芦川ヒカリの憂鬱Ⅲ 7


 掃除用具入れに箒とチリトリをしまった俺は、くまのマスコットを鞄につけて揺らす朝倉が先に帰るのを見届けた。ふと目をやれば、造花は教室の花瓶に挿してある。まったく人間らしくない朝倉は、しかし宣言したことはその通りにやっているみたいだ。

 もらったマスコットを鞄にずっと着けているなんて、それが普通の女の子らしいと思っているならむしろちょっと律儀すぎるくらいだ。ヒューマノイド・インターフェースっていうのはみんな真面目に造られているんだろうか、なんてことを思う。

 俺がこの世界に来たことで色んな解釈違いが起きるって言うなら、朝倉が暴走しない世界線だってあっても良いように思うのだが、そうならないのが世界ってやつなのだろうか。

 それもそうか。朝倉の意思を曲げようだなんてのはいくらなんでも傲慢だ。他人の気持ちっていうのは簡単に操作できないし、してはいけないものだからな。すこしふしぎなこの世界でも、そればっかりは真理みたいに覆らない。

 俺がキョンくんを好きで、彼がそうじゃないみたいに。それを知ってて、古泉のやつが俺に惚れてしまったみたいに。ハルヒが、キョンの後ろの席は陣取るのに、くじびきでいつも彼とペアにならないみたいに。そんなルールは、破天荒な神様だって実践してることなのだ。

 だからキョンの隣の席が俺になるなんて、そんな出来すぎなことがおきる。ハルヒがキョンを好きで、それを認めたくなくて。そして、自分の願いなんて簡単に叶わないと思っているから。

 そうだろ?


「芦川。お前、いま朝倉と何話してたんだよ」


 振り返ると、谷口がぶすっとした顔で立っている。その横から国木田が顔を覗かせた。まったく二人の足音に気づかなかった。まあ、朝倉が出て行ったのは少し前だ。会話を聞かれていたわけではないだろうし、俺も軽口をたたいているようで、まだ全身が強張っている。

 谷口は購買の菓子やジュースなどが入った袋をぶら下げて、突然俺の両腕を掴んできた。


「朝倉に告られたのか? そうなのか? そうなんだな~!」

「ち、違うっつーの。てめーの目は節穴か」

「はー。疲れた。芦川も掃除当番代わったの? 僕らもでさ。ゴミ捨て行ってたんだけど、教室に朝倉さんと芦川がいるって谷口が急に走り出すんだもん。大変だったよ」

「芦川よお、毎日毎日朝倉となんでそんな話すことがあんだよ。お前にはキョンがいるじゃねえかよ~!」

「いねえよ、別に俺とキョンはなんでもないだろ」

「は? なんだよ。またなんか喧嘩でもしたのか? 意外と仲良くねーなお前ら」

「またもなにも、昼からほとんど喋ってない」


 なにをどう見たら俺と朝倉が仲良く思えるんだろうか。俺の冷や汗とか二人の間の火花とか、彼女の威圧が見えていないんだろうか。だとしたら、俺も朝倉も演技がそれなりってことになるんだが。

 そろそろ古泉がキョンを連れ出しているだろう。部室に向かうか。

 窓辺に腰掛け、テニス部の掛け声を聞きながら俺は深呼吸した。ちょっと気まずいけど、まあ自己紹介は団員が順番にやっておくべきだろう。一番新参者の俺は、礼儀を守って一番最後だ。


「あー、そういうことな。ほら、さっさと部活だの儀式だのに行っちまえ。俺はこの後、女子たちとここで喋るんだよ」

「それで食い物と飲み物を買い込んできたのか。涙ぐましい努力だな。てっきり俺を元気づける会でも開いてくれるのかと思った」

「やってもいいけど、部室に行かなくてもいいのかい?」

「いーや。言っただけ。団活動には行くよ。任された掃除も終わったし。邪魔したな」


 谷口が女子とトークできるなんてそうそうない奇跡だ。大人しく場所を譲ってやろう。鞄を背負った俺を、国木田が止める。俺の手に、こころづけみたいになにやら握らせてくる。


