第7話 勘違い?②
軍事拠点に着いてからは、今まで馬車に揺られていただけの非戦闘員たちは、上を下への大騒ぎだった。
「無属性と光属性は手分けして食事と寝床の準備よ!荷馬車から携帯食料を出して、食事班はカドゥークの指示に従って。グスタフは部屋の準備班を指揮なさい。拠点中の窓を全部開け放ってまずは換気をして」
「水の魔法使いと風の魔法使いは洗濯場へ!とにかく時間が惜しいわ、洗った先から干して乾かして!」
「火の魔法使いは風呂係!三か所あるから、手分けして風呂を沸かしなさい!食事が終わった戦闘員から順番に風呂に入らせて!脱いだ服はそのまま洗濯場に直行!」
「土属性は裏の林に入って、食料と薬草の採集!魔物はいないけれど野生動物はいるかもしれないから、必ず複数人で武器を持った男と一緒に行きなさい!デニーとレティは効率の良い採集方法を教えてあげて!」
きびきびとした指示が飛び、非戦闘員たちが一斉に作業を開始する。
「姫。俺たちは――」
「お前たちは今日一日はお客様気分でゆったりなさい。馬を裏の厩舎に繋いだら、飼い葉を与えて。水は隣の井戸から汲み上げなさい。暫く使われてないでしょうけど枯れてはいないはず。終わった者から食堂へ移動して。昼は調理をする時間がないから、持ってきた携帯食料だけど我慢して頂戴。各自、食事を終えたら風呂に入ってそのまま割り当てられた部屋で好きに休んで。汚れた服や、繕い物などがあれば申し出なさい」
「ですが――」
「いいのよ。帝都を出てここ数日、皆ずっとゆっくり休めていないでしょう。いい仕事をするには、休息も大事。次の軍事拠点までの行路では、魔物が出る地点を通ることになるわ。それに、北に着いたら、お前たち戦闘員も力仕事に従事してもらうことになる。だから今は、今後に備えてゆっくり身体を休めなさい」
控えめに掛けられた声に、足を止めることなく滔々と返事をして、ミレニアは手元の資料を見ながら拠点の中をズンズンと進む。手元の書類には、事前にここの拠点について調べた情報が書いてあるらしい。部屋数や寝台の数を見て部屋割りを考えつつ、物資の残りを確かめるため備蓄庫に向かうらしい。
ぶつぶつと口の中で呟きながら真剣な横顔を晒す主を見て、ロロは少し困ったような顔をした。
(俺たち奴隷に、休息なんかいらないんだが……)
案の定、馬から降りた後ろの剣闘奴隷たちも困惑したような顔つきで皆顔を見合わせるばかりだ。
騎馬が出来る者はほとんどが剣闘奴隷たちだが、誰もが皆最初から剣を手に取り戦いを生業にしていたわけではない。最初は労働奴隷として従事した者も少なくはなかった。ロロ自身も、わずかな期間ではあったが、幼いころに労働奴隷だった経験がある。
大規模な公共事業の労働力だろうが、上流階級の屋敷に呼ばれての小間使いだろうが、労働環境などという御大層な言葉を意識したことは一度もない。そもそも、奴隷は『口を利く道具』なのだ。道具に休息などは必要ない。一般の労働者が休息を取っている間も不眠不休で働かされることなど、当たり前すぎて何かを感じたことすらないのだ。
仕事に駆り出されていなくても、扱いは『道具』と変わらない。奴隷小屋には、寝台すら置かれていない部屋を当てられることもままある。抵抗や自害を防ぐために、危険だと判断されるような物は一切置かれない。薪や火を悪用されてはかなわないと、暖炉すら備わっていないのだ。
道具に冷暖房を与えるはずもあるまい、とせせら笑って、固い石床に横たわり凍える奴隷を見下ろす看守たちに怨嗟の視線を投げては折檻される――そんなのが、奴隷にとってのアタリマエ。
たかだか数日、寝台で眠れない日が続いたからなんだというのか。
奴隷たちの感覚では、ここ数日は、まさに天国と言わざるを得ない労働環境だった。
