第九章 雲をつかむような
「いい取引を」
少しばかり癖のある英語の、グレーのスーツを身にまとった自分と同じほどの背丈の男に招待状を返され、目元と鼻のあたりまでを隠す仮面をつけたアキは、堂々とした足取りで地下二階のパーティーホールへ足を踏み入れた。そのまま、ワインレッドのセクシーなスリットが入ったドレスを着た女性に案内されるまま、会場の少し奥の一角にある丸テーブルへ着く。同様の仮面をつけたシュミットもそれに続いていた。
「……思ったより、広いな」
小さく、周囲に聞こえない声量で会話を交わす。
「ああ。おまけに少し……暗い」
シュミットが頷き、軽くあたりに視線を走らせる。
仮面に遮られ、こちらの視線はわからないだろうが、周りの視線もわからない。
あちらこちらで、談笑する声も聞こえる。会場は広く取られ、クロスのかかった丸テーブルがいくつも並ぶ。
片側だけに椅子を配置しており、最奥の少し高くなったステージが、どの席からも見やすいように考えられていた。ただし、だいぶ照明は暗い。おそらくステージには後程、スポットがあたる予定なのだろう。
知らないものが見たら、ただの品のいい販売会のように見えなくもない。……少しものものしさが気になるだろうが。
「まだ時間はあるな」
アキがちらりと腕時計を見れば、時刻は16時過ぎをさす。
開場は15時。オークション開始は17時だ。
早い段階で来る者は、それぞれ仮面でもわかるのだろう、何やら別で商談をしたり、談笑している様子がうかがえる。
アキが軽く手をあげると、シャンパングラスを持ったウェイターが、素早く給仕をして去っていった。机の上にはグラスが二つと、小さな小皿に、ナッツやハム、チーズが乗る。
どうやら、この薄暗さでもよく見える連中がいるらしい。
「……なあ」
アキがシャンパングラスを手に取ると、中身を確認しながら口は付けず、小さく声をかけた。細長い、普通のシャンパングラスだが、グラス周りに掘り込みで軽く装飾が入っている。ちょっと洒落たデザインだ。
「……いると思うか」
誰が、とは言わない。その名前を口に出すのは、さすがに少し、リスキーだった。
「……いるだろう」
シュミットも同じようにグラスを手に取り、少し傾け、一口口を付ける。淡い琥珀色の、さっぱりとした辛口。きめ細やかな泡に、ふわりと香るフルーティーな香り。まだ開始前、これから様々な取引が行われるのだ。今はまだ軽く、ということなのだろう。
特に変なものが混ぜられている様子は、ない。
シュミットがちらり、とアキを見て、小さく頷く。アキもそれを見て、一口口を付けた。変なものが混じっていて、二人同時にやられてしまっては話にならない。
「本当に、見たんだな」
「……ああ」
「二年だぞ。……よくわかったな」
アキがシュミットを見、ためらいがちにいう。
「あいつの手前、言わなかったけどな。……正直、俺はわかるか自信がない。あのままでいるならわかるだろうが……変わってしまっていたら、無理だろう。
……二年は、変わるには……十分だ」
特に、この年齢の女性を二年も見なければ。
成長もする。変化もする。……面影くらいは、あるだろうか。
「――……なんで、言いきれた?」
アキが、少し鋭い視線でシュミットを射抜く。
こうしていると、確かにアキは、ショウの親友なのだろう、と痛感した。
シュミットは深く、ため息を漏らす。
「……確かに、変わっていたよ。おそらくあれでは、そうたやすくは気づかれないだろう」
冷たい視線。凍り付いたような瞳。ひどく整った顔立ちに、しなやかな肢体、記憶よりも長い、艶のある美しい、すこし淡い栗色の髪。
優しく暖かだった彼女の雰囲気はなく……しかし彼女の美しさは変わらずで……どころか、成長でより磨かれていたようだった。
