芦川ヒカリの憂鬱Ⅱ 4


 駅前に戻ると、古泉が狙いすましたようにこちらに手を振る。朝比奈さんはどこかぎこちない笑みでお辞儀した。古泉のことだから、さっきの集合を踏まえて逆算して待っていたというところだろう。

 この三時間、あの二人がなにをしていたのかは気になるところである。俺の知ることが出来ない状況下で、おそらく本筋とは関係ないことをしていたのだろうから。

 本来ならば二回目の探索ではハルヒに振り回されていた二人は、俺とハルヒがペアになったことでそれを免除されている。その上、古泉と朝比奈さんは二人きりで行動するイメージが全然ない。何を話すんだろう、と思う。古泉が回りくどくて小難しい話をして、困惑した朝比奈さんがふわふわとした相槌を打つ様なら想像できる。いや、もしかすると普通にデートしていた可能性もある。興味あるな。どこからどう見てもお似合いだもんな。


 朝比奈さんが原作でキョンに「男の子と二人で出歩いた経験がない」と言っていたことを俺は知っている。初対面で古泉に手を取られた時も赤面していたし、多分慣れていないんだろう。

 未来では男女が二人きりになるなんてとんでもない、という文化があるのだろうか。それとも、お役目のためにそんなことをしている暇などなかったのだろうか。朝比奈さん、今日は少しくらいデート気分を楽しめているといいな。

 まあ、それを言うと古泉も全然そういうのはなさそうだ。機関だのハルヒのお守りだのを抜きにして、女の子と二人で歩く経験。超能力が突然生まれてからのこいつはどんな風に暮らしてきたんだろう。朝比奈さんとデートして、いい息抜きになったかな。

 いや待て。どうだろう。古泉のやつ、どうも縄張り意識の強い猫みたいなところがあるから、誰にも気を許していない可能性もある。せっかくだから遊べばいいのにね。あらゆるところにアンテナを張りすぎて、そのうち倒れんじゃないか、こいつ。


「なによ、もう来てたの? ちゃんと調べたんでしょうね」

「ええ。なかなかに面白かったですよ。残念ながら収穫はありませんでしたが」


 古泉は(うわ、表なんか作ってやがる)俺の上を行く見やすいチェックリストを広げて、そこに並んだ戦績を発表する。あーあ、見事なバツ印の嵐。

 まあ当然だろう。古泉たちとてミステリーサークルや吸血鬼やらを本気で見つける気はない。どうか見つからないでくれと祈っていた可能性すらある。自分のいないところで摩訶不思議なものを発見されてもハルヒは怒るだろうし、そういう時の対処に負われるのはだいたい宇宙側か機関である。


「こっちは一応あったわ」

「ひぇ……な、なにか見つかったんですか……?」


 朝比奈さんがこちらを見て青ざめている。俺は身振りでどうどう、と落ち着かせて辺りを見回した。キョンの姿はない。規定通りに居眠りして怒鳴られるパターンだな。長門にあの奇怪な置物を見せて材質とか聞いておきたかったんだけど後でになりそうだ。

 もしもハルヒが満足してしまってこのまま解散になったら、俺はすこぶる困る。人体に害のあるものをハルヒが欲しがるとは思わないが、それでもあれがどんなものなのか知らないときっと今夜眠れない。

 なんとか二人を待つ流れにしたいな。


「キョンくんたちはまだなんですね」

「気にすることないわみくるちゃん。どうせサボってるのよ」

「じゃあキョンの奢りってことで、どっかに入って待とう」

「戻りがけにタルトがおいしそうなお店がありましたね」

「あ、はい。すごくかわいくて、フルーツもたくさんでした。芦川さん、好きかも」

「ふーん。じゃあそこへいきましょう」


 つかつかと歩くハルヒが電話でキョンを怒鳴りつけているのを聞きながら、俺は肩を竦める。あっちはあっちでこれから置物と化した長門のために図書カードを作るんだろうから、多分二回目以降の着信は無視される。怒り心頭のハルヒを宥める準備をしなくては。

 しかし、俺の心配を他所にハルヒは意外にも機嫌がいい。キョンに対しての愚痴が延々と続いているが、どうもそういう「ポーズ」に見える。目の前の面白い石に気が散っている結果だろうか。でも、キョンへの感情と相殺できるほどの代物か? これはこれで、言っちゃなんだが不気味だ。


