涼宮ハルヒの憂鬱世界に召喚されたらこっちが鬱になりそうな件

マルヤ六世

芦川ヒカリの憂鬱Ⅰ

芦川ヒカリの憂鬱Ⅰ 1


 “サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うと、これは確信をもって言えるが最初から信じてなどいなかった。”


 ──これは、ちょっとしたオタクなら暗唱できてしまうほどに有名な大人気アニメの冒頭文。暗唱なんて言いすぎだって思うかもしれないけど、本当にこの作品はそうさせるほどの力があったんだ。

 漫画も、アニメも、主題歌もダンスも、声優も。それまでオタクカルチャーに触れたことのない人々をも巻き込んで、大きな旋風を起こした。俺もその大型台風に攫われた一人で、バイブル的に持ち歩いて読みまくった大好きな小説だった。さっきのは、その作品の主人公が語るモノローグだ。

 モノローグというのは実によくできている。語り部となる主人公の心情を把握させることで読者に共感をさせる、そんな大いなる力を宿している。

 諸君、俺はモノローグが好きだ。諸君、俺はモノローグが好きだ。諸君、俺はモノローグが大好きだ。一人称小説が好きだ。ライトノベルが好きだ。ドタバタラブコメが好きだ。ツンデレヒロインが好きだ。SFが好きだ。学園ものが好きだ。そんな風に演説したっていいくらい。

 さて、次の部分も紹介させてもらってもいいだろうか。大抵の読者がまったくもって同じ感想を抱いていたことをわざわざここで言う必要すら本当はないくらいだが、俺と一緒に彼の言葉に共感してほしいと、そう思う。


 “幼稚園のクリスマスイベントに現れたサンタは偽サンタだと理解していたし、お袋がサンタにキスをしているところを目撃したわけでもないのに、クリスマスにしか仕事をしない ジジイの存在を疑っていた賢しい俺なのだが。

 はてさて、宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力や悪の組織やそれらと戦うアニメ的特撮的漫画的ヒーローたちがこの世に存在しないのだということに気付いたのは、相当後になってからだった。”


 ──そうだ。大人が子供の夢を壊さないよう必死に演じる姿というのは、得てして子供の心を一層冷静なものにさせる。そもそも聖誕祭を祝うってなんぞや、というほどに我が家の墓参りはお寺だったし、初詣は神社だった。クリスマスだってチキンとケーキはあれど、おおきなリボンのついたプレゼントの中身は本当に欲しいものとは限らない。サンタはなぜか図鑑を送りたがる。本を読ませたがる。それが、一般家庭をわかりやすくしたモデル家族なのである。

 俺もそうだった。この芦川ヒカリもそうだったのだ──って書くとなんだか言い回しがジョジョみたいだな。ものごころつく前から世界の常識はサンタの存在を否定していたのに、嘘だとわかっているアニメには大人すら夢中だった。漫画の主人公にも息子がいて、商戦のためには怪獣がメダルでドッキングするこの頃、果たしてフィクションに夢や幻想があるのかはわからない。でも、ないとわかっていたってみんながそれを愛している。フェイクとわかって、心にファンタジーの住処を残している。

 生まれながらに異能がないことを嘆くほどに世界はヒーローやヴィランに溢れていないし、そのことに過不足はない。呪いの王の器に相応しい身体じゃなくて、俺は心底良かったと思う。なにもそういう厳しい環境に身を晒して、物語の中心人物になりたいわけじゃない。ただ、ありもしない虚構に思いを馳せたいだけなのだ。

 ありもしない世界だから浪漫がある。ありえないから楽しんで見ることができる。まさか自分が、なんてそんな日が来ないから夢想できる。だからこそ、想像の中では不思議な力で無双できる。


 宇宙や科学のことは知らない。どこかの星に生命体はいるだろうけど、それは無垢で可愛い文学少女じゃない。

 未来や物理のことは知らない。時間を移動できる可能性はゼロじゃないんだろうけど、綺麗なお姉さんが出迎えてはくれない。

 超能力や人体のことは知らない。解明されていない脳の機能はたくさんあっても、そいつが白い歯を見せて笑うとは限らない。

 願望をなんでも実現してしまう能力なんて、ない。努力したって叶わない夢があるのに、そんなのがあったら大炎上だ。第一、あっても横暴で眩しくて、元気で賢い女の子なんかじゃない。

