芦川ヒカリの憂鬱Ⅲ 11


 突然だが、人をダメにするクッションはご存じだろうか。ビーズが自分の身体に添って形を変えてくれる、アレだ。

 一見普通の教室に足を踏み入れただけで、あの感覚が俺の全身を包み込んだ。それは文字通り全身を覆っていて、足元は何か柔らかいものを踏んだように膝が沈み、腕は粘土の中にあるように動きがもたつき、押し付けられた顔は息すら止まる。

 教室の中をシャボン液のようなものが満たして、鼻や耳や口に隙間を求めて飛び込んでくるようだった。それは体の中を蹂躙して、肺や胃の粘膜にべったりと纏わりついてくる。

 喉に濡れたスポンジが詰まっているような絶望的な呼吸のしづらさに圧し潰されそうになりながら、俺はなんとか酸素を取り入れて、両足に力を入れた。


「……、っく……」


 持ち直したのも束の間、すぐに針で刺されたような小さな頭痛が頻発し、耳の奥で羽虫が喚きまわっているような音が響き続ける。頭痛と表現するしかない感覚であるにも関わらず、痛いという知覚を不快さが上回っていた。まずい、教室を出ないと、そう思うが底なし沼に嵌ったように足が動かない。

 そして一際大きな衝撃に頭蓋骨を殴打されると、その振動が全身の骨という骨を揺らし、教卓に手をついてただ耐えることしか出来なくなる。

 針で直接頭皮から脳に穴を開けられて、そこからロートで不必要で理解もできない情報が流し込まれる。

 雪崩れ込んでくるのは──、数字、アルファベット、造花、情報、ナイフ、天井、涼宮ハルヒ、キョン、急進派、くまのマスコット、あなたをころしてすずみやはるひのでかたをみる──。

 勝手に頭の中のモーターが急速回転し、それを処理しようとする。


 ああ、なんのために意識的に能力を使用する訓練をしたんだ。


 まるで制御ができない。頭蓋の中を棒のようなもので掻きまわされる感触で寒気が止まらない。それなのに、ただ知識を得るということを無条件に脳が喜んでいる。馬鹿になりそうな快感が押し寄せ、ただ享受することこそが幸福なんだと定義しそうになる。えずきを懸命に抑えながら状況を理解しようとしたところで、ストップがかかった。


 ──いや、やめろ。理解しようとするな。それは俺の手に余る。対処だけでいい。止められないならせめて被害を最小限に抑えろ。今俺がやるのはそれだけでいい。拒否して、止める。


 脳をぐちゃぐちゃに混ざられて液状にされたみたいに、意識が持っていかれそうになる。悲鳴をあげたっておかしくないのに、そうする機能すら奪われた俺は、口をぽかんと開けているだけになる。

 好き放題混ぜた脳味噌スープの中から、どうやらそいつは目当てのものを見つけたらしい。俺は必死になって状況を維持し、なにかを抜き取ろうと近づく手が動かないように固める。しかしなんの抵抗も叶わないまま、そいつは周りの機器に損傷を与えることもお構いなしで、乱雑にケーブルを引っ張るようにぶちぶちと音を立てて俺の中身を抜き取った。


 それは、奇しくも──、ひとつひとつのぷろぐらむがあまい──、あの、知っている気がする、場面の、再現、みたいな──。


 そこから、大量の失われてはいけないものが零れ落ちていくような気がして、済んでのところで俺はブレーカーを落とす勢いで思考を遮断した。


「あ……、……──、……っ、……。……──」


 明滅。喪失感。奪われた。奪われた奪われた奪われた。

 俺が、減ってしまった。

 俺の価値が貶められた。情報を抜き取られた。ない、ない、なくなった。希望が見えなくなった。なんの?