そうして……あまりの変わりように、ためらってしまった隙に……見失ってしまうなどと。
ぐっ、と知らずに左手を握り……軽く瞳を一度閉じて、目を開くと同時に、手のひらの力を緩め。
「だが、わかる。……間違いない」
先ほど皆の前で繰り返した言葉を、シュミットは今一度ここでも繰り返した。
アキがシュミットの瞳を仮面越しに見つめながら。
「……惚れてたからか」
さらり、と。
その秘密を、口にした。
シュミットが一瞬だけ、息を詰める。
「――……っ」
やっぱりな、と諦めに似た口調でアキがいい、ため息とともに視線を外した。この男はおそらく、誰よりも……下手をすると、ショウよりも……色々と、鋭い。
「通りでな……色々、合点いったわ」
アキが硬直したシュミットを横目で見やり、シャンパンをくいっ、と飲み……あいつには秘密にしといてやってくれ、と苦い口調で言う。
「罪な女だなあ」
アキが苦笑して、視線を半分ほど中身の減ったシャンパングラスへ落とした。
昔のことを考えると……自分も苦い思い出はある。だが、今となれば、あの時はあれでよかったのだと思えた。
今の大切な彼女に出会うために、必要なことだったのだろう。
「そ、れは……」
「あー、いいって。けどまあ……難儀だな、お前も」
「……ほっといてくれ」
シュミットが憮然として言い、シャンパンを傾ける。そのタイミングで給仕が、いくつか軽食を置いていく。
そろそろ、始まる様子だ。
……すると。
『――……All this is shou over.』
通信機から、ショウの声が響いてきた。
「……おい、それだとばれるだろ。over」
頭を抱えたくなるのをこらえ、アキが小さく返した。あ…と通信機の向こうでショウが苦笑する気配がする。そもそも日本語を使うといっていたのを、すでにすっぱり忘れていたらしい。
『悪い、癖ってこええな……とりあえず端的に結果だけ伝える。目的のものがあった。over』
とても軽い口調で……近所のコンビニに行ってくる、くらいの軽さで……ショウはそれを告げたのだった。
アキとシュミットよりも少しばかり早いタイミングで、ショウは従業員口から素早く侵入し、足早に、しかし堂々とロビー方面へと急いだ。自慢の金髪は濃いめの茶髪のウィッグで隠し、いくらか便利な機能を付けたサングラスで表情を隠す。目立たぬようにと選んだスーツは、そのあたりの連中も着ているような、質の良い黒い普通のスーツだ。長身はごまかしようもないものの、まあ何とかなるだろう。ちらりと参加者を見たところ、比較的ガタイがいい者も珍しくなさそうだった。参加者連中と、ぱっと見は大差ない。
脳内で見取り図を開き、実際の通路と比較する。調度品などが置かれ、見取り図とはやはり、通れるところに多少のずれがある。
何気なさを装い、従業員通路や部屋を経由し、倉庫や備品室、リネン室等のスタッフルームの位置も確認し、目的の場所へと赴く。
ロビーから少しだけ離れた、ホテルの上へ向かうエレベーターホールのやや奥、階段近くの陰になっているところ。
壁の死角で一度足を止め、ちらりと覗けば、エレベーターホールに二人ほど、ガタイのいい男が構えているのが見える。階段に警備がいないのは……おそらく、このフロアはいない、というだけだろう。あるいは、まだ時間帯的に警護をまわしていないか、だ。
警備の中心はどうやら地下で、それ以外は要所要所に数人ずつ配備している配置のようだ。
さて、どうすっかな……
まずは爆弾の有無を確認しなければならない。本当にやるのであれば……他の爆弾は俺の想像と違う場所に置く可能性もあるが、ここだけは必ずどのパターンでも爆破するはずだ。この付近は確認したい。
