第4話 二日酔い探偵現る①

 各駅停車で数駅を過ごして同じみささぎ駅で降りる。駅の改札を出ると線路を挟んで西側に商店街のアーケード、東側に続く道は緩やかな登坂で、道の先に神社の朱色の鳥居が見える。祐実は商店街の近くの駐輪場で自転車を預けていて、勲はみささぎ駅からは徒歩で神社が見える東方面が通学路だ。つまりここからは二人は変える方向が逆だった。


「じゃあね、勲」


と手を振って歩き出そうとしたところで、「あ、俺もそっち行くんだわ」と勲も付い

てくる。


「どっか寄っていくの?」

「あー、まぁ本屋に。漫画探しに」


 どこか不自然なぎこちない調子で勲は応えた。

 ふぅん、と祐実はそう言ったきりで、緩やかな傾斜になった改札前の道を商店街に向かって下っていく。勲はその少し後ろを付いていくようにして歩く。


 夕方で人が賑わう商店街の通りを進んで、一本目の筋を曲がった所に祐実の使っている駐輪場はある。


「こっちの駐輪場ちょっと遠いよな」

「そうなんだよね~、急いでいる時とかマジでいらっとする」

「駅の隣の駐輪場もっと広くしてくれれば良いのにな」

「ほんとにね」

「ところで紺藤はさ、最近その…体調はどうよ?」


 ぎこちない様子で勲は訊ねた。祐実は今日の勲は少し様子がおかしいなと訝しながらも応える。


「体調?特になんもないかな。あっ!」

「どうした?」

「今食欲がすごいの…!。気づいたら一ヶ月で三キロ増えてた」

「…問題ないってことだな」


二人は談笑しながら角を曲がる。その先はもう駐輪場だ。曲がって少し歩いたところで祐実は不意に足を止めた。


「どした?」


 勲が訊ねると、祐実は「あれ」と小声で前方を指さした。勲がその指先に視線を移すと、数メートル先にショルダーバッグを掛けてうずくまっている人がいた。

(あそこに今の今まで人なんていたっけ?)と祐実は訝しんだ。祐実もはっきりと見たわけではないが、ほんの一瞬視線を隣の勲へ移した際に、その男が急にそこへ現れたような気がしたのだ。しかしそんな疑念は次の瞬間にはどこかへ行ってしまった。


「うー、おうぇっ、げほっげほっ」


 空嘔吐からえずきだ。吐きそうになってるけど中身が出ないというあれである。盛大に体の中から何かを排出せんとばかりだ。その男は祐実たちが側を通り過ぎてもずっと嘔吐いている。見ていていたたまれなくなってくる。


「あの人大丈夫かな」

「酔っぱらいだろ。どうせ。それにほら」


 勲があごでしゃくってやると、男の足下には缶ビールらしき物がおいてあるのが見えた。


「やっぱり酔っぱらい…」


 しかし男はずっと嘔吐いている。


「あ、おいっ。紺藤っ」


 祐実は男に近づくが、必要以上には接近せずに二、三歩下がったところで「大丈夫ですか」「救急車呼びましょうか」と声をかけた。不審者かもしれないと警戒はする。


 男は片手を上げた。それには及ばないと言いたいようだった。そして呼吸を落ち着かせるように、大きく深呼吸を繰り返して、立ち上がった。勲と同じくらいの長身で、生成りのスラックスにブラウンのジレ、洗いざらしたような開襟シャツの袖をまくっている。パナマかキューバあたりで葉巻を売っていそうなおじさんだと祐実は思った。パナマやキューバのことなどろくに知らないので完全なる妄想である。何よりも天然パーマだろうか、もっこりと膨らんだ髪型がコミカルな感じで印象的だった。


