベーターから降りて来たばかりのレオニードをジッとサングラス越しに睨み据える。

「こちらレオニード、これより標的ターゲットのボディガードを無力化する」

 そう言ったレオニードが廊下を縦断し、何食わぬ顔でもって扉の前の大柄な男に歩み寄れば、男はそんなレオニードを警戒せざるを得ない。

「おい、ここは関係者以外立ち入り禁止だ、失せろ!」

 大柄なボディガードの男はドスの効いた声でもってそう言ってレオニードを追い返そうと試みるが、精悍な顔立ちのレオニードは敢えて相好を崩しつつ、如何にも人の良さそうな来客を装いながら問い掛ける。

「実は私、コザチェンコ氏と商談の約束を取り付けている者でして……お取込み中のところ申し訳ありませんが、確認していただけないでしょうか?」

「そんな約束は聞いてないぞ、失せろ!」

「そこを何とか、無理は承知でよろしくお願いいたします! とにもかくにも急ぎの商談ですので、今夜中にコザチェンコ氏の合意を得ない事には、このまま破談になってしまいかねません! そうなれば、コザチェンコ氏もまたそれなりの損害を被ってしまいますので……」

 商談相手を装ったレオニードが下手に出ながらそう言えば、大柄なボディガードの男は暫し逡巡した後に、プレジデンシャルスイートルームの室内のコザチェンコに確認するべく「ちょっと待っていろ」と言って扉へと向き直った。どうやらこちらの思惑通り、男はレオニードを一介の商談相手だと信じ込んでしまっているらしい。そして男の無防備な後頭部がこちらを向いた次の瞬間、タキシードの下のホルスターからサプレッサーが装着されたカシン12自動拳銃を素早く抜いたレオニードは、一切躊躇う事無く男の後頭部に三発の鉛玉を撃ち込んだ。

「こちらレオニード、標的ターゲットのボディガードの無力化に成功した」

 相好を崩していた顔を元の厳めしい表情に戻しつつそう言ったレオニードの足元に、断末魔の叫び声を上げる間も無く絶命したボディガードの男の大柄な身体がどさりと崩れ落ち、45口径の鉛の銃弾を前にした際の人間の無力さを如実に物語って止まない。そしてサプレッサーが装着された銃口から紫煙を漂わせるカシン12自動拳銃を構え直したレオニードは、プレジデンシャルスイートルームの扉越しに室内の様子を窺いながら、今度は司令部に居る筈のガリーナに問い掛ける。

「ガリーナ、室内の標的ターゲットとその女の位置を、そちらで捕捉する事は出来ないか?」

「そうね、あなたが装備した動体センサーが感知している生体反応によると、どうやら標的ターゲットであるイヴァン・コザチェンコはスイートルームの奥の寝室に居るみたいよ? それとシャワーの音が聞こえる事から判断するに、女はバスルームでシャワーを浴びている最中なんじゃないかしら?」

「了解。ありがとう、ガリーナ」

 無線機越しにそう言ってガリーナに謝辞を述べたレオニードは、その身を包むタキシードの内ポケットからプロの鍵屋が使うようなピッキングツールを取り出し、内側から鍵が掛けられたプレジデンシャルスイートルームの扉の解錠を試みた。そしてものの五分と経たぬ内にピッキングに成功すると、そっと扉を押し開け、足音を殺しながら室内へと侵入する。

「……」

 室内へと侵入したレオニードが無言のまま周囲を見渡せば、そこは如何にも高価そうな家具や調度品がずらりと並ぶ、ホテルハイエロファント・キエフの広壮かつ豪奢なプレジデンシャルスイートルームのリビングルームであった。どうやらコザチェンコは、この位置からはちょうど壁を挟むような格好でもって死角になっている、このスイートルームの最奥に位置する寝室に居るらしい。そして先程の無線機越しのガリーナの言葉通り、耳を澄ませば寝室とは反対側のバスルームの方角から微かな水音が聞こえる事からすると、コザチェンコと共に入室した若い女がシャワーを浴びている事が推測される。

「こちらレオニード、標的ターゲットが宿泊するプレジデンシャルスイートルームに侵入した。想定外の存在である女の処遇はどうすべきか、指示を請う」

「了解した。女は殺しても構わんし、生かしたまま無力化しても構わん。お前の判断に任せる」

「了解」

 無線機越しにミロスラーヴァ少佐の指示を仰いだレオニードはそう言うと、やはり足音を殺しながら、コザチェンコが連れ込んだ女がシャワーを浴びている筈のバスルームの方角へと足を向けた。そしてカシン12自動拳銃をホルスターへと納め直し、タキシードのポケットから即効性の吸入麻酔薬の小瓶とハンカチを取り出したかと思えば、やがて辿り着いたバスルームの扉をそっと押し開ける。