 直近の出来事に関する内容だ。そうでなければならない。じゃなきゃあいつは──、そのはずだ。なぜそう思うのかはわからない。あいつが誰かもわからない。けれどそうだ。

 しかし、それがなにか出てこないのが、なによりも致命的なダメージだったことを示している。考えられない。なにが起きたかわからない。ただ喪失がある。後悔がある。疑念があり、焦燥に支配される。俺はダメだ、このままじゃ、もう、


「芦川?」


 荒い呼吸で座り込む俺の背中を、キョンがさすった。いやに温かなその手が背中に触れると、緊張に冷え切った体が解きほぐされていくような気がした。

 ──ああ、冗談みたいな話だ。彼の前で無様を晒すわけにはいかないなんて意地が、俺の思考を切り替える。次々にスイッチがオンになり、次第に自分の行動を制御できるようになってきた。国木田の言う通りだ。俺は、キョンに格好つけたいんだ。

 本当に、正真正銘彼はこの世界の鍵なのだ。ストレスがどうとか、負荷がどうとかではなく、この世界に彼がいるのが何よりも重要で正しいという、そういう指標的存在なのだ。だって涼宮ハルヒシリーズは彼女の名前が付いているのに、主人公はキョンなのだから。主人公がいるだけで、そこには幸運という要素が絡んでくる。


「芦川、大丈夫か?」


 キョンが名前を呼ぶ。声をかける。それがトリガーになって、俺の思考は冷静さを取り戻していく。いや、良かったよ。好きな人の前で吐いたりしなくて。まるで全回復付のセーブポイントだ。彼は“普通の人間”で“普通であることの象徴”だ。彼が無事ならば、大丈夫なのだ。

 そして俺も無事ならば、この状況において俺は何一つ詰んでいない。まだ負けてない。

 古泉に利用したくないとか言っておいて、これじゃキョンが俺を手助けするのが普通のことみたいじゃないか。


「大丈夫。俺は平気。まだ慌てる時間じゃない」


 俺はキョンに笑いかけて、その俺の口元の何倍も大笑いしている膝に力を込めて立ち上がる。また彼に助けられてしまった。俺が助ける側でいたいんだけどなあ。俺は彼の大ファンなんだから、それくらいできるようでなきゃいけない。

 みんなと遊びたいのは勿論のこと、主人公であるキョンの助力をするために団員たちの末席に名を連ねたいと思ったのが、きっと俺がここに来たいと切望したことの始まりだ。

 だからこの能力は、そうだ。彼があちらこちらへ奔走する際、必要になるだろう能力を備えてやってきたとも言えるんじゃないだろうか。団の仲間の補佐をして橋渡しするのは、普通の人間である彼ができない部分に俺が手を届けるために。元々は普通の人間なのになぜか選ばれたことも、そう言えば彼と同じだ。

 考えて見れば、むしろ俺はハルヒではなくキョンに近しい存在だったとも言える。俺が知りえるこの世界での情報はキョンを通して語られたものだ。俺とハルヒが願ってこの世界に俺は来た。だが、そのきっかけをつくったのは、俺に小説を読ませたのは、感情移入させたのは紛れもなくキョンに他ならない。

 もしかして、キョンも願ってくれたのだろうか。誰か一人くらい一緒になって「やれやれ」と言ってくれる仲間が欲しいと思ってくれたのだろうか。俺を呼んだのは、ハルヒだけじゃなくて君もなのか? 

 運命だと思い込みたいだけかもしれない。でも、そうだったら、俺はとても嬉しい。


「そうは見えないが。お前、また顔色が悪いな」

「もうデフォの顔が青めなのかもしれない。青好きだし」


 俺は深呼吸をして、鞄からスポーツウォーターを取り出して半分ほど飲み干す。大丈夫だ。そうだよ。まだ、キョンになにかあったわけじゃない。

 そうか、そうだ。これからキョンに危機が訪れる。だから、俺はそれを回避……いや、違う、それが起こるように仕向けようとしていたんだった。

 なにが起きるんだ? 誰が起こすんだ?