「いや、すまない。大丈夫だ。とりあえずこれをもう少し、げほっ、飲めば、落ち着くんだ」


と、片手にしていた缶を一口煽った。


「ぷっはぁ。ゔぁぁぁぁ…たまらんなぁこれは」


 男が吐いた息は強烈なアルコール臭を放って、祐実と勲は反射的に鼻を指でつまんでしまった。ただのアル中としか思えなかった。二人の不安な視線に気づいた男は、


「あーもう大丈夫だから大丈夫!だからそんな不審者をみるような目で見ないで」


 と、慌てたように言った。


「いや、最近は不審者とか痴漢が多いっていうんで」


 冷めた眼差しのまま勲は言った。言いながら祐実を手で後ろに下がらせている。警戒心はマックスのようだ。アフロのような頭の男は少し困った顔をした。


「それもそうだ。得体は知れないだろうけど、僕は調査員なんだ」

「調査員?」


 祐実は訊き返した。


「分かりやすく言えば探偵だな。怪しくないだろ?調査業は立派なお仕事だぜ」


 先程から足取りが悪そうなわりに、喋りは普通だ。ろれつが回っていないかと思えばはっきりと喋っている。変な人だと祐実は感じていた。


「怪しい奴は自分から怪しいですとは言わないんじゃないスか?」


 勲が変わらず警戒した様子で言う。


「それはそうだな。じゃとりあえず名刺でも」


 男はそう言ってスラックスのポケットから名刺入れを取り出すと、名刺を二枚抜いて祐実と勲にそれぞれ手渡した。

 その名刺には『探偵 茂木酩次郎』とあった。事務所の住所や電話番号も記されている。


「しげ、き…?」


 勲には馴染みのない漢字のようだった。


「もぎ、めいじろう、だ」


 男は嫌な顔もせず読みを伝える。


「本当に探偵だぁ」


 祐実はいたく感心してしまった。物語だけでしか知らない探偵の、本物が目の前にいる。そんな祐実の様子を見て男は、得意げにフッと笑った。


「素行・浮気調査から人探し、ストーカー対策まで何でもやってる。ここで会ったのも何かの縁だ。君たちなら割引してあげよう」

「すご~い」 


 祐実は感嘆の声を上げた。


「いや名刺だけじゃん。簡単に信じるなよ」


と、勲は祐実を牽制する。


「でも探偵って書いてあるし、そう言われると見た目もなんかそれっぽいし」

「見た目に騙されるなよ、こんな胡散臭い奴」

「散々な言われようだね僕は」


 呆れたような、困ったような顔を茂木探偵はしてみせる。


「ところで、ここで何してたんですか?やっぱり尾行?探し人とか?」


 祐実は興味津々、目を輝かせて探偵に訊ねる。


「おまえ、初対面の相手によくぐいぐい行けるな」


 祐実を止められないと勲は悟ったようだった。


「かわいい子に積極的に迫られるのは嫌いじゃあないが、仕事のことは第三者には喋れない決まりなんだ」

「あ、知ってます。守秘義務ってやつだ」

「よく知ってるね。その通りだ」

「喋れないってことは、じゃあやっぱり今は調査の最中なんですね」


 と言われ、探偵は片眉を上げた。


「何気なく言質を取られてしまったなぁ」

「どういうことですか?勲わかる?」


 言われた祐実はよく分かっていない素振りだ。


「このおじさんは何もしゃべる気がなかったのに、今していることを言えないってお前に何気なく言わされたってこと。それは裏返せば、探偵としての仕事はしているのが確定された…そういうことじゃないすか?」


 勲は腕組しながら探偵に伺う。


「君たち、なかなか賢いねぇ」


 探偵は顎に手を当て、うんうんと頷く。


「君、探偵が好きなのかな?小説とかTVドラマとか」


 探偵は祐実に訊ねた。


「探偵もの好きです!まぁハードボイルドな作品全般が好きなんですけどね」

「こいつその手のオタクなんで変に話ふると面倒っすよ」

「一言余計だよ!」


 祐実は言いながら勲の脇腹を小突く。


「良いコンビだね。面白いなぁ。ところで君たち、こういう絵をみたことあるかい?」


 探偵はバッグから一枚の紙を取り出した。B5サイズの紙に写真をプリントしたものらしく、そこには少し粗い画像で、奇妙な模様が写されていた。見覚えのあるものだった。小さな、奇妙な落描きだった。白い円状の迷路のような複雑な模様。


「これは…」

「最近よく見かけるな、これ」


 祐実と勲は紙を覗きながら呟いた。


「知ってるんだね。どこで見たか覚えてるかね?」

「どこって、学校です」

「そうか…君たちは羽塚高校だよね?」

「え!なんでわかったんですか」

「制服だろ、普通に」

「あ、そか」

「少年、ご名答だ。君たちに折り入って頼みがあるんだが、ちょっといいかい?」


 探偵は口の端を引いてにやりと笑った。

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