芦川ヒカリの憂鬱Ⅰ 4

「どわっ!」


 瞼を開いた瞬間に美少女の顔が目の前にあった。瞼を開いたということは俺が眠っていたことを意味しており、そしてこの美少女は俺を起こしに来たということになる。

 そうか、目が覚めても見られる夢とはね。少しばかり自分の肉体が心配になる。バイトを終えてからの記憶が途絶えていないこともあり、どこからが夢なのかもはっきりとはわからない。まさか寒空の下で凍え死にそうになっているとかないよな。それ走馬燈じゃねーか最早。それとも今日はバイトの日じゃなくて、実は最初から家で寝ているだけってこともあるだろうか。まあ、その話は横に置いておくとして。

 何時に起きるかなんて考えはなかった。スマホのアラームは動くだろうが、セットはしないで眠った。バイトがない日はだいたい、昼前に起きてくることが多いが。


「えーと、長門」

「なに」


 脳内で会議している間も長門は俺の顔を覗き込んだままだ。彼女が動かないことには俺も起き上がるわけにはいかない。ぶつかったらいろいろ大変なことになる。距離が近いっていうネタはキョンと古泉の持ちネタであり、俺と長門のやつではないと思うんだが。

 なにかサイコスリラーじみた夢を見た気がするが、今の衝撃で吹き飛んでいった。ついでに昨日の長門の発言も半分くらい吹き飛んだ気がするが、まあどっちにしろよくわかってないからいいのか?


「顔が近い……かな」

「眠れた?」

「あ、うん。ぐっすり」

「そう」


 長門の顔が離れていくのに付随するように俺も起き上がる。彼女は看病でもするように俺の横に正座したままで、突然前へ倣えするみたいに両腕を突き出した。緩慢な動作に反比例して突如繰り出されるジークンドーじみた一撃に、俺は顔を引きつらせて小刻みに震える。今のが喉やわき腹に突き刺さっていたら、その可愛さとは別の意味で悶絶することになりそうだ。


「……なんの攻撃?」

「いい」

「なんの肯定?」


 長門はそれ以上なにも言わずに両手をこちらに突き出している。俺は慌てて居住まいを正し彼女に向き直るが、事態は膠着状態で、俺がじっと見つめている分だけ長門が見つめ返してくるだけだ。

 はて、なにかのクイズだろうか。女子の気持ちを読み取りなさい、という出題ならいくらか俺にも分があるはずだが、それにしたって長門は読みにくい部類だ。起きぬけに技を繰り出すって、宇宙にありがちな戦闘民族の慣習か? まさかフュージョンか? 俺も返すべきだったなと考え始めたところで、はたと気づく。もしかして。

 俺はおそるおそる長門の脇腹に沿って両腕を差し込み、その身体を引き寄せた。そうして、ぎゅ、と抱きしめる。


「あー……なんだ。こっちからやるのは存外気恥ずかしいな。おはよう、長門」

「おはよう」


 どうやら正解だったらしく、長門はしばらくそうしていると身体を離してあっさりと立ち上がった。あ、終わりなんですね。もう少しああしてても良かったんだけど。

 残った体温を感じながら思い返す。朝にもする挨拶、って言っちゃったもんな、昨日。壁掛け時計を見れば朝の7時。久々にこんな時間に起きたな。朝の7時まで起きていることならよくあるんだが。


「じゃあ、今日も帰ってきたらおかえりのハグするかあ」

「しない」

「しないかあ……」


 言われた分のタスクはこなしましたという意味なのか、それとも今日の夜には現実世界に俺が帰還してしまうからなのかは聞かないでおいた。どちらにしても寂しすぎるから。

 どうして、長門はあんなに柔らかくて暖かいのに、生きてるって感じがするのに、これが現実じゃないんだろうか。こんなに実感のある夢は初めてで、つい期待してしまいそうになる。

 ふと、長門が見つめている部屋の一点に俺も視線を動かす。北高の制服がラックに掛かっていた。それは女の子なら誰しも一度は着てみたいセーラー服──、ではなく、なんとなくそんな気がしていた濃紺のブレザーだった。

