地上 その六

 サトルの説明に、アストロラウンジに再結集したスペシャリスト達はみな黙り込んでしまった。円卓を囲むアバターの動きも停止した。時間にすれば数分程度の沈黙ではあったが、その間、誰一人言うべき言葉を見つけられず、結局重苦しい空気を救ったのはサトル自身であった。


「僕は後悔していません。今取り得る選択肢の中で、ベストの方法だったと思っています。パスカルが行くことで、当初無理だと考えられていた搭乗員二名の帰還が実現します。厳密なタイミングが要求される〈もちづき〉落下地点変更の操作を誰よりも正確に行うことができます。どちらを取ってみても、パスカル以外の適任者はいないのです。だから、パスカルが〈もちづき〉に向かいました」


 おそらくサトル自身が、自分を納得させるために、心の中で何度も繰り返し発してきた言葉なのだ。誰もがそのことに気づいていた。だからこそ、言うべき言葉が見つからないのである。


 再び、沈黙が続くかと思われたその時、ロビンソンの野太い声がラウンジに響いた。

「一つ確かめておきたいんだが、パスカルを〈もちづき〉に向かわせるというのは誰の発案なんだ? あの富永が持ちかけてきたのか? だとしたら――」

「違います」

 サトルがロビンソンの言葉を鋭く遮る。

「パスカル自身の申し出です。それは出来ないと渋る富永さんを説得したのもパスカルです。僕は――僕はその時、何も判断できなくなって、黙って二人のやりとりを聞いていることしかできませんでした」

「そうか、パスカルが自分から行くと言ったのか……。だけど、シャトルを操縦できるロボットなら他にもあるだろう?」

「探せばいるでしょう。でも、落下地点変更のための操作手順を見知らぬロボットに一から設定している時間はありませんでしたし、仮に間に合ったとしても動作保証はできません。パスカルは僕の算出した操作方法を〈もちづき〉の姿勢制御装置シミュレーターで何度も試しています。百パーセントの成功率でした。それと――」

「わかった。パスカルでなければ駄目だったということだな」

「その通りです」


 サトルの一言で二人の会話は唐突に終わった。

 しんと静まりかえったラウンジに、サトルの強い思いが余韻となって漂う。


「みなさんにお願いがあります」

 サトルは自身の実像を中央のプレゼンステージに投影し、スペシャリスト達に向かって呼びかけた。青白く、少しやつれたかに見える顔には凄みさえ漂っている。

「間もなく、〈もちづき〉に持ち込んだ通信装置で、パスカルと連絡を取り合うことが出来るようになります。この連絡回線を使って、パスカルに操作指示を行います。みなさんには、〈もちづき〉の挙動を監視していただき、想定通りの軌道変更が行われているかどうかのチェックをお願いしたいのです。もし、うまくいかなかった場合には、臨機応変に操作手順の変更を指示しなければなりません。このときにもみなさんからの助言をいただければと思っています。あってはならないことですが、軌道変更の失敗は、最悪の場合、多くの人命を奪うことに繋がる可能性があります。責任は重大です。突然呼び出して、このようなお願いをすることになり申しわけありません。でも、パスカルがそばにいない今の僕には、みなさんの協力が必要なのです。どうかよろしくお願いします」


 サトルは深々と頭を下げた。

 ざわざわとした空気がアストロラウンジに満ちてくる。誰かが言葉を発したわけではない。一人一人の体の内側から溢れ出してくる思いが、互いに同調し、場のポテンシャルを押し上げているのだ。


「ねえ、サトルさん。よけいなお世話かもしれないけど、パスカルとはちゃんとお別れしたの?」

 ルナが遠慮がちに言葉をかけてきた。

「お別れ?」

「そうよ、だってサトルさんにとってパスカルは、単なる便利なロボットじゃないでしょう」

「それは――」

 その時サトルの胸に去来したのは、パスカルとの出会いでもなく、幼い頃の楽しい思い出でもなかった。流星雨発生の時の不可解な言動を発端とするパスカルの妙に人間臭い反応の数々と、そのことでパスカルに対し微妙な距離を作ってきたことへの後悔だった。

 表面上は普段通りに振る舞ってはきたが、言葉の端々や、ちょっとした態度の中に、パスカルはサトルの内なる変化を察していた節がある。そうして靴の中に小石が紛れ込んでいるような違和感を解消しないまま、二人は別れてしまったのだ。それは物理的な別離であって、ルナの言う「お別れ」ではない。


