第14話 水窪夏希と井浦淳也①

 茂木探偵の尾行に失敗したその翌日は土曜日で通常の授業は無く、特別講習の日となっていた。羽塚高校ならではの受験対策で、生徒が選んだ教科ごとに教室に別れて強化学習をする、というものだった。土曜日ということもあり、昼休み時間以降は下校も自習も生徒の自由だった。


 祐実は夏希に連絡して昼食に誘った。以前にも使った校舎脇の庭のベンチ。そこに二人並んで座って弁当を広げていた。有名店のパフェやケーキ、テレビドラマや授業などの他愛のないごく普通の会話をしながら、祐実は夏希の様子を窺った。茂木探偵に何かされていないか、彼女は心配していた。


「浅木先生が大怪我したんだってね」


 夏希はふと、そう聞いてきた。


「そう、びっくりしたよ~。学校からの帰りに事故で右腕を骨折だって」


 朝のホームルームの時間から、祐実の教室はどよめきが立った。担任の浅木教師が右腕の肘から下をギプスで覆って三角巾で固定した姿で現れたからだ。ただその浮ついたようなざわめきはすぐにかき消された。腕の怪我であって授業の指導には特に支障はないと、大きな顔といつもの粘着質な口調で浅木教師はきっぱりと言い、更には腕が使えない分、多めの小テストや課題のプリントを用意したと意気揚々に語ったのだ。教室の生徒全員がげんなりしたのは言うまでもない。


 そんな一部始終を聞かせると、夏希はくすくすと屈託なく笑った。


「あのさ、夏希ちゃん」


 弁当を食べ終えたところで、祐実は本題に入ることにした。


「なに?」

「ちょっと聞きたいことあるんだけど、良いかな」

「…え、うん。いいよ」


 祐実の改まった態度に、思わず夏希の顔に緊張が走る。


「えっと。夏希ちゃんは大西商店街の近くにある霧島クリニックって知ってる?」


 それが茂木探偵の言っていた精神科専門の医院の名前だった。


「うん…。知ってる。だってそこ、わたし時々行ってたもん」

「え、そうなの?」


 驚きを隠せなかった。祐実達は彼女をいじめていた四人のうち、男子二人がそこに通院しているのではと推察していた。それは夏希がいじめられていた仕返しに彼らに何かしらの危害を加えたのではないかと噂が流れていたからだ。夏希をよく知る祐実としては、ただのデマだと確信している。ただ、いじめの主犯達がずっと病欠になっている原因に心当たりがないか、探りを入れるつもりで訊こうとしたが、意外な事実を知ってしまった。と言うことは、まさか夏希が落描きを描いた人物なのだろうか。


「ひょっとして、これ知ってる?」


 携帯電話を取り出して、祐実は例の落描きの写真を見せる。


「ううん、知らない。これが何なの?」


 夏希は不思議そうな顔で祐実を見つめた。


「えっと、その落描きが商店街のあちこちに描かれていてね。近所の人たちが迷惑そうにしていたから、ある探偵さんがその描いた人を捜していて」

「あぁ、この前言ってたバイトの」


 納得したように夏希は言った。


「そうそう。それで落描きを止めてもらおうとしてるの。それで、この落描き描いた人はどうやら、うちの学校の生徒でそこのクリニックに通ってる人らしいのね。それで何か知ってたりしないかなぁって」


 へえ、と感心したように夏希は頷いた。


「ごめんね、わたしには分からない。祐実ちゃん凄いことやってるんだね。えらいなぁ」 


 そんなことない、と否定して祐実は続けた。


「もう一つ訊かせて。1組の奥村さんと尾野さん、精神的な病気になったって聞いたけど、彼女たちもこの病院通ってるとか、そこまでは、知らないよね?」

「ううん、病欠なのは何となく聞いたけど、詳しくはわたしも何も知らない」

「そう。じゃあもう少し訊きたいんだけど、答え辛いこと訊くかもしれないから、いやなら答えてくれなく良いから。…その、奥村さんたちが急に休むようになった理由、噂話があって」


 祐実は思い切って訊ねた。


「わたしがあの人たちに復讐して学校に来れないようにさせたっていうやつでしょ?」


 そう言って夏希は困ったような顔をして、逡巡するように視線をさ迷わせた。


「…そう、それ。やっぱり単なる噂だよね。ごめん変なこと訊いちゃった」

「わたし、知ってる」


 夏希はそばかすの浮いた色白な顔を少し翳らせて、思い切ったように言った。


「え?どういうこと?」

「あの人たち、四人が学校に来なくなった原因、わたし心当たりがあるの。…でも本当にそれが理由なのかよく分からない。確信がないの」

「大丈夫。とりあえず話してみてくれない?」

「その、友達がいて。彼が、井浦君ていうんだけど、ある日電話をくれたの。もう少ししたら安心して学校に行けるようになるから、ちょっとずつで良いから学校に顔出さないかって。なんでそんなこと言ったのかよく分からない。

 でもわたしを気遣ってくれたのが凄く嬉しくて。それから、先生や親と相談して、しばらくは保健室で授業を受けていくことにしたの。

 で、学校に来てみたら、男子二人が少し前から休みっぱなしだって聞かされて」

「夏希ちゃんをいじめていた四人の中の男子だね」


 祐実の問いに夏希は首肯うなずいた。


「最初聞いた時、井浦君が言っていたのはこのことだったんじゃないかって思った。そうしたらしばらくして今度はあの女子二人が休みだして。…本当にわたしと入れ替わるみたいにして、あの人たちが学校からいなくなった。それがなんだか怖いの」


 色白の夏希の顔色が、次第に青ざめていく。


「井浦君ていうその彼が、奥村さん達に何かしたんじゃないかって、そう言いたいの?」


 夏希は黙って首肯いた。そして言葉を継いだ。


「女子二人が来なくなった日かな、井浦君に呼ばれて学校でちょっと話したことがあったんだけど、その時に言ったの」

『彼女たち、当分学校に来ないよ。彼女たちだけじゃない、君をいじめていた男子二人も。だから、もう安心していいよ』


 そう井浦少年は話したそうだ。


「井浦君…ね。夏希、ごめん。その井浦君ていう人は夏希とどんな関係?彼氏?」


 そう訊ねる祐実の眼はいつになく真面目そのものだった。え!と驚く夏希はすぐに茶化すようなことを聞いているのではないと悟った。


「や、ちがうちがう。そんなんじゃないよ。中学が一緒だったから。前からの知り合いだから今でも連絡取り合うことがあって。むしろ高校に入ってからの方がよく話すようになったっていうくらいで」


 と、夏希は真面目に答えているつもりだったが、何かを必死に言い訳をしているような口ぶりでもあった。


「そうなんだ。井浦君は夏希のことが心配だったんだね、きっと。何をしたのかがかなり謎過ぎるし、ミステリアスな人だけど」

「ミステリアス…まぁ、けっこう普通の人だよ。優しいし。ただその時は少し怖い感じがした、かな」


 夏希はそう言って黙りかけて、あ、と何かを思い出した。


「霧島クリニックに、井浦君も通院していたよ」


 時計を見ると、もう昼休みは終わろうとしていた。

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