 逆に考えるんだ。キョンくんと同じ型の制服を着られる喜びっていうのもまた、ありといえばありじゃないかな。どうかな、無いかなあ。


「あーね。登校する感じでハルヒに会うんだ」

「そう」

「たった二年のブランクで急に制服を着ることに抵抗が生まれるのはなんでなのかなあ」


 そもそも男子制服など着たことはないので、そこも抵抗の一部なのかもしれない。アニメのコスプレ感が出ちゃうんだよな。その恰好でイベント会場でもない、普通の道を出歩くってのもなんか、恥ずかしい気がする。いや、真実この服を着るということはアニメのコスプレなのだけれど、ここではそれが普通なんだもん。調子がくるってしまう。

 実際、制服がかわいくて人気な学校ってのはちょっと現実離れしたデザインだったりするし、気にすることはないのかもしれないけど。そういうことにしよう。した。


「着て」

「いえっさー。すぐ着替えるから外してもらってもいい?」


 頷いた長門が部屋から出ていき、俺は言われるがまま袖を通す。サイズはいつ採寸したのかピッタリだった。髪の毛をローポニーテールでゆるく結んで姿見に目をやれば、案外いいんじゃないかと思える。男子制服を選択できる高校も今や珍しくないし、そこまで違和感を感じない。デザイン的にも、胸がなくなった分すっきりして見えるしな。嘆いた方がいいのか、これ。

 しかし高校生かあ。一番年齢が近いのは三年ということになるが。三年生でこの身長だと、男子じゃちょっと低い部類になるのか? 北高の校則って洗髪大丈夫なのかな。アニメの着色的にそう見えているだけで、まさか鶴屋さんが緑色に染めてるってこともないだろう。俺もだいぶ金髪に近い色だけど、茶髪の亜種ってことにならんかね。

 しかし、女顔というだけでなかなかに美男子風に見えるじゃないか。これなら今までついぞ知ることのなかったモテ期に突入するかもしれない。俺がモテないのは世界が悪かったのだ。


「来て」


 俺が自信満々の男装(男装もクソもなく事実男だ)を披露しに居間に出ると、待ち構えていたように長門は玄関に出て靴を履く。俺の分のローファーもきちんと用意されているみたいだが、一切の躊躇なく出て行くもんだから俺は慌てた。

 財布とスマホだけをポケットに突っ込むと急いで靴を履き、俺は長門の後に金魚のフンみたいに続く。エレベーターに乗り、マンションから出る際に管理人さんに会釈をしたがまずかっただろうか。長門が男を連れ込んでいるように映らなければいいのだが。

 川沿いを歩き、踏切を超え、俺たちはひたすら北高を目指した。桜並木には花びらも落ち葉もない。気候はあたたかいが、入学に合わせて俺が召喚されたわけでもないらしい。急な坂道に差し掛かった辺りでちらほら同じ制服の生徒が見え始め、不審だとはわかりつつ周囲にその姿を探してしまう。

 ハルヒは……いないか。あの黄色いカチューシャを見つけるのが何より大事な仕事。ていうか会う以外で明確にやるべきことが見つかっていないので、そればかり気になってしまう。

 そうこうしている間に長門はすったか先に行ってしまい、俺は慌てて後を追う。その繰り返しだ。生徒たちはどう思っていたんだろう。男子が女子の後を必死に追いかけている姿を。ストーカーとか噂になったりしたら泣く。


 ──結局、通学路に見知った顔を見つけることはできなかった。谷口も国木田も、キョンもいない。ということは、俺たちのこれは早めの登校なのかもしれない。ならば真面目な古泉のやつや、朝比奈さんはというと、彼らもいない。かと言って生徒会長辺りの姿も見つからない。1年5組だったよな、という顔は何人か見つけた。

 夜も朝も食べてないからか、坂道がやたらとしんどい。別に年とか運動不足とかじゃないし。ちょっとお腹が空いただけなんだからね!

 誰向けのツンデレなんだよ。ていうか、これじゃツンデレじゃなくてただ不摂生を認めたくなくて必死なだけじゃないか。


「で。今日一日俺が体験入学するのは問題ないよう、色々画策してもらってるんだよね?」

「ちがう」

「ほな違うなあ」


 校門をくぐり、校舎に入る。長門の靴箱からは二足の上履きが出てきて、その靴底を見る限りどうやら同じ色みたいだ。長門が自分のものより少しサイズの大きいそれを俺の目の前に下ろす。とんとん、と床でつま先を叩いて、彼女はすぐに一段あがって廊下を進んでいく。つまりこれは。


