第18話

 体育祭は盛況のうちに幕を閉じ、あたしはリレーなんかに当たったおかげでまたひとつ体育祭での不運な思い出が増えてしまった。

 その点夏輝さんは運動が得意と言うことをいかんなく発揮して、学年別の合同競技やクラス別競技などで活躍し、女子生徒からの黄色い声が絶えず聞こえていた。

 さすがにうちの高校のマスコット的存在と感心していたけれど、他の寮生に目を向けると頑張っていたのは翔子さんくらいで、だいたい体育祭なんてめんどくさいと言う舞子さんはかなり適当でやる気とは無縁だった。

 静音さんは相変わらず無表情で頑張ってるのか頑張ってないのかわからないくらいだったし、友喜音さんはあたしよりも運動が苦手と言っていたこともあって、散々な体育祭になったようだった。

 その後通常授業に戻ったあたしたちだったけれど、3年生は次なるイベント、修学旅行がある。

 聞くところによると毎年台湾に4泊5日で行くらしく、夏輝さんなんかはおいしいものがたらふく食べられると嬉しそうにしていた。

 友喜音さんのほうはと言うと故宮博物院とかに興味があるらしく、旅行のしおりを見たり、あたしや翔子さんにノートパソコンを借りて故宮博物院の見どころなんかを調べたりしていて、友喜音さんは友喜音さんで台湾行きを楽しみにしている感じだった。

 そうしてこういうときに張り切るのが彩也子さんで、壮行会と称してご馳走をたくさん作ってくれて、小さい身体ながらたくさん食べる夏輝さんはともかく、いくら高校生とは言っても女の子ばかりの誠陵館の寮生たちで食べるにはかなり多い量のご馳走が出てきて、終わった後はしばらく動けないくらいだった。

 そうして修学旅行に向かった夏輝さん、友喜音さんがいなくなった誠陵館は少し寂しい感じがした。

 賑やかな夏輝さんがいないこともあるだろうし、勉強でも何でも相談に乗ってくれて頼りになる友喜音さんがいない、と言うことも関係しているだろう。

 それでもあたしは前に友喜音さんに教わった勉強法を実践したり、雑誌やマンガを読んだり、はたまた舞子さんに迫られて翔子さんに助けられたり、静音さんのドジに巻き込まれたりと、3年生ふたりがいなくとも退屈しない生活を送っていた。

