まだ、好きこそ物の上手なれ。ってか。

杜松の実

第1話

 これは「【笑いのヒトキワ荘・第七回大会】最強のツッコミ野郎 杯」に向けて書いている。カクヨムにて崇期さんが開催している企画で在り、その内容について表題の外に敢えて添付する必要はないと考える。あなたがそれでも企画について知りたいと思うのであれば調べれば済む話であり、私がここにリンクを貼れば尚更簡潔に収まるのだが私はそれをしない。

 この書き出しを卑怯と考える者も居られるかと考えるがよく考えて欲しい。この手の書き出しは二度と用いることが出来ない。芥川流に云えば、「いちどは、愛嬌である。」いや、太宰だったかな。漱石でなかったことは保証しよう。兎にも角にも一度は愛嬌として許される。寧ろ好感さえ得られるかもしれないからやってみるといい。でも二度三度とこの手の楯を用いて文章拵えようとすれば君、みじめになるだろうよ。そうだ、これは太宰の言葉だったな。

 私がこの卑怯な手を用いたのには当然訳があり、どうにもお題の小説を書き切る自信がないからだった。

 艱難辛苦。

 脳髄劇場にて三本の小説舞台を展開してみた。内一本はこれぞと思い書き出して見た。そいつが成功していればこの文書は存在しない訳で、態態わざわざ明かす必要無く証明終了、Q.E.D.である。

 想像拵えツッコミを形作るのは諦めた。少し気分転換に街へ繰り出し、身から出たツッコミを書き綴ってやろうと思った訳だ。これにツッコミは掛かっていない。そう思い立ったが吉日とばかりに身支度に取り掛かった私の脳裡に引っ掛かるものが在った。

 最近のご時世を鑑みている訳ではなく元から出不精なだけで、電車を使ってまで都市へ行くには尤もな理由が無くては行けない。それでも家でじっとしているとストレスが溜まる。そんな私の近頃の趣味は散歩であり、スマートフォンの万歩計の値を見て満足することである。――ヘンな趣味だな――。そんな趣味はない。

 防寒を施し、中でもお気に入りはユニクロで数年前に買ったヒートテック式のボトムスである。――かっこつけんなよ――。悪かったな、パンツだよ。――ズボンって言えよ――。パンツでいいだろ。おん? ――ああん?――。

 玄関の扉を開けると北風が向かい風が襲って来た。風を幾らか背で受けようと背中を外側に斜にしてエレベーターホールまで歩いた。二台のエレベーターは共に出払っており、そんなことはいつものことであり、気にも留めずに下へのボタンを押した。手持ち無沙汰に目をエレベーターの停留階を示す灯火に上げると、その隣に表示された八桁の数字の列挙に気が付いた。


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 そこは本来日付を表すものだった。であればそれも何等かの日付を表していると推論することに無理はなく極めて自然であり、日付であるならば候補は自ずと二通りしか私には考え着かなかった。一つは当日の日付を寄こすものであり、二つは過去及び未来において重要な日付を示すものである。こいつを日付として読むのであれば、2088年2月5日の外にないだろう。今日の日付は手持ちのスマートフォンで確認するに2022年の2月5日である。月日は一致しているが年に乖離がある。2088年に日本に夏季五輪が招致されたという知らせは聞いたことがない。2020年の招致から68年後、その前が56年空いているところから見ても妥当な時期かもしれないが、今時点で決めるには尚早であることは確かに思える。五輪の外に早々から広告せねばならないイベントも思いつかず、またどのようなイベントであっても66年も前から宣告せねばならない道理はないかと思う。あるとすればそれは人類滅亡の類にカテゴライズされるセンセーショナルな大予言だろうが、ノストラダムス以降に大予言者は聞いたことがない。――マヤ文明の2012年説ってのもあったぞ――。みんな覚えてないんだからいいんだよ、そんなことは。

 エレベーター脇にある日付を掲示する電光板に灯る2088年の表記。私は左右の後ろを振り返り誰も居ないことを確認してから、頭上のその電光板に指さし声を潜めて言った。

「おまえタイムマシーンか」

 ――小せえ声だなあ――。

 慎ましいことを考えている内にエレベーターが上がって来てティンと鳴り迎え入れる様に扉が開いた。閉まるを押してから行先ボタンを一階押す。このやり方の方が、行先ボタンを押してから閉まるを押すよりもコンマ何秒か早い。と確か母から教わった。母はせっかちな人間だったのだろうか。はて、教わったのは何時の事だったか。確か昨日の晩までは実家に一緒に暮らしていた筈だが。今朝起きたあそこはどこだ。

