24





「夕飯が出来たぞ、アルマ。……なんだ、まーた泣いているのか」

「にいちゃんにはわかんないよ」


「そんなこと言ってると、お前の大好きなヤマヤラン、兄ちゃんが全部食っちまうぞ」

「……やだ」


「へっへっへ、早く帰るぞ。父さんがあんな事になって母さんも少し参ってるだけさ。きっと、すぐ前みたいに戻るよ」

「にいちゃん……」


「大丈夫だ、兄ちゃんに任せろ」





 * * *





 青い空に黒煙が立ち昇り、不吉さを暗示するように鈍色にびいろの雲が重なる。次第にそれは湿気を含む雨雲となり、世界を閉ざす天蓋となった。気温は下がり、ぽつりぽつりと涙のような雨がこぼれ落ちる。雨粒は未だ小さいが、それはまるで、赤子が鳴き始める前のような、これから来るであろう激しい雨を予感させた。


 だが、そんな雨ではどうにもできないほどの事態が、辺境の地にあるハイアト村に災禍として降りかかっていた。ハイアト村の家々が、唯一ただひとつの赤に呑み込まれてゆく。時が経っても衰えぬ炎を前に、呆然と立ち尽くす村人達。悲壮感の漂う表情は、長年積み上げてきたものが、目の前で灰燼かいじんに帰すのを見続ける事しか出来ない無力さを示す。


 事の元凶はすぐ近くにあった。


 男は空から落ちてきた雨粒に気を払いながら、湿気で重くなった濃紺のざんばら頭をわずらわしそうにかき上げる。


「雨か。あまりにも無粋だが、ある意味お前さんたちにとっちゃ涙雨ってことなのかね。あぁ、でも悪いな。感傷に浸るための故郷ふるさとを、こんなにも簡単に壊しちまって」

 何が気に食わないのか、つまらなそうに淡々と呟く男の言葉を、生き残った村人の全てが聴いていた。年の頃は四十前後か、薄く開いた眠そうなまなじりからは、奥底に秘めた狂気が垣間見える。


 その男、ワルター・エンドは、失われた左腕を気にする素振りもなく、残った右拳を頬にあて、気怠けだるそうに座る。ワルターは村の中心にある壊れた記念碑を背に、深く腰を下ろしてゆっくりと目の前の光景を眺めた。


 道端には人間であったものが屍山血河しざんけつがを成す。ワルターはそれがさも当然であるかのように振る舞い、毛ほども気にした素振りを見せない。屍の山の中には、明らかにハイアトの村人ではない武装した者も多く混ざっていた。


「安心しろ、最初からこうする予定だったんだ。ナムが息巻いて俺と交渉したからこうなったわけじゃあない。もちろん、八つ当たりなんてもんでもない。まぁ、良かったんじゃないか、こういう結末も。生きるという事は全てにおいて、自らが選んだ人生を享受しているということでもある。与えられた人生を与えられたままに生きる……なぁ、それはどうしようもなく楽で、とても幸せなことだろう?」

 男の笑い声が恐怖となって村人の心を縛る。

 誰も動けない。そんな状況下、雨音にかき消されるように小さな音が鳴る。


「……アルマを、返して、ください」

 全身を血に染めた青年が、振り絞るように声を出し、ワルターの前に這い、縋るように手を伸ばす。


「お前さんもよく頑張るねぇ。だが、返せというのは言い分がおかしいぞ、エレク。。俺がいない間に、記憶がおかしくなっちまったのかね?」

 ワルターの傍らには、エレクが求めたものがあった。

 恐怖に怯え、目を閉じ耳を塞ぐ幼子の姿が。


「……アルマは、大切な家族だ」


「いやはや、強情だね。アルマ、お前さんの家族とやらがこう言っているが、どう思う? お前さんは『黄金の瞳を持ち、俺に拾われて、この村で育った』そうだよな?」

 からからと乾いた笑いを響かせながら、アルマに語り掛けるワルター。

 アルマはもう何も聞きたくないと、駄々っ子のように頭を振る。


「あらあら、聞く耳持たずか。……だがエレクよ、この村の大人達がやっていた事、お前さんも薄々は気付いていたんだろう? ガキを攫って売り捌くなんて事を、素人がやるもんじゃねぇさ。じゃねぇと、俺みたいな奴に目を付けられる事になる」

