第9話・禁断のフォームチェンジ

『英雄というのは、英雄になろうとした瞬間に失格』


 昔、超絶的に腕の立つ弁護士さんが言っていたセリフだ。

 その点、俺は英雄願望なんざこれっぽちも持ち合わせていないし、そんなもんになってもただ面倒なだけだ。


 だから今から俺がする行動は結果的に英雄に繋がるだけで、やろうとしていることはとんでもなく人として最低のことである。

 ......でも俺、そもそも今は人間じゃないからいいか。


 己の中に残された良心の健闘虚しく、意を決して俺はソファーの上で熟睡している好美このみに、ゆっくりと静かに覆い被さった。


 飲酒の影響で頬は朱く染まり、しっとりぷっくりなピンク色の唇は、童顔であることを忘れさせる妙な色っぽさを漂わせている。

 間近で見た金色の髪はさらさらで艶もあり、触ると一本一本から鼻腔を刺激する良い匂いが。


 ――ヤバイ。さっきまで好美に対して何とも思っていなかったのに、めっちゃドキドキしてきた。俗に言う吊り橋効果ってヤツだろ、これ?


 聞こえるはずのない自身の心臓の鼓動の音が、行動を後押しするかのようにうるさいくらい脳内にまで鳴り響いている。

 ............それから俺の良心回路が完全に抑え込まれるまで、時間はかからなかった。


 朱く染まった好美の頬にそっと触れる。

 一瞬僅かに肩を震わせたが、すぐにまた寝息がすぅすぅと聞こえてきた。

 上下に可愛らしく一定の間隔で動く好美の潤った唇に魅了されて、唇同士をくっつけたいという衝動に駆られる。


 ターゲットまであと5センチ――4――3――2――1――Go!

 

 もう誰にも止められねぇ!! と言わんばかりに好美の唇に迫った、次の瞬間。


「.........お父さん」


 ――悪魔の笛の音を聴いた人造人間の如く支配されていた俺の良心回路が、一瞬にしてギュンと元に戻った。


「.........お母さんも待ってよ............二人共、私を置いてどこに行くの......?」


 悲しみを帯びた口調で呟くその表情は、夢の中で必死に両親のあとを追いかける少女のようで。


「やだよ.........行っちゃ嫌だよ.........一人にしないで............」


 好美の綺麗な瞳から一粒の涙がこぼれ、ソファーの上にぽつりと落ちる。

 罪悪感とも恥辱感ともいえる、とにかく苦しい感情の波が身体の芯の部分から隅々に感染していく。

 危うく俺は悪の戦士からゲスの戦士への、二度と戻れない禁断のフォームへとチェンジするところだった。


 みんなの笑顔を守る為に、一人の女性の笑顔を奪う――それはナンセンス過ぎる。


 いくら悪の戦士に転生したとはいえ、悪には悪の流儀がある。


 それにどうせNTRするなら、残りの期間をめいいっぱい使って俺にとことん惚れさせて、お互い合意の上で行為に及んだ方が平和的で絶対にいいに決まっている。


 まぁ、首領秘書をNTRしてる時点で平和的も何もないんだけど......恋愛マスターとしての俺のプライドがそれを許さなかった。

 決して急に怖くなってやめたわけではないので、それは補足させていただきたい。


 大きなため息をつき、極度の興奮状態で火照りきった身体を起こすと、俺は玄関に行き鍵を閉めた。

 彼女自身に戦闘力があったとしても、一応はレディなので戸締りは万全にしておいたほうがいいだろう。あとで何か言われても困るし。


 ――さて、また理性が鎌首をもたげる前に退散するとしますか。


 こちらの葛藤など一切知らず、幸せそうに眠る好美を見つめながら邪結じゃけつ・変身すると、空間転移を起動させて俺は好美の部屋を瞬時にあとにした。


 ......果たしてこの選択肢が吉と出るか凶と出るか.........この世界の結末は創造主のみぞ知る。

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