第17話

 このところ、夏輝さんがそわそわしている。

 背中におぶさってきたり、抱きついてきたり、スキンシップ過多なのはいつものことだけど、そんなときでもどこか浮ついた雰囲気を醸し出していたり、ご機嫌そうに鼻歌を歌っていたりと夏輝さんはいつにも増して元気そうだった。

 何度もおぶって登校していたからか、それに気をよくしたらしい夏輝さんは今日も今日とてあたしの背中の上で鼻歌を歌いながら登校していた。

 隣には友喜音さんがいて仲よさそうにしてるあたしと夏輝さんを見てにこにこしている。

「ホント、夏輝ちゃんは千鶴ちゃんが気に入ったのね」

「おう! 他の連中は邪魔だっつっておんぶしてくれないからな! その点千鶴は面倒見がいい!」

 別段面倒見がいいんじゃなくて、曲がりなりにも先輩だから断れなかっただけだったのだけど。

 でもそれ以上にご機嫌な様子が気になって夏輝さんに尋ねてみた。

「なんだか夏輝さん、最近機嫌いいですよね。何かいいことでもあったんですか?」

「別にないぞ!」

「ないのになんでそんなにご機嫌なんですか」

「ふふ、千鶴ちゃんは本当に噂とか、そういうのに疎いのね」

「どういう意味ですか、友喜音さん」

「ヒント、夏輝ちゃんは運動が得意」

「それは知ってますけど?」

「じゃぁもうひとつ。5月も終わりになるころには?」

 はて? 何があっただろうか?

 少し考えてみてハッとする。

「体育祭!」

「正解」

「なるほど。それで夏輝さん、このごろ機嫌がよかったんですね」

「そういうこと」

「千鶴は楽しみじゃないのか!?」

「あんまり運動は得意じゃないですから」

「だからと言って手を抜く理由にはならんぞ!」

「でもあんまり疲れることは……」

「根性のないヤツだな! 何事も成せば成る!」

 それは夏輝さんが運動得意だから言えるんだと思う。

「でも体育祭ってあんまりいい思い出がないんですよね。くじ引きでスウェーデンリレーになってひぃひぃ言いながら走ったり、障害物競走でスパッツが脱げそうになって恥ずかしい目に遭ったり」

「それくらいのこと気にするな! あたいなんか借り物競争で体操着とか書いてあったらしくて体操着脱がされたことだってあるぞ!」

「夏輝さんは少しは羞恥心と言うものを持ってください!」

「それはそうだけど、その話、実は続きがあるの知ってる?」

「続きって返してもらったんじゃないんですか?」

「それが返ってこなかったのよ。夏輝ちゃん、人気者だから欲しがった誰かがネコババしたんじゃないかって噂よ」

「どんだけー……」

 羽衣ちゃんは確かに学校のマスコット的な存在だと言ってたし、一緒に登校してると夏輝さんは色んな生徒から挨拶をされる。

 羞恥心は皆無だけど夏輝さんは裏表があると言う表現からは程遠いくらいの性格をしているし、身体は小さくて可愛らしい。それでも元気で運動が得意。勉強のほうはちょっと……だけど、確かに夏輝さんがたくさんの生徒に愛されている理由は何となくわかる。