「なにが見つかったんです?」

「近い」

「内緒話には適切な距離だと思いますよ」

「にしても近い」


 少し遅れて歩き出す俺に古泉が近づいてきた。相変わらず距離感に深刻なエラーが発生している。待てよ、そもそもこいつは内緒話をしたいからこの距離なのか。そう考えると、普段から距離が近いのも機関や他勢力の盗聴や監視を警戒してのものだったり……いや多分関係ないな。

 と、古泉の苦笑の向こう側でそわついていた朝比奈さんが、俺が答えないことをどう思ったのか百面相し始めた。怖がらせてすみません。


「見つかったのは置物。樹のウロの中に入ってたんだ。ハルヒが欲しがったマジのオーパーツかもしれないから、長門に聞いてみるつもり」

「なるほど」


 古泉は胡散臭い笑顔をしている。なんとなく、こういう時こいつはむむって顔をすると思っていたので意外だ。


「キョンたちといた時に幽霊みたいなのにも会ったし」

「大丈夫ですか?」

「ん? かなり変な形の置物でちょっとびびったけど。ハルヒには一応、妙なものじゃないとは思わせてある」

「そうではなく、幽霊。お嫌いですよね」


 驚いて古泉を見る。そんな話をしただろうか? 俺ってもしかしてリアクションがすごくわかりやすいのかな。未来のことを知っている俺が一を聞いて十を知る古泉と行動してるって……ポジション的に困るぞ、それ。


「あ、ああ……大丈夫。兄の見た目のやつが現れてさ。それも長門に聞いてみるつもりだ。ていうかごめん。流れで元の世界の兄の話しちゃった」

「お兄さんがいらしたんですね。まあ、それに関しては、ニカラグア……でしたか。彼もそこにいるということにしましょう」

「わたしも、その発言が禁則に関わるようなことではないと思います。で、でもその……幽霊、なんです、か……?」

「まさかその幽霊に従って神社に? 随分と仲の良いご兄妹なんですね。無条件でいうことを聞いてしまうなんて。出来れば先に相談してほしかった」


 古泉の激詰めは相変わらず厳しい。そして想像通りの指摘をくらった。にこにこした腹黒キャラ、なんてテンプレではないはずだが。まあ、世界をどうにかしてしまうような女の付き人なのだ。目を光らせていなければならないんだろう。

 ていうか幽霊幽霊って連呼しないでくれないかな。兄は死んでないし。死んで……ないよな? 俺がいない間に元の世界の時間がものすごく進んでいたり、俺が家族の顔を思い出せないように向こうも俺を忘れていたり。知らない間に家族や友人になにかあったり……ちょっと不安になってくる。

 ん? いま、古泉なんて言った?


「おや。ヒカリくん、なにか気になることが?」

「あ、ああ……いや、ごめん古泉。でも、神社には行かないといけないって思った。あいつ──兄貴みたいなやつ。俺の安全装置みたいなものだって言ってし。いや、鵜呑みにしたのは悪いと思うけど。なんとなくハルヒと二人じゃないとダメだって思って」

「その置物が突飛な出自のものでないことを祈りましょう。あれだけ喜んでいるんです。涼宮さんから取り上げるのは難しそうですから。それに関しては不問ということで」


 ナンパの件は許してないってことですか。それもさあ、嫉妬してるフリなのかなんなのかよくわかんないんだよなあ。下手したらこいつ、ハルヒより数倍難解なやつなんじゃないだろうか。