 突然、サトルの心に、一人荒野に立つような寂寥感が満ちてきた。

 この先、パスカルとの通信が確立されてもそれは音声のみのやりとりで、もうあの柔らかな緑色に光る目を見ることは出来ない。固くてひんやりとしてはいるが、触れるだけで安心感を覚えるあの腕に触れることは二度と叶わない。そこにいることが当たり前だったパスカルはもういない。

 慌ただしい出発準備を済ませた直後に、握手さえかわすことなく、遙かな天空の高みへと飛び立ってしまったのだ。


 ――あの、すいません。パスカルさんからの通信が入りました。どうしましょうか?


 おどおどした口調は今夜のホストのものだった。


「馬鹿野郎、今までの話を聞いてなかったのか。何のためにこうして集まってると思ってんだ。さっさと繋げ」

 ロビンソンの罵声が飛ぶ。

 ホストは声にならない悲鳴をあげ、すいませんとだけ言った。


「今日のホストは、ロビンソンがいつも使ってるAIらしいわよ」

 いつの間にかサトルの隣に寄り添うように立っていた少女の姿のルナが、笑いを含んだ声で囁いた。パスカルが優秀すぎたから後任は気の毒ね、と付け加える。


 突然、ラウンジの照明が明滅し、ガリガリと耳障りな音が流れ始めた。高く低く続くノイズにすいませんすいませんというホストの声が混じる。その音もやがて消えた。

 ラウンジの全員が息を詰めて耳を凝らす。


「こちら〈もちづき〉のパスカルです。通信状態はいかがでしょうか?」


 おお、という歓声が沸き上がる。ルナがサトルの肩を軽く押す。サトルはラウンジの無機質な天井を見上げ、そこに夜空があり、〈もちづき〉があるかのような視線を送った。


「よく聞こえるよパスカル。感度良好だ」

「サトルさんの声も明瞭です。まだ少し喉の調子が悪いようですね。あとで必ず薬を飲んでください」

「うん、そうするよ」

「おや、少し声に震えが混じっていますね。体調の方、大丈夫ですか」

「いちいち細かいぞ、パスカル。おっと、もう時間だ。準備はいいか」

「指示をお願いします」


 こうして、〈もちづき〉の落下地点変更作業は開始された。


    ◇  ◇  ◇


「アメリカからの通告です。事前に合意したタイムリミットまであと三十分を切った。未だ軌道要素の変更は認められないため、我々は計画に沿った準備行動を継続する。以上です」

「〈もちづき〉から離脱した〈HOPE〉が安全圏内にまで移動しました。現在高度は百四十キロ、インド洋の上空です。まもなく大気圏突入となります」

「さらに二機の軍事衛星が〈もちづき〉の周回軌道へ遷移してきました。これで合計六機となります。識別信号にはスクランブルがかけられていますが、光学映像から、いずれも高出力レーザー搭載タイプと思われます」


 日本宇宙機構本部ビルの地下三階に急遽設置された統合司令室では、壁を埋め尽くしたモニター群に各種データと映像が表示され、中央の指令席に陣取った富永をぐるりと囲む各端末からは、次々と報告が入ってきた。富永はその一つ一つに対し、即座に指示を与えていく。


「合意したタイムリミットはアメリカが守るべきものだ。絶対にフライング行為をするなと外務省から再度申し入れをさせろ」

「〈HOPE〉の状況把握はすべて近藤主任が行うこととする。今後の報告は近藤主任の端末に回せ」

「軍事衛星の動きはすべて記録し厳重に管理すること。記録内容はリアルタイムでアメリカにも流せ。こちらの監視体制を見せつけておくんだ」

 指示の合間を縫って、隣のサブ指令デスクに座る近藤に声をかける。

「長谷川君と原田君の様子はどうだ。シャトルの操縦に問題はないか」

「二人とも元気です。シャトルの操縦は、原田君がサポートしているので大丈夫です」

 近藤の声は弾んでいた。〈もちづき〉の状況が非常に厳しいという認識はあるのだが、浮き立つ気持ちを完全に抑え込むことは出来なかった。富永にとっても二人の帰還は唯一の朗報であるから、特段咎められることはなかった。


 内線電話の呼び出しランプが点灯する。呼び出し音が鳴る前に富永の左手が受話器を取り上げた。


 ――中国航天局のリン・チェンミン統括局長から電話が入っています。お取り次ぎしますか?


