第5話

 今日はもう遅いから自己紹介は明日にしようと言う静音さんの言葉で、友喜音ちゃんと呼ばれた女の子はホッとしたように201号室に消えていった。

 201号室へ、と言うことはここの寮生だと言うことだ。

 舞子さんや静音さんはファーストコンタクトがあれだったし、夏輝さんに至ってはお風呂での出来事がある。どんなことが起きてもいいように心構えをしておこうと思って自分の部屋に戻って就寝した。

 翌日、朝ご飯の席で自己紹介した友喜音さんは、鍵谷友喜音さんと言う名前でこの春から高校3年生になるとのことだった。

 私も自己紹介をしてから朝食と相成ったわけだけど、どんな人だろうとちらちら友喜音さんを窺ってみたものの、視線に気付いているのか、あたしと目を合わせようとしない。

 朝食が終わってもそそくさと出ていってしまって、まともに言葉を交わせなかった。

「あたし、何か嫌われるようなことしたかなぁ」

 食後の緑茶を飲みながらぼやくと舞子さんや夏輝さんがそれを聞きつけて答えてくれた。

「気にするな! 友喜音は気弱な性格だからまだ千鶴に慣れていないだけだろう!」

「そうだな。一緒に生活して、慣れてくれば話をしてくれるようになるさ」

「そうだといいんだけど」

「千鶴も後ろ向きだな!」

「でも話したいならいいきっかけがあるぜ」

「何?」

「勉強」

「勉強?」

「友喜音ちゃん、あんな性格だけど特待生で1年生のときから一度も学年トップを譲ったことがないくらいの秀才なんだ。ここの寮生の誰もが少なからず友喜音ちゃんには試験前とか世話になってる」

「うちの学校で学年トップ!? 秀才どころか天才じゃない!」

 そうなのだ。うちの学校――私立清水学園は県下ではトップクラスの難関を誇る進学校で毎年必ず何人もの東大合格者を輩出するくらいレベルの高い学校なのだ。その学校で1年生のときから一度もトップを譲ったことがないと言うのは相当すごいことなのだ。

「あれ? でもなんでそんな優秀な人がここの寮に?」

「それは友喜音の口から聞いたほうがいいな! あたいらがぺらぺら喋ることじゃない!」

「そうだな。おいおい話してくれると思うから、それまで気長に待ってな」

「そう言われると気になるなぁ」

「本人が話さないことを他人が気軽に話していいものじゃないだろう? 千鶴だって知らないうちに自分の秘密を誰かに知られたら面白くないだろうし、怒るかもしれないだろ。そういうことだよ」

「わかった。気になるけど気にしないことにする」

「うむ! それがいい!」

 とは言え、朝食の席でも目をまったく合わせてくれなかったことから考えると、前途多難な気もしないでもなかった。

 朝食が終わって部屋で荷物を待っていると、午前中に引越し屋さんが来てくれたので舞子さんや静音さん、夏輝さんも手伝ってくれて荷物を部屋に運び込むことができた。6畳一間で狭いからテレビとかは置けないけれど、本棚を組み立てて教科書や参考書、マンガや小説などをしまったり、押し入れに収納チェストを入れてそこに衣類を収納していたりしたらあっという間にお昼になった。

 彩也子さんがお昼ご飯ができたと呼んでくれたのでみんな揃ってお昼ご飯にする。

 その後は引越しのごたごたでやり切れていなかった宿題をしようと机に向かっていたのだけど、さすがに難関校だけあってわからない問題が結構出てくる。何とか自力で解こうと努力してみるものの、どうしてもわからない問題がいくつかあって、さてどうしようかと思っていたところに舞子さんの言葉を思い出した。

 いったいどんな人なのかを見極める意味も込めて、わからないところを友喜音さんに聞いてみてはどうだろうかと思って、宿題を持って友喜音さんの部屋である201号室の扉をノックした。