 あとでちゃんと長門パワーに頼るつもりだったって弁解しないとな。朝比奈さんがハルヒに呼ばれてべたべたとくっつかれているのを見ながら、俺は古泉に声をかける。

 こっちも聞いておきたいことがある。なんで置物のことだけ不問なんですかねえ。


「お前、俺たちが神社に行ったことをなんで知ってるんだ? 監視のために尾行させたのか? それとも噂をばら撒いた時点から俺の行動を誘導してたのか?」

「……参ったな」


 古泉は笑みを崩す。顎に手を当て、口を真横に引いた。あ、これマジで困ってるな多分。


「全てお察しの通りです。そして、おそらく僕たち機関は今、全員が後悔しています」

「噂をばら撒いたはいいが、ハルヒがオーパーツを生み出すとまでは思わなかった? 機関が随分浅はかだな」

「いえ、あれは機関の方で置いたんです。近頃は涼宮ハルヒの精神が安定しないものですから。突貫的処置でした。ただのガラクタをその辺で買ってきたつもりだったんです」

「うーわ。言っとくが70%くらいの確率で本物だぞ。とんだやらかしだな」

「困りました。さきほどから冷や汗が止まりません」

「うははは、ちょっと面白いなそれ。見せてくれ」


 古泉の襟足を捲るとまじで汗だくだった。俺は爆笑した。


「意外にも余裕ですね。一緒にシリアスになって欲しいのですが」


 俺は「ごめんごめん」と謝りながら古泉にタオルを差し出す。二個持ってきておいて良かった。一個ハルヒに取られたからな。


「まあ、やっちゃったものはしょうがない。みんなで力を合わせてどうにかしよう。要は、ハルヒが偽物だと思えばいいんだ」

「簡単に仰いますね」


 言ってくれるぜ、的なニュアンスを感じ取った。やー、でもお前の失敗はたしかにちょっと面白いけどさ。


「おいおい、未来人に宇宙人、超能力者と異世界人。そして神様の鍵がいるんだ。その神だって敵対はしてないんだぜ。どうにか出来そうだろ?」

「……あなたはもっと慌てるかと思いましたよ」

「俺だってお前はもっと冷静だと思ってたね」


 俺たちはカフェに入り、各々飲み物を頼む。古泉以外はタルトを頼んで、写真を撮って一口づつ分け合って食べている。もうこいつ、物食うなんてテンションじゃないんだろうな。その古泉が微笑ましげに女子会みたいな会話を見守っていると、キョンと長門がようやく来店。待ってたぞ。長門しか勝たん。

 いますぐ何か言ってやろうと口を大きく開けたハルヒに、俺は慌ててフォークに刺さったイチゴを差し出した。


「んむ、ヒカリ。今あたし喋ろうとしたんだけど」

「店内だから大声は出さないようにな」

「あんた、本気でお兄さんキャラ狙ってんの? 言っとくけど無理よ」

「ええ……無理なの……あ、キョンここ驕りな」

「そうよ。あたしたちはちゃんと見つけたんだからね」


 キョンと長門が着席。二人が紅茶を頼み終えると、ハルヒは咳ばらいをした。

 端から二人の成果など当てにしていなかったらしい。というか、これはあれだな。多分拾ったものを見せびらかしたいんだな。ここからは俺と古泉の腕の見せ所である。腕ってよりは口先だけど。さんざんもったいぶった後、ハルヒが俺から奪ったタオルにくるんだそれをテーブルに置いて、開いた。

 キョンはなんだそれはという顔をしていて、朝比奈さんはびくびくしている。古泉はにこにこと眺める。さっきの暴露を聞いているせいで、古泉が平静を装って微笑んでいる演技のうまさに感心する。それと共にちょっと笑いそうだ。

 で、意外にも長門が視線を外そうとしない。今から俺もシリアスになるとします。こりゃやばい。


「あ、有希ちゃん。興味ある? 詳しそうだもんね、こういうの」

「月の石」

「月って? これ月の石なの?」


 ハルヒが身を乗り出し、俺はすぐさま言葉を挟み込む。長門が冗談なんていうわけない。確実にマジものだ。勘弁してくれ。これ機関のせい? 切腹しちゃうぞ古泉。


「へー。つきのいし。進化しそうな石だな。そういや、月の石ってレプリカが昔めちゃくちゃ出回ったらしいけど」

「アポロ計画やルナ計画ですか。隕石としても月の石は落下しているそうですね」

「流れ星ってこと? じゃあそんな珍しくないのかしら」

「月の石自体、樹木の化石という噂もありますよね」


 ナイスアシスト古泉。お前のその対応力、昇給させてもらった方がいいぞ。二階級特進以外の方法で。


「あー、樹の化石。そういや樹の穴にあったね」

「なんだ。まあ、そうよね。本物なわけないか」

「化石でも十分じゃないか」


 キョンも、ややものめずらしそうにのぞき込む。男の子の浪漫ですからね、化石って。化石をとんてんかんてん掘りたいものですからね、誰しも。この方向でかためていくぞ。全員ついてこい。


「でもさ、化石って平気なの? 中から当時の妙な細菌とか出てきたりしないよな」


 言いつつ、長門をちらっと見る。


「へいき」


 お墨付きが出た。いやしかし、月の石とは。そんなもんが平然とあっていいのか。博物館行きだぜ、普通。初手でこれだとこれからのハードルが上がっていくじゃないか。不思議力がそのうち50000とかになってスカウター壊れるぞ。