 これから誰が何をして、一体どうやってキョンを危機に晒すのか。

 多分、それが欠け落ちた記憶だ。そこを埋める必要がある。取り戻す方法ではなく、俺が思い出す方法に気付くべきだ。俺にはそれが出来るはずなんだ。俺を誰だと思ってる。拗らせキショハルヒオタク美少女お兄さんだぞ。


「保健室に行った方がいいんじゃないか? もしかして、お前なにか昨日みたいな超能力を使ったのか?」

「いいや、俺は何もしてない。どちらかと言うとされた側だ。そして、今はむしろ絶好調だね。俺は酷いミスを犯したが、それでも最悪ってわけではない。ああ、あと助かったよキョン。君には礼を言わないといけないな」


 俺はキョンを抱きしめた。彼は硬直したかと思うと、訝しんだ顔で俺を見下ろす。いや、これ自制できてないな。酒を飲んで酔っ払っているような感覚がある。


「……お前、なんかハイになってないか?」


 彼が誰だかはわかる。どうしてここにいるのかもわかる。ここに来て何日かの記憶もちゃんとある。

 抜き取られたのは未来の記憶だ。規定事項の情報だ。それは、俺が“元の世界で得た知識”だ。間違いなく、そうだ。なら、俺は覚えているはずだ。打開策があることを知っている。それは、最初から俺のポケットに入っている。


 ──iPhoneのバックアップ。


 なにがしかのアプリを起動させてどうやって記憶を取り戻すのかはわからない。が、長門ならなにかわかるかもしれない。俺はキョンを解放すると、教室を飛び出した。









 その飛び出した俺は、気付けば長門の前に立っている。


「……あれ?」


 無我夢中だったのだろうか。

 部室のパイプ椅子に座り、本を開いている長門が俺を見上げていた。なんで廊下を歩いてきた描写が俺の頭の中にないんだろうか。漫画のページを飛ばして読んでしまったような、前後が繋がらない妙な感覚だ。携帯を見れば、もう一限目の予鈴をとっくに過ぎている。

 おい、それっておかしくないか。俺は朝早く登校したんだ。その後に教室で攻撃を食らっていたにしても、たかが部室に来るまでにそんなに時間がかかるはずはないし、その覚えもない。

 もしかして途中でショートでも起こして、無意識のままここまで歩いてきたのか? いくらなんでも……いや、俺は夢遊病の経験がある。気づいたら知らない場所にいたなんてことも、多分あったはずだ。

 脳って使い過ぎると立ったまま廃人になるのかよ。怖すぎるだろ。生まれて初めて授業というものをサボってしまった。部室に来て以来棒立ちを続ける俺を不審に思ったのか、長門が本を閉じる。


「あなたは今保健室にいることになっている」


 根回しがいいやつだ。


「ああ、そうか。気を回してくれたか。そして長門、すまん。俺の失態だ」

「へいき。朝倉涼子の異常動作はこっちの責任。不手際」

「その朝倉に記憶を抜き取られ、あれ? 朝倉のこと……思い出してるな」


 朝倉の暴走。キョンへの凶行。さっきまで取り戻そうと躍起になっていたそれを、俺は覚えている。


「長門、もう俺になにかした?」

「した」

「しごはや。それで、朝倉にはもうこの先起きることを気取られた。ていうか、勘づかれていたからこそあんなことをされたんだろう。長門なら心配ないとは思うが、どうやって対抗する気だ?」

「朝倉涼子は既に空間を固定化する概念についてあなたを通じて理解し始めている。彼女に操作された空間に現状私は干渉できない。だからあなたの情報を抜き取られた」


 もしかして、ボウリングの時か? 何かやばいような気はしていたが。ああ、もう、完全にやらかした。いや、それよりも。


「ま、待てよ。長門でも無理なのか?」

「できない。けれど朝倉涼子も長期間空間を固定出来るわけではない。情報処理能力は有機生命体よりはあるけど空間固定化の操作能力自体は完全に入手することはできないから。でも使われると私がどうにもできないことに変わりはない」

「よりはあるけど? でも使われると? どうにもできない? ……長門、もしかして俺にわかりやすいように話してくれてるのか?」

「そう。だいたいで教える。負荷がかからないようにするため」


 長門がフワッとした言葉を多用しているの、なんかむず痒いな。俺が難しいことを考えないように、説明した以上のことに気を回さないようにしてくれているなんて、長門には相当面倒な作業だろう。