 もちろん、普通の男の子みたいな顔をして世界の命運を背負ってしまう人もいない。初恋みたいに心を埋め尽くした「やれやれ」があんなに似合う人も、いない。


 世界の物理法則がよく出来ていることに辟易して、いつしか俺は、大好きな小説の主人公をなぞるように、テレビのUFO特番や心霊特集をそう熱心に観なくなっていた。

 宇宙人、未来人、超能力者? そんなのいるワケねー。本当はちょっといてほしいけど、いないことはわかりきっている。解析をかければ、フェイク動画の中にそんな夢がないことを頼んでもいないのに機械が教えてくれる。


 中学を卒業する頃には、俺はもうそんなガキな夢を見ることからも卒業して、アニメや漫画に傾倒する日々からも次第に遠ざかっていた。そりゃまあ話題のやつならちょっとは見るよ。新劇場版とかさ。完全新作に没頭するよりは、既に知っている作品の方が視聴労力も少ない。それに、やっぱり最新のテクノロジーと長い年月をかけた熱量は画面に現れるものだよな。

 でも、それだけ。それだけなんだ。十分オタクじゃないか、と言われるとどう表現していいものか悩む。でも、明らかに昔とは違うんだ。

 今の俺はそんな風にオタクの自意識を最大限拗らせていた。たまにイラストも描くけど、何日もかけて完成させたりはしない。パソコンの前に座っても時間がただ過ぎるだけで、真っ白なキャンバスにとりあえず線を引いただけのラフを残して終わるなんてザラだ。二次創作ってのは、体力と熱量がいる。オタクから漫画が好きなやつくらいにランクダウンかランクアップをして、俺はもう、ホントにどうしようもないくらい普通な日常生活を送っていた。

 週刊漫画雑誌も久しく買っていない。SNSで友人がおすすめしてくれたアニメはチェックしたけど、そういえば感想は言っていない。勿論、世の中の全然オタクカルチャーに触れないって人よりは見てる筈だ。それらに触れて泣いたり怒ったり、笑ったりもする。ちゃんと楽しんでるんだけど「ハマる」という感覚になれない。

 そう、没入感を得られないんだ。生活が侵略されるほどにのめり込んでグッズを漁るとか、イベントに行くとか、発売日を心待ちにするとか。いつからかそういうのができなくなった。毎日ネットで考察記事を巡回したり、みんなで通話して熱っぽく語ったりした日々が一番輝かしく思えるのはどうしてだろう。

 それがなんだか虚しい。でも、時間が経つってそういうものなんだろう。

 

 だってほら、二次元に親しんだ小学校も中学校も、一般人に溶け込んでおとなしく過ごした高校でさえも、誰も近くに不思議なやつはいなかった。

 駅のホームに9と4/3番線のホームなんて見たことはないから、トリップ夢小説の気配なんてありはしない。ていうか今そういうドリーム小説とかあるのかね? ああ、まあ、トラックに撥ねられたことは、さすがにないけどさ。

 いつの間にか人前では「俺」なんて一人称も隠れるようになって「私」が板についてきた。みんなこんな風に折り合いをつけていくんだろうな。好きなものが「不思議なこと」じゃなくて「漫画自体」だったのなら、きっと今でも俺は毎週録画を欠かさない番組があったはずなのに。

 

 それでも涼宮ハルヒの憂鬱だけは、本棚に納まっている。ずっと開いていないのに、読み返しているわけでもないのに、何度部屋を模様替えしても捨てられずにいる。そしてこうやって、時々思い返す。思い出さずにはいられない。語り部の伝える印象的な序文だって、忘れられない。

 一人称が「俺」だから、男としてSOS団に呼ばれたら面白いだろうな、なんて思うことがあった。そうすると男三人、女三人でちょうどいいし。推しはキョンくんだったけど、ハルヒも大好きな俺としては二人のもやもやする関係を応援したいな、なんて思っていたことが確かにあった。ああ、長門ともたくさん話してみたいし、朝比奈さんの立場も大変そうだから手伝ってあげたい。古泉も、機関だなんて面倒くさそうだし、ちょっとくらい愚痴を聞いてやってもいいかな。そんな風に誰もが願うありがちなネタを、何度も思い描いた。

