18





「万事解決とは言えぬが、それでも現状においては最上の結果と言えよう。アリーシ商会への手回しはこちらで何とかする。導師殿には迷惑を掛けたな」

 イズール・オブライエンは寝息を立てているアルマを見ながら、サイへと感謝の言葉を述べた。ゲトの隠れ家に軟禁状態にあったアルマは、慣れぬ環境下での生活により多少疲れは溜まっていたようだが、健康状態はおおむね良好で、今は安らかな表情のままベッドで横になっていた。


「ゲトとニーナは大丈夫なのか?」

「状態は落ち着いていると言ってもいいくらいには回復した。邪眼の力から開放された事も大きいのだろうが、長年の憂いが無くなったようにも見える」


「そうか。邪眼の力自体は抑えてあるが、アルマの目が覚めたら早めに立った方がいいだろう。揺り戻しが来ないとも限らん。人の根源にある想いというものは、計り知れないからな」

「……念の強さか。愛憎とは度し難いものよ。出来るならば距離を置きたいものだ」

 そう言葉を吐き出すイズールの横顔には疲れが見える。


「人の世に生きる以上は、切っても切れんさ。それでも、あんたには感謝をしている」

 サイの言葉に、意外そうな顔を見せるイズール。

 その表情からは、サイの真意が汲み取れないという戸惑いが含まれている。


「……導師殿がなぜ俺に感謝を?」

「こうしてアルマが救われたのは紛れもなくあんたの力のおかげだ。それは何事にも変えがたい事実であり、あんたにしか出来なかった事だ」

「ふむ、存外導師殿も不思議な男だな。現実主義であるのに、夢想家でもあるようだ」


「何を否定しようとも人は清廉潔白にはなれぬし、苦しいということを知っているだけさ」

「なるほど。そちらもそちらで苦労をしているようだな」

「己の中にある矛盾を、許せるようになっただけなのかもしれない」

 サイとイズールの間に二人にしか分からない空気と一拍の間が生まれた後、イズールは今一度表情を引き締める。


「話は変わるが、ゲトが妙な事を言っていた」

「妙な事?」

「あぁ、単刀直入に言えばゲトはクエル・アリーシを殺してはいないということだ。それが白昼の夢であるのか、うつつであるのかは分からぬが、こういう状況で嘘を言う男ではない。導師殿はどう捉える?」

「それではニーナが……。いや、やはりそれも違う。今回の件、まだ俺たちの知らない何かがあるのかもしれない」


「うちの商会で全面的に援助をする。俺もこのままでは寝覚めが悪い、頼まれてくれるか?」

「それならば一度アルマの故郷に行く必要があるかもしれない」

「ゲトがアルマを拾った事の始まりの地、ハイアト村か」

 サイの言葉を受けてイズールは考える。もし、ゲトがアルマを見つけた村自体に秘密があるというのならば、イズール自身も見落としていた何かがそこで見つかるかもしれない。


「本当に人の世ってやつは、生臭いことだ」

 誰に言うでもなく呟いたサイの言葉は、イズールの心労をまたひとつ増やすことになりそうだった。





 * * *





 ジュージドの宿で一夜を明かすことになったサイとアルマの二人は、夜の帳が下りた頃、部屋で食事の時を過ごしていた。


「この山菜、美味いな。外は歯応えがあるのに、中は柔らかく旨味が詰まっている」

「ヤマヤランの茎だよ。山によく生えてた」

「ほう? アルマは物知りだな」

「いつもお母さまといっしょに、アルマがとりにいってたから……」

 美味しいと言いながら食べ進めていたアルマの手が、皿の上がからになる前に止まる。故郷を思い出す何かに触れているのだろう。サイは感づいていたが、触れるのも野暮だと思い食を進める。


 皿の上にあるのは一切れのパンとバター。そぼろ状になった卵と肉。その横に、アルマの言っていたヤマヤランの茎が添えられている。スープはコーンをじっくりと煮詰めているのか、濃厚であり、常日頃野宿の多いサイとしては、申し分ない食事と言えた。


 パンをちぎりスープに浸して食べる。時折卵と肉をつまみ、ヤマヤランで口直しをする。サイが最後の一口を堪能した後も動きのないアルマを見て、どうしようか悩んだ末に、サイは声を掛ける事にした。


「どうした、食べないのか?」

 俯いていて表情は見えないが、横に結ばれているアルマの口元だけはかろうじて見える。少しだけ開いた窓から流れ込んきた風が、アルマの前髪を優しく揺らした。


「お母さまたちは、いま何を食べてるのかなぁ」

 気を抜いてしまえば微かな風の音にも消されてしまいそうなアルマの言葉。大兄妹の下から二番目であったというアルマ。邪眼の話を抜きにしても、アルマが売られたことを考えれば生活は苦しいのだろう。親という絶対なる庇護を失い、一人故郷を離れたアルマの小さな胸の内を、サイが知ることは出来ない。


「何を食べているかは分からんが、寂しいとは思っているかもな」

 気休めというわけでもないが、サイは思ったことを率直に口に出す。

「……さびしい?」

 サイの言葉に、涙の止まらぬアルマの瞳がサイを捉える。

「アルマは今、寂しいのだろう?」

 息を呑み、必死で涙を拭いながら、頷くようにしゃくり上げるアルマ。


「だったら、そういうもんさ」

 返ってくる言葉はない。一度追い出された村に帰る事は、アルマにとっても不安が大きいのだろう。受け入れてくれるのか、追い返されるのではないか。言葉にならない感情はただ涙になるしかない。


 それでも会いたいという気持ちがあるのならば、それを止める事は誰にもできはしない。悪意を持ってアルマの前に立ちふさがるものがあれば、サイがその全てを払うだけだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る