 リン・チェンミンはどんなときでも音声のみの電話を使う。感情がすぐ顔に出るからではないかとの噂もあるが、本当の理由はわからない。情報伝達手段としてはレトロで回りくどいが、今回に限れば、慌ただしい状況を見せないで済むことは日本宇宙機構にとって好都合である。富永は近藤に、しばらく各部門からの報告対応を代わるように命じた後、電話の取り次ぎを了承した。


「ハロウ、ミスター・リン。シャトルの件ではお世話になりました」

「お役に立てて我々も嬉しい。ところで富永サン、〈もちづき〉の軌道変更はうまくいきそうかね?」

「うまくいくと確信しています。何かありましたか?」

「私とあなたの間柄だからお伝えするのだが、アメリカから打診があったよ。我々のデブリ回収衛星の打ち上げを早められないかと聞いてきた」

「なるほど」

「今後、日本からデブリ回収衛星使用の要請があるはずだから、そのつもりで準備をしておくことをお勧めする、とのことだったよ。デブリ回収が遅れるとアメリカの衛星にも影響あるから、焦っているようだね。経費はすべて日本持ちだということも忘れず付け加えてきたよ。伝えることはそれだけ。アメリカは日本信用してないね」

「ありがとう、情報提供感謝します。だが、私は心配していません。必ず軌道変更を成功させます」

「そうなることを希望するよ。うちの孫も、部屋の照明使って、モールス信号を送っていたようだ」

「ありがとうとお伝え下さい」

「伝えるよ」

「謝謝」


 富永は受話器を戻すと、何事もなかったかのように再び端末に向かった。


「サトルさんから連絡が入りました。今から第一回目の姿勢制御装置の操作を始めるそうです」

「よろしくと伝えてくれ。軌道監視班は〈もちづき〉の軌道要素変更に異常が見られた場合、即座にサトル氏まで報告すること」

「了解しました」


 富永は正面の大型モニターを〈もちづき〉の監視画面に切り替えた。

 近藤の椅子が軋んだ音を立てる。

 その音を合図としたかのように、〈もちづき〉で最初の噴射が行われた。


    ◇  ◇  ◇


〈おい、すごいぜ。〈もちづき〉と地上との通信が全部傍受できるぞ〉

〈本物か? 普通あり得ないだろう〉

〈たぶん本物だ。理由はわからないけどスクランブルがかけられないみたいだ。何かトラブルがあるんじゃないかな。それとも装置の仕様かな。やりとりも音声通信だけだし〉

〈聞かせてくれ〉

〈ほら、ここだ。あちこちで気づいて、みんな聞き耳立てだしたようだな〉

〈――ふむ、なんだパスカルって。そんな宇宙飛行士いたっけ〉

〈地上側もサトルとかいう奴が対応してるぞ。これ、本当に〈もちづき〉の通信なのか?〉

〈どうだろうな。まあ、もうしばらく聞いてみよう〉

〈どうせヒマだからな〉

〈まあな〉


    ◇  ◇  ◇


 元々良くなかったサトルの顔色からさらに血の気が引いたため、荒れて毛羽だった頬は青白いを通り越して灰色になっている。

 一回目の操作による軌道要素の変化が想定したものと一致しないのだ。

 その報告は、アストロラウンジの観測部隊、日本宇宙機構の両者からほぼ同時に上がってきた。すぐにアストロラウンジの計算部隊が検証に入る。サトルはパスカルとのやりとりを再開する。

