芦川ヒカリの憂鬱Ⅲ 9


 エレベーターに乗り込んで四階へ。部屋の鍵を取り出したところで、見計らったように隣の403号室の扉が開いた。もしかして、俺の行動は全部監視されていて逐一こいつに報告されているんじゃないだろうか。


「おかえりなさい。今、ちょうど迎えに出ようかと思っていたんですよ」


 母親心をがっしり掴む保父さんのような微笑みで古泉が顔を出した。なぜだかエプロンなんぞを身に着けている。こうしているといかにも家事全般が得意そうな高スペック男に見えるが、こいつはこれで料理が出来ない。出来ないっていうかおそらく経験が少ないんだろう。俺も両親が忙しそうだったとか、なんでも挑戦したがる兄を台所に立たせたくないなとか、そういうことでもなければわざわざやらなかっただろう。

 それでいいと思う。金があるなら家事は出来るだけ楽をするのが正解だ。洗濯も食事も文明と企業努力に任せるのがいい。古泉も掃除や皿洗いはちゃんとできるから十分だろう。

 ていうか皿洗いも金の力で短縮できるんだよな。食洗機買おうかな。いくらなんでも使いすぎだろうか。古泉はともかく俺は機関の人間じゃないし。


「似合ってるけど、なんでエプロン?」

「実は自炊を」

「ほー、そりゃ偉い」


 確かに、古泉の部屋からはほのかにバターの香りがしている。あの古泉が自炊をね。そこまでできたらもう、一人でなんでもやっていけそうである。朝に弱くてもその分早く起きて準備できているし、ゲームに弱くても一応谷口には一回勝ってたし。死角がなくなってきたな。

 可愛げも無くなって行くが、可愛いなんて思うのも傲慢な話か? でも、ボケた部分も知っているので放っておいたらちょっと不安だな。やっぱり一人にはしない方が良さそうだ。


「ホットケーキを焦がして以来、少し練習していたんです。多分、僕って料理ができないイメージはあまりないでしょうし、調理実習の時などに困るなと思いまして。一応形にはなったんですが採点してもらえませんか?」

「買い物行かなくていいってそういう意味だったのかあ。いいよ、お邪魔します」


 まあ完璧に料理ができなくてもそれはそれで良さがあると思うが、それは俺の意見でしかない。料理ができそうに見えるかと言われれば、ぶっちゃけ見えるからな。ハルヒのためのイメージ戦略として日頃から努力を怠らないやつである。

 手洗いうがいを終えた俺は、食卓に並んだ二つのオムライスを発見する。ケチャップがかかっていて、たまごもふわふわとしている。おたまで古泉がコーンスープをよそうのを眺めているとなんだか感慨深い気持ちになってきた。本当にどこに出しても恥ずかしくない男になりつつある。

 だというのに、どこにも出ないんだよな。なぜだか俺に好意を寄せているらしいから。もったいない。うわ、こいつもったいない生き方しているな、マジで。よりにもよって俺とか。確かに近くにはいるけど、ひな鳥じゃねえんだから。他に誰でもいただろうに。


「少しだけコツを掴みました」

「聞こうか。どんな?」

「火をかけたら離れない。考え事をしない」


 料理以前の問題だろ。あぶねーやつだな。


「今まであまり料理に興味はなかったんですよ。ほら、時間を取られるじゃないですか。でも、あなたがしているのを見ていたらなんだか楽しそうに思えて」

「俺、別に料理は趣味じゃないからそこまで楽しんではいないと思うが」

「本人が楽しそうにしていることだけが興味を引くとは限りませんよ。手際のいい作業を見ていると自分もやってみたくなることはありませんか? 上手なプレイヤーを見ると、そのゲームをやってみたくなるような」

「それはなんかわかる気がする」

「最初は、せっかくの異世界生活五日目なのでなにかご馳走でも頼もうと思っていたんですよ。けれど……あなたが思い出の料理を振舞ってくれたように、僕も倣ってみようかと」


 古泉がエプロンを外して椅子を引く。所作に無駄はなく、まるで高級レストランの店員みたいだ。俺は着席して、両手を合わせた。


「いただきます」


 スプーンですくう。

 おー、卵は半熟っぽい感じなんだな。これ作るの大変だっただろうに。玉ねぎとウインナーと人参、それからブロッコリーが具材のケチャップライスか。ブロッコリーが入ってるの初めて食べたな。もしかしてこいつの家ではそれが普通なんだろうか。聞いたら教えてくれるのかもしれないが、こいつが言い出さないことは聞かないでいよう。