「じゃあ、樹の化石を誰かがこういう形に削ったってこと?」


 長門は俺の目を見つめている。ハルヒの問いに答えてもいいのか、ということかもしれない。ありがたいことにこいつは俺の味方だ。心強い。そして、一瞬でも躊躇うなら多分それは言わない方がいい。


 要するに、これは自然にできたものなんだ。長い時間をかけて、月の隕石かなにかが偶然この形に削れていった。もしくは地球の環境によって材質が変化するなり、なにかが付着するなりしてこうなった。

 普通に考えてあり得ない。長い時間と一口に言っても、何百年かかればここまで変な形になってしまうのかという話だ。それが偶然にも露店に売られているまでは、まあ拾って売るやつもいるだろう。

 問題はこの噂話を仕組んだ機関がそれに目をつけて、おもちゃをくれてやるくらいのつもりで隠したものが実は本物だってことだ。しかもハルヒがそれを見つけてしまうなんて、いやはやそこまで出来過ぎな話があるかね。それも、ご丁寧に俺の考えた何語かの単語が浮かび上がるように偶然傷が入っていてさ。そういやあれって何語なんだろう。調べておくべきかもしれないな。


 しかし、こんな世迷言を現実にしてしまうのがハルヒの力だ。いや、マジで奇跡を目の前にすると唖然とするわ。そして、俺の安全装置はこの事態を引き起こしたかったってことになる。

 古泉虐待の趣味でもあるのか、それともこれが重要な役割を持つアイテムなのか。その辺りは未知数だが。


「長門も専門家ってわけじゃないだろう。それなりの場所に預ければ鑑定してくれるかもだが、砕かれたり帰って来なかったりするかもな」

「嫌よ。せっかく面白い形してるんだから壊されたくない。それに、誰にも渡すつもりはないわ」

「いいんじゃない。青い樹の化石ってだけで珍しいだろ。初めて見たよ。長い時を経て変質したのかね」

「あんた、自分の持ってるシーグラスだと、変わった形は真ん丸のだけって言ってたわよね。それって今も持ってる?」

「いや、引っ越しでどこやったかな。親が持っていったかも」

「もう、なにやってんのよ。ダメじゃない。見比べようと思ったのに」


 ていうかこっちの世界にはない。多分実家の引き出しだ。それこそ、兄貴に聞けばわかるかもしれないが。

 むしろセーフと言えばセーフだ。もしも持っていたら確実に顕微鏡を借りて調べようとするだろう。科学の教諭の目にでもついたら大騒ぎになる。


「いや、変にいじくってそのとげとげ取れたら価値下がりそう」

「価値ってなによ」

「ゲームとかだと化石って欠けると無価値になるんだよ。最後のワンタッチで叫んだ回数は数知れずだ」

「うっさいわね。大丈夫よ。そうっと扱うから。壊すわけないでしょ。あ、ヒカリ。月曜ケースに入れてこれ学校持って来なさい。いいわね」


 結局俺に預けるのかよ。いや、むしろ助かったけど。こら古泉、長い溜息を吐くんじゃない。安心したのがバレるぞ。

 ハルヒはオブジェを預けてしまって手持無沙汰なのか、イチゴのピンを外して机の上で弄んでいる。


「世紀の大発見とはいかなかったけど、これはSOS団の部室に飾りましょう。とりあえず一つ目ね」

「まだ満足してないのか」

「当たり前でしょ。こんなの初歩の初歩。一個見つけたらそれでいいって話じゃないの。あんたは今日一日なにをしてたの?」

「さて、何をしてたんだろうな」


 キョンの一言で、ぴり、とハルヒの表情が凍り付く。一回も一緒に探索できなかったうえに、彼のやる気がないんじゃしょうがない。ぶっちゃけ、俺たちはもう今日は神人狩りのバイトに行くくらいなら全然構いませんという気持ちになり始めている。この石のことがバレなきゃいい。調べようと思わなきゃいい。俺に預けてくれてありがとう。


「じゃあ、明後日反省会やるから。解散」

「おつ!」


 ひったくるようにピン留めを握ったハルヒに、俺も続こうとする。呼び止めたのはキョンで、小さな紙袋を手渡された。


「芦川、ちょっと待て」

「なにこれ?」

「見てただろ」


 開けてみれば、それは青いレジンのヘアゴムだ。露店で俺が眺めていたの、気付いていたのか。う、と言葉に詰まってしまい、返事ができない。なんでこういうことするかな。ハルヒが見てるのに、と思いつつやっぱり嬉しい俺もいる。勘違いしそうになる。

