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 息も絶え絶えになる程に荒い吐息が、狭い空間に幾度となく反響しては、細く長く伸びる通路へと遠慮無しに打ちつけられてゆく。バタバタと忙しなく響く破壊の音に巻かれるように、立ち込める煙の後ろから追ってくる火の勢いは一箇所に留まることなく事態をより大きく延焼させてゆく。


 地を這う程の低姿勢のまま煙を掻き分け姿を現したのは、事の現場となっているアリーシ商会の会頭、クエル・アリーシと、それを補佐するように肩を貸すワルター・エンドという男であった。


「やっこさん、寸分違わず予告通りに喧嘩を吹っ掛けてきやしたね。火事の混乱に乗じて亡霊やつが紛れ込んでいるんだとしたら、必ず大旦那が狙われる筈です。部屋には蜘蛛の巣の如く網を張ってあるんで多少の時間は稼げやしますが、念の為に大旦那は裏口から逃げといてください。安全が確保できたら俺も後始末に回りますんで」


「だが、逃げたところで商会を壊滅させられては意味がない。黄金の瞳の子供を手に入れられれば牽制にもなったのだろうが、イズールに動きはないのだろう?」

「どうにもこうにも、全容が知れぬというやつです。ですが、やはり兇刃ゲト・サイラスでしょうね。素知らぬ顔で尻尾を出す様子は一向にありゃしませんが、今回の一件はあれが動いたことが全ての発端となっていやす。それに亡霊の名を持ち出しての宣戦布告となれば、疑いようはないでしょう」

「あれもまたまやかしを享受できんたぐいか。我を押し通しては血で血を洗う争いにしかならんというのに、愚かなことよ」



「ぎゃあぁぁぁ!!」

 瞬間、幾重にも重なるように、悲鳴が鳴り響く。

 バタバタと人影が地に倒れ落ち、一直線にクエルとワルターに迫ってくる狂気の匂い。死を呼び込む血臭がそこかしこに散りばめられては、それの存在をことさらに誇示していた。逃さないという決意を示すように。


 割れた硝子の破片を踏みしめるようにジャリジャリと耳障りな音が鳴る。煙の向こう側に映る人影が一際大きく膨らむと、煙の中から真っ黒な装束に身を包んだ男が、クエルとワルターの眼前にその姿を晒す。


 抜身の剣を左手にぶら下げ、右手には短剣ほどの長さを持つ鉄の鉤爪が血に濡れ落ちて地面を汚す。ここに辿り着くまでに奪った命の軽さを証明するように、目の前の男は無造作に爪を横に振り抜き壁に血を飛ばした。ワルターはクエルを庇うように、黒装束の男の前に立った。


亡霊ファントム。まさかまた俺の前に姿を現すなんてねぇ……。大旦那、ここは俺が引き受けやす」

 十年前、ワルターに恐怖を叩き込んだ最凶の存在を前に、ワルターは当時と同じように後ろに回した手で腰の双剣を抜く。


「ワルター……死んではならんぞ」

「傭兵家業を続けて十数年。潜り抜けた修羅場の数が違いますよ。さぁ、早く行ってくだせぇ!」





 * * *





「どういうことだ、この炎も亡霊ファントムの仕業なのか?」

 サイは一人言葉を口の中で転がしながら、尽きぬ疑問に頭を悩ませつつも火の手のある場所へと走る。ゲトは足早にイズール商会へと戻っていった。


 今回の事件、全ての黒幕がゲトの言う亡霊の仕業であるのならば、亡霊の魔の手が伸びる先は無数に考えられる。そうなるとゲトが匿っているアルマの存在は重要だ。


 だが、情報を幾ら寄り集めても全てを解き明かすには未だに謎が多すぎた。


 今は無きレダ商会。十年前の事件について考えを整理する必要がある。


 サイが大通りへと走り出たとき、濛々と黒煙を上げているアリーシ商会が目に入った。周囲には火の手から逃がれたのであろう逃げ惑う人の群れ。中にはサイが見たことのあるアリーシ商会の人間の姿もある。さらに視線を巡らせていたとき、サイの視線の先で叫ぶ男の姿が映った。


「親父ぃぃぃぃぃぃ!!」

 クエル・アリーシの長子、ウェン・アリーシの姿。半狂乱状態に陥り、宥める使用人を振り払うように燃え盛る商会に入ろうとしている。それを見てサイは即座に駆け寄る。


「ウェン・アリーシ!」

 サイの呼び掛けにも一切反応をみせず、ウェンは炎を見つめ、血涙のように赤く充血させた目を剥き、怨嗟の如き低い声で口を開く。


「亡霊の糞野郎が、。俺の商会にこんな事をしやがって、何回でも何十回でも殺してやる……」


「それは一体どういうことだ、ウェン・アリーシ!!」


──ボンッッッ!!


 ウェンが漏らした言葉の意味を問いただそうとしたサイを遮って、爆発と共に周囲に瓦礫が散乱する。一瞬で阿鼻叫喚の巷と化し、ウェンを掴もうとしたサイの腕も人波に呑まれ姿を見失う。


 次の瞬間、アリーシ商会の入口部分から勢いよく転がりながら地面に叩きつけられる黒い物体。鈍い音のあとに地面でゆっくりと動くそれは、まだ息のある人間であった。


「大丈夫か!」

 駆け寄るサイ。身体を抱え起こす腕は熱く、尋常ならざる熱が体内に残っている。


「あぁ……導師さんか。ドジを踏んじまったよ……。大旦那が……」

 半死半生の男、ワルター・エンドはそう言い残すと、サイの腕の中で気を失った。見れば全身の至る所が火に焼かれ、さらに左腕の肘から先を喪失して血が溢れ出している。ワルターの閉じられた瞳が再度開く様子もなく、サイは歯噛みする。そして、サイは己の動向を彼方から窺う視線を察知した。


「怪我人だ、後を頼む!」

 サイは近くにいたアリーシ商会の関係者にワルターを渡すと、喧騒に満ちた人混みを縫うように駆けてゆく。頼りなく朧気であろうとも、繋がった糸を決して切らせぬように。


「亡霊とやら、その姿、きっちり拝ませてもらうぞ」




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