「どうですか?」

「びっくり。めっちゃうまい」

「……良かった」


 俺の答えを聞いて、古泉もようやく食事を始める。あんまり味が濃くないので食べやすい。あと、コーンクリームスープがうまい。フードプロセッサーを使って作るの、洗うのが面倒でなかなかやれないんだよな。手間暇を惜しまない、いい仕事っぷりだ。オムライスにブロッコリーの芯入ってるのいいな。今度真似しよう。うまい、と言う度に古泉が嬉しそうに笑うもんだから、俺は何回でも伝えることにした。成功体験ってのは重要だ。

 俺だってきっと、母が俺の作った料理をおいしいと言わなければ、積極的に台所には立たなかっただろう。なにかをやる度に大げさに父と兄が褒めなければ、今よりもっと何をするにも躊躇う人間だったはずだ。


「オムライス、思い出の料理なのか?」

「いえ、全然」


 椅子ごとコケるかと思った。


「なんだよお前はよ、毎度毎度はしごを外しやがって」

「今日がその思い出になればいいな、と思ったんですよ。いやあ、料理を作って食べてもらうのって、なんだか緊張しますね」

「こんだけうまきゃ誰が食っても文句言わないと思うけど」

「誰かに料理を食べてもらいたいなんて、初めて思いました。おいしいと言ってもらえるのは……嬉しいものなんですね」


 そりゃ、俺以外に食わせるつもりがないってことかね。まったくおかしな男だ。

 俺はスープをおかわりして、古泉の料理をぺろりと平らげる。お腹いっぱい食事をして、好きなことをして、早めに寝るのも仕事のうちらしいからな。早めって何時くらいだろう。1時くらいならアリ?


「涼宮さんの様子はどうでした?」

「チラシのことを問い詰めた時はあんまり怒ってる様子はなかったな。なんか谷口には怒ってたけど。国木田曰く、谷口と俺が絡みすぎなんじゃないかってさ」

「それはまあ、僕も思っていましたよ」

「お前ほど俺と絡んでるやつもいないと思うがな。まさか、それを気にして先に帰ったのか?」

「それもありますが、まあ複合的な理由です。あなたが一番、彼に説明する内容も長いでしょうから」

「それは大丈夫。キョンくんにはこの段階でもうちょい不思議なことを信じてほしくて、力を使って見せた」


 なにせ、朝倉がパワーアップしている可能性もあるからな。かと言って教室に彼が行くのを止めれば、今度はいつ襲ってくるかわからないで消耗戦をすることになる。きっと、向こうも作戦を練り直してしまうだろう。朝倉が油断しているというのは長門の勝利にとってだいぶ肝になってくるのだ。アドバンテージのためにも、俺は彼の身に危険が及ぶことを知っていながら止めない。

 我ながら最低だと思う。


「具合はいかかがですか」

「大丈夫だ。部室内でやったからな。ああ、それと長門に会って新事実もちょっとわかってさ」


 帰りがけに起きたことを、洗い物をする古泉の背中に向けて説明する。気が利いているので食後のコーヒーとケーキも出て来た。抹茶タルト、うまい。染みわたる。


「なるほど。携帯電話でそんなことが出来るようになるんですか。なんだか近未来のガジェットのようで個人的には興味がありますが、まあ僕が触るのはよしておきます。しつこいようですが、使用することであなたに負荷はないんですね?」

「俺にはね。世界にとってはあんまり良くないみたいだから、そう何度も使うつもりもないけど。で、俺の脳のゴミを溜めないっていうか、なくす方法なんだけど」

「ああ、それについてはもう聞いていたんですよ。彼に話をする前に、部室で。実に明快な解答でした。今日は早く眠ってくださいね」

「その時って朝比奈さんもいたよな?」

「ええ」

「俺とキョンくんが帰ること、お前予想してたんだろ。なにも言わなくても、朝比奈さんならそういう気を回すだろうって」

「まあ、なんとなくですが」


 そりゃ、長門に聞いたようなことを二人が聞けばピンと来るというものだ。それにしたって、まるでキョンくんが精神安定剤みたいに使われているようで酷い気もする。


「気持ちはありがたいが、優しさに漬け込むような真似はあんまりしたくない」

「漬け込むもなにも、僕たちが何もしなくても元から彼はそういう人ですよ。あなたと同じで困っている人を放っておけないんです。なんだかんだと理由はつけるでしょうが、素直じゃないだけで。僕としても、あなたが幸せで、それがあなたの健康にも繋がるならばそれに越したことはありません」