「ありがとう。すごくやりづらいことだろうに。助かるよ。それで、じゃあ、これからどうするんだ?」

「固定化された空間に干渉、侵入することがあなたにはできる。わたしはあなたが状況を打開することを望む。これはあなたにしかできないこと」


 考えて見れば、俺は少しバックアップと言う言葉を勘違いしていたかもしれない。iPhoneに俺の記憶が全部バックアップされない、なんて話とは違って、朝倉が長門のバックアップっていうのは型落ちって意味じゃない。朝倉が長門のバックアップなら、長門と同じくらいはちゃめちゃなことが出来るのは当然だった。

 未来を知って策を講じて準備万端になってしまった朝倉を切り崩すのは、長門にだって容易じゃない。無論、俺のせいだ。最初から手伝うつもりではいた。

 でも、長門の言い方だとマジで長門にはどうしようもないみたいじゃないか。そんなのどうすればいいんだ? シャツの中がじっとり汗ばんでくる。

 俺はとんでもないことをした。気を付けていたつもりだったのに、気を付けているという俺の態度が、そしてそれでも平然と暮らしてしていることこそが朝倉にここまでのことをさせた。

 そりゃそうだ。警戒はしているけどお前の企ては失敗しますよ、とそう言ってるようなものじゃないか。失敗した。なにやってるんだ、俺は。


「俺だけじゃ……無理だと思う。いくらなんでも」

「朝倉涼子はあなたを警戒していた。それはあなたに邪魔をされると困るから」


 そういや、長門はこの先朝倉が何をするか知っているんだな。そういう情報って同期されるものなんだろうか。いや、でも知っているのに止められないというのが怖いところなんだよな。

 そして、その大抵なんでもできる長門ができないことを俺にはできる、と断言されたのが今の状況だ。責任重大だな。確かに、ここ最近の朝倉から俺への威圧や極めつけの今朝の設置型罠を考えると、俺を退けようとしている意図は感じる。

 情報統合思念体にとっては俺とハルヒは観察対象だから、てっきり朝倉は俺を巻き込みたくないのかと思っていたが、長門の言う通りだとすれば俺がいると都合が悪いのかもしれない。それはなぜだろうか。ヒントは「朝倉涼子に操作された空間」という言葉にある。

 それもまた異空間ということなら俺にとってコスパの見合う場所だ。だから、俺にはなんとかできるのかもしれない。本当にそうなのだろうか。

 なんでこんなに引っ掛かるんだろう。長門が俺に合わせて随分わかりやすい言葉を選んでいるから、調子が狂うのかもしれない。

 長門は俺の額に触れる。その手が、妙にあたたかい。


「なにしたの?」

「プロテクト」

「ああ、もう記憶を盗られないにってことか」

「そう。朝倉涼子の行動は今のわたしには予測不可能。おそらくわたしの侵入は阻止される。だから、あなたに任せるしかない」

「任された。俺のせいだしな。じゃあ、作戦を教えてくれるか?」


 逸脱前の行動は同期かなにかで把握していたけど、この後のことはわからないってことか。

 珍しく長門は躊躇うように時間を費やして、言葉を続ける。眼鏡を外して、星空みたいな瞳で、まっすぐ俺を見るとようやく口を開いた。


「ごめんなさい」


 息が止まるかと思った。胸が潰れそうになる。なんでそんなこと言うんだ。なんで長門が謝るんだよ。

 俺だろ、俺が情報を盗まれたんだ。盗まれるだけの態度を取ってきてしまったんだ。


「……ッ、長門は悪くない。俺が、俺のせいで……!」

「朝倉涼子の異常動作はこっちの不手際」

「違うって、だから、」

「あなたが責任を感じる必要はない。わたしたちの統制が乱れていただけ。観察対象であるあなたを危機に晒すべきではなかった。だから、ごめんなさい」


 放っておいたらずっと謝ってきそうで、俺は思わず長門を抱きしめる。俺のせいだなんて言ったから、彼女は謝ったのだろうか。

 しばらくそうしていた長門は、俺の胸の中からひょっこり顔を出した。なぜこんなことをしたのかわからないみたいだった。俺だってわかんないよ。でも、耐えられなかったんだ。