 まあ、原作通りに進んでいく中で、俺にいきなり役割が与えられるってほどに夢は見ていない。きっとどこまでもモブだろう。案外、谷口や国木田、コンピ研の部長との方が仲良くやれたりするんだろうさ。

 そんな青春を過ごしてみたかった。そうやって叶わなかった日常に苦笑いをする権利は、俺にだってあるはずだ。

 

 コンビニの弁当が入った袋が風に靡いていた。時刻は夜23時。俺はアルバイトを終えて帰り道を歩いていた。もう少しいくと公園があって、そこで自販機限定のサイダーを買って帰るのがいつものお決まりだ。

 明日からは連休だけど、それが終われば同じように朝から晩までバイトがある。就職に乗り切れなかったし進学もピンと来なかった俺は、なんの目的もないままフリーターとして過ごしていた。やりたいことが見つかるまではこのままでいいとは思っているが、次々と自分の進む道を見つける周囲に焦りがないと言えば嘘になる。

 アルバイトだって楽しいよ。誰に言い訳するでもなく、そう思う。新商品のポップを書いたり、発注をかけたり、常連さんのたばこを覚えたり。店長や仲間ともうまくやってる。飲み会だって盛り上がった。家族仲も良好で、年に一回は温泉旅行に行く。

 兄とはいまだに、昔みたいにはしゃいで漫画の話をすることもある。俺にハルヒを教えたのはその兄で、彼のせいで多感な小中学生時代の俺は、その多くの時間を涼宮ハルヒシリーズに消費したのだ。兄のせい、なんて言ったが、俺が熱中して楽しかったのは、俺の知る中ではあの時が全盛期である。正直な話、感謝はしている。でも、これから先の人生であれ以上に夢中になれるものを見つけられなかったら、やっぱりちょっと恨むかもしれない。

 オタクになったのも兄の影響だ。だから、同世代の友人たちよりもちょっと年上の友達の方が話が通じた。そういう人たちと自分たちしかわからない用語で会話をすることで、自分がちょっとだけ特別みたいに思っていた。


 帰れば、兄の本棚には涼宮ハルヒシリーズの最新刊があるはずだ。あの頃だったら飛びついた、中学生の俺があれほど待った最新刊が、あるのだ。

 読みたいとは思っている。でも、手を出せないでいる。あの頃と同じ驚きを得られなかったらどうしよう。ハルヒの世界はずっと楽しいままなのに、それを俺が感じ取れなくなっていたら、どうしよう。そんなことがぐるぐると回りつつも、ずっと後ろ髪を引かれている。俺がつまらなくなってしまって、面白いことに鈍感になってしまって、ハルヒに見捨てられたような。もうずっとそんな気分でいる。

 いや、そんなはずはない。実際にそんなことはなかったのだ。あの「驚愕」だって、読んだらものすごく面白かった。やっぱり最高だ、と思わずネットに書き込んだじゃないか。兄と聖地巡礼した日々を思い返すと、なによりも素晴らしい体験だったように感じるし、俺はいまだにアニメの次回予告セリフを諳んじれる。サントラだってたまに聞いてるし、キャラソンだってスマホに入ったままだ。

 そうだよ。新刊発表の時、兄貴は泣いてたんだ。俺の大好きな小説は、全然、過去のものなんかじゃない。今も続いている。いつまでも、あの世界は俺たちを迎えてくれるじゃないか。


 久々に胸の奥が熱くなるようだった。早く家に帰りたい。俺は公園の前を素通りして、自販機に目もくれず帰路を急いだ。兄貴にハルヒが読みたいって言おう。きっと驚く。いや、出戻りするとわかっていたかもしれない。念のために「驚愕」から読みなおそうかな。いっそ連休を消費して「憂鬱」から全巻一気読みでもいいな。

 次第に歩幅は大きくなる。息が切れてくる。はやく、はやくと、期待に急かされる。ざ、ざ、と足音が響く。響く、足音が二つ、響く。




 俺は背後から重なるしずかな足音に振り返り──、そいつと出会った。

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