 そういうものなんだろうか。人を好きになるって。俺は時々ハルヒをずるいなって思うけど、古泉はそんなことは思わないんだろうか。

 まあ、そういう愛情もあるのかもしれない。でも、古泉はぐいぐい来ると思ったら急に引いて行ったりと忙しないからどういうことかわからない。テクニックというやつなのかもしれないが、それにしては賢い古泉が凡ミスを連発しているように見える。こいつも多分、見た目ほど恋愛経験豊富ってわけじゃないんだろう。

 じゃあ、やっぱり単純に遠慮しているんだ。俺がハルヒに遠慮しているように。ハルヒは俺が遠慮しているのに気付いているらしい。なら、古泉のことだって気づくんじゃないだろうか。それって大丈夫なのかな。いや、大丈夫もなにも、じゃあ俺はなにしてんだよって感じなんだが。


「……お前、なんで俺のこと好きなの」

「それ、聞きます? まあ、そうですね。簡単に言ってしまうとタイプなんですよ。あなたみたいに無鉄砲で無遠慮で無邪気で、お節介で気安くて、お人好しで妙に真面目で、心配性な人が」

「ほぼ悪口じゃねーか」


 自分のコーヒーを淹れてきた古泉が向かいに座る。頬杖をついて目を細めるのが、なんだかちょっと古泉らしくない。それこそ、気安いじゃないか。古泉の癖に。

 タイプね、そんなものがお前に存在していたとは。


「まあ、結ばれたことはないんですけどね」

「お前が? そりゃ相手が変わってるんだな」

「ええ、そう思います。相当変わってますよね。彼女も破天荒な女性でしたから。今はどこでなにをしているのかも知りません。実は当時の記憶も曖昧なんです」


 古泉は肩を竦める。おい、俺のことを言っているんじゃないぞ。その、過去にお前を振ったらしい女について言ってるんだ。彼女も、ってなんだよ。俺に破天荒要素はない。

 記憶が曖昧と言っても、俺みたいに古泉も脳がどうのって話ではないんだろう。案外、古泉の語った幼馴染の話は嘘でもなんでもなく、本当に昔引っ越して別れた女の子がいたのかもしれない。まさか、機関に記憶を弄られるなんてことはないだろうし。ないよな?

 ちょうど女の子の話も出たし、ここで言ってしまうか。こういうことはすっと終わらせてしまう方がいい。


「ここで突然変なこと言ってもいいか? 俺、お前に言いそびれていたことがあって」

「なんです? 改まって。怖いな」

「……いや、実は元の世界では女だったんだよね。信じなくてもいいんだけど」


 世界が停止したかと思ったね。古泉は漫画みたいに頬杖から滑り落ちて、テーブルの上で深いため息を吐く。顔をあげて俺を見ると、なにかの合点がいったように苦笑した。その顔が妙に優しげで、こっちを見ているのに遠くを見ているみたいで。俺はちょっと気に入らなかった。


「……やはり、そういうことですか。あなたが……」

「なんだよ、お前も気づいていたのか」

「そうですね……薄々は。となると、なるほど。そういうことですか」

「何を一人で納得している?」

「いえ、まあ、そうですね。少しだけヒカリくんの気持ちがわかった気がします。言えないというのはこういうもどかしさがあるんですね」


 古泉はまじまじと俺の顔を見ている。かと思うと考え込む仕草をして、頷いたりした。性格でも入れ替わったのかと思うほど、その表情はなんというか、ちょっと怖い感じだった。