「あら、イヴァン? あなたもシャワーを浴びる気になったの?」

 バスルームの扉を押し開ければ、ちょうどシャワーを浴び終えてこちらに背を向けながら髪を乾かしていた女が、ホテルの備品であるドライヤーを手にしつつもそう言って問い掛けた。そこでレオニードは吸入麻酔薬を染み込ませたハンカチを手にしたまま彼女に忍び寄り、次の瞬間にはそのハンカチでもって、素早く背後から彼女の口と鼻を押さえつける。

「!」

 口と鼻を押さえつけられた女は悲鳴を上げる事も出来ぬまま、ハンカチに染み込んだ即効性の吸入麻酔薬が気化したガスを吸い込み、その手足からふっと力が抜けたかと思えば呆気無く意識を失った。

「こちらレオニード、女の無力化に成功した」

「殺したのか?」

「いや、麻酔で眠らせただけだ。いくらこの俺が人を殺す事に慣れ切ってしまっているからと言っても、眼の前の人間を誰でも彼でも片っ端から殺してばかりいては、どうにも夢見が悪過ぎるからな」

「了解した。それでは寝室に居る筈の、標的ターゲットの元へと向かえ。いよいよここからが本番だ」

「了解」

 無線機越しにそう言ってミロスラーヴァ少佐との交信を終えたレオニードは、吸入麻酔薬を吸って意識を失った若い女をその場に残したままバスルームを後にすると、プレジデンシャルスイートルームの最奥に位置する寝室へと足を向ける。

「動くな!」

 寝室に足を踏み入れたレオニードはそう言って警告しながら、キングサイズのベッドの上で寛いでいた禿げ頭で恰幅の良い高齢男性、つまり今回の作戦の標的ターゲットであるイヴァン・コザチェンコにカシン12自動拳銃の銃口を向けた。銃口を向けられたコザチェンコは最初、一体何が起こったのか理解出来ずにぽかんと呆けていたが、状況を理解すると苦虫を嚙み潰したかのような忌々しげな表情をレオニードに向ける。

「貴様、何者だ? 誰に雇われた?」

「悪いが、それはお前が知らなくてもいい情報だ」

 カシン12自動拳銃を構えたレオニードはそう言って、ベッドの上で寝転がったままこちらを睨み据えるコザチェンコの疑問に答えようとはしない。

「糞、この若造め。よりにもよってこの私に銃口を向けた事を、必ず後悔させてやるからな?」

「出来るものなら、やってみるがいいさ」

 レオニードがそう言い終えた次の瞬間、コザチェンコは彼が頭を乗せていた枕の下から護身用の小型拳銃を取り出し、そのスライドを引いて初弾を薬室チャンバーに装填しようと試みた。しかしながら銃の扱いに関してはズブのド素人でしかないコザチェンコがもたもたしている内に、プロの特殊工作員であるレオニードはそんな標的ターゲットの小型拳銃を握った右手に狙いを定め、サプレッサーが装着されたカシン12自動拳銃の引き金を引き絞る。

「ぎゃあっ!」

 僅かな銃声と共にカシン12自動拳銃の銃口から射出された銃弾がコザチェンコの右手を撃ち抜き、小型拳銃を取り落とした彼は激痛に喘ぎながら苦悶の声を上げ、益々忌々しげにレオニードを睨み据えた。直径0.45インチの穴が穿たれた彼の手から真っ赤な鮮血がぽたぽたと滴り落ち、キングサイズのベッドの上に敷かれたシーツとマットレスをしとどに濡らす。

「抵抗は無意味だ。扉の外のボディガードも、既に始末している。大人しく、こちらの質問に答えろ」

「……何が聞きたい?」

 右手を撃ち抜かれた事によってようやく観念したのか、コザチェンコは苦虫を嚙み潰したかのような忌々しげな表情のまま、彼に銃口を向けるレオニードを睨み据えながらそう言った。

「いいか、イヴァン・コザチェンコ。我々は、お前とお前の経営する商社が『共和国』に売った商品の詳細について知りたい。何をどれだけ売ったのか、それは果たして何に使われるべき物だったのか、その全ての詳細を白状しろ」

 タキシード姿のレオニードがそう言って問い質せば、キングサイズのベッドの上のコザチェンコはふんと鼻を鳴らし、その弛んだ口端にこちらを嘲笑するかのような下卑た薄ら笑いを浮かべる。

「成程、さては貴様は『連邦』の人間だな? それも軍用のカシン拳銃を手にしている事から察するに、正規軍が極秘裏に運営する特殊部隊か何かの人間だろう。どうだ? 違うか?」