「マジか。俺も一年生なんだ」

「そう」


 ツッコミたい気持ちをぐっと堪えて、俺はまたまた長門にぴったりついていく。せっかく夢のハルヒ世界に来ておいて文句ばっかりつけるってのも嫌がらせ客みたいだ。さすがに五歳違うと浮かない? とか思っても口には出さないでおこう。

 気づいたんだが、やはり登校している生徒の中に俺ほど明るい髪色のやつは少ない。結構悪目立ちするんじゃないだろうか。周りを見ると髪の長い男子もあまりいないみたいだ。道理でよく生徒たちの視線とかち合う。その度に、店でお客さんにするように笑ってみるのだけど、どんなに愛想をよくしても向こうから話しかけられはしない。もしかしなくても俺って近寄りがたいんだろうか。それともなんか出てるんだろうか。痛すぎオタクビームとかが全身から。

 うーむ、こんなに美少女(男)に仕上がっているというのに難儀なものだ。風呂に入った時も思ったんだけど、男になったおかげかどうかは知らないが肌つやもいいんだよな。まるで若返ってるみたいに透けるような白い肌。産毛も薄いし、朝起きて髭もなかったし。これが無料で手に入るなら、まあモニターとしては評価3だな。コメント欄に余計なものが足の間に生えている苦情だけ書き込ませてもらいたいもんだが。

 さて、金髪ロン毛の男が眼鏡の少女と連れ立って歩いている絵面は、俺が気弱そうな笑顔を浮かべてぺこぺこしていることで、さらに変な感じになっている。どうしよう、長門姉御説とか出ちゃったら。くだらないことを考えている間に1年5組の前で長門はぴたりと足を止めた。


「お? 長門、隣だろ」

「そう」

「ああ、今ハルヒと顔合わせした方がいい、的な?」

「ちがう」


 俺が小首をかしげていると、唐突に長門はこちらに倒れてきた。


「ど、どうした!?」


 軽くパニックになった。原作で長門の具合が悪いなんていう描写になる時は、大抵とてつもない問題が起こるものだ。すぐにその背中を支えて彼女の顔色を確認するが……わ、わかんねえ~! 無の瞳がこちらを見ている。しばらく軽い体重を抱えていると、長門は何もなかったように起き上りこぼしよろしく上体を戻した。


「いってらっしゃい」

「あ、え、そういう? これも挨拶だったんだ? てか、なんでここでそれを言う?」


 またもや長門はハグの余韻などまるで無いように、すぐに背を向けて歩き出した。その小さくも頼もしかった背中はこんな恐ろしげな一言を残して去って行く。


「あなたはそっち」

「嘘!? 俺だけハルヒと同じクラスなの?」


 途端に不安になって長門の背中をこれでもかと見つめ続けるが、とうとう一度も振り返らないままに彼女は隣の教室に吸い込まれていった。嘘過ぎない? そりゃ、ハルヒのクラスなんてすごく嬉しいよ。天にも昇る気持ちだよ。だけど、なにもわからないまま放り込まれるには荷が重すぎないだろうか。

 様々な勢力がハルヒを遠巻きに見張るために画策しているというのに、お前だってクラスが違うくせに、俺だけ1年5組とはどういう了見なのか。ハルヒに会えってのが俺の指令だ。わかってはいる。でも、会うだけならどこだっていい。こんな至近距離である必要はない。その、必要がないことを長門有希がするとは、俺にはちょっと思えない。わざわざ俺が言った挨拶を三連続クリティカルしていることからも、俺とコミュニケーションを図ろうとしているように思えてならないのだ。

 あーあ、異世界召喚ものって実は相当な気苦労があるんだな。言語も文化も同じ世界だから、俺は相当女神様の采配が良いほうなんだろう。いやまあ、この世界で女神って言ったらそいつはあの、涼宮ハルヒなんだけどさ。

 俺の独り言は廊下に取り残され、誰の耳にも入らない。


「あたしを呼び捨てにするとは、いい度胸じゃない」


 ──、はずだった。


「げっ、ハルヒ!」

「げってなによ。あんたは何者? どうしてあたしの名前を知ってるの? 転校早々なんで金髪? 一体全体誰の許可を得てあたしの前に立ってるわけ? なんで男子の制服着てんの?」


 怒涛の質問ラッシュを浴びせたのは、言うまでもなく涼宮ハルヒその人である。尊大で快活、リボンのついた黄色いカチューシャを揺らし、つやつやの髪を靡かせる。びしっと俺を指を差して、長い健康的な両足を地面にしっかりつけて、ふんぞり返って立っている。