「パスカル、そちらの姿勢制御装置でエラーは出ていないか」

「問題ありません。操作通りの動作が行われました。出力誤差は一パーセント未満、タイミング誤差は十ミリセック(〇・〇一秒)以内です。引き続き調査を行います」

「頼む。こちらでは今の誤差をフィードバックして次の操作指示を作成中だ。事前に設定した操作手順はすべて破棄してくれ」

「了解しました。新しい指示をお待ちしています」

 アストロラウンジでは観測部隊と計算部隊の間で怒号が飛び交い、作業が進められている。ショウジョウをチーフとする情報収集部隊は静かに端末操作を行っている。

 サトルは目を閉じ、自らが考案した計算手法を頭の中で順になぞり始めた。もう三度目だ。何度やってもミスは見つからない。いったい何が原因なのか。

「サトル、次の操作手順が算出できたぞ。操作は二分後だ。すぐにパスカルに伝えてくれ」

 声と同時にロビンソンからデータが転送されてくる。サトルは操作手順をコード化し、音声でパスカルに伝える。

「3AY532・KK6E11・BLSN4B 以上だ。パスカル復唱せよ」

「3AY532・KK6E11・BLSN4B」

「よし、慎重に頼むぞ」

「おまかせ下さい」

 サトルはロボットチェアの背もたれに体重を預けた。

 そして成功を祈った。


    ◇  ◇  ◇


「軍事衛星の動きに変化がありました。〈もちづき〉との相対距離をさらに縮める方向に移動を始めています」

 この報告に対する富永からの指示はなく、報告は尻切れトンボの余韻を残してフェードアウトした。

 富永は珍しく目を閉じ、何かを思案している。近藤は視界の端にそんな富永の姿を置きながら、無事大気圏突入を終え、沖縄本島の宇宙空港に向かっている〈HOPE〉との通信を行っていた。

「機体のチェック、すべて終了しました。損傷等はありません」

 原田の明るい表情が通信機から飛び出してくるようだった。

「了解。積み荷にも問題はないか」

「二人の人間については聞かないのですか」

「一番最後に聞く予定だ」

「ひどいなあ」

 通信機の向こうで二人が笑い合っているのがわかる。

 近藤は頬が綻びそうになるのをぐっと耐え、軽い咳払いをわざと二人に聞かせた。

 最大の難所は乗り越えたが、まだ完全な帰還には至っていない。実際、過去にも大気圏突入以後の墜落事故が何件も発生しているのだ。

 近藤は二人の油断を戒めるために、管制センターでモニターした、これまでの〈HOPE〉の動きを伝えることにした。

「笑っている場合ではないぞ。大きな問題には至っていないが、先ほどの大気圏突入のコースは想定よりもかなりずれていたようだ。おかげでこちらの管制は大慌てだ。慣れないコックピットなのだから最後まで気を抜くな」

「あ、そのことなんですが。操縦自体はたぶん問題なかったと思われます」

「じゃあ、どうしてコースがずれたんだ?」

「実は〈もちづき〉での帰還準備を張り切りすぎまして、地上から指示された持ち帰りリスト以外の生産物もかなり積み込んでいるんです。その分重量が増えて予定のコースからずれたんだと思います」

「おい、そんな報告は聞いてないぞ」

 近藤は思わず大声を出した。

「申しわけありません。本来なら〈もちづき〉離脱直後に報告するべきだったのですが、慣れない〈HOPE〉の操縦に気を取られて報告を失念していました。ですが、このシャトルは古いながらも貨物運搬専用機だけあって、積荷の重量に合わせた自動補正機能があるんです。地上であらかじめ算出されていたコースから外れたようですが、大気圏突入自体は問題なく行われたと思っています」