「だから、なんなんだよ」

「いえ、もう少し焦らないといけないな、と思いまして。お前も、と言うからには既に彼には伝えたようですし」

「伝えたけど、別にお前も知ってる通り俺とキョンくんはなんでもないぞ。残念ながら」

「そうでもないと思いますけど。因みに、今僕に対しての好感度はどれくらいですか?」

「え!? 急になに!?」


 なんか怒ってる? 眉を寄せて目を細めると、イケメンは迫力があって恐ろしい。俺の訝しむ視線に気づいたのか、古泉は瞬時に表情を笑顔にすり替えた。うさんくせー。


「いえ。少しはあがったかな、と思いまして」

「まさか手料理でって言うんじゃないだろうな……」

「まあ、そういうつもりはなかったんですが。そういうことでも構いません。それで篭絡できるなら、本当に勉強しようかな」


 言いながら古泉は席を立つ。なんだ、急に。変なこと聞いてくるなよ。いや、でも俺が同じ立場なら気にはなるよな。自分の好きな相手には好きな人がいて、その相手と結ばれないとわかっているのに振り向かない。言葉にすると俺って相当頑固で嫌なやつじゃないか? 別に古泉のことは嫌いじゃない。仲間として信頼しているし、好きと聞かれれば好きな方だ。

 それに、自分でも愚かだとは思うが。


「いや、そりゃ、好きって言われると意識してきちゃうっていう、……っわーーーーー!?!?!」


 唐突に手を握られ、近所迷惑なでかい声が出た。ああ、でもここ防音なんだっけ。いや、そういう問題じゃない。古泉は俺の反応を見て、満足げにほほ笑んだ。どいつもこいつも、人の絶叫や物理的な距離の近さを好感度のパラメーターに使うな。


「そういう素直な反応を、涼宮さんにもすればいいんです。事実あなたはチラシのことを責めてもお咎めなしでした。彼女に逆らったにも関わらず、閉鎖空間も発生していません」

「ちょ、ま、いや、先に反論しよう。この間は俺と言い合いになってすぐ発生したじゃないか」

「でも、規模は小さかった。そういうことなんだと思いますよ。結局は」

「じゃあわかった。それはいいけど、いつまで手触ってんだよ」

「おや、ご存じなかったですか? こういうタッチングと呼ばれる行為にはストレスを軽減するメリットがあるんですよ。謂わばあなたが今日力を使った分のケア……でしょうか」

「それが言い訳のつもりか?」

「ダメでしたか」


 古泉の手が離れていくのを、俺は咄嗟に掴む。ものすごく驚いた顔をした古泉を見て俺も驚いて、なぜこんなことをしたのかわからなくなる。手首を掴んだ俺に、何を思ったのか古泉は添えるように握り返してきた。二人の手がじっとりと湿ってくる。

 なにをしているんだ俺は。そう思いながらも、離せない。ハルヒの気持ちが少しわかる。わがままだとわかっているが、遠慮されるのは嫌だ。


「いや、ダメではないんだけど……だけど、わかんないよ……俺、こういう経験全然ないし……でも、これだけは言える。ハルヒが俺の気持ちに気づいてるなら、お前のだって気づくよ。だから、あんまり遠慮とかしない方がいいし……それはその、お前の気持ちなわけだし、大事にした方がいいっていうか……いや、でも俺が、その、キョンくんの……だから、それなのにこんなこと言うなって感じなんだけど……」


 要領を得ない俺の言葉に、古泉は薄く吐息を漏らす。それが笑っているのか溜息なのかはわからない。なにせ、俺は顔を上げられないでいる。自分が今とんでもなく赤い顔をしている自覚がある。そんなもん、古泉には見せられない。

 ハルヒを盾にするような言い方をしたこと、古泉は多分気づいているだろう。でも、狡いとは責めてこなかった。


「……いいんじゃないですか。涼宮さんの前では性別なんてくだらない差でしかないように。僕があなたを思っていても、あなたが彼を思っていても、そこに問題はないはずです。いえ、多分……あなたが団員のみなさんを好きで、そしてまた同時に好かれているというのが彼女の理想図なんでしょうね」

「別に……お前のことは、まだ……す、好きとかではない」

「そうですか? もうだいぶお好きなんだと思いますよ。僕にはそう見えます。気のせいでないといいんですが」


 変に鼓動が早くなる。これのどこがリラックスできると言うんだろうか。古泉の手は今までも何度か握ったはずなのに、どうしてこんなに緊張しないといけないんだ。

 二人して黙っていると、古泉の手がぴく、と動く。次第に握った手首からあいつの脈拍数が上がっていくのに気づいて、思わず顔をあげた。古泉は居心地悪そうに口元に手を当てて顔を逸らしている。見たことがないような困り果てた表情で眉を下げて、なんだか耳まで赤くなっていた。