「今は俺の話はどうでもいい。質問に答えろ」

「ふん、それで貴様の質問は何だったかな? ああ、私が『共和国』に売った商品の詳細か。そうだな、これまで『共和国』には色々な物を売ったよ。何だか分からないような機械の部品に、見た事も無いような不思議な素材と言った、本当に訳が分からない物を山の様なコンテナに詰め込んで密輸したものさ」

 禿げ頭で恰幅の良いコザチェンコはそう言いながら、ベッドの上でくっくと愉快そうに笑った。

「何がおかしい?」

「いや、何、私に質問する貴様の間抜けさが滑稽でな。何故なら私は非合法の武器商人ではあるものの、あくまでも一介の商社の経営者に過ぎない。自分の会社が『共和国』に経済制裁の対象である軍需物資を密輸している事までは把握しているが、残念ながら、その商品の詳細な内容までは把握しとらんよ。そんな事は、現場の技術者や化学者が把握すべき事だ」

 コザチェンコはそう言って尚もくっくと笑い続けるが、そんなコザチェンコに、カシン12自動拳銃を構えたレオニードは最後通牒を突き付ける。

「だとしたら、お前はもう用済みだな」

 レオニードのその一言が事実上の死刑宣告である事を悟ったコザチェンコは不意に笑い止み、禿げ頭の下の弛んだ顔からさあっと血の気が引いた。

「待て! 私は本当に何も知らないんだ! 頼む、殺さないでくれ! 私を殺しても何にもならないぞ!」

 慌てふためきながらそう言って命乞いの言葉を口にするコザチェンコだったが、不幸にも『クラースヌイ・ピスタリェート』の特殊工作員であるレオニードに慈悲は無い。

「それでも同業者への抑止力、つまり見せしめにはなるさ」

 最後にそう言ったレオニードは一切躊躇う事無く、続けざまに数回、手にしたカシン12自動拳銃の引き金を引き絞った。サプレッサーによって減退されたくぐもった銃声と共に数発の銃弾がコザチェンコの頭部や胸部に命中し、脳髄や肺や心臓と言った生命活動の維持に必要不可欠な臓器を破壊された彼は苦しむ間も無く絶命する。

「こちらレオニード、標的ターゲットの無力化に成功した」

「確実に息の根を止めたのか?」

「ああ、脳髄と心臓を完全に破壊されたにも拘わらず生き返る人間がこの世に存在しない限り、確実だ」

「了解した。それではレオニード、34階のレセプションホールまで移動し、パーティーの参列者に紛れながらホテルから退避しろ。決して目立たぬよう自然体を装い、慎重に事を運べ」

「了解」

 無線機越しにそう言ったレオニードはキングサイズのベッドの上のコザチェンコの死体を一瞥すると、そのまま寝室から足早に立ち去り、広壮なリビングルームを縦断して一旦ホテルの廊下へと足を踏み入れた。そして廊下に転がっていた大柄なボディガードの男の死体を室内へと移動させ、バスルームで気を失っている若い女が風邪を引かないようにその身体にそっと毛布を掛けてやってから、改めてプレジデンシャルスイートルームを後にする。

「これで、二時間から三時間は時間が稼げるだろう」

 独り言つようにそう言ったレオニードはまるで何事も無かったかのようにホテルの42階の廊下を渡り切り、高層階用のエレベーターに乗り込んだかと思えば、やがてミロスラーヴァ少佐の指示通り34階のレセプションホールへと人知れず移動した。そしてテーブルの上に並べられた豪勢な料理の数々やシャンパンを適当に摘まみつつも、ホールを埋め尽くすパーティーの招待客達に紛れながら時間を潰している内に、不意に見知った顔が彼の眼の前に姿を現す。

「おやおやおや、どこかで見た顔がシャンパンをたしなんでいるかと思えば、レオニードじゃないか」

「カーティス、お前か」

 そう言ったレオニードの言葉通り、そこに居た純白のタキシード姿の白人男性は、レオニードらとは敵対関係にある『連合王国』の秘密情報部の諜報員であるカーティス・キンケイドその人であった。

「こんなホテルのパーティー会場なんかで『連邦』の人間に出会うだなんて、珍しい事もあるもんだ。それで、今日は一体、どこの誰を暗殺しに来たんだい? それとも、拉致しに来たのかな?」

「そう言うお前の方こそ、ここキエフから遠く離れた『連合王国』の人間が、こんな所で一体何の用だ? まさかまたしても、どこかの国の政権転覆でも企んでいるんじゃあるまいな?」

 ホテルハイエロファント・キエフのレセプションホールの一角で邂逅したレオニードとカーティスはそう言って、ある種の嫌味とも解釈出来る皮肉の応酬でもって互いを牽制し合いながら、手にしたシャンパングラスを傾け合う。

