芦川ヒカリの憂鬱Ⅲ 2


 俺は久々に起床と共に天井を見た。近頃は古泉の面ばかり見ていた気がする。


 起き上がってミネラルウォーターを飲むと、冷えた頭が記憶を並べ始めた。まだこちらに来て五日。五日中、古泉の整った顔から始まる朝は二回しか経験していないはずだ。一回は長門だった。それなのにモーニングルーティーンみたいな気分になるのは何故だろうか。そしてそれは同時に五日中二日、古泉とうまく行かなくて悩んだまま朝を迎えたことになる。頻度が高い。

 いやしかし、俺だって古泉の顔色ばかり窺ってもいられない。俺と不仲説が出れば困るのは古泉の方だ。そう頑固な男でもないだろう。謝ってくるに違いない。と、思っていたにも関わらず顔を見せないということは、そういうことだろうか。

 よろしい、ならば戦争だ。徹底抗戦のゴングが響き渡る。


「あークソ、弁当二つ作ってしまった……」


 これが慣れというものの怖さである。毎日毎日おいしかったですと返ってくる空の弁当箱。しかもちゃんと自分で洗うんだ、あいつ。そんなことに気を良くして、すっかり俺の頭はおかしくされてしまった。

 古泉は以前俺を尽くすタイプだと言ったが、本当は違う。死ぬほど甘やかされて育った俺は人に世話してもらう経験の方が多かった。実際、マジでゲームから手を離したくない時なんかは兄が俺の口にせっせとお菓子を運ぶことがあって、その話をネットの友人にどん引きされるまで、俺は兄妹というのはそういうものだと信じ込んでいた。

 そんな完全妹体質な俺が、どうして古泉のお弁当を作ってやらねばならないのだろうか。あいつ執事キャラっぽいし、古泉が高級弁当みたいなのを毎日手配すべきなのではないだろうか。多分、そう言ったら古泉は用意するんだろうな。そういうところなんだよ。まあ、持っていけば誰か食べるだろう。と鞄にしまう。

 朝ごはんまで作ってやる義理はないよな。いや、でも高校生男子が朝ごはんを食べないで登校して熱中症にでもなったらどうするんだ? ホットサンドくらいは作っておいてやるか。キャラ的にも捨てたりはしないだろう。


「何をやっているんだ俺は! 戦はどうした!」


 かわいいラッピングなどしている場合か。だいたい、古泉が悪いんだ。俺が寝ている間に起こさないで閉鎖空間に行くなんて、とんだ裏切りじゃないか。なんでも相談してくれって言ったばかりなのに。

 一緒に映画見ようね、起こしてねって言ったけど。それ以外起こすななんて言ってない。まあ、爆睡してた俺も悪いとは思うよ。協力者の指示のこともあって、気を遣ったんだろうよ。でも、それで古泉は──。


 古泉は、怪我をして帰ってきたのだ。


 目が覚めた時、腕をハンカチで抑えている古泉を見て息が止まるかと思った。幸い見た目ほど深く切れてはいなかったけど、閉鎖空間で怪我をするなんて俺は知らなかった。痛そうだった。ハンカチは一部赤く染まっていた。

 古泉は自分たちの過失だと言ったが、そういう問題じゃない。自分たちってことは、怪我をしたのも一人じゃないんだろう。

 いつも一緒だったじゃないか。この四日間、ずっと。それが、寝ている間にこんなことになるなんて。どうして俺を起こさなかったんだよって言いたくもなる。しかし、古泉はこう返した。


「ここ数日、連日発生する閉鎖空間。おそらくあなたが毎回同行しているのは、あなたの知る未来と違うことが起きているからだと僕は考えています。朝比奈みくると協定を結んでいるあなたですから、被害を最小限に抑えるために行動する必要があるのでしょう。ですが、その何日かで我々機関でも様々な意見が交錯しているんです。あなたの所在を巡って。中には強硬的な姿勢を見せる派閥も存在しているんですよ。まるであなたを涼宮ハルヒのバックアップか、スペアのように扱おうと主張する輩が、少なからず。はっきり言って由々しき事態なんですよ。統制が取れていないどころか、まるで事態の全容を把握できていないなんてことはね」


 タクシーは停車している。運転手の新川さんは、まるでこちらの会話が聞こえていないような態度で、じっとフロントガラスを見つめていた。多分、これが彼なりの古泉への誠意なのだろう。なにせ、古泉のそれは同輩に対する言葉ではないからだ。