 わかるけど、体操着をネコババされるってのはちょっと行きすぎじゃないかなぁって思う。

 でもそんな話を聞いているはずなのに夏輝さんは一向に気にした様子もなく、あたしの背中の上で挨拶してくる生徒たちに、元気な声で挨拶を返している。

 そうこうしていると下駄箱まで来たので夏輝さんは下りる……と思いきや、なかなか下りようとしない。

「夏輝さん、靴履き替えないと」

「千鶴の背中が居心地いいから下りたくない! このままあたいの教室までレッツゴーだ!」

「えぇ……」

 ちょっとそのセリフはいかがなものでしょうか、夏輝さん。

 なんかどことなく視線が痛い気がするんですけど。

 でも友喜音さんはもうこういうことには慣れっこなのか、かいがいしく夏輝さんのローファーを脱がして上履きに履き替えさせている。

「準備OK! さぁ行け! 千鶴!」

「はぁ……」

 溜息ひとつついて仕方なしに夏輝さんをおぶったまま、友喜音さんが出してくれた上履きに履き替えて夏輝さんのクラス3年2組に向かう。

 幸いだったのは3年生の教室は1階にあって、階段を使う必要がないことだった。いくら夏輝さんが軽いとは言ってもおぶって2階、3階まで上がるのは勘弁してもらいたい。

 友喜音さんは3年1組なので途中まで一緒。

 夏輝さんが下りる気配がないのでそのまま3年2組の教室まで入っていく。

「夏輝さんの席はどこですか?」

「あそこだ!」

 指差したところは教壇の斜め前。一番前の席だった。

 そこまで行くとようやく夏輝さんはあたしの背中から下りてくれた。

「ご苦労だったな、千鶴!」

「もう勘弁してくださいよぉ。3年生の教室なんて肩身が狭いんですから」

 あとの半分は耳打ちして夏輝さんに言う。

 けれど夏輝さんは目をぱちくりさせてから、バンバンとあたしの背中を叩いた。

「何を気の小さいことを言っている! そんなんじゃいくらあたいが揉んでも胸はでかくならんぞ!」

「なんで今胸の話になるんですか!」

「何となくだ!」

 あっはっはっ、と豪快に笑う夏輝さんにあたしは肩を落とした。

 ただでさえ羞恥心がなくてこの手の話題を大声で話すと言うのに、さらにここが3年生の教室だと言うこともあっていたたまれなさがマックスだった。

「何々ー? 夏輝ちゃん、新しい彼女?」

 そんなところに夏輝さんのクラスメイトのひとりが声をかけてきた。

 彼女とか不穏なことは言わないでもらえますか?

 その言葉を飲み込んで黙ってると夏輝さんがにかっと笑って答えた。

「この4月から同じ寮生になった千鶴だ! みんな、仲良くしてやってくれ!」

「へぇ、じゃぁ誠陵館に入ったんだ」

「夏輝ちゃん、可愛いでしょ?」

「夏輝ちゃんに気に入ってもらえるなんて羨ましいわぁ」

「私も誠陵館に入ればよかったかなぁ」

「1年生? 2年生?」

 etc……。

 クラスメイト……主に女子がわらわらと集まってきて思い思いのことを言ってくる。

「千鶴は聖徳太子じゃないんだ! そんなにいっぺんに話しかけてもわけがわからんぞ!」

 そこへ夏輝さんが助け船を出してくれて、ひとまず話し声は沈静化する。

「でもぉ、ここまでおぶってもらってくるなんて、夏輝ちゃん、よっぽどこの子のことが好きなのね」

「大好きだぞ! 千鶴はいいヤツだ! だからつい背中が居心地よくてここまで連れてきてもらったのだ!」

「ふぅん……」

「そうなんだぁ」

「すごいねぇ」

 あぁ、言葉に棘がある。

 ついでに視線も痛い。

 人気者の夏輝さんが『大好き』なんて言ったおかげで夏輝さんファン(と思しき)女子たちの胡乱な視線が突き刺さってくる。

 早くこの場から逃げたい……。

 けれど夏輝さんのクラスメイトの囲まれていてはそれも叶わず……。

「あの、夏輝さん、そろそろあたし、チャイムが鳴るから教室に行きたいんですけど……」

「そうか! そうだったな! お役目、ご苦労だったな! 千鶴!」

 夏輝さんがそう言ってくれたのでようやくクラスメイトの輪が緩んで隙間ができたので、そこから逃げるようにして3年2組を後にする。

 はぁ……、ホントに夏輝さんって人気者なんだなぁ。

 特に女子からの人気がすごい。

 と言うか、視線の痛さでそれを痛感させられた感じ。

 でもそれよりもまったくそのことに気付いていなさそうな夏輝さんのほうが問題だろうと思った。

 きっと『大好きだ』と宣言したあたしに夏輝さんは何かと構ってくるだろう。

 ついでにこの話はきっと噂になって、尾鰭もついて、あらぬ噂になって羽衣ちゃん辺りの耳に入ることだろう。

 その後のことを考えてあたしは夏輝さんが卒業するまでの間、平穏無事に学校生活が送れるのだろうかと言う危惧を抱かざるを得なかった。

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