 好きな男の子からアクセサリーをもらうなんて、そんなの嬉しいに決まってるじゃないか。どうやら俺は態度がわかりやすいらしいのに、こんなことされたら困る。どうしてくれるんだよ。


「芦川ごころってやつは、これで合ってたみたいだな」

「あ、えと……ありがとう」

「いらないなら返せ」

「い、いるよ。ありがとうって言ってるだろ」

「そうか」


 ハルヒは店の扉が壊れるんじゃないかという勢いで開けて出て行った。朝比奈さんはおろおろと辺りを見渡したかと思うと、弾かれるように耳に手を当てて走り去る。

 あー、これは今日も出勤確定ですね。最後の最後にどでかい爆弾が投下された。まあ、機関としてはオブジェを回収できただけでもいいんだろうけど。

 俺がハルヒにピンを買わなければ、キョンは彼女に買って行っただろうか。否、多分そんなことはしない。きっとあの時の会話の流れで、とか。あと、俺が落ち込んでいたから、とかなんだ。そういうことにはよく気付くんだよな、キョンってやつはさ。ハルヒの気持ちには気づかないのに。

 キョンが帰りたさそうにしているので、俺は手のひらで促す。


「長門と喋りたいことあるから、いいよ。支払いは古泉がする」

「え? 僕ですか。いえ、構いませんが」

「そうそう。気にしないで。これも買ってもらっちゃったし」


 紙袋を振る。キョンはむすっとした顔をしていた。今更に友人にプレゼントするキョンというのもあまり思い浮かばなくて、少し笑える。偽兄貴にあった直後の俺は相当狼狽えていたしな。きっと心配してくれたんだろう。古泉は肩を竦めている。

 はいはい、俺のいらん会話でキョンがいらん気を回して、今日も閉鎖空間で過激な古泉にしてしまいすみませんね。でもお前たちは俺を怒る権利ないからな。とんだマッチポンプだったぜ、まったく。


「買ってもらったってな、所詮は安物だぞ」

「関係ないよ。俺のこと心配してくれたんだろ。ありがとうな」

「心配ってだけでもないがな。このまま電波な話をするのは結構だが、店混んで来てるぞ」


 見渡せば、たしかに夕方の店内は賑わい出している。長居は迷惑になりそうだ。仕方なく俺と古泉と長門もキョンに続いて店を出る。なぜだか意固地になり、結局キョンが支払ってしまった。


「じゃあ、また明後日な」


 キョンは駅前の人混みの中に入って見えなくなっていく。俺は紙袋を開けたり閉じたりしながら、どういう反応をしたらいいかわからず困っていた。ニヤケそう。いかんいかん。


「随分嬉しそうですね」

「キョンもあれで意外に友情に篤いらしい」

「そういうことにしておきましょう。長門さんに聞きたいことというのは?」

「ああそうだ。長門。結局この月の石、部室において大丈夫なのか」


 こく、と彼女は頷く。


「ハルヒが望んだ結果なのか? 月からの隕石が青くなって、自然にこうなっちゃうわけ?」

「有機生命体の作った西暦の概念よりも以前、それは飛来した。生存していた知的生命体は環境の変化に適応しようとナトリウムや塩素と結びついた」

「では、この突起物は塩化ナトリウムで出来ているんですか。なるほど。環境により結晶が四角形以外になることは知っていましたが、ここまで奇妙な形になるものなんですね」


 知らんけど。もう普通に科学オタクとして聞いてるなこいつ。なんだか聞き覚えのある解説に思う。そうだ、これはこの後に起きるSOS団エンブレム事件のものと似ている語り口じゃないか。


「月の石は主に玄武岩と斜長岩からなると言いますが、青いのはなぜです?」

「鉱石の表面を月の生命体が覆ったから。彼らはその役割を終えると、地球上に生活する有機生命体の肉眼では青く発光しているように見える。ずっと」


 永久不滅の線虫みたいな話だ。


「役割を終えたって、そいつらはしんじゃったの?」

「彼らは地球の環境に適応出来なかった。進化の過程で発光色を変えることはあっても、生存する方法を見つけることは出来なかった。彼らは役割を終えた後もしばらくは塩素やナトリウムと結合する性質、特定の音を発する性質を残し続けた」