 機関の強硬派にはハルヒの頭を開頭して調査すべきだなんて意見もあるらしい。神の解体とは恐れ多い思想だが、確かにこの世のどこにも存在しない俺でそれをするなら、いくらかハードルは下がるのだろう。それに対して古泉は懐疑的なのだ。


「そこまで予想が着いているなら言うが、俺が死ぬとか隔離されるとかはなしの方向でいたい。いないと困ると未来側が発言した以上、俺がここにいることは既に決定された未来であるはずだ。長門の発言からもそう感じる。協力者とやらが能力を伸ばそうとしていることからも」

「安心してください。総意としては、あなたは保護対象です。監視対象でもありますが。そもそも涼宮ハルヒがそれを許すとは思えません。あなたに対して傷一つでも付ければ、どうなることやら。それに、僕たちはあなたのおかげでだいぶスムーズに神人に対応できるようになっているんです。大半の構成員にとって、あなたは機関への貢献者ですよ。ですが、今回それによる弱点も露呈した。このままでは内部分裂もありえますし、能力者の弱体化も懸念されています。助力はありがたいんです。ですが、閉鎖空間内であなたに活躍されすぎるのも困るんです、我々としては。強硬派には、自分たちの特異性が侵されることを危惧している人間もいるんです」


 俺つえの弊害、とでも言おうか。チーターは嫌われる。当然の話だ。たしかに傍から見れば俺はいきなりやってきて、いきなり特殊能力と元の世界の知識で無双している余計な存在なんだろう。

 もしもこれが小説になっていて、ハルヒシリーズのファンが読めば同じことを思うに違いない。いらないやつが入って話をつまらなくしている、ってさ。そこは認めるよ。ハルヒが許したって、どこまでいっても俺は部外者だ。

 でも、古泉のやつには反論したいことがある。


「それを言うならお前が怪我をすることが一番ダメだ。お前はわざわざハルヒの一番近くに送り込まれたエージェントだろ。あいつは目敏いぞ」

「上腕部で助かりました。幸い、シャツで隠れますから」


 そういうことを言っているんじゃない。どうして怪我なんかしたんだ。それこそ、俺の知る原作では──。原作、原作か。なるほど、そもそも異世界人が参入するなんて二次創作だ。二次創作であり得そうなことを潰して元の話の流れに戻すのが俺の役割(本当にそうか?)なら、古泉が怪我をするイベントがあってもおかしくはない。ならそれを防げなかったのはやはり俺の過失だ。

 実際、おまけコミックスを公式と呼ぶなら、古泉が閉鎖空間内で命の危険に晒される描写も、存在はしている。古泉が俺を呼ばなかったのには、理由があるのだろう。


「古泉は末端だから知らないと言うが、お前の認識としては機関の構成員は同格なんだよな? お前に発言権とか、傷病手当とか病欠の権利はないのか」

「同格ですよ。でもさすがに全構成員に周知されない詳細は、現実として多いですね。とはいえ、誰かの意見だけが重視されることもありませんし、逆に言えば一介の末端でも発言力はあります。構成員に比べれば能力者は手が足りていませんから、僕が重宝されているということも否定はしません」

「……その発言の真意は測りかねる。お前は今、俺が尋ねそうなことを先回りした」


 お前が機関をコントロールしているんじゃないのか、と俺は聞こうとした。別に、他人の言うことを鵜呑みにするつもりはないけど、別組織から見たら、古泉が機関のリーダーとして振舞っているという意見もある。


「でも、悩んでいるということは事実を全て知っているわけではないですよね? だったら、そういうことにしておいてはもらえませんか」


 古泉は、機関の中で発言権がある。それ自体は認めた。こいつは謎が多いけど、俺と話していることが全部打算のうちだなんて思っていない。


「……俺が来たせいで閉鎖空間の発生が頻発している可能性が最も高い。なら、むしろ酷使されるべきは俺であるはずだ。そのことに誰も気づいてないとは言わせない」


 古泉は眉をひそめた。新川さんもわかりやすく窓の外を見ている。


「今の発言は聞かなかったということで」


 やはりそう主張する派閥もあるのだろう。


「そもそも、機関ではあなたが閉鎖空間に入り力を行使することを強制してはいないんです。我々にあなたを拘束する権利はありませんし、なにより涼宮ハルヒが望まない。あなたをどうこうするなんて、そんなことは不可能なんです。それに、これはこれで重大な事実に気づけたんですよ。僕たちは閉鎖空間での連日の戦闘に慣れていません。もともと、そう頻度の高いものではない。ここしばらくは安定していましたしね。そして、わかったことなんですが。僕たち前線の能力者は、近頃かなりあなたの能力に依存していたんです。それも無自覚のうちに。閉鎖空間拡大のスピードが速く感じて、実際に僕自身ずいぶん驚きました。以前と変わっていないはずなんですよ。それなのに、あなたが補助してくれることが当たり前になっていたんです。これは危険なことですよ。協議の結果、次の閉鎖空間が発生した際には機関の構成員のみで対処することが決定しました」