「いちご牛乳買ってあるから持って行きなよ」

「く、国木田~! お前〜! 愛〜!」


 お前はいつも他人を気に掛けて本当にいいやつだよ。原作じゃ目立ったところがあんまりないけど、俺は帰ったら兄貴にお前のことをちゃんと報告する。国木田の精神は顔と同じく綺麗だと。俺は国木田を力いっぱい抱きしめた。心の友よ。みんながみんなお前みたいに聡くて優しかったら、今頃不器用な俺でも友達が百人できていたことだろう。あー、この世界の人間、大抵いい匂いするな。


「わ、びっくりしたなあ。誰かに見られてたらまた変な噂がたつよ」

「ハルヒは国木田ならいいって言ってたし、俺はいいよ。国木田は困るだろうけど。ていうか、谷口はなんでダメなんだろうな。お前ハルヒになんかした?」

「してねーよ! される側だろどう見ても! お前にもいつも関節決められてるしよ」

「いや、プロレス技を最初にかけてきたのお前じゃないか。だいたいな、朝倉のこともお前の勘違いだからな。相手も俺も互いにそういう意味では興味ないんだから」

「いつも喋ってんのにかよ! 白状しろ、ちょっとはあんだろ?」


 谷口の醜い嫉妬から逃れるため、俺は国木田の背に隠れて盾にする。


「いつも喋ってたら気あるって。じゃあ俺はお前にもちょっと気あるんか」

「え? あんだろ? 涼宮とそんな話してたじゃねえか」

「ねーーーーーーーーよ!!!!!!」

「ねえの!?!?」

「あるわけねえだろ。お前はあんのかよ!」

「あ、ああ、あ、あるわけねえだろ! Aランク圏内だからって、すぐ俺と仲良くなったからってなあ! 調子に乗るなよ!」


 こいつの脳内どんだけお花畑なんだよ。


「うるさっ。お前のツンデレに萌えはない」

「ちょっと。僕を挟んで喧嘩しないでよ。まあ、好きな人がいる相手にちょっかい出すほど僕らも馬鹿じゃないってだけさ」


 やめてやれ。せっかく格好つけて機関の話をしている古泉がくしゃみしてるかもしれん。くそ、喋ってる最中に盛大なくしゃみをする古泉はちょっと見たいな。俺の心のアルバムにある、おもしろ古泉集に加えたい。


「逆に言えば、芦川から言われたらみんなオーケーってこともありえるんじゃないかな。話しやすいし、面白いし、百面相してるの見てると微笑ましいしさ。そういう格好しててもあんまり違和感とか抱かないんだよね、不思議なことに。僕もだんだんそう思えて来ちゃって、困るなあ」


 その辺はハルヒが関わっているからな。あいつが、世界を弄ってる。ハルヒとコイバナをしたってのに、国木田は治ってないのか。そのままでいいんだろうか。いや、認識自体はいいと思うけどね。広い意味で言えば、人種も性別も関係なく仲良くやるのがハルヒのイメージする世界だ。まあ、性別の概念がそもそもないとか、人じゃないとか、そういう方向でだけど。

 俺を不思議な存在との窓口にしたがっていたことからも、そのどんな相手ともうまくいくようにしたいという彼女の考えが、この姿に変化した理由と密接な関係にあるはずだ。


「頼むからお前は俺のストライクゾーンの壁を越えてくるな。その線からそっちにいろ」

「わー」


 俺は帯を掴もうとする柔道家のような構えで谷口に駆け寄った。


「芦川てめえ! 純情な男子を弄ぶな!」

「大丈夫。払い腰するだけだから」

「マットもねえとこで!?」

「多分だけどさあ。涼宮さんは二人のその距離感が嫌で、谷口に厳しいんじゃない。よく、くっついたりしてるだろ」

「距離感? あいつだって十分近いだろ」


 と、言っていて、はたと気付いた。距離感が一番バグっている男に心当たりがある。ハルヒが古泉に俺を預けられないと思ったのはそのせいだろうか。でもあいつ、古泉しか友達いないだろうからって俺に学校中の人間を斡旋しようとしたんだよな。古泉ほど距離感もおかしくないし、俺に友達を作ってやりたいって思うなら谷口でもいいと思うけど。それとも、別の思惑があるのだろうか。