確かに一日の大半を馬の上で過ごすというのは慣れないことだが、その間命を脅かすような戦闘があったわけでもない。枷すら外されて、ただのんびりと馬の背に揺られていただけだ。毎日剣闘に繰り出されては命の危機に怯え、大怪我を負っても大した治療すら受けられない日々に比べればどうということはない。
更に、毎日食事を三食与えられた。夜になれば、野営用のテントを使って横になることを許された。まだ秋口だというのに、寒さをしのぐ寝袋まで与えられた。
まるで、『人間』のような待遇だ。――一体これ以上、どんな好待遇を望めというのか。
ミレニアらしいといえばらしい行いだが、どうにも困惑する気持ちは拭えない。
何か裏がるのでは――と訝しむような顔をした奴隷たちの空気に、不審を募らせる前に何かを言わねばとロロが口を開く前に、パンパン、と乾いた音が周囲に響いた。
「さぁ、諸君!姫様からのありがたい申し出だ!ここはありがたく受け取り、今日は皆体を休めよう。何も考えず休めるのは今晩だけだぞ。明日は、練兵場で訓練だ。相互の戦いの癖を知り、集団戦と対魔物戦の戦い方を徹底的に叩きこむ!しっかり食って、しっかり寝て、明日に備えるのだ!」
朗々とした、明るくはきはきとした声が指示を飛ばし、困惑していた奴隷たちは怪訝な空気を吹き飛ばして、各々の愛馬を繋ぎに裏の厩舎へと向かう。
ホッと安堵の息を小さくついて、ロロは後ろを振り返った。
「ガント大尉――……助かった」
「なんのこれしき。私も今は、檄を飛ばすくらいしか、役に立てぬからな」
カラッと笑ってみせるのは、大柄な熊のような身体をした、元職業軍人。
ヒュードの補佐官を務めていた彼は、革命当夜、愚かな主を逃がすために城に残り、追っ手を食い止めた。ヒュードはそれを当然のような顔をして、振り返ることすらなかったという。
獅子奮迅の戦いをし、重症で倒れ込んだところを捕らえられ、牢につながれた後にクルサールに治癒された。非常に優秀な将だと見込まれ、軍門に下るように説得されたのだという。
ゴーティスには重用されていたが、ヒュードには何の恩義もない。ガントは悩み、考えを保留し――ミレニアが生きていると知った途端、すぐに心は決まった。
旧帝国の軍属は、ほとんどがゴーティスの亡命に付き従うか、抵抗し続けて処刑されるかどちらかだった。旧帝国軍の生きた知見を持つガントをこの行軍に組み込めたことは、ミレニアにとって大きな救いとなった。
彼は、戦闘員としても指揮官としても申し分ない能力を持っている。兵法まで熟知している彼は、実際に魔物と交戦する段になった時、現場で細かな指示を下す有能な将となってくれることだろう。
「私のような老兵を、快く懐に入れてくださる姫様の恩情に感謝するばかりだな。相変わらず、生まれながらに人を従える女傑のようなお方だ」
こくり、とロロは無言でうなずく。柔らかな笑みを浮かべてミレニアが去った方を眺めるガントの横顔は、まるで娘の成長を眩しく見守る父親のようだった。
しかし、ふと「そういえば」と口に出して、ガントはロロを振り返る。
「聞きましたぞ、ロロ殿」
「?」
「ついに、姫様とご結婚するとか」
「!?」
急にぶち込まれた話題に、ロロは思わず咽て咳き込む。
ガントは上機嫌にハッハッハッと大声で笑った。
「いやぁ、めでたい。紅玉宮にいた当時から、二人の仲睦まじさはよくわかっていたが、よもや本当にこんな日が来るとは。旧帝国の体制では夢のまた夢だっただろう。怪我の功名とまでは言わんが、二人にとっては今回の革命は良い契機となったのではないか?」
「っ……」
げほ、と変なところに入った空気を絞り出して、ロロは何とか息を整えた。
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