13





 闇に包まれた街に、朱に染まり滲んだ線が薄く引き伸ばされて幾重にも差し込まれる。後ろ髪を引かれながらも、サイは亡霊を追いかけて漆黒に濡れる街を全速力で駆けていた。


 アリーシ商会襲撃の為に今まで影も形も見えなかった亡霊がサイの前に匂いを残す。誘い込まれているという意図を感じていたが、サイは火中の栗を拾う為にあえて見つけた獣道を征く。


「ここは……」

 亡霊を追ってきて、サイが足を止めることになった場所。それは、サイがリーウの街に来て最初にウェンとやりあった袋小路であった。そこには黒衣の人物がサイに背を向けたままの状態で佇んでいた。


 観念したのか、はたまたそれすらも思い通りであるのか、もう逃げる気配は感じられない。そして、姿形はゲトの装いに似ている。


「ゲト? いや、違うな。亡霊ファントム、なぜアリーシ商会を襲った?」

 端的に問うたサイの言葉にゆっくりと振り返った亡霊は、首を傾げるようにしてサイを見る。


「……なぜ?」

 吐き出された短い言葉はひどく聞き取り辛く、不鮮明なものであった。頭部はボロボロの黒布で覆われ目元を除いて一切が見えない。ぎこちない動作の一つ一つが不気味で、唯一合わせた瞳には暗く深い虚が覗く。


「む……」

 視線を交わした一瞬で、サイは亡霊が持つ狂気に取り込まれそうになった。亡霊はサイと目を合わせてからすぐに、何かを考えるように天を仰ぐ。暗い闇に覆われた空を見ながら、亡霊は左手に持った真っ黒な刀身の剣で地面をなぞる。言葉を探しているのか、静寂に包まれたひと時が過ぎた後、口から零れたのは思いのほか鮮明な声であった。


「あなたはなぜと聞きました。では、私はどうしたらよかったのでしょう? 導師様」

 暗闇でも映える白く嫋やかな指先が伸びると、亡霊は顔を覆う黒布をするりと解く。零れ落ちる薄い金の髪と、暗く輝く蒼の瞳。外気にさらされた顔はサイがよく見知ったものであった。


「……ニーナ」

「はい、ニーナですよ、導師様」

 無邪気に見える言葉の羅列も、目の前の存在を認識した時に受ける印象は、全く違うものへと変わる。


「一体何があった、ニーナ。なぜそれほどまでの絶望を供とする。君がアリーシ商会を襲った亡霊だとしたら、ラザン・ハミルトンは……」

「そんなお顔をなさらないでください導師様。ラザン・ハミルトンは十年前に死んだ私の父です。亡霊の名も、今は私がその名を受け継いでいます。改めまして、ごきげんよう導師様。ニーナ・ハミルトンです」


 初対面の時と同じように優雅な一礼を見せるニーナ。表情は昼に見た時となんら変わりない。だというのに、今のニーナが何を考えているのかサイには分からなかった。声音も表情も同じであるというのに。今のニーナは黒衣に身を包み、左手に物騒な得物を手にしている。


「レダ商会の亡霊ラザン・ハミルトンは既に死んでいて、ニーナの父親だと?」

「はい。でも心配はいりませんよ、導師様。困難な道でしょうが、ミュウさえいればいつの日にか十年前のあの日を取り戻す事が出来ます。元凶であったクエル・アリーシも死んだようですし、もう何も憂う事はありません」


「待ってくれニーナ。ミュウ・レダは──」

「聞いてください導師様。ゲトが意地悪をするのです。いくらミュウの婚約者だからといって、私の家族を隠すなんて酷いですよね──」

 既にニーナの瞳は焦点を失っている。小さな口から吐き出される言葉は、淡雪の如く外気に触れた先から溶けては消える。もう、言葉が会話として形を成さない。


「……家族?」

 サイは昼にしたニーナとの会話を思い出す。ニーナはあの時アルマの事を何と言っていた。離れ離れになった妹のようだと言ってはいなかったか。


「ニーナ、君はミュウとアルマを……」

「アルマ……。そう、可哀想なアルマ……。あんなにも小さいのに……。懸命に生きようとしているのに……。思い出しました。クエル・アリーシは死んだようですが、ミュウを狙っていたウェン・アリーシはまだ生きています……」

 ぶつぶつと意味不明な言葉で自己完結してゆくニーナ。右腕で全身を抱きしめるように、力を込めている。比例してニーナの内側で際限なく膨れ上がってゆく殺戮衝動。ニーナが見せる狂気は、その全てが致命的で、理性のたがを外してゆく。


「そうか……やっと理解した。ニーナ、君はアルマの邪眼にてられていたのだな……」

 サイは思い出す。全ての人物が触れているのに、今までぽっかりと抜け落ちていた要素がある事に。アルマの存在が今回の事件をより複雑にしている。


「かわいそうなアルマ。今度こそ私が守ってみせる……。ゲト……、ミュウを、私の妹を返して……」

 ニーナの激情が場を支配しようとしたその時、白く燃ゆる灯火が辺りを照らす。


「ニーナ、目覚めの時間だ。長く続いた悪夢は今ここで終わりを告げる」

 サイの掌には拳大こぶしだい程の白い炎が揺らめいている。それは、全ての淀みを払う神聖な光。グアラドラの導師が操る事の出来る、魔導のわざであった。


「あぁ、どうして導師様までそんな意地悪をするのですか。私にとっては悪夢などではないのです」

 一瞬で片隅に残る暗闇に紛れ、白い炎の照らす視界から逃れるニーナ。サイは背後に気配を感じて、腰に提げていた剣で背を守る。


──ギィンッッ


「どうして、どうして、どうして」

 ニーナの漆黒の剣は闇に紛れる事で本人も気付かぬうちに相手の命を屠るのだろう。右に左に振れては闇を纏い、幾度となく繰り出されるニーナの攻撃。だが、そのどれもがサイの剣に阻まれる。


 その剣の腕前はニーナが持っていた天性の才能なのだろう。だが、そんなものが無ければ、ニーナは亡霊としてその名を継ぐこともなかったのかもしれない。なまじ能力がありすぎるが故に、生き方の幅が狭まってしまっている。


「なんで、なんでっ!」

 確かに強い。一撃の重み以上に命を絶つ太刀筋を熟知している。相当な修練の果てに磨き上げた才能。でも、それでもサイを殺すことは出来ない。焦りが見える蒼い瞳に、サイは一気に距離を詰め身体を寄せる。息の触れる程の距離で見たニーナの瞳は迷いに揺れていて、サイがよく見知ったものであった。


「本当は誰も殺したくはないのだろうニーナ。後は俺に任せてゆっくり眠れ。目が覚めた時には、全てが君のものへと還る」

「導師様……」

 サイは左手に込めた白き魔導の力をニーナの胴に押し当てるようにして、一息に邪を払う。

 体内を巡る不可思議な力を受けて一瞬で意識を失うニーナ。倒れそうになるニーナを抱きかかえながらサイはため息をついた。


 邪眼の力が人の行動にまで影響を与えるという事は、アルマの持つ力がより強大なものであるということを示している。ニーナの言葉で事の全容は見えてきた。今回の事件の決着をつけなければならない。


「やれやれ。これも性分か」




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