 ぶっちゃけ俺が何者かなんて、俺の方が聞きたい。パラパラ漫画みたいに頭の中のアニメが巻き戻っていく。髪の毛を切っているということは、キョンとハルヒはもう出会っているんだな。


「人を指差しちゃいけないんだぞ」

「そんなこと聞いてないわよ。すぐさま答えなさい。答えないっていうなら」

「まさか、縛り上げる?」

「よくわかってるじゃない。もう一度だけ聞いてあげる。あんたは何者?」

「煮物? そうだなあ。里芋とかが好きかなあ」

「……なにそれ、舐めてんの?」

「酷いな! これでも結構本気だぞ。普通の男子高校生にウケる一発ボケなんてかませるわけないだろ」


 普通の男子高校生の、はずだ。ちょっと普通じゃないのは、影からハルヒを見守ったり情報を武器に維持だか補正だかをする特殊任務があることくらいだ。しかし、長門のいない状況で今は何を言っていいのかもわからない。

 少なくともハルヒがとんでもないチートだということは自覚させてはいけないんだよな。そこは本編に倣っておいた方が良さそうだ。ただ、そうなると長門とつるんでることも紹介できないから、とりあえずはぐらかす他ない。そうだな、口から出まかせ大特価になるが。


「全部一気に答えるぞ。俺は普通の高校生。お前の名前はその辺で噂されてて有名だ。金髪なのはデビューに気合が入ってるからで、お前の前に立って教室のドアを塞いだのはごめん。で、普通の男子高校生だから男子の制服を着ている。ループしてね?」

「嘘ね!」


 なんでえ?


「全部一気に説明してあげるわ。まず、普通の男子高校生は自分を普通だとは言いません。あたしの名前を知ってるのは、あんたが……そうね、あたしたちの心を読めるから。金髪なのは……親戚に外国の人がいるんでしょうね、多分。それで、制服は正体を隠すため」


 ところどころ事実にかすっててヒヤっとする。これが涼宮ハルヒってやつなんだよな。本当に不思議属性てんこもりのやつらはさぞかし毎日交わすのが大変だろう。ハルヒは狐の尻尾を捕まえたようなしたり顔で、俺を見上げてくる。そうか、ハルヒって目の前に存在するとこんなサイズ感なのか。思っていたよりも小さめだ。


「金髪のところ、今適当に考えたろ」

「うっさいわね! とにかく怪しい。怪しいったら怪しいの! こんな時期に転校生がまとめてやってくるなんて、なにかの罠か陰謀に違いんないんだから。すぐに正体を見破ってやるわ」

「おお、芦川。もう来てたのか」


 神の助けか、担任岡部が背後から現れる。今話してるんだけど、というオーラを隠しもしないハルヒを無視し、俺は扉を開けて岡部を教室内に逃がしつつ、分もひらりと舞い込んだ。ハルヒはぷりぷり怒ったまま大股で自分の席へと向かっていく。

 瞬間、ここまで嫌な予感もないだろうという、妙な違和感を覚えた。


 キョンの横に、これみよがしに空席が出来ていた。


 なんだこれは。どういうことだ。そこが俺の席だとでも言うのだろうか。キョンが後ろから三番目の席にいるということは、席替え前ってことなんだろう。なのに、本来彼の隣に座っているはずのコーラス部の佐伯さんの席が朝倉の後ろにズレている。なんてこった、そのせいで1年5組の「男女が順番に配置されている」という黄金比が崩れてしまっている。見ろ、垣ノ内くんに至っては一人後ろの列においやられ、掃除用具入れとドッキングしてしまっているじゃないか。

 入学してきて今まで、誰もその席が空いていることを不思議に思わなかったのだろうか。そんなことがありえるのだろうか。今日突然空席になったが、転校生用に一席空けたという認識で誰も気に留めなかったって方がギリギリ説明はつく。誰がそんなことをした? 長門が話をつけて朝倉に頼み込んだのか?

