十 琥珀

 その日私は、春明堂に来ていた。


 薄く開いた木戸を抜け、薄明かりを頼りに進むと、レジ奥の四畳半の部屋に小白と青い瞳の青年が、丸い卓袱台を囲んで座っていた。



 あの日、私と楓は無事帰り、無茶苦茶に叱られた。普段は温和で怒りなれていない父が、顔を真っ赤にして怒る姿に思わず吹き出し、私は更に怒られてしまった。対照的に楓は、怒られたものの最後には、両親に良かったと抱きしめられていた。普段はあんなに怒られているのに。

 怒られるのは、当たり前と言えば当たり前まえだった。24時を回ろうかと言う時間になっても、娘たちからは一切連絡が無かったのだから。ただ、不思議な事に、皆で街中を手分けして探していたにも関わらず、誰もあの黒い家は見ていなかった。

 その話を聞き、怖くはあったが、気になったので、思い出せる限りで探しに行ってみたが、ついに、あの家にはたどり着けなかった。



「お待ちしていました。さぁ、どうぞ」

促されるまま、差し出された座布団に座る。昼中と言うこともあるが、部屋は明るくとても落ち着く。私にとっては懐かしの部屋だ。

「さて、なにから聞きたいですか?」

前置き無しに、小白が尋ねる。聞きたい事は山程あったが、いざ訪ねようとすると言葉が出でこない。

「そうですね、先ずは1番気になっている事からお話しましょうか」

そう言うと、小白は卓袱台に置かれた湯呑茶碗を一口飲むと続けた。

「もう、お気づきかもしれませんが、この方は貴方の飼い猫のあおさんです」

やはり、あの時突然現れた青い瞳の青年は、あおだった。さも当たり前のように隣に座るおおを横目に、その事については不思議とすんなり受け入れられた。ただ、そうするともっと基本的な疑問が頭をもたげて来る。


「あの、」

聞きたいけど聞きたくない。聞いてしまうと、私の中の価値観が、根底から変わってしまう。そう思うと怖くて聞けなかった。

 黄褐色の瞳で見つめてた小白が、心を読むように静かに話し始める。



「紬さん、人が初めて抱く感情はなんだと思います

?」

「えっと、喜びかな?それとも悲しみ?」

「いえ、『おそれ』ですよ」


ゆっくりと右手を上げていく小白。


「人はこの世に生まれ出た瞬間、ここがどこだか、自分がだれだか、なにも分からない。分からない、そのことが自体が『おそれ』となって湧き出てくる。でも、母に抱かれ、声を聞き、そして安心と幸福がやってくる」


右手で顔を覆い、なおも続ける。


「大きくなるにつれ、分かるにつれ、初めに感じた『おそれ』はなくなるが、他の『おそれ』がどこからともなくやって来る。そしてそれを拭う為に、人は世界を知ろうと探求していく。でも、それでも、分からない、理解出来ない『おそれ』はどうする?自分達の常識から逸脱できず、価値観を変えられなかったら?」


錯覚か、心做こころなしか部屋の温度がぐっと下がった気がした。光が蝋燭の炎のように揺らぐ。


「人は自分の都合のいいように、解釈をつけていく。例えそれが事実と違っても、あたかもそこに真実など無かったかのように。そこに『怪異』が生まれる」


まだ昼中の筈だ、まだ明るかったはずだ。しかし、部屋にはとばりが下り、暗く静まり、只々ただただ小白の声だけが低く聞こえる。


「けれど、人はそこで矛盾に苛まれる。朧気おぼろげだった『おそれ』が、『怪異』となって圧倒的な存在になり、増長していく。目には見えない『怪異』によって」


暗闇で薄っすらと光る小白。


「なら、『怪異』を生み出す物がいる、操る物がいる。人はそこに目に見える存在を求め創り出す。それが人の言う、狐狸妖怪、妖かしのたぐい


顔を覆う右手隙間から覗くその瞳は、あの日と同じ琥珀色に輝いていた。


紬の喉が、ゆっくり鳴った。

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