「話なげえよ。心配したって言ってんのにさ。それに、次も俺は行かなくていいってことかよ。なんだよそれ」

「言いましたよね。我々の中には、あなたの能力をもっと詳しく検証し利用すべきだという派閥も存在しています。これ以上の負荷をかけることも構わない、あなたがどうなっても……という意見がたしかにあるんです。この主張には短絡的で客観性を欠いていると言わざるを得ない。あなたは涼宮ハルヒに最も選ばれた存在です。考えれば、この状況において芦川ヒカリを軽視すべきではないことは誰の目にも明らかです。ただ、あなたがいつでも閉鎖空間に来られるとは限らない。我々のそもそもの対応力を底上げすべきだ、というのが現在の基本的な機関の見解でしょうか」

「俺はいつでも行く。だから一人で行くなよ」

「いいえ、どうかそう断言しないでください。例えば、涼宮ハルヒがあなたと会話している間に閉鎖空間が発生したとします。あなたが急にその場から離れることを、彼女は許さないでしょうね。これから、あなた抜きで機関が閉鎖空間に赴くことが何度もあるでしょう。この頻度は異常です。現状のままでは機関の能力者が立ちまわれなくなってしまう」

「そんなの、古泉がいなくなっても同じだろ」

「同じじゃありません。涼宮さんは、明確にあなたを特別扱いしているんです。あなたの能力が彼女と密接に関係していることもそうですが、なによりあなたは別の世界から来ている。別の世界から人間が一人連れて来られる──これは簡単なことではありませんよ。あなたは彼女のお気に入りなんです。それに、今はあなた自身もそのことには納得している。違いますか?」


 確かに、作中古泉が離席することにハルヒは違和感を抱いていないこともある。でも、そうじゃない。もう、さっきから全然話にならない。


「そうだとしてもだ。お前は、全然わかってない。お前が怪我したってハルヒは悲しむ。閉鎖空間でそんなことが起きたら、あいつの精神に直結する。だからこそ訓練する必要があるってお前は思うかもしれない。そうかもな。でも、お前と俺がコンビだと決めたのだってハルヒだ。あいつがそう望んだ。俺も、お前もそれでいいって決めてるじゃないか。楽しいって言ったのに、お前がそう言ったのに、なのにお前は俺を置いていったんだ。そんなの全然ダメだ。俺はお前の話が聞きたいのに、機関、機関って。こんなの、これじゃあコンビ解消だ!」


 そうして、今に至る。

 わかってるよ。大人気ない。途中から怒ってしまって自分でも何を言っているかよくわからなかったし。

 古泉は機関の代表として発言していた。それもわかってる。けど怪我って。それこそ逸脱事項じゃないか。だって、俺が閉鎖空間に行かなければ機関はそんな気の緩みも出なかった。もっと言えば、協力者が指示をしなければよかった。誰なんだよそいつは。そんなやつのせいで、古泉が怪我してるなんておかしいよ。

 思い返してまた悲しくなってきた。古泉は俺を守ろうとしてくれているんだろう。でも、俺だって古泉を守りたいってことが、あいつは全然わかってない。置いていかれたら拗ねたくもなる。

 だいたい、閉鎖空間内での怪我ってどうなるんだろう。そんなものを医者はちゃんと見れるのか? すぐ治るのかな。それとも、ずっと跡が残ったりするんだろうか。もしくは、特殊な状況の怪我だから血が止まらなかったりとか、変な菌が入って化膿したりとか、しないのかな。

 俺は身支度をして靴をひっかけると隣の部屋の前に立つ。こんこん、と軽く扉を叩いても返事はない。コンビ解消って言っちゃったしな。先に行っちゃったかもしれない。もしくは、まだ病院にいたりするのかも。いてもたってもいられなくなって、俺は電話をかけてみる。どうしよう、この着信に機関の知らない人とかが出たら。

 クラシックのメロディが古泉の部屋の中から鳴っている。なんだっけこれ。エルガーの愛の挨拶か。あいつ着信音とか設定していたんだ。鳴り続ける音に、次第に不安になってくる。倒れてたりしないよな?