 淡々と会話を進めるワルターであったが、既に虚空を見つめるエレクの瞳を見て、言葉を止める。


 エレクはともすれば今にも溢れ出そうな絶望をうちに押し留め、血の溜まった口を緩慢な動作で開いた。


「……アルマ、お前のことを守ってやれなくてごめんな。不甲斐ない兄ちゃんでごめんな。お前が生まれて、家族になって、俺の手を握ってくれた時、本当に嬉しかったんだ。この、小さな手を守りたいと思ったのに。……こんなことになっちまって……。母さんの事も、俺が何とか出来たはずなのに……。聞いてくれアルマ。お前はいっこも悪くないんだ。……ごめんな……アルマ」


 閉じていたアルマの瞳が開かれる。目の前に映る小さな景色が、アルマの胸に抱えきれぬほどの痛みを与える。痛みと共に、アルマの頭の中のもやが晴れるように、視界が澄み渡ってゆく。

「あ……にいちゃん……?」


「なんだつまらん、暗示が解けちまったのか。まぁいい、何度でもやればいいだけだ。……しかし、逃げた女子供をどうするか。厄介なものから始末したのは間違ってなかったはずだ。それでも、もう少しだけ駒を残しておくべきだったか……。ん?」

 今後どういう行動を取るのか思案をしていたワルターであったが、エレクに向かって歩を進める意外な男を見つけて、眉をひそめる。


「あーあ、今日は厄日かよ……。どうやら嫌な場面に出くわしたようだ。手下もろとも全員やったのか、大将」


「……誰かと思えばクェアロか。アミユと一緒に逃げたのかと思っていたぞ」


「チッ。おい小僧、無事か? 無事じゃないと俺が困るんだが」

 一体何を考えているのか、得体の知れぬワルターの不気味な視線を受けて、クェアロは顔をしかめながら地を這うエレクに声を掛けた。クェアロの声に、動きを止めていたエレクがびくりと反応する。


「あぁ……サイ、導師は……」

「アミユがお前との約束を守った」

「それは、良かった……。アルマを……たのみます」

「ケツの青い若造があんまりカッコつけんなよ。ここまで腹を括ったんだ、もう少しだけ踏ん張ってみせろ」

「もう、少しだけ……?」

 今にも瞳から生命の色が抜け落ちてしまいそうなエレクに、クェアロは発破を掛ける。声を掛けてから、クェアロは柄にも無い事を言ったと自覚して、頭を掻く。


「お前の腕は買っていたんだがなぁ、クェアロ。寝返る気か?」

 静観していたワルター・エンドが立ち上がると、剣呑な瞳をクェアロへと向けた。心臓に釘を打たんとするほどの圧力が、めり込むように弛緩していた場の空気を支配してゆく。


「どうせ全員やるつもりなんだろう?」

 エレクを見ながら口を開くクェアロを見て、嗤うワルター。

 空気を撫でるようにワルターの右腕がゆっくりと動く。


「くく、そうだった。──残念ながら今回は親の総取りだ!」


──三叉死剣トライエッジ


 霧雨に溶けるように放たれた薄刃の投擲剣を、クェアロは必死の形相のまま左腕の小手で弾く。


「怖い人だよ、相変わらず。まぁ、元から信用しちゃいねぇのだけど」

「力の差、忘れたわけではあるまい?」

「……忘れちゃいないさ。なんだかわかんねーけど、あんたにゃ勝てないってことはな。だが、こちらにも切り札はあるんだぜ。……俺が此処に戻ってきた理由、知りたくないか?」