「冗談はこのくらいにしておいて、本当に一体何の用でもってこんな所に顔を出したと言うんだ、レオニードよ。まさか『連邦』の虎狼として恐れられたお前が突然何の前触れも無く、無償の慈愛と慈善の心に目覚めて、チャリティコンサートなんかに招待されたと言う訳でもあるまい」

「それはお互い様だろう、カーティス。いみじくも『連合王国』の忠実な走狗として知られたお前が何の裏も無いままこんなパーティーに顔を出すなんて、そんな殊勝な事が起こり得る筈もあるまい」

 そう言って尚も皮肉の応酬を繰り返し続けたレオニードとカーティスの二人は、暫し無言で睨み合った末に、ほぼ同時にぷっと噴き出したかと思えばそのまま互いを嘲笑し合うような格好でもって声を上げて笑い始めてしまった。そしてレセプションホールの一角で衆目に晒されながら一頻ひとしきり笑い終えると、今度は一転して意気投合したかのような態度を見せ始める。

「まったく、お前は相変わらず生真面目な奴だな、レオニード。それで、生真面目なだけでなく元気にしているか? 最近のお前ら『連邦』と『クラースヌイ・ピスタリェート』の調子はどうだ? ん?」

「ああ、元気だ。それにこの世に暗躍する巨悪と紛争地帯が存在する限り、我ら『クラースヌイ・ピスタリェート』も安泰……と思ったんだが、どうやらそうは問屋が卸してくれないらしい」

「と、言うと?」

 意味深に言葉を濁すレオニードの態度を訝しみつつも、純白のタキシード姿のカーティスはそう言って、年代物のシャンパンが注がれたシャンパングラスを傾けながら問い掛けた。するとレオニードは彼の耳に装着された極小でありながら高性能の無線機の電源を一旦落とし、二人の会話が『連邦』の司令部には届かないようにすると、そっと耳打ちするような格好でもってカーティスに内情を吐露する。

「これはオフレコだが、実を言うと、近々『クラースヌイ・ピスタリェート』が解散される事が決定した」

「何だって? 本当か?」

「ああ、スタニスラフ大佐が虚言癖に目覚めたのでもない限り、紛れも無い事実だ。解散の時期は明言されてないが、上層部が決定した以上、その決定が覆る事はあり得ないだろう」

「そうか……よりにもよって、あの『クラースヌイ・ピスタリェート』が解散か……」

 カーティスはそう言って言葉を失い、何であれば、当事者であるレオニード以上に思い悩んでいるようにも見受けられた。

「どうやらこれも、ご時世と言うものらしい。軍縮が叫ばれる昨今は、特級秘匿部隊などと言うものは流行らないのだろう」

 レオニードが溜息交じりにそう言えば、そんな彼に『連合王国』の秘密情報部の諜報員であるカーティスは尋ねる。

「それでレオニード、お前は部隊の解散後、どうするつもりなんだ? またどこか別の部隊に再配属されるのか?」

「いや、未だ何も決まっていない筈だ。果たして別の部隊に再配属されるのか、それとも潔く退役して一民間人に身をやつすのか、一介の愛国者に過ぎない俺は上層部の決定に従うまでだよ」

「まったく、総じてお前みたいな『連邦』の人間は、そうやって自立心や自己実現欲求が欠如している辺りが信じられんな」

 カーティスはそう言って呆れ返るが、彼が一体何に呆れているのか、マルクス・レーニン主義の流れを汲む『連邦』で生まれ育ったレオニードには理解出来ない。

「……だとしたら、レオニード?」

「ん?」

「お前さえ良ければ、いっその事『連合王国』に亡命する気は無いか? お前ほどの実力者ならば、我が国だけでなく、西側諸国の如何なる諜報機関インテリジェンスでも引く手数多だろう」

「亡命か……」

 レオニードはそう言って、今度は彼が思い悩む番であった。

「今この段階では断言出来ないが、うちの秘密情報部が諜報関係の部署を新設しようと言う話を聞いた事があるから、もしかしたらそこの諜報員としてお前やお前の仲間達の様な優秀な人材を欲しがっているかもしれないからな。だから来週帰国すると同時に上官に掛け合って、お前ら『クラースヌイ・ピスタリェート』の面々の亡命をそれとなく打診してみよう」

「ああ、そうしてくれると助かる」

 そう言ったレオニードはシャンパンが注がれたグラスを持ち上げ、カーティスとの乾杯を促す。

「それじゃあ少しばかり気が早いが、亡命の成功を祈願して乾杯と行こうか」

「ああ、乾杯」

 想定外の再会を果たしたレオニードとカーティスの二人はそう言いながら、互いのシャンパングラスをかちんと打ち鳴らし、年代物のシャンパンをごくごくと一気に飲み下して止まない。こう言った不測の事態が生じたまさかの時にこそ、頼りになる友人の存在が有り難いものである。

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