なければいい、と思っている。
反面……あればいい、とも少し……思っている。――それは、彼女がここにいる可能性が高いという証明。
そしてそれは……彼女が命を投げ出そうとしていることの証でもある。
……なければ、いい。
ひとまず、騒ぎを起こすならオークションが始まった後の方がよかろう。今は階段最寄りとエレベーターホールの捜索は諦め、最も近い備品室の気配を探った。……気配はない。
素早く体を備品室へ潜り込ませると、どうやら掃除用具を中心にした備品置き場のようだ。それほど広くない、明かりのともっていない部屋だが、奥の天井付近に明り取り用の小さな窓がついており、外の天気は悪いが今の時間ならまだ、なんとか見えないこともない。
ふー……と、細く息をつき……軽く、ドアへと寄り掛かった。少しだけ、力を抜く。
無意識に体がこわばっていたらしい。久しぶりの雰囲気に、飲まれかけていたのかもしれない。
一度深呼吸をして、たて直した。まだこれからなのだから。
気を引き締め、しばし思案する。
一応装備には、催眠ガスも持ってきてはいる。ただ、効果範囲を考えると、少し広いエレベーターホールだとギリギリかもしれない。また即効性は高いが、効果時間自体は個人差もある。すんなりいくのであれば、催眠ガスで眠らせて、縛り上げここに放り込んでおくのが無難といえば無難だが。
そんなことをあれこれ考えていると。
「――…………―――……」
扉の向こう、先ほどのエレベーターホールあたりで、声がした。
必死に聞き耳を立てるが、会話内容までは聞こえない。断片的に英語で、命令がとか、レディがどうとか、集合とか聞こえた気はする。
暫くそうして声が聞こえたが、そのまま足音と共に声が消えた。気配も一緒に消えている。
「――……」
そっとドアを開き、辺りを探った。――やはり、人の気配はない。
すっと外へ出て、先ほどのエレベーターホール手前に戻ると、人影は消えていた。
どういうことだ……?
少し戸惑いつつも、エレベーターホールへ出る。監視カメラはミハエルが何とかしてくれていると信じ無視しているが、万が一ということもある。極力、連中と差異のない様子で堂々と、あるいは監視カメラの死角を使いつつ進んだ。
廊下から続く広いエレベーターホール。その奥に、木製の手すりのついた階段が見える。
特別何か置いてあるような……置けるような場所ではない。怪しいとしたら、調度品として置いてある大理石で作られた女性の像と台座くらいか。おそらく、元々このホテルの調度品なのだろう、似たようなデザインのものを、何ヵ所かで見ている。
周囲を確認し――もう今のところ、人の気配はない。人が戻る前にと素早く、像と台座を確認する。
軽くたたいてみる。特に変なところはなさそうだ。サングラスのセンサーを起動させ、内部もチェックした。
特に、異常はない。
そのまま特に、何もない杞憂だったかと。爆弾はなかったかと。
少しの安堵と……期待が裏切られた思いで、視線を上げると。
……大理石で作られた、大きな四角い柱に反応があった。
まさか、と思い柱に近づく。このセンサーの精度も質も、そこまで自信の持てるものではない。いかんせん、準備時間が少なかったため、だいぶやっつけで制作したものなのだから。
本来とは違う材質が使われているとか、内部に違う材質のものがある程度でも反応してしまう。柱であれば、補強のために、内部に金属を使っている可能性もあるので、それが反応した可能性も高い。
柱に近づき……ゆっくりと、一回りする。特におかしいところは見当たらない。……気のせいか?
ふっと何気なく視線を落とし……腰の高さ、柱の装飾が切り替わるあたりに、違和感を感じた。
よく見なければ……気づかない、が。
これは……!