 と、受話された。


「う……あ……あさ」


 寝起きだこいつ。聞いたことのない低いざらついた声を残してぷつ、と電話が切れると、どたどたと足音。なにかを落とす音や大きなものが倒れる音に「いたっ」などとらしくない声が聞こえる。必死に隠しておきたいらしいが、いやバレてんじゃん。てか聞こえてんじゃん、それ。


「……ああ……まって、まだ……したくがまだだ……すぐ。しょうしょう○%×$☆♭#▲※~」


 寝起きはこんなにも声が低いのか。古泉一樹よ。あともにゃもにゃ言ってて何言ってるかわからん。


「いいのか。廊下でナンパされたら責任取ってもらうぞ」

「でも……」

「きゃー」

「もう……入っててください」


 扉が開くと、髪の毛はぼさぼさ、まだ目が開ききっていない、今にもまた眠ってしまいそうな古泉が姿を見せる。パジャマのボタンは掛け違えているし、変な寝方をしていたのか、頬に布地の跡がついている。背中は丸くて、身長が縮んだのかと思う。言葉もぼんやりしている。瞼を擦って揺れている。こいつ、俺が思ってた何倍も朝弱いのか。

 しかし、転んだ古泉を見られなかったのは悔しいな。心のおもしろ古泉フォルダの中で確実に一位になる光景だっただろうに。まあ十分この光景もレア古泉だ。見たところ、腕を庇うような動作はない。


「あー……すみません。あの、いま、散らかして……あまり、こんな……見せたくなかったな……」

「いいから。支度しないと遅刻するぞ」

「でも……その前に昨日のこと……」

「いいって。とりあえず早く支度」


 はい、と欠伸を隠して古泉はふらふらと寝室に向かっていく。そっちじゃねえよ。二度寝するな。なんとか古泉の背を押してクローゼットに誘導する。古泉が目を閉じたまま制服を取り出している間にワイシャツを横に並べてやると「あ、ありがとう」と、なんとタメ口で言われた。

 う、うわあ、なんだこいつ。無防備にもほどがある。変なメーターが爆速であがった。とりあえず写真を撮った。

 のろのろとボタンを外していた古泉がパジャマの上着を躊躇いなく脱いだので、俺は慌てて退散した。ぱっと見た感じ腕に怪我の跡は残っていないようだったが、う、それを思い返そうとすると古泉の上半身まで一緒に記憶に刻まれそうになる。カットカット。

 朝食の用意を済ませながらコーヒーメーカーをセットし、洗面台から古泉ヘアスタイル一式を取って戻る。ドア越しに声を掛けておこう。


「古泉、スタイリング剤とか用意した。終わったらこっち来い。朝食もあたためる」

「あ、はーい」


 ぐああ。なんだその間の抜けた返事は。さっきからなんかしらんダメージが入る。

 古泉は制服を着てリビングに戻ってくると、冷蔵庫から出しておいた水をごくごく飲んで、大人しく椅子に座る。ぼさぼさの髪は、スタイリングミストを拭きかけながら櫛で梳かして、いつもの爽やかな古泉を作り上げていく。


「古泉、コーヒー今ドリップしてる。あとホットサンドも食べて」

「…………すう」

「寝るな!」

「寝てないです。大丈夫……」


 髪型も決まって次第に覚醒してきたらしい古泉は、ホットサンドをもたもた口に運びながらコーヒーで流し込む。食べ終えると、とろんとした目のまま、ぽつぽつと喋り出した。まだ、敬語がぎこちない。


「神人って、ヒカリくん、誘導してるじゃないですか。あれ、小さいのもいるんです」


 古泉にしては要領を得ない説明である。そして、懸念していた通りの情報が古泉の口からでてきた。やっぱり、コミックスのおまけ漫画まで、俺がいる以上仕方ない世界の改変──その揺れ幅としてカウントされるのか。ギャグ漫画である「ハルヒちゃん」は発行年がアニメの一年後。やはり小説でもアニメでもない、ここはそういう改変の起きた世界だ。どうして、そんな設定が追加されているんだろう。


