19




 朝日が十分に昇る前に、ジュージドの街を出たサイとアルマの二人。道のりは順調という言葉がそのまま当てはまるように、特に問題もなく馬車を乗り次いで目的地へと辿り着くこととなる。

 だが、旅の順調さとは裏腹に、陽光を浴びて輝きを見せる薄茶色の髪の持ち主は、ハイアト村の入り口に備え付けられた古びた門を見つめたまま、じっと固まっていた。


「どうした?」

「……大丈夫なのかな」

 サイに問われたアルマは、一度は呑み込もうとした本心を滑らすように口から吐き出す。心に蒔かれてしまった不安の種は、迷いを示しながら育とうとしている。


「アルマがアルマの持っている力を学ぶ為には、グアラドラに行く必要がある。そうなれば数年は帰る事が出来なくなると説明したな?」

「うん」


「しばらく会えなくなる。顔を合わせるのは怖いか?」

「……」

 沈黙の中にアルマの深い苦しみが横たわる。アルマの様子に逡巡するサイへと、アルマは未だ揺らいでいる黄金の瞳を向ける。


「けど……みんなに会いたい」

 アルマの言葉を聞いてサイは口元を緩めた。


「アルマ、何があろうともうつむく必要はないんだ。胸を張って前を見ていろ」

 サイは無意識のうちに、己の右手でアルマの頭を撫でていた。アルマはむずがゆそうに、けれど恥ずかしそうに笑顔を見せる。


 サイはアルマの肩をそっと押して、村へと足を踏み入れる。すぐさま二人の存在に気付いた村の青年が駆け寄ってきた。アルマの身体からはずっと震えが伝わってくる。しかし、アルマはサイに言われたとおり、下を向くことはなかった。





 * * *





「お客人……。どういうことか説明してもらってもよいかな?」

 一人の老人が椅子についたサイを見て、戸惑った様子で口を開いた。ハイアト村に足を踏み入れたサイとアルマはすぐさま村長宅へと迎えられることとなった。目の前にいる老人はナムと言う名のハイアト村の村長だ。神経質な性格を表しているナムの表情は、直面した事態により、険しさを増す。


 アルマは別室に通され、村にいた時から顔馴染みであるらしい青年と時間を潰している。アルマと離れる事になってサイの脳裏に一瞬だけ迷いがぎったが、アルマにはサイが旅に出る直前に用意したとっておきの自衛道具を渡してある。誰かがアルマに危害を加えることは不可能であろうという結論に至って、ナムの提案に乗る形となった。


 それに、サイとしてもアルマの耳に入れたくない話もある。


「どういうことかと聞かれても困る。至極単純な話だ、アルマが家族に会いたがっていたから連れてきた、それだけの話だ」

 サイは目の前の老人にそう告げる。ナムはサイの言い回しに少し眉をひそめたが、咳ばらいをしてサイへと視線を向ける。


「お客人。どういう経緯いきさつでアルマを連れてきたのかは分からぬが、アルマは商人の元に売られた身なのだ……」

「安心しろ。その商人の許可を得て俺がアルマを預かっている」

 サイはナムの言葉を遮るように止める。

「……お主がアルマを?」

 言葉の意味を理解して、ナムの表情が一段と険しくなる。


「あぁ、そこまで長居をする気はない。アルマを少しの間俺の故郷で預かることになったから、顔を見せておこうと思ったのさ。。それよりも気になるのは貴殿の反応だ。村の子供が戻ったというのに、いささか表情が曇っているようにみえる」

「……人の家の話にあまり首を突っ込んでくれるな、若いの。軽はずみな言動は災いを招くと言うぞ。それに、いつ戻って来ようともアルマの親にはアルマを養う余裕はない。下手に希望を持たせぬようこのまま村を去ってはもらえんか。それで全てが丸く収まる」


(何か会わせたくない理由があるのか? もう少しカマを掛けてみるか)