腰を落とし、片膝でその違和感のもとを、念入りにチェックする。
装飾に隠れるよう縦にまっすぐ一筋……本当によくよく見なければ気づかない程度にぴったりとした、筋がある。
たどってみれば、それはきれいに長方形型に、装飾の切り替わりの場所を踏まえ、切れ目が走っていた。
……いやな予感がする。
さすがにここで今、ここまでぴったりとした大理石を外せるほどの装備はない。……仕方ない。
少し時間はかかるが、もう少し詳細なスキャンを起動させPCに送って解析をかけ……ついでに金属探知もして。こちらはすぐに反応があった。
どうやら、中に何か仕込まれているのは間違いなさそうだ。
一応スキャン範囲を柱全体に指定して……サングラスの左目側に表示されるディスプレイの中で、徐々に大理石が半透明に処理されていく。上部を見る限り、特に中に補強は仕込まれていない。
とすると……やはり。
怪しいと踏んだところに、案の定。爆発物反応を検知した。
……少しばかり、予想より、大きい。
これは、もしかすると………
嫌な予想を振り払いつつ、通信機を起動する。ザーという小さな砂嵐が聞こえたところで。
「All this is shou over.」
声をかける。
反応はすぐにあった。
『……おい、それだとばれるだろ。over』
あ、しまった。
アキの少し呆れた声が返ってきて、誰が見ているわけでもないのに、思わず口元を抑えてしまった。苦笑を漏らし、悪い、と謝る。
ついでに、傍受されてる可能性も踏まえ、決定的な言葉を避けることにした。名乗ってしまったのが少し不覚ではあるが。
「癖ってこええな……とりあえず端的に結果だけ伝える。目的のものがあった。over」
くっ、と息をのむ気配がする。そうか……とアキの声が続く。
『タイミングはわかるか? over』
「いや……無理だな、撤去もできそうにない。over」
大理石の柱、件の切込み部分を軽くなぞりつつ言うと、今度はシュミットの声が聞こえた。
『わかった。オークション組、こっちはもう始まるところだ。
外はどうなっている? kommen』
『こちら外組です。
外は主催の彼らの息がかかっていると思われる方たちである程度固められていますね。そのさらに外周から、ヤードに包囲をお願いしています。
一般人の巻き込みはないかと。kommen』
エーリッヒの声が響き、ざざ、と一瞬音がすると、今度はミハエルが、こちら監視組、と続けた。
『招待客っぽい連中はもうみんな中にいるんじゃないかな。入っていく車も見なくなった。内部の人数は……ちょっと意外だけど、思ったよりは多くなさそう。そのかわり……どうも、連中の同業じゃないっていうか……メディアで見るような政治家とか俳優とかも何人か入っていった。
――特にそっち、ばれないように気を付けて。kommen』
普段よりも少し早口にそういう。俺はそれを受け、了解、と続けた。
「オークション組も巻き込まれるのにだけは気をつけろよ。over」
『ああ。もう少し様子見するが……ある程度で区切りをつけて、撤退するぞ。over』
アキが真剣な、少し声を潜めた様子で言い。
「ああ。……無事でいろよ。out」
こちらもそう言って通信を終了した。
さて、それならば次は。
すっと立ち上がり、脳内で他に爆弾のありそうな場所をピックアップする。ここはさすがに現物を確認できないが、どれか一つでも確認出来たら、時限式ならばいつ爆発予定なのかがわかるかもしれない。
あるいは……彼女には悪いが、解体できるのであれば解体してしまい、彼女の生存率を引き上げる方にかけたい。
そんなことを考え、一瞬だけ、迷っていたら。
「そこで何をしているの!」
叱責の色を隠さない、女性の鋭い声が背後から飛んできた。
息をのむ。……体が、動かない。
少し高い……それでいて甘い、芯の通った澄んだ声。
……俺が、間違えるはずのない、声。
「ここはホテル側の仕事範囲よ。今後の関係のためにも、下手なことをしないように通達も出ているでしょう。休むなら上を使いなさい」
コツ、コツ、とゆっくりした足取りで、近づいてくるのがわかる。
気配は、気づかなかった。
さすがだなあ、なんて、そんなことをのんきに思う。
「それとも……あたしたちとは相容れないどこぞの無礼な方かしら?」
かち、と小さな音。おそらく、銃のセーフティを外した音だ。
動悸が激しくなる。息が詰まる。緊張と……あるいは、期待で?
俺は、ことさらゆっくりと……振り返った。
そこには。
サングラスの向こうに見える、その姿は。
――――俺が、二年間、探し求めていた彼女の姿。
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