 幼少期はマンション暮らしだった。中学に上がってから一軒屋に引っ越した。電車通学であった私は通学時間が十分短くなることを喜んだ。自分の部屋が大きくなったこともこの上なく喜んでいた筈だ。今では当たり前に感じている六畳+ウォークインクローゼットという恵まれた自室。昨年巨大な本棚を苦心して組み入れたばかりでなかったか。未だ学生の身分である私は生まれて以来このかた一人暮らしをした事がない。であれば今朝起きたあの部屋はどこだ。

 幼少期に暮らしていた部屋と同じであれば、夢を見ているのかと腑に落ちるが、記憶を遡るまでもなく全く異なっている。間取りも調度品も似通っているところなく、思い返せば自分の趣味からも外れている。そのような部屋を夢に見る道理があるか。

 知らぬ部屋に目覚めておいて、知らぬ部屋と気付くこともなく、朝の雑事を始末してワイドショー目端に昼食を頂き、お題の小説に執りかかって苦悩し、腹ごなしに出た散歩の出掛けに気が付くことなどあり得るのだろうか。あまりに不思議だ。不思議が過ぎて恐ろしさを感じるべきだとは思うが、不思議が過ぎて過ぎるに過ぎると恐ろしさを感ずるべきセンサー振り切れ馬鹿になる。さながら痴呆の仏みたいな顔をしていた。

 ティンと鳴り目の前の壁が開きエレベーターに乗っていたことを思い出す。呆けていたのは降下に伴う重力負荷の為か、脳髄が過ぎた不思議に追いつき正しい質量の不安を分泌し始めた。脚がすくむ。2088年の五文字が脳裡に浮かぶ。眼前に浮かんでいるかと思えるほどに。脚が竦む。扉が勝手に閉まり始めた。閉めてはならないと思える反面、勝手に閉まってくれたことへの安堵も生起された。私が閉めたのではなかった。閉まることへの責任は私にはなかった。何しろ竦んだ脚は動かせない。降りられないことに私の意志は介在しておらず、閉まることに私の逃避感は混入していない。エレベーターの内に留まることに安堵しながら、エレベーターの内に留められることへ私は怒る権利を持っていた。私は私を責めるよしなく、内に留まることになった。

 殊更大きくティンと鳴り、閉まりかけた扉が再び開いていく。私は腰を抜かして竦んだ脚にそれを支えられる筈はなく、後退して卒倒しかけた。

――早く降りろ――。どんと背中を押されて私はつんのめる様にしてエレベーターから飛び降りた。

 歩く街並みに80年代の未来感は臨めなかった。どうやらタイムマシーンではなかったらしく、それだけでも満足だった。

 当初の予定通り散歩に繰り出した。思い思いに足を向けた。右の道は知った道だから左へ行ってみることにした。知らない道でも土地勘はあるものだから、なんとなくどちらに向かっているのかは分かった。迷子になる心配はなかった。どうして土地勘があるのかは考えなかった。知らない家のある知らない街から出ない知らない道を気儘に歩いても、知らないながらも知った気になっていた家に帰れなくなる心配はなく、知った気になっている知らない街の知っているコンビニには必ず知らない食べ物と知っている漫画雑誌の今週号が置いてある筈で、知りもしない人から声を掛けられた。


「もしもし」


 ははあ。企画の要項にエッセイはダメだと書いてあったからな。だからこんな不思議に巻き込まれなければならなかったのか。いいや、気付いてはいたさ。寧ろ充分調べてからこいつを書いているからね。でもエッセイでしかツッコミを書ける気がしなかったんだ。なあに、小説とは実に自由な文化でね、どんなものでも己でこいつは小説だ、俺は小説を書いたんだと宣えば小説になってしまうんだよ。エッセイでなくノンジャンルの小説としてエントリーさせてしまおうかと思っていたんだが。――卑怯だろ――。はっはっはっ、そうだね。二度目の卑怯はみじめになるからね。ありがとよ。




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まだ、好きこそ物の上手なれ。ってか。 杜松の実 @s-m-sakana

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