「一つ訊ねたい。邪眼イビルアイという言葉に聞き覚えはあるか?」

「はて、知らぬな」

「……アルマの瞳が持つ力を知って、それを隠したまま商人に売ることで厄介払いをしようとしたんじゃないか?」

「何度も言うがそんなものは知らぬし、アルマが売られたのは家庭の事情じゃ。それ以外に理由はない」


「はっ……」

「む?」

 村長の話を一笑に付したサイは、愉快そうな笑みのまま、困惑しているナムの眼を見る。慇懃な態度の底にちらりと覗く不気味さが、よりサイという存在を掴み損ねる要因となっているのだろう。ナムの瞳は未知のものに対しての怯えを含んでいる。


「隠し事は無しだ、本音を話せ。どうにもここには気になるモノが多すぎる。実際に来るまでは貧しい村を想像していたが、来てみればどうしたことか、あらゆるものが揃っているじゃないか」

 サイの言葉に目を見張るナム。サイは村長宅に来るまでに、村の様子を注意深く観察していた。その結果知り得たのは、このハイアト村はそこらにある農村よりも立地的にも環境的にも恵まれているということであった。


 街との距離も遠くなく、農地も広く森も豊かだ。水の匂いもするとなれば、近場に水源もあるのだろう。人の住む環境としては恵まれすぎている。だからこそ違和感がある。


「……それが、どうしたと言うんじゃ」


「建前や御託はいらない。子供が家族に会いたいと言っているんだ、お粗末な言葉を並べて邪魔をするんじゃあねぇよ」

「なっ!」

 豹変した態度を見せるサイに、ナムは言葉を詰まらせる。


「邪眼の事を誰に聞いて、なぜアルマが売られるに至ったのか、その経緯を全て話せ──」


「ナム村長!」

 サイが確信に迫ろうとしたその時、部屋の扉が叩きつけられるように大きな音を立てて開く。栗色の長髪を振り乱した女性──歳の頃は三十に届くくらいか──がそこにいて、強い瞳でナムを睨んでいた。


「ラウラ……、どうしてここにきたんじゃ」

 飛び込んできた女性のあまりの剣幕に、ナムは狼狽えながらも言葉を絞り出す。


「アルマを見たとエレクに聞きました。何故アルマがいるの。事と次第によっては──」

「待て、ラウラ。この御仁がアルマの身請けをして村に連れてきたお方だ。それ以上はよせ」

 ナムに制止され、ギラついた瞳をナムからサイへと移す女性。眉間にはしわが寄り、形相は鬼気迫るものがある。


「あんたは……」

「なんで、なんで連れてきた来たの。せっかく離れられたと言うのに、なんであなたはそんな事をするの」

 サイへと詰め寄り、強い力でサイの両腕を掴むラウラ。

 食い込んだ爪が、サイの腕をギリギリと削り痛みを与える。憎しみを内包させた瞳は、鈍い闇に包まれている。


「アルマの母親、か?」

 視線がサイの言葉を肯定するかのように強く刺し返してくる。


「おかあ、さま……?」

 ラウラと呼ばれた女性の背中越しに、アルマが不安げな表情のまま立っているのが見えた。隣に立っている青年はアルマに押し切られて部屋までついてきたのか、唐突な修羅場に出くわして動揺している。


「アルマ……。何で帰ってきたの」

 およそ自らの子に投げ掛けるものではない言葉と瞳が、アルマに向けられる。サイはラウラの腕を振り解いてアルマとラウラの間に立ち、視線を遮る。


「アルマ!!」

 ラウラの声が再び部屋を揺らす。手を大きく振り上げアルマへと迫るラウラの腕を、サイは咄嗟に掴む。それを見た瞬間、アルマは逃げるように部屋から駆け出していた。


「おい、アルマを頼む」

 サイは状況を呑み込む事が出来ず呆然としていた青年へと声を掛ける。自体を察した青年は、慌てながらも姿を消したアルマの背を追いかけていった。


 ナムは顔をしかめ、ラウラの興奮も冷めやらぬ状態にある。そんな様々な感情が綯交ぜになって混沌とした盤面に──


「……久々に頭に来たぞ」

 低く、唸るようにサイの怒りが落とされる。




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