「それか。涼宮のやつ、芦川に気があんじゃねーの。だから他のやつとつるんでるのが気に入らねえんだろ」

「出たよ気がある理論」


 ハルヒが俺に。ないない、と言いたいがここまで状況がめちゃくちゃになってくると絶対にないとも言いきれない。ハルヒが俺を好きでも便宜上おかしくはない。でも、なんかひっかかるんだよな。その理論は。

 古泉の説を取るなら、俺が男になったのは、俺がなりたいって思った願望を叶えただけらしい。というか俺に関することでは、ハルヒは出来るだけ俺の願望に従って願いを叶えていることになのかもしれない。それ自体には多少身に覚えもある。

 俺はハルヒを好きだけど、今まで恋愛感情で見たことはないなあ。世界一かわいいとは思うけど。それに、あいつが恋する相手に取る態度というのを俺は履修済みなんだ。涼宮ハルヒってやつは、どのメディアでも、ゲームのコラボ先でだって、キョンに対しては元祖ツンデレヒロインだった。俺への態度は、ちょっとそういう風には見えない。むしろ、招待客をあいつがもてなそうとするなんて、随分と甘々だ。

 まったく、誰が誰を好きだとか恋愛経験のない俺が考えることじゃないだろ。別の誰かに投げ渡したい。しかし、恋愛経験のなさって話では俺だけが問題なわけじゃないよな。朝比奈さんや長門にハルヒの恋心の解剖は難しいだろう。キョンは論外だし、古泉はいまやハルヒの精神科医としてはちょっとポンコツだ。信頼はしているがあいつの言葉を一から十まで鵜呑みにはしない。あいつはあいつでハルヒに対する評価が偏りまくった男だしな。

 俺のせいで生まれた問題なので、俺が対処する。それはわかってる。これでこの世界のハルヒはキョンに好意がありません、なんて言われたら俺、マジで道化だぜ。

 谷口の脇腹をくすぐりながら、俺は溜息を吐いた。


「ハルヒも気はないだろうが、俺のことを気に入ってはいるらしい」

「芦川も自信がついてきたかあ」

「親戚みたいな顔で笑うのやめろ」

「うひゃひゃ! お、おい! 俺をくすぐりながら平然と会話してんじゃねえ!」

「悪い悪い。じゃ、国木田これありがとな」

「いやー、うまく流せるようになったねえ。芦川も」

「なんのことじゃ。また明日」


 いちご牛乳を手の代わりに振る。うまく流したつもりだったけど、国木田と谷口、俺のことアリなのかよ。

 ハルヒに昼間言ったセリフが作用したんだとしたら、間違いだったかもしれない。国木田だってきっと鶴屋さんが好きなはずだ。それを俺とハルヒが捻じ曲げてしまったというなら大問題だ。でもそんな相談をしたら、古泉がまた同じ話で怒ってきそうだよな。人の感情の方向性を変えるのは間違っているのに、逸脱行為として修正するのはいいのか、なんてことを。

 俺は深呼吸をして、ハルヒに電話をかける。ワンコールで出た。手伝いがあるとか言ってたけど暇なんだろうか。


「な、なによ」

「ハルヒさ、紙飛行機って作ったことある? 俺は得意なんだけどさ」

「あるけど。なに? 懐かしい遊びの大会でもしたいわけ?」

「だって俺がかっこいいとこハルヒに見て欲しいし。得意分野で」

「言っとくけどあたしのいかみたいなやつめちゃくちゃ飛ぶわよ」

「えー! ハルヒもいか飛行機なの! 俺もだよ」

「……あっそ。ていうかあたしは忙しいの。言ったでしょ。切るわよ。暇だったら今度遊んであげる」


 電話を切られた。その上近所のガキみたいな扱いをされた。でも、これで準備は整った。市内探索でのことがきっかけなのか、やはり俺は遊びが得意だとハルヒは思っているみたいだ。ベイブレードとかやるかなハルヒ。俺のインペリアルドラゴン.Ig'と戦ってくれ。