「それが止まって、この形になったのか。もう彼らの命が残した性質ってのはないわけだ」

「彼らが生き残る方法はこの世界にはなかった。けれど、あなたの世界にはあった。だから、自らを仮死状態に凍結してあなたがその場所に持ち帰る日を待った。仮死状態を解除するにはあなたが元の次元の情報を有した状態で触れる必要があった。彼らはあなたが来るのを待っていた。あなたの発したメッセージを受信したから。だからあなたから受信したメッセージを同じように残した」

「え?」


 待て、ちょっとぞっとした。それってどういう意味なんだ。俺が作った言葉を、月の生命体が理解した? そんで、笑ったら笑い返すのが挨拶みたいな、そんな感覚で同じ文字が光に翳すと浮かぶようにした? なにを言っているのかさっぱりわからん。


「じゃあ、兄貴の姿をしたやつが俺に神社に行けって言ったのは」

「芦川ヒカリが廃棄した情報の一部に彼らが介入したから」

「一部? 廃棄? じゃあ結局兄貴はなんだったんだ」

「あなたが処理しきれなかった情報が漏洩した結果。有機生命体の情報処理能力には限界がある。あなたが連続して凍結処理や誘導処理を行ったことで、自己防衛のためには現時点で必要のない情報を蓄積することをやめる必要があった」

「それが、家族の顔やこの先使うかもしれないヒントって。今を生きてるって感じだなあ。本当に記憶することをやめちゃっていいのかよ」

「優先順位はあなたが決めた。わたしはあなたに触れることでそれを促した」


 あ、もしかして昨日俺のおでこを触ってたの、それか。俺の脳がパンクする前に、オートセーブを有効にしてくれた、みたいな?

 じゃあ、咄嗟にメモしたことは捨てた情報の中でも俺が必要だと思っているってことで合ってるのかな。


「いや、まあそれは置いておこう。それで微生物だかはどうなった?」

「間に合わなかった。あなたは危機回避処理を行った。あなたはあなたの世界の生態系のバランスが崩れることを拒否した」


 そりゃ拒否はしたいけど、なにかした覚えはない。ていうか、閉鎖空間の制御とやらがオート発動なら、その結果生まれる問題もオート解消なんだな。


「手袋をしたから」

「……なんだそれ。ナイロンかなんかで偶然死んじゃったの?」

「そう」

「お、俺が殺したの?」

「そう。あなたがそれを選んだ。彼らがあなたの世界に持ち込まれた場合、様々な耐性を獲得して、多くの有機生命体はあなたを残して死滅するから」


 おい、クソやばい代物じゃねえか。ちょっとしんみりしてたけどそういう場合じゃなかったのかもしかして。


「待ってください。それはつまり、ヒカリくんが月の石を元の世界に持ち帰ることを、彼らは想定……いえ、予期していたということですか。彼がこの石を元の世界に持ち帰る機会が、今後訪れると……」

「そう。必要なこと」

「実は一匹死んでませんでした。持って帰ったら世界終わりますエンドみたいのは」

「彼らは現存していない。絶滅した。あなたはその石を持ち帰る。涼宮ハルヒがそれを望んだ。あなたも」


 珍しく長門は念を押した。必要なこと。そんな風に長門が言うのは珍しいから、多分この石は月の変な生物の侵略を退けてでも入手する価値のあるアイテムだったのだ。そして、俺が元の世界に帰る時は持って帰らないといけないものなのか。

 古泉は眉間に皺なんて作って考え込んでいる。長門が「さよなら」と帰っていくのに、俺も同じ挨拶を返した。月の生命体も、こんな風に俺と会話をしたつもりだったんだろう。同じ言葉をやりとりをすることで。


 俺は例の単語を調べてみる。「VOYAVER」は「VOY A VER」と分解されて、検索結果にスペイン語が出てくる。

 それは奇しくも俺が設定した通りの「様子を見に行く」「会いにいくつもり」みたいな意味だった。

 千年も二千年も彼らが俺の言葉を信じて待っていたのだとしたら、俺は相当残酷なことをしてしまったんだろう。まさか向こうも、やっと出会えた生存の希望である俺の手で殺されるなんて思いもしなかっただろうから。

 でも、悪いけどこれで良かったと思う。元の世界に帰ったら世界中の生物が絶滅して俺だけアポカリました、みたいのはお断りだからな。俺はまだ考え込んでいるらしい古泉の背中を叩いた。


 それに呼応するみたいにちょうど首筋に痛みが走り、古泉の携帯が鳴動した。

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