 冷や汗をかく俺をよそに、熱血教師岡部が黒板に名前を書き、俺を紹介する。


「ご両親の海外赴任をきっかけに、ひとり暮らしで頑張るそうだ。みんな仲良くしてやってくれ」

「芦川ヒカリです。好きな煮物は肉じゃがです。よろしくお願いします」

「なにか質問のあるやついるか?」


 初めて知ったけど、俺の親って海外赴任してるんだ。なんつうか使い古されたお約束だな。もしもハルヒの目からレーザーが出たら俺を真っ二つに焼き切っていてもおかしくない視線が突き刺さる。わかる、わかるよ。海外赴任はいささか強引だよなあ。おおいに同感できるが、俺はハルヒから油を挿していないブリキみたいな動きで顔を背けた。

 女子が手を挙げる。彼女は大野木さんだ。え? なんで苗字がわかるのかって? 涼宮ハルヒの公式を買えばわかる。


「好きなテレビは?」

「薄型のやつとか、新しめの家電が好きです」


 しくじった。こんな質問にも答えられないとは。情報が武器だなどと言っておきながら完全にしくじった。俺は昨晩から一回もメディアに触れていない。俺が見たことのあるテレビ番組がこっちで放送しているわけもないから、話題を滑らせていくしか躱す方法がない。

 なにせ、歌番組だと言えば好きな歌手を聞かれ、アニメだと答えれば推し声優を聞かれるかもしれない。いやどんなオタクだよ、いきなりそこまで晒上げて来ないだろう。

 ともかく、ツッコミづらい発言で封殺する以外に道はなく、そしてそれはハルヒからすれば確かに怪しい人物に相違ない。こんな吊り確定人狼バラエティ、誰が面白がるんだ。

 友人が質問をしたから手を上げやすくなったのか、成崎さんが続く。


「髪の毛って染めてるの?」

「そうです。転校生なので見た目に気合を入れました。芦川です。これだけ覚えて帰ってください」

「彼女いますか?」


 いきなりそれを聞くとは君も末恐ろしい人材だな、佐伯さん。席のことなら俺は悪くないぞ。


「いないです。いたことないです。いるわけないです」

「どこからきたの?」

「あっちの方です。見えるかな。すっごくあっちの方」

「兄弟とかいるの?」

「どうかなあ。弟とかいたらいいですね」


 阪中さんと、吉崎くんでフィニッシュ。こういう時話題を作ろうとしてくれるのって、女子がほとんどなのかな。谷口辺りが割り込んできてもおかしくなかったはずだが。

 とはいえ、ふわふわした受け答えにより完全にクラスでの妙ちきりんな立ち位置になってしまった。俺は死刑宣告を受けたような顔で先生の指定した通りキョンくんの横の席に移動する。

 共感性羞恥というものをご存じだろうか。今みなさんが感じているそれのことだ。何を話せばいいかわからず転校初日に衆人環視のど真ん中でスベり倒して、イカレた集団の首領に因縁をつけられた俺を憐れむ視線もちらほら。なんだこの孤独。転校デビュー失敗か。みんなだって可哀そうに思うなら、もっと早く地獄の質問タイムを終わらせてくれても良かったじゃないか。

 着席して左側を見れば、少しだけ訝し気な目線を寄こす男がいる。キョンくん、そう、キョンくんである。少女時代の俺の恋心を一瞬で奪い去った彼を、こんなに近くで見ることができる日が来るとは。

 初めてハルヒシリーズに触れた子供の頃の俺にとって、キョン君は誰よりも頼れるお兄さんだった。俺にも兄がいるからわかるが、兄貴ってのは彼くらいがちょうどいい。闇雲に妹にウザ絡みしないところがなんともクールに思えて憧れたのだ。同い年になって、さらには年上にまでなってしまったのに。それなのに、今でも胸にこみあげるものがある。これだからジャンル再燃って怖いよな。ありがたい都合のよさに心中で手を合わせた。これだけでも晒し上げられた価値はある!

 気だるげな目元、俺より10センチくらい高い背。軽く着崩した制服に短めの髪。ちょっと寝ぐせがあってかわいい。

 溢れるときめきを押し殺しながら、俺は机の感触を確かめる。かたい。木だ。ちゃんと触って硬さがわかる。つまりこれが、リアル……!


「まあ、よろしくな」


 ぶっきらぼうな声。眠そうな瞼。その言葉を頭の中に何度も反響させてみる。

 よろしくな、だって。思わずため息が出そうなイケボだ。しみじみとキョンくんの隣の席である幸福を実感しつつ、満面の笑みを返しながら手を差し出して。


「うん! よろし……くぎゅーーーー!!」


 ──クラス中に響き渡る大声で釘宮理恵のあだ名を叫ぶクソオタクとなった俺は、なぜか後方に椅子ごと倒れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る