 ふと背後に人の気配を感じ、近藤は振り向いた。

 富永だった。

「原田君、こちらで指示したリスト以外に運び出した積み荷の詳細一覧を至急報告して欲しい」

「あ、はい。承知しました」

「報告は五分以内に、直接私の端末へ行うこと」

 それだけを指示すると、富永は指令席に戻り、再び各担当からの報告に対して指示を出し始めた。


    ◇  ◇  ◇


〈ガキだぜ、ガキ。サトルっていう奴、たった十七歳の計算マニアだって〉

〈ありえないだろ。日本宇宙機構がなぜそんな奴に〈もちづき〉の操作させてんだ〉

〈しかもさ、〈もちづき〉にはロボットが送り込まれているみたいなんだ。それがさ、いいか、驚くなよ、専用タイプじゃないんだぞ。ガキの介護用ロボットだとさ〉

〈ぐはっ(吐血)〉

〈何考えてんだ〉

〈世界中の笑い者だよ。恥ずかしいなあ〉

〈さっき軌道変更に失敗したとか言ってたよな〉

〈ダメだ。日本の宇宙開発は息の根止められた〉

〈まさか日本に落ちてこないだろうな〉

〈なくはないぞ〉

〈勘弁してくれ〉

〈あのさ、なんでサトルって人がこんなことやってるのかわからないけど、きっとすごいプレッシャーだと思うんだ〉

〈そりゃそうだ。でもそれを承知で引き受けてんだろ〉

〈うん、だからね、すごい報酬なんだろうな、なんて思ったさ〉

〈俺なら、どんなに金積まれたってお断りだな。リスクが大きすぎるって〉

〈引き受ける方もどうかと思うが、依頼する方がやっぱり非常識だろう〉

〈あとでどんな説明するんだろうね〉

〈そんなことより、この先どうなるかってことだよ〉

〈確かにな〉


    ◇  ◇  ◇


 失敗は明らかであった。二度目の操作結果に、アストロラウンジの全員が黙り込んでしまった。

 これで手も足も出せなくなった。根本的な原因を見つけない限り、これ以上の軌道修正作業はかえって傷口を広げることになりかねない。かといって、このまま放置するわけにもいかない。二回の軌道変更でロサンゼルスへの落下は回避できたが、相変わらず北米大陸のどこかに落ちるという計算結果が出ているのだ。進むことも立ち止まることも許されない、最悪の状況であった。

 サトルは計算式を一から見直していた。今やろうとしていることは基本的な物理法則に則った作業なのである。上手くいかないということは、どこかに必ず間違いがあるのだ。あの大流星雨の母天体探しのときのように、あきらめずに探し続ければ、思わぬ所から答が見つかるはずなのだ。

 パスカルの報告によれば、二回とも操作ミスはなく、姿勢制御装置の動作も正常であったという。ならば操作指示の元となる計算式をチェックするしかない。サトルに出来るのはそれだけであり、また、サトルにしか出来ないのだ。すでに数え切れないほどチェックした計算式である。猶予時間内に新たな発見はまず無理だろう。だけどサトルに出来ることはこれだけなのだ。だからやるしかなかった。

「みなさん、この状況で報告するのは辛い内容ですが、新たな情報を入手しましたのでお知らせします」

 ショウジョウがプレゼンステージの中央に現れた。ニホンザルのアバターは得意の宙返りを封印されているようで、前屈みの姿勢でぼんやりと立っていた。

「某国の――いや、アメリカの軍事衛星に不穏な動きが見られます。六機の通称キラー衛星が〈もちづき〉の周回軌道に乗ってきました。そしてつい先ほど、目標物破壊の指示がタイマーセットされました。今から十七分後に、六機のキラー衛星から、高出力レーザーの照射が一斉に行われます。目標物は〈もちづき〉です。私からの報告は以上です」

 報告の意味するところを即座に理解できた者はおらず、一瞬の間があった。その後、ラウンジの空気は凍りついた。


 ――あの、再びすいません。日本宇宙機構の富永さんからサトルさんに接続要求です。今お繋ぎしても大丈夫でしょうか?


「さっさと繋げ。ちょっとは学習しろ」

 ロビンソン所有のAIは、すいませんすいませんと言いながらも素早く回線の接続を行った。徐々にホストの役目に慣れ始めたようで、雑音もなく、富永の鮮明な映像がサトルの端末に表示された。

「サトル君、申し訳ない。我々が提供した〈もちづき〉のデータに大きな間違いがあった。工場モジュールのDブロックから三百五十キログラム、Fブロックから二百八十キログラム、Gブロックから三百二十キログラムをそれぞれ差し引いて欲しい。それが現在の〈もちづき〉の正しい質量だ。間違いの理由は後で説明させてもらう。とにかくそれで計算をやり直してみてくれ」

 それだ!

 サトルが、アストロラウンジの誰もが顔を輝かせた。

 現在計算に使用しているデータとの差はトータルで約一トンもある。影響は大きい。

「わかりました。さっそく再計算を行います」

 軌道計算部隊が一斉に再計算に取りかかる。

 三分後、一度目の軌道変更結果のずれが説明できた。

 六分後、二度目の軌道計算結果のずれが説明できた。

 十分後、次の操作手順が算出された。本来なら八ステップに分けるところをサトルは思いきって一度の操作とした。キラー衛星によるレーザー照射までの猶予は五分。操作結果のフィードバックによる調整を行う時間はない。パスカルの操作技術に賭けた一発勝負しかなかった。


「4DX228・QW7G31・MKHT9C 以上だ。パスカル復唱せよ」

「4DX228・QW7G31・MKHT9C」

「よし、それでいい。これで決めるぞ」

「はい」


    ◇  ◇  ◇


〈なんだか、リベンジって感じだぞ〉

〈ああ、良く持ちこたえたな〉

〈十七才か〉

〈やるな〉

〈上手くいくといいが〉

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