 カフェテラスにはキョンの姿はなかった。タイミングよく鳴った携帯にはメールが一通。古泉からで「準備したいことがあるので先に帰ります」とだけ。珍しいこともあるものだ。首は痛くないので閉鎖空間ってこともないだろう。また別行動なのかな。いや、一緒にいたいってそういう意味じゃないし、別に先に帰ってもいいけどさ。

 いちご牛乳を吸いながら部室棟を歩いていると、長門とコンピ研の部長が会話している。あらま、この時点ではずいぶん珍しい。


「あ、君はこの間の」

「その節はどうも。長門がなにかしました?」

「勧誘していたんだ。コンピューターに興味がないか聞いたら、あるって言うから。君もあるんだよね」


 この人、俺が女装してることに一切つっこまないな。マジで世界は狂ってしまったんだろうか。


「うーん。でも二個隣のクラブに入ってて。なので、涼宮ハルヒが良いって言わないと無理ですね」

「え!? き、君たち……あのわけのわからない集団のメンバーだったのか……」


 部長氏はがっくりと肩を落とす。そうです。我々がSOS団とかいうわけのわからない集団のメンバーです。


「よくしてもらったのにすみません。ああ、そういえば今日ハルヒがチラシを作れって来ませんでした? すみませんね。重ね重ね」

「あ、ああ。アレね。参ったよ。この間からデザインだけは組まされて、あとは写真を置くだけだったから良かったけど。急にネットにも流せって言われてさ」


 あのかわいこちゃんめー! それを俺に怒られたくなくて先に帰りやがったな!

 ネットに本名顔出しすることの恐ろしさを知らんのだな。しかも女装だぞ。一生消えない黒歴史だ。ていうかチラシのデザインとかまでやらされるんだこの人たち。なんでも屋さんだな。


「さっき下げろって言われたから慌てて下げたけどさ。魚拓でも取られてたら僕たちは責任取れないよ」

「いや、それはしょうがないです。責任は全部あいつにあるんで。みなさんはなにも悪くないです。大変でしたね」


 話してる最中に普通に帰っていくのが長門である。原作では今日の長門は部活が終わる最後までいるんだけど、まあこいつに限ってはなにか問題があれば伝えてくれるだろう。


「長門。なにもないか」

「へいき」

「そうか。また明日な」

「また明日」


 長門は愛想よく手を挙げて帰っていく。表情は無だけど。


「部長氏。データは消してくれました?」

「あ、う、うん。それは消してあるよ。本当だよ。涼宮の言った変な写真っていうのも、み、見てないし……」

「なんですかそれ……」

「み、見てないからわからないけど。あのさ、本当にうちに入る気はないかい? ちょっとだけでも……ほら、初心者がいると教える側に立てて僕らも学びなおせるから……」

「うーん、ハルヒに聞いてみます。あんまり迷惑かけないようにも言っときますね。じゃあ、俺は部室行くんで」

「……俺?」

「? はい」

「君、男なのかい?」

「はい。どこからどう見ても女装してる男です。本当にありがとうございました」

「そんな……この間の方が男装だと思ってた……じゃあ、あれは……僕は……騙されたのか……」


 よくわからんが打ちひしがれながら部長氏は自らの部室に戻っていく。ハルヒになにか吹き込まれたんだろう。可哀相な人だ。

 部室の扉を開くと、団長席に座って湯飲みに口を付けているキョンと目が合う。メイド姿の朝比奈さんが「ヒカリくん、いらっしゃい」と弾ける笑顔で言って、すぐにお茶を入れようとポットに向かう。その後ろ姿を面白くなさそうな顔でキョンが見ていた。