 その姿を見て、瞬間的に身体中が熱くなる。そうだ、こいつの手を握ってるのは俺の方だと気づいて、振りほどくのも躊躇われてゆっくり力を抜く。古泉も、どうしたらいいかわからないようにそっと手を離した。その熱が離れていくのを、どうして先に離した俺が惜しいなんて、そう思うんだろうか。


「これは存外……その、自分から触るのとはわけが違いますね」

「……俺がいつも困ってる気持ちがわかったかよ」

「僕が触れている時、いつもこんな気持ちだったんですか? それはいいことを聞きました」


 まだほのかに熱が残る笑顔で苦笑古泉に、なにか変な場所を撃ち抜かれた気がして、今度こそ俺は声にならない叫びをあげてやつの部屋を退散した。

 部屋に戻るとすぐさまシャワーを浴びて、アニメを見るのも中止してベッドに飛び込んだ。おおきなぬいぐるみに抱き着くと、邪念を吹き飛ばすようにゲームの魔術を覚えている限り詠唱しまくる。よく考えたら、このぬいぐるみはキョンくんが頭を叩いたのだった。ちょっとずるいじゃないか、ウサ子よ。ぬいぐるみの癖に。

 わけわかんないよ。俺ってキョンくんが好きなんだよな。なのに、なぜ古泉のやつにこんなにペースを乱されなくちゃいけないんだ? 俺がキョンくんのことを好きだと思っているのは実は間違いで、本当はもう古泉に心を動かされてしまったんだろうか。こんな頭の仲がごちゃごちゃして、本当にそれで俺のストレスとやらはなくなっていくんだろうか。

 脳のバグはともかく、疲れ自体は連日溜まっていたんだろう。俺はそのままぽかぽかと温まり出す身体に引っ張られるように睡魔に飲み込まれていった。こっちにきてからの俺は、なんだかよく眠れる気がするなんて、そう言ったら古泉は自慢げにするんだろうか。




 気づけばそこは校舎だった。薄暗い空が、窓に嵌め込まれている。


 ハルヒが、世界はどうしてこんなに面白くないのかと嘆いた。

 自分に見えないところで、みんなで隠れて遊んでいるに違いない、と。

 俺が探して来ようか? かくれんぼは得意なんだ。隠れる方だけど。

 そんなのダメよ、とハルヒは言った。あんたがいないんじゃつまんないわ。

 でも、隠れる側の気持ちがわかるやつの方が、探しやすいんだよ。かくれんぼってそういうものなんだ。

 そう。じゃあ、あんたに任せるわ。あたし、あんたのことは信用してるの。遊びはなんでも得意だもんね。

 それに。


 だってあんたは、誰よりあたしの気持ちがわかるんだもの。

 だからあたしは、誰よりあんたの気持ちがわかるのよ。


 なのにどうして、そんなにあんたは嘘つきなの?


 ハルヒは悲痛な面持ちで俺を見た。だって、俺が異世界人だってことはハルヒには言えないんだ。嘘をつくしかないんだよ。

 涼宮、俺は、言えないことだらけなんだよ。


 本当に? ハルヒが一歩、俺に近づく。

 本当にあんたが言わないことは、全部言えないことなの?

 やめてよ、あたし、かくれんぼは得意じゃないのよ。

 だって、一回も不思議なことを見つけられないの。

 そういうとこは、あたしたち全然一緒じゃないわ。

 あんたは見つけてくれたのに。


 ねえ、あんたはあたしたちといて、本当に幸せなの?


 そう言って、ハルヒは俺に背を向けた。待って、と声を掛けたが聞こえないみたいだった。幸せだよ。本当だよ。どうして聞いてくれないんだよ。


 涼宮。

 声が枯れるほど叫んでもハルヒは振り返らない。それどころか、朝比奈さんも、長門も、キョンも古泉ですら、俺を置いてハルヒと一緒に歩いて行ってしまった。


 ハルヒ。俺が見えないの? 俺の声が、聞こえないの? もう、一緒に遊べないの?

 ハルヒは最後に一度だけ、周囲を探すように視線を彷徨わせた。でも、それきりだった。


 俺は思う。あんなこと、言わなければよかった。

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