「は、はい!」

「あの、千鶴です」

「なな、なんでしょうか?」

「宿題でどうしてもわからないところがあって、そんで友喜音さんが学年トップの成績だって聞いたので教えてもらえないかなぁと思ったんですけど、ダメですか?」

 扉越しに尋ねてみると少しの間沈黙が下りた。これは望み薄かなと思い始めたときに扉が開いて友喜音さんが扉を少し開けて顔だけ出してきた。

「宿題だけ?」

「だけ? とは?」

「抱き付いたり、頬にキスしてきたりしない?」

「しませんよ! 舞子さんや夏輝さんじゃあるまいに」

 思わず強い口調になってしまったけれど、その言葉に友喜音さんはホッとしたように吐息して扉を開けてくれた。

「どうぞ」

「じゃぁお邪魔します」

 友喜音さんの部屋はあたしの部屋と大差なく、本棚に備え付けの勉強机があるだけの簡素な部屋だった。たぶん、衣類は押し入れにしまってあるのだろう。きちんと整理整頓された本棚辺りが友喜音さんの性格を表しているように思えた。

「こっち」

 招かれるままにひとつしかない勉強机に座って、友喜音さんがあたしの隣に立つ。あたしは宿題を広げてどうしても解けなかったところを見せてみると、少しの間友喜音さんは考える仕草をした後、宿題のノートを指差した。

「ここはね、尊敬語と謙譲語が両方使われてるから、主語は天皇なの。そうしてみたらここは誰が誰と話してるかわかるんじゃない?」

「ふむふむ……」

 言われたところを見て少し考えてみると話がようやく繋がった。

「あ! これが天皇だからこっちが中宮ってこと?」

「うん、そう。そこからはわかる?」

「ちょっと待ってください」

 再び考える。主語がわかれば話のつながりが見えてきて、虫食いになっているところに何が入るのかがわかってきた。

「あ、わかった! ここがこうだから、こう!」

「うん、そう」

 パッと表情を明るくして友喜音さんを見上げると、友喜音さんも弱いけれど笑っていた。

 夏輝さんは気弱だと言っていたけれど、確かに気弱なのかもしれない。

 でもこうしてわからないところを丁寧に教えてくれるところは好感が持てた。

 ついでなので古典の他にも数学や化学などの問題でわからないところを教えてもらったところ、さすがに学年トップの頭脳は伊達ではなく、しかも教えるのが丁寧でわかりやすかった。

「やった! 解けた! ありがとうございます、友喜音さん」

「ううん、いいよ。私は勉強くらいしか取り柄がないから」

「でも教え方も丁寧でわかりやすかったです。あの、厚かましいお願いなんですけど、これからわからないところがあったらときどき教えてもらってもいいですか?」

「うん。他のみんなにもよく教えてるし、いつでも聞きに来て」

「ありがとうございます。助かります」

「ううん、こちらこそだよ。私はこんな性格だけど、同じ寮生として仲良くしてくれると、嬉しい」

「もちろんです!」

 性格は気弱かもしれないけれど、友喜音さんはどうやら常識人のようなのでこっちとしても安心して話せる相手ができるのは嬉しかった。

 友喜音さんは先輩になるけれど、この寮で出会った初めてのまともな人と言うこともあって、こっちとしても仲良くしてもらえるのは大歓迎だ。

「じゃぁ、その……千鶴ちゃんって呼んでもいい?」

「はい。ってもうあたしは下の名前で呼んじゃってますから好きに呼んでください」

「うん、ありがとう、千鶴ちゃん」

 あたしが笑うと、友喜音さんもさっきよりは明るい笑顔を返してくれた。

 よかった。

 友喜音さんとはいい関係を築けそうな気がしたし、4人目にしてようやくまともな寮生に出会ったと言うこともあって、宿題が終わった後もしばらく雑談をして楽しい時間を過ごすことができた。

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