「お前も俺に涼宮のことで何か話があるんじゃないか」

「おや、お前も、と言うからには既にお三方からアプローチを受けているようですね」


 俺は古泉のセリフをなぞるように返しながら、パイプ椅子を引いて座る。


「どこまでご存じですか?」

「なんだそりゃ。お前たち、台本でも作っていたのか?」

「いいや、違うよ。俺は古泉がなにを話したか、本当は知らない。でも、合っているかもしれない。ちょっとしたパフォーマンスだ。そうだな」


 俺は朝比奈さんに会釈をしてお茶を貰い、啜る。あったかい。


「涼宮がただ者ではないってことくらいか。それなら話は簡単です。その通りなのでね。これは何かの冗談なのか? SOS団に揃った三人が三人とも涼宮を人間じゃないみたいなことを言い出すとは。地球温暖化のせいで熱気にあてられてるんじゃねえのか。まずお前の正体から聞こうか。宇宙人と未来人には心当たりがあるから、」

「おい、なぜ俺の考えていたことまで知っている。実はサイコメトラーで、などと言うんじゃないだろうな」

「先に言わないで欲しいな」


 俺は湯飲みを振る。キョンが苦々しい顔をする。


「ちょっと違うような気もするんですが、そうですね、」

「古泉の真似はもういい」

「なんだ。最後までやりたかったのに。まあでも、だいたい合ってたってことか。サイコメトラーかもしれないと思う程度には俺の言葉は古泉とキョンの会話に合致していた。しかし、俺がサイコメトラーというのには多大な語弊がある。そう見えることが事実であっても」

「お前も小難しい話をする気か?」

「いいや、俺の方は単純明快な話だ。あ、因みにサイコメトラーっていうのは造語。本来ならサイコメトリスト、と呼ぶ。そしてサイコメトラーという造語が存在し浸透しているなら、この世界でもサイコメトラーEIJIが連載しているのかな」

「ガキの頃にドラマで見た気がするが、それがなんだ……この世界?」


 キョンの訝し気な顔に、俺は足を組む。お茶を啜って口を湿らせた。朝比奈さんにも詳細は話していないので、俺の口から聞くのと未来から渡された情報とに齟齬がないかを確かめるためか、彼女も席に着く。


「うん、俺は異世界人なんだ。五日前にやってきたばかりの、この世界の人間ではない存在。一応確認したんだけど、2006年現在に使用されていたはずの我が家の固定電話番号は存在していなかった。多分、ここには本当に俺がいないんだね」

「2006年現在っていうのはどういうことだ。お前は朝比奈さんのように未来人なのか?」

「別の世界だから未来だと断じてしまうと問題があるかもしれないが、電子機器の進化や主な世界情勢を調べた限り、そうだね。限りなくここに近い別の世界の2020年から俺はやってきたってことになる」

「それと、古泉と俺の会話を再現して見せたことになんの繋がりがある。この世界の未来でないなら、尚更だ」

「俺はこの世界に起きることの大まかな情報をあらかじめ持ってやってきたんだ。特に、君の思想や発言に俺は詳しい。ただ、俺がいない状態で進行していたこの世界のこと、なんだけど」

「はあ? なんでまた俺なんだ」

「今更だよ。三人からどんな説明を受けたかは知らないが、君はこの世界の鍵なんだ」


 これはちょっと嘘である。でも、さすがに小説の主人公なので知っています、なんて言われるのは精神衛生に良くないだろう。


「ちょっと待て。その話を信じるとしてだ。芦川がいない状態で進行していた場合の世界ってそりゃ、今この世界はお前の知るものとは別物なんじゃないか」

「そうなんだよ、困ったことにね。だから今、俺は君の心を全部読むことはない。そこは安心して。でも、完全に別物というわけでもないんだ。概ねの流れは俺の知っている通りに進んでいるから」

「それをどうやって証明する。さっきのだって、古泉が録音していたかもしれない。俺の考えていることを当てたのはマグレかもしれない」

「全部暗唱しようか? 多分そうすると君は俺のことを今よりもっと気味悪がるだろうけど。そうだな、入学式から五日前まで、大まかに君が考えていたことを言うことは可能かな。全部ここで言ってみせてもいい」

「出来るわけがない。そんなこと、俺だって覚えちゃいないのに」

「出来るよ。諳んじること自体は可能だ。でも、それをずっと喋っていたら帰れなくなっちゃうし、文書にでもまとめてきて後日提出するのがいいかな。それか、確率は下がるけどついさっきのことにしようか。それなら古泉は俺と結託できないだろ。キョンが部室に入った時、朝比奈さんに」

