八 蒼い閃光

 ゆっくりと、ゆっくりと開いていくふすま


低く、だが、徐々に強くなっていく唸る音。


四方から、再び襲い来る悪夢に紬はよろめく。

逃げ場はない。


 助けを叫ぼうとして、ふと頭を過る思い。

「だれが助けに来るの?」

ここに来た事は、誰にも知らせていない。目の前に現れた頼りたかった人は、今は居ない。

よろめき座り込む。また、弱い私が顔を見せ、もう駄目だと俯き覚悟を決める。


おおおおおお


俯くと同時に視界を横切る白い影、唸っていた音がくぐこもる。

涙でグシャグシャになった顔を上げると、あおが果敢にも、また、黒い人影に立ち向かっていた。けして万全ではないはずだ、それでも前を向くその青い瞳は輝きを失っていない。


おおお、おおおお


四方からは、先程と同じのっぺりとした暗闇から、黒い人影が次から次へと這い出てくる。

しかし、あおは素早さを活かし、巧みに黒い人影からの攻撃を躱し、おのれの持ち得る全てを使い応戦する。


 だが、無限とも思えるほど、黒い人影は闇より這い出てきて、今や部屋を覆い尽くさんとする勢いだ。自由に動き回れる空間が少しづつ少なくなるにつれ、躱しきれなくなり、ついに捕まった。振り上げられたと思った次の瞬間、畳に強く叩きつけられる。スローモーションで一度弾んだ体は、その後動かない。

「あお!」

ただ恐怖し、あおと黒い人影との攻防を、現実味なく見つめるだけの紬だったが、目を閉じたまま、ピクリとも動かないあおを見て、我に帰る。

「あお!あお!」

畳でぐったりするあおに手を伸ばし抱きかかえると、あらん力で叫び続ける。

「あっちに行って!あっちいけ!」

涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、片手を振り回し、なお遅い来る黒い人影の群れを、なりふり構わず追い払う。

私が、今度は私が。あおを守らなくちゃ!

無我夢中で手を振り回し叫ぶ。しかし、その願いも虚しく、徐々に弱まっていく、あおの温もり。

「あお!あお!」


 あおは紬が生まれた朝に、拝殿の軒に小さな箱に入れて置かれていた。その日は朝から雨がしとしと降っていて、それに気がつき拾ってきた祖父の話では、もう少し遅ければ危なかったそうだ。

それからは、嬉しい夜も悲しい朝も、いつもそばに居てくれて、ずっと一緒だった。あの時も。


 そんな、どうして、そんな、お願い、もう一度目を開けて、お願い、やだよ、こんなのやだよ。


 どんなに願っても、いつかは別れがやって来る。それは生まれた時にした、誰もが逃れられない約束。悲しくも、授かった命を燃やし尽くせと囁く、神様との誓い。


 分かっている、分かっているつもりだった。あおはもういい歳だ、近い将来、きっとその約束を果たす時が来る。でも、それでも、もう少しだけ、お願い、もう少しだけ、私のわがままを聞いて、行かないで、今じゃない、こんな別れはいやだ、お願い。おねがいします。


強く、目をつむる。




 黒い人影は無情に、四方から一斉に紬とあおに襲いかかり、部屋の中央で黒い塊となる。静まり返る部屋、時が凍る。




 突如、蒼く燃え上がる炎。永遠の瞬間を焼き払うが如く。

 燃え上る青い炎は、あっという間に黒い塊を焼き尽くし、部屋全体をも燃え尽くす。まるで半紙が焼かれたように、僅かな燃えかすを空に返し、その幻を暴き出す。


 気がつけば今まで居た部屋は跡形もなく、見知らぬ部屋に座っていた。腕の中に抱いたあおの感触はいつの間にか消え、目の前には見知らぬ青年が立っている。

 背丈は自分と同じくらいだろうか、短髪で白い髪の上に先が尖った耳があり、腰と臀部の間から、二本に分かれた尻尾が生えている。そして、前を睨みつけるその瞳は。深い海を思わせる蒼。

「あお?」

半信半疑で呼びかけるが、それには答えず、

「来るぞ」

と、目線を前から外さない。

その視線を追うと、立派な床の間があり、その一角の取り分け太い柱に目が止まる。それを見た瞬間、胸の奥から込み上げる、どす黒い何かを抑えきれず思わず口を手で覆う。


おおお、おおおおお


今度は唸り声となり低い音が柱から聞こえる。

瞬間、弾かれたように無数の黒い手が、柱から紬達目掛けて襲い来る。

思わず目を瞑る紬。


 空を切り裂く音が聞こえた気がした。

恐る恐る目を開けると、青い瞳の青年が黒い手を切り裂いていた。


おおおおおおお


一段と大きな唸り声が上がると、部屋のあちらこちらから、黒い手が弓矢のように次々と襲いかかって来る、それを巧みに躱しつつ、次々と切り裂いていく。

目の前の状況に頭がついて行けず、呆然としてる紬にも、黒い手は容赦なく襲いかかって来る。

「キャ!」

「紬!」

青い瞳の青年が、襲い来る黒い手と紬の間に割って入り庇うも、一瞬のスキを付かれ、黒い手に捕まる。

「くそ!離せ!」

藻掻くが腕を捕まれ、思うように動けない。


リン


 その時、青年の首元から紬の目の前に、鈴が転がり落ちる。


なぜだかは分からない。

それがさも自然な事だったように、紬は鈴を手に取り両手に握りしめると、そっと目を閉じた。

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