「俺の方こそごめんね。弱気になってる場合じゃなかった」

「へいき。解決は可能。彼とあなたは死なない」

「私が守るって部分まで言って欲しいところだが……って、それってどういう意味だ? なにが起きるかわからない。しかも向こうは自信満々だぞ。俺になにができる?」

「出たとこ勝負。がんばって」


 マジで、なんでさっきからここまで俺に知能レベルを合わせてるんだ? こういう時の長門、やけくそに聞こえるんだよな。いや、実際やけくそなのかもしれない。地球にいる宇宙人のリーダーってのも楽じゃないよな。長門の手伝いをしているつもりが状況を悪化させてしまったなんて、最悪にもほどがある。ものすごくヘコむけど、自戒している暇も惜しいしな。俺が携帯を取り出すと、長門は眼鏡を掛けなおしていた。

 ちょうど、電話が鳴る。


「……古泉? お前授業は」

「あなたの体調のことを聞きまして」


 キョンが言ったんだろうか。


「まあいい。とりあえず事件発生だ。ちょっと放課後バトることになった。長門から無事だとお墨付きもでている。それで……」

「僕は助けに来なくていい、とでも言いたそうですが」


 う、と俺は言葉に詰まる。実はストーリー上、古泉は放課後にアルバイトがあって帰ってしまうということになっている。

 古泉のアルバイトといえば、無論閉鎖空間での神人狩りだ。そして、前回機関で決定している以上、どちらにせよ俺は付き添わないから放課後の人員割り振りはすんなりと進む。

 いや、本当言うと異空間ならちょっとは力が使えるらしい古泉が参戦してくれれば心強いのだが、それで神人が大暴れして世界になにかあっては元も子もない。それに古泉がそれを披露するのはもう少し後だ。あっちはあっちで人手が足りないしな。両方無事に済ませなければ。


「規定事項では僕が同席しないから……というよりは僕の方になにか用事があり、同席出来ないことを知っている、と言ったところでしょうか」

「もうこえーよ、お前の推理力が」

「ではあまり怯えさせないように推理はこのくらいにしておきましょう。長門さんのお墨付きとは心強いですが、勝算については聞かない方がいいですか?」

「安心しろ。長門のお墨付きの時点で勝算はあるってことなんだよ。今日はなんでも好きなもの作ってやるから、考えておけ」

「……楽しみに待っています。お気をつけて」


 古泉との電話を終え、俺は長門に向き直る。いやに素直だったな。もっとくどくど言われるものだとばっかり思っていたが。

 ポケットが震えていた。なんだよ、今度は朝比奈さんか? それとも授業サボったからハルヒがキレて電話してきたか?


 そう思って、俺ははたと気付く。


 今終話したばかりで手に携帯を持っているのに、ポケットが震えているのは何故だ?


「世界間の重複を観測した」

「え?」

「それ」


 長門が指さしているのは俺のポケットだった。絶句するしかない。なにが起きているのかわからない。薄い板のようなそれが動くことを、俺は今まで忘れていたような気分になった。

 なにせ、どこにも繋がらない筈のiPhoneが“着信”しているのだ。向こうから掛かってくるなんて想定外を突き抜けていっそ笑えてくる。

 画面に大きく表示されたのは──芦川朔。

 おいおい、本当にうちの兄貴には変な能力があるのか? いや、待て。なにかの罠かもしれないじゃないか。その可能性は高い。だって、こんなどうしようもない時に連絡が来るなんて。頼りたい時に掛けてくるなんて都合が良すぎる。


「……長門、出てもいい?」


 部室がぼんやりと青く輝いている。長門が頷くと同時に、俺はすぐに画面を指でスライドした。

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