「わかった! ひとまず、信じたということにしよう。ここで、なんでもかんでも言われるのは困るからな」

「賢明な判断だと思うよ」


 キョンは考え込むような仕草をする。真面目なところ悪いが、俺はそのシリアスな顔にときめいたりしている。別にいいよな。勝手に思っている分には。


「話をつづけるね。俺はハルヒのスペアみたいなものらしい。あ、この単語言ったの古泉に内緒。怒るから。で、俺にはハルヒを補佐したり止めたりする力があるらしい」

「止めるだけにしろよ」

「努力はしてるよ。でも、俺はハルヒの願望を後押しする力がある。具体的に言うと、ハルヒがあんなに一生懸命探しているなら、オーパーツくらい見つかってもいいんじゃないかなあ、って俺が思ってしまった結果があれ」


 俺は部室の隅に配置されたオブジェを指差す。淡く青く光っているように見える、ウニ型物体。


「眉唾ものだな」

「俺もそう思う。実は俺も自分で自分の能力が把握できていなくてさ。異世界人の異能力ってやつを。いくつかはキョンも見たと思うけど」

「ボウリングの結果をスイスイ操作してみせたようなやつか?」

「スイスイなんて気軽なもんじゃないけどね。古泉に比べたら今ここで見せてあげることが可能な能力だ。そうだな。キョン、紙飛行機を折って窓の外に飛ばしてくれないか?」


 面倒そうにキョンが紙飛行機を折る。おいその折り方スカイキングじゃねえか。記録に挑戦する気か? 窓の外には人はいない。誰かは見ているかもしれないが、多分ボールよりこのほうがわかりやすい。動いているものにしか作用しない力ってことは、動いていれば劇的な変化を見せられる筈だ。


「いくぞ」


 キョンが飛ばしたのは幸いにも滞空型の紙飛行機だ。飛ばすのうまいな。くっ、そんなところも好きだ。いかん、集中せねば。上空に向かって行った飛行機を視界に収め、念じる。こっちだ、こっちに戻って来い。


「……嘘だろ。おい、おいおい、なんだそれは」

「え、す、すごい……! こ、こんなことができるなんて」


 紙飛行機は突如軌道を変え、部室の中に入って来ようとする。誘導の命令ををオフにすると、今度はその命令で起きた事象がなかったことになろうと、飛行機が元あった場所に戻ろうと逆再生しだした。通常動くはずのない方向に動いたせいで、空中を不可思議な軌道で元の位置に戻っていく紙飛行機はなかなかに不気味だ。

 そこから補正をかけて、横から押してやるように綺麗に回転をかけ、その推進力を維持したまま、うえ、頭いてえ! 維持したまま、誘導も再度オン。今一気に三つ使ってるのか、ああ、こういう感じか。ぶっつけでやるなって感じだが。

 紙飛行機は緩やかに部室に舞い戻ってきて、ここで、固定。やはり、できた。


「は、ま、マジか……」

「……ひえ、な、なんで……?」


 部室の中に戻ってきた紙飛行機は、空中で停止している。停止をさせている間はずっと気を張っていなければならない。そして、ここでエンドのコマンド。終わらせることを意識しないと、また元の軌道に戻ろうとしてしまう。エンターキーを叩くように命令を終わらせると、かさ、と音を立てて紙飛行機は机の上に落ちた。

 深呼吸をする。時間が短かったからか、そんなに具合も悪くならない。めちゃくちゃ寒気はしたけど。慌てて俺は朝比奈さんの入れてくれたお茶を啜る。まだあったかい。ほっと一息をつく。


「お前、今までで一番本物っぽいな」

「……まあ、他のみんなは……もっとすごい分、こういうのを見せるにはタイミングがあるから。俺はさ、逆に先に見せておかないと……ちょっとチープでね……費用対効果が見込めないって、いうかさ……」