 それでもやっぱり友喜音さんがいないのはちょっと痛かった。

 何せわからない宿題や問題が出てきたときに聞く相手がいないのだから。

 友喜音さんに代わる相手、となると翔子さんくらいしか思いつかない。

 未だに苦手意識のある相手だったけれど、翔子さんも友喜音さんに教わって勉強法を変えてから成績が上向いたと言う実績もある。

 その方法をあたしも実践しようとしているのだから友喜音さんがいない今、頼れるのは翔子さんくらいしかいない。

 苦手意識はあるけれど、背に腹は代えられない。

 宿題や勉強道具を持って階段を下り、103号室の前に立つ。

 ごくりと唾を飲み込んでから意を決して扉をノックする。

「はい?」

「千鶴です」

「何?」

 なんか不機嫌そうだ。

 でももうここまで来たのだから後戻りをすることはできない。

「宿題でどうしてもわかんないとこがあって教えてもらえないかなぁって。友喜音さんいないし」

 僅かな沈黙が下りてから、『入っていいわよ』と声がかかった。

 それにホッとして中に入るとちょうど翔子さんも宿題をしている最中だったのか、部屋に備え付けの勉強机に向かってるところだった。

「福井さんも宿題の途中?」

「えぇ、そうよ」

「お邪魔だったかな?」

「別に構わないわ。もう粗方終わってるし」

 もう不機嫌そうな感じはしない。ただ単に宿題中に来て、何の用だ? なんて思っただけかもしれない。

「で、どこがわからないの?」

「えっとね、評論のこの部分なんだけど……」

 宿題のプリントを見せると『あぁ、ここね』なんてあっさりと言ってきた。

「ここの肝はね……」

 そんなふうに言って翔子さんは丁寧な解説付きで宿題の答えを教えてくれた。

 それに翔子さんの隣に立ってふんふんと聞く。

「なるほどぉ。さすがだね」

「こんなの大したことじゃないわ」

 少し頬を赤らめて翔子さんは自分の宿題のペーパーに視線を落とす。

 あ、照れた。

 怒られたり不機嫌な姿しかほとんど見たことがなかったから新鮮で、しかもなんか照れる姿が可愛くて微笑が漏れる。

「後はないの?」

「物理のこれ」

「どれどれ……」

 そうしてあたしは翔子さんに教えてもらいながら30分ほど翔子さんの部屋にいた。

「助かったよ、福井さん。やっぱり福井さんも頭いいんだね」

「そんなことないわよ。あたしだって友喜音さんの世話になることなんて結構あるんだし」

「でもあたしがわかんないとこ、すらすら解いてたじゃない」

「あれはたまたまあたしがわかる問題だったから……」

 褒められ慣れてないのか、翔子さんはむず痒いとでも言うように身じろぎをする。

 その様子に、以前感じた既視感が再び襲ってくる。

 じっと翔子さんの横顔を見ていると、やっぱり既視感がある。

 前に翔子さんは『昔から』と言っていたこともあるし、どこかで翔子さんとは出会ったことがあるのかもしれないと思った。

「な、何よ、じろじろ見て」

「え? いや、なんか福井さんって見覚えがある気がして」

 そう言うと翔子さんは眉間に皺を寄せた。

 あれ? なんかあたし、気に障るようなこと言った?

「ふんっ、千鶴にはその程度の存在だったってわけね!」

「ちょ、ちょっと待ってよ! いきなり不機嫌になられてもあたしには心当たりがないんだからしょうがないじゃない」

「心当たりがない? よくそんなこと言えたわね」

「だって……」

「じゃぁこうしたらどうかしら」

 そう言って翔子さんは押し入れの中から収納チェストに入っていたらしいベースボールキャップを取り出して、それに髪をひっつめて被った。

「これでも思い出さない?」

「んー……」

 ベースボールキャップ……、見えなくなった髪……、ちょっと丸めの顔立ち……。

 既視感が強くなる。

 今翔子さんが来ているのは長袖のワンピースだけど、これがホットパンツにジャケットだったら……。

 そう思った瞬間、幼いころの記憶がフラッシュバックしてきた。

「え? え? ま、まさか……、翔ちゃん……?」

「やっと思い出したのね」

「えーーーーーー!! 翔ちゃんって女の子だったのーーーーーー!?」

 翔ちゃん。

 あたしがまだ小学校低学年のころ、近所に住んでいた『男の子』

 いつも短い髪にベースボールキャップを被って、あたしを引っ張ってくれていた頼りがいのある『男の子』

 親の転勤で引っ越してしまったけれど、引っ越すまでの間、ほとんど毎日のように一緒に遊んでいた一番仲のよかった友達。

 そこまで思い出してようやく4月に翔子さんが帰省から戻ってきて寮で対面したときにあたしが『初めまして』と言ったら不機嫌になった理由がわかった。

 翔ちゃん、もとい翔子さんはずっとあたしのことを覚えていてくれて、10年ぶりくらいに再会したと言うのに初対面だと思われたことで不機嫌になったのだと今さらながらに理解した。

 唖然として言葉もないあたしに翔子さんはベースボールキャップを取って収納チェストにしまうと勉強机に座ってあたしを見上げてきた。

「ったく、思い出すのが遅いのよ。再会して2ヶ月も経ってるって言うのにぜんぜん思い出さないんだもの」

「ごめん……。あのころは福井さんのこと、ずっと男の子だと思ってたから」

「まぁ確かに男の子と間違われることが多い格好をしてたのは事実だけど、名前を聞いても思い出さないなんてどうかしてるわ。あたしは千鶴の名前を聞いてすぐに思い出したってのに」

「ごめんなさい……」

「でもいいわ。遅かったけど思い出してくれたんだし」

 そう言って翔子さんは今までに見たことがない柔らかな微笑を見せてくれた。

「だけど2ヶ月以上も福井さんのこと……」

「だからもういいわ。思い出してくれただけで十分。――それと、その『福井さん』って言うのやめてくれない? 他人行儀すぎるわ」

「じゃぁ昔みたいに翔ちゃん?」

「翔子でいいわ。あたしも呼び捨てだし」

「うん、わかった。じゃぁ翔子、勉強ありがとね。それからホントにごめんね」

「いいのよ。同じ寮に暮らす寮生だもの。気兼ねなく行きましょう」

「うん」

 これですっきりしたのか、翔子は微笑を湛えたまま、あたしを見上げていた。

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