「何かあるのか?」

「あんたに伝える事があったんだ。でも少し内容を変更しなくちゃならないようだ」


「……どういうことだ?」

「残念だったな、大将。あんた、最後の最後で虎の尾を踏んじまったよ」


 風が吹く。底知れぬ怒りを身に纏い、空からなだらかな黒髪が降ってくる。ワルターは、自らとアルマを隔てるように降り立った男を見て、口元を歪める。ワルターの持つが、底知れぬ深淵を持つ男の瞳を見て歓喜に輝きを増す。


「その眼……黄金の瞳を持つ者は二人いたんだな」

「ばれたか。帝都でちょいと便利なものを手に入れてな。瞳に膜を張る薄硝子うすがらすってんだが、色が自在に変えられるんだよ。だけど、着けてる間はどういう訳かこいつの力が半減してね」

 笑いながら自らの光り輝く黄金の瞳を指差すワルター。一触即発の空気を意に介さず、サイはその場でかがみ込むと、アルマと視線を合わせる。


「遅くなってすまない、アルマ。よく頑張ったな」

 そう言いながら、サイは震えるアルマの小さな肩に手を乗せる。ぬくもりを感じるとともに、アルマの震えは次第に小さくなると、瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。

「……うん、おじちゃん」


「サイ導師、俺をどうにかしようとでも? 無理だと思うんだがなぁ。心に穴の空いている人間は、とりわけ俺の力に抵抗する事はできん。あんたもその口だろう? 俺には視えるぞサイ導師。過去に怯え、生きながらにして死んでいる、可哀想なあんたの人生がな」

 アルマに気を取られ、サイに軽視されたと感じたワルターは苛立ちを隠せない様子でサイに語り掛ける。


「もう口を閉じろ、ワルター・エンド。お前は、いつも取るに足りない戯言で、杭を打つように他者ひと人生こころを束縛する。お前はただの悪魔だよ」

 アルマから視線を外すと、サイは立ち上がりワルターと対峙する。

 二つの眼光がぶつかり合うと、空気すらも歪んでゆく。


「ふふ……はっはっは、聞いてくれサイ導師。俺の持つこれは邪眼なぞという俗物的なものではないんだ。言うなれば、天より授かりし大いなる神の力。神に選ばれしこのワルター・エンドが、有象無象を支配して何が悪い。それに、本能に刻み込まれた言葉ことのはを全て取り除くのはもはや不可能。自己の存在意義に関わる、重要な要素として、根源に埋め込まれたのだから。失った幸せは帰らない、悲しいがそれが人生だ」


「過去は過去、未来は未来。それらは常に、数多の変化を持って両側から今を作り上げる。お前の言葉は過去の遺物に過ぎない。過ぎ去ってゆく今を思えば、惑わされる事はない。人間は駒のようには動かんよ、ワルター・エンド」


「……ずっと言いたかったんだが、あんたの言葉は綺麗事ばかりで虫唾が走る。ウェン・アリーシはよく踊ってくれた。己が分もわきまえぬ愚物が、一瞬であってもいい夢を見れた事だろう。クエル・アリーシも、大言壮語を吐いて尚なぜ俺を御せると思ったのか。我が大望の前に立とうとしたラザン・ハミルトンも、俺の腕を奪ったゲト・サイラスも、地べたを這いつくばる虫ケラ共が、神の使徒である俺の邪魔をするからああいうことになる。サイ導師、あんたにもそうなってもらう。ここにいるやつらと一緒に、俺の踏み台になってくれ。あぁ、でも安心しろ。このガキにはまだ使い道があるから、人形として生かしといてやるよ」


「聞いてもいないことをベラベラと煩い奴だ。俺の目の前でそんな事させるわけねぇだろうがクソ野郎。御託は抜きだ、お前のくだらない野望は、ここで終わる。グアラドラのサイ・ヒューレの手によってな。お前の最期に俺の名を刻め、ワルター・エンド。いつまでも叶わぬお前の野心を抱き締めて、死ぬまで離さないでいてやるよ」

 サイの言葉に、形にならない息を吐くワルター。


 サイの背後から声がする。

 それはサイの原動力となる大切な力。





「おじちゃん……にいちゃんを……みんなをたすけて……」

「任せろ」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る