「だからボウリングの後も体調が悪そうだったのか」

「で、俺は……」

「いいから少し休め」

「良かったらおしぼり使ってください。お水で絞ったので、冷たいです」


 朝比奈さんにおでこのおしぼりを乗せられる。あー。これいいかも。冷えピタ買って帰ろうかな。


「きもちー。そんで、俺は今見せたような力を使って、朝比奈さんや長門や古泉に協力してるんだ。未来が変わらないように。ハルヒが起こした問題を解消するために。そして、ハルヒの機嫌を取るために? みたいな」

「……お前はそのためだけに派遣されたのか? 使い方がわからない部分もあるってことは、元々は異能なんざ持ってなかったんだろ?」

「うん、普通の敏腕フリーター。芦川ヒカリ成人済みだよ」

「年上だったのか」

「でも、こっちにきて肌とか良い感じだし、体力も蘇ってるんだよね。多分身体も若返ってるから、なんとも言えないなあ」

「めちゃくちゃだな。そこまでしてあいつに仕えなきゃいけいないのか」

「俺もね。ずっと来たかったんだよ。だからハルヒに呼び出してもらって嬉しかった。心配してもらわなくても平気」

「馬鹿を言うな。心配するだろ。何度か具合悪そうにしたり、鬼気迫った顔をしているのをこっちは見ているんだ」


 キョンくんの顔が本当に俺を心配してくれていることがわかって、胸が痛む。でも、本当に俺が願ったポジションなんだよ、これはさ。


「優しいね。別に引いてもいいのに」

「それ、お前勘違いしてるぞ。谷口や国木田に言われて、ようやくお前がなんで傷ついたような顔をしていたのかがわかった。訂正しようにも避けやがるし」

「勘違い?」

「俺が引いたって言ったのは……その、ええい。笑うなよ。その恰好が普通すぎるからだよ。お前が、俺には時々マジで女に見える。女装する前からだ。涼宮のやつが男装だっつったのも、最初そうじゃないかと俺も思ってたんだ」


 俺は思わずおしぼりを顔から退かす。


「谷口のアホが言うように、どうみても美少女だ。涼宮や長門や、朝比奈さんとの違いが俺にはわからん。それもなにかの異能で幻覚を見せているんだと言われたら、今となっては納得する。どうなんだ。お前は、俺たちに幻覚を見せているのか?」

「何言ってんだよ。俺は男だよ。間違いなく。転校初日に見たろ? だから話はこれで全部終わった。これから、きっとキョンにも一緒になって奔走してもらうことがあると思う。古泉ともどもよろしくな」

「嫌な予告をするな」


 びっくりしたー! バレるかと思った。そうなのだ。これから、俺はキョンと協力することが増えていく。ハルヒ以外のメンバーで暗躍することが日常になっていく。その中で、俺が女だとバレたらその内この気持ちもキョンにバレてしまうかもしれない。だから、墓まで持っていくつもりなのだ。

 俺はセーラー服のリボンを解く。これでSOS団は全員身バレ完了だ。今日の任務は終了。さっさと元の制服に着替えて、帰ってアニメを見よう。今日は女児向け魔法少女アニメを一気見するぞ。と、急に朝比奈さんが抱き着いてきた。


「だ、ダメです! キョンくん、出て行ってください!」

「いきなりキョンをハブにするとは何事ですか」

「あ、ああ! な、なんで言いながら脱いでるんですかっ! ダメです! キョンくんはやく!」

「おい芦川、朝比奈さんはどうしたんだ」

「俺の素肌を独り占めしたいのかな」

「何言ってやがる」

「なに言ってるんですか! 芦川さんは元の世界では女の子だったんだから、男の子の前で着替えちゃ、ダメにゃんです!」


 噛んだ。

 噛んだしバラした。


「……朝比奈にゃん」


 俺も噛んだ。動揺がヤバイ。


「はい?」

「俺、それ内緒にしようと思ってたんですよ。キョンにも。古泉にも言ってなくて」

「えええええ! じゃ、じゃあ今までどうしてたんですか!」

「……そういや、お前隠れて着替えてたな」

「ええええええ! そうだったんですか! ごめんなさい、ごめんね! わ、わたし……!」

「ていうか……す、すまん! 外出てる!」


 キョンは慌てて部室の外に出て行った。俺は朝比奈さんのほっぺを引っ張って伸ばした。どうすっかなー、これ。

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