「その、小さいのって。最近よく出るようになったのか?」

「いいえ、三年前に何度か。さいきんは、あまりでていないんですけど」


 そんな前から? こんな状況で守る規定って、いったいなんなんだよ。


「それって、機関の能力者を襲ったりして。危ないんですよ。だってヒカリくんは攻撃とかできないじゃないですか」

「うん、まあ。そうだな。それは俺も認める」


 昨日家に帰って検証してみたが、誘導とか固定とか維持とか、すべて「既に動いているもの」に対して行うのがセオリーみたいだった。

 俺はテーブルに置いた紙を動かすというだけのことに、相当な時間と体力を消費したのだ。その日食ったもの全部吐いたし、動いた紙はなぜか自動で元の位置に戻った。まるで超能力で動いた物体など存在しなかったように。正直、これなら手で持った方が早い。

 ただ、神人やなにか素手で動かしたらまずいものを動かせるなら、やってみるのもありかと思って挑戦した。だが、やはり割に合うとは思えない。集中している間の俺はものすごく無防備だ。並列して、まあ歩いたり、ぎりぎり会話くらいは出来るが、反射神経は鈍っていると思う。


「閉鎖空間にはいって、もしその神人だったら、危ないじゃないですか。ヒカリくん、能力を使ってたら動けないし……それがもし、昨日だったら怪我をしていたのは君だった。今日はそうかもしれない、もしも明日だったら、それが……今は怖いんです。僕は……君になにかあったらすごく嫌だから……演技なんてできなくなって、大声をあげて怒るかもしれない……」

「そ、そうか……」


 小泉は押し黙る。そうして、少し大げさに咳ばらいをした。


「ああ、でも、そのことであなたに疑心を抱かれても困るんです。涼宮さんの監視に影響が出るのもそうですが、あなたの言うように僕たちは既にセットとして周囲に認識されています。そして互いにそれを了承している。お察しの通り。僕はあなたに好意的ですし」

「お察しの通りとは」


 話している内に次第に頭が冴えてきたらしい古泉が、いつもの態度に戻っていく。もう少しだけ「らしくない」古泉を見ていたかった気もするが、あれはあれで妙に落ち着かない。君、だとか、嫌、だとかはっきり口にされるのもさ。でも、気持ちが籠っていたのはわかる。正直ぐっときた。

 でもまあ、怒ってる古泉なんて見たくないもんだね。平穏無事が一番だ。


「……僕さっき寝ぼけてましたよね」

「写真も撮ったぞ」

「消してください」

「断る」


 ああ、もう、と古泉が溜息を吐く。


「ちょっと忘れてもらったりは可能ですか?」

「できないけど、知らなかったフリは一応してもいい」

「ありがとうございます」

「……でも、怪我は心配した」

「ああ。そうですね。心配をおかけしてすみません。これをなにより先に言うべきでした。あなたは心配性ですから。もうすっかりなんともありませんよ」

「じゃあ次の一回だけ同行しない。その後は出来るだけ一緒がいい。お前が俺を心配してるのと同じで、俺だってそうだ」

「おや、涼宮さんのいないところでは二人でいる必要がないと言い出したのは、あなただったと記憶していますが」

「自分の意思で、俺を気に入って傍にいるんだと言ったのはお前だ」


 古泉の目をじっと見返す。お前が言い出したんだ。今更、勝手に離れていくな。


「……こういった議論ではあなたに分がありますね」

「よく言うよ。難しい言葉を使って長々と説明して、ちょっと怖がらせれば一発で俺が怯むってわかってるくせに」

「でも、そうするとあなたと映画を見る機会を一度失うんです。肝に銘じておきますよ。あなたが……僕を選んで一緒にいてくれる時間を、出来る限り大切にしたい。ギクシャクしたくはないですね。心配も、かけたいわけではありませんし」

「好意的だからか」

「ええ、そうです」

「なんだよ好意的って。回りくどい奴だな」


 横に座ってホットサンドを食べていると、古泉は難問にぶち当たったような顔をして、それから吹き出すように笑った。あ~わかるぞ。それちょっと人を馬鹿にしてる時の笑いだな。


「いいんですか?」

「なにがだよ」

「あなたはもっと、ムードを重視するかと思っていたんですが」

「だから、なんなんだよ。さっきから」

「好きです」


 俺はコーヒーを盛大に噴き出した。冷静にタオルで拭き、もう一度コーヒーを口に含む。


「僕はあなたが好きです」


 もう一度噴き出した。

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