#6 希望とは。

絶望とは、希望を持つから訪れるのだ。


望むから失うのである。


でも、何も望まぬ人生とは、果たして、生きているという実感を得られるのだろうか。


退屈な講義をBGMに私は、先の見えない旅路を堂々巡りしていた。私の持ち物は、2人の旅人が記した古い地図だけだ。その地図には街の名前も無ければ、行くべき場所も記されていない。ただ1つの道程が紆余曲折しながら描かれている。


2人目の旅路を早く歩きたい私には、鼓膜の外で流れるこの世界の理など、興味の対象にはならなかった。


早速、ノートを取り出し、彼の言葉に耳を傾ける。


「結局、この日はオレが翔太を迎えに行った。


幼稚園に着くと、先生に連れられて翔太が出てくる。ほとんど家にいないオレをみて怖がってたのを覚えてる。


先生が「翔太くん、待ってましたよ」って言ってたけど、翔太が待ってたのは玲奈の事だと思った。オレが翔太に「帰るぞ」って言っても先生の足の後ろに隠れて出てこなかった。よっぽど、怖かったんだと思う。


先生が「延長料金なんですけど、1,600円になります。」って言ってきたけど、延長料金がある事すら知らなかったオレは明日持って来るって約束して帰ることにした。


帰り道、翔太はオレの2~3mくらい後ろを歩いて着いてきてた。この時のオレは、早く玲奈に翔太を預けてクラブに行く事しか考えてなかったから、玲奈に何度も電話をかけた。でも、何回電話をかけても玲奈は出なかった。


家に着いて、翔太に飯を食わせる。と言ってもこの時の飯はカップ麺だった。


この日、玲奈に繋がることはなかった。

翔太も寝てたし、なんか、冷めたオレはこの日はどこにも行かずに寝た。


次の日、翔太が騒ぐ声で起きた。なんて言ってるか分からなかったけど、とりあえず、飯を食わせると大人しくなった。そうこうしてると、誰かが部屋の前で呼ぶ声がした。

こんな朝早くに誰だって思いながら出ると、それは見たことも無い50代くらいのオバサンだった。


「あ、長谷川さん?大家ですけど。」


「はぁ。あ、ガキうるさかったですか?すんません。」


「それもそうなんだけど、家賃。払ってもらえます?」


「え?」


「もう、3ヶ月目ですよ?払えないなら出てってください。」


玲奈のやつ、家賃タイノウしてやがった。


事情を話したんだけど、大家のオバサンとしても、もう待てないって事で、オレと翔太は家を出ることになった。」



私は、思わず眼を見開いた。このノートには、たった数ページで私が想像も出来ないような事が、事実として書き並べられている。施設で育った男が、非行に走る事はよく聞く話だが、その後の自白、非社会的な行動、崩壊した家族。そのどれもがこの男の身に起きているのが、信じられなかった。


気付くと講義も終わって、空気が乱れている。私は私の世界に、いや、彼の世界に浸るべく、図書室に移る。ここなら誰にも邪魔をされない。


「家を失ったオレ達は、近くの公園にいた。翔太はまだ現実を理解できるわけもなく、公園で無邪気に遊んでいた。オレは、ブランコに座りながらこれからの事を考えた。とりあえず、家だ。そう思いながら、知り合いに片っ端から電話した。



でも、誰もガキを連れたやつを居候させてくれるわけなかった。玲奈にも何回か電話したけど、繋がらない。


そんな事をしてると、翔太がわめきだす。飯だ。無職の俺は、なけなしの金を持ってコンビニに行く。翔太にどれが欲しいか聞くと「あっとう!あっとう!」って言ってた。


正直、何が言いたいのか理解できなかった。

ちょうど、後ろを通った主婦の人が、「僕、納豆食べたいの?可愛いですね」って話しかけてきた。「そうですね」なんて言いながら、内心、なんで分かるんだ?って思った。


納豆巻きを買って、オレ達は公園に戻った。翔太に納豆巻きを食べさせながら、オレは途方にくれてた。」


次のページを開いた時、何かが落ちた。


それは、ひらひらと、空気を避けるように、時間をかけて私の足元に着地した。とても色褪せていて、風でも吹けば散り散りになってしまうような、頼りない様相をしている。


私の眼がそれを捉えた時、1粒の涙が後を追う。その涙は、私の心が感情を作り出す前に私の元を離れていた。ノートから降りたその紙切れのほぼ中心を涙が射抜いた時、私はようやく、それを写真だと認識した。追って、私の心は、悲しみを生み出し、私の脳へと伝える。


その写真には、まだ、絶望を知らないかのような笑顔が写されていた。その無知な笑顔を見ると同時に、私の脳が感情を処理し終える。



希望とは、なんなのだろうか。

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204日記 佐々木 @mkshts

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