第5話【アルウィンの手】

 怪異が起きた。ボルドロー子爵が領主を務めるアルメ村で、一夜にして領民が消えたのだ。


 アルウィンの予想通り、ボルドロー子爵は部下に調査を任せることはなかった。


「アルメ村に猛熊魔王モウユウの部下が現れたことにするんだ。それが、村人を連れ去ったとね」


 アルウィンは、アルメ村に向かう馬車の中で暗殺までの算段を話しはじめた。


 アニュレ砦に配属になって、一ヶ月。


 アルウィンは、隠れた才能を目覚めさせたかのように砦内の人心を掌握する。


 ボルドロー子爵やその側近たちの悪評は、大いにアルウィンの助けになった。


「ボルドロー子爵は、勇敢に戦ったが無念の討死。この魔物をけしかけたのは、イストワール王国とするつもりだよ」


 アルウィン派となった協力者たちは、大きくうなずいた。皆、一応に殺気に満ちた表情だ。


「その作戦だと巨漢子爵は、確実に葬ることはできるだろう。ただ、イストワールが、けしかけたというのは証拠がなければ無理だろ」


 俺は、殺気立つばかりで甘さが目立つ作戦に異議を唱えた。


 魔物を使役する方法は、主に2つある。異界から召喚するか、卵のうちから育てるかだ。


 その魔物が、誰に召喚されたか育てられたのかは、捕まえれば分かる。


 どちらにしても、その国独自の服従の印が必要だからだ。


 野生の魔物を追い詰める。或いは、囮を使って任意の場所に誘導することは難しい。


 成功したとしても、それを誰がやったかを証明できないだろう。


「リシャール。考えすぎだよ。証拠なんていらないじゃないか。悲劇が起きたとき人は、誰かのせいにしたいんだよ? それが、イストワールならみんな喜んで受け入れるよ」


 アルウィンは、屈託なく笑う。まるで、子供が土塊で作った人形を親に自慢するかのように。


「リュンヌ教国を動かすためではないのか? ただの戦意高揚が目的?」


 俺は、胃から乾いた笑いを吐いた。そんなことで、戦争には勝てない。


 戦意など、圧倒的な数の前では風前の灯火にすぎないのだ。


「まあまあ、リシャール。僕らの目的は、アニュレ砦を守り通すことだ。君は、先を急ぎすぎるよ。英雄になるのも戦争で勝利するのも一歩ずつの積み重ねさ。リシャール、君の力を頼りにしてるよ」


 アルウィンの言葉に協力者たちは、色めき立った。俺の脳裏にアンベールの名前が浮かんだ。


 俺は、こんな児戯に付き合っている暇はない。



「な、なんだこれは……」


 ボルドロー子爵は、膝をついた。ここが、のどかな田舎村だと言って信じるものはいるのか。


 俺は、アルウィンのやったことを今になって知ることになった。


 魔物の襲撃だけで、家が燃えるのか。これは、明らかに人為的なものも含まれている。


 焼き討ちにあった廃村と呼ぶべきだ。


「あぁ、あっ、屋敷は!? 俺の、金は、俺の奴隷どもは、どこだ」


 おもむろに立ち上がったボルドロー子爵は、よろめきながらも村の奥へと駆け出した。


「ボルドロー様、まだ魔物がいるやもしれません。お待ち下さい。おい、お前たちも来い。ボルドロー様をお守りするんだっ」


 ボルドロー派の騎士たちは、すべてを失った哀れな巨漢子爵の後を追った。


「やるよ。みんな……」


 アルウィンは、周囲のアルウィン派の騎士たちに目配せをする。彼らは、無言で剣を抜いた。


「アルウィン……」


 俺は、何も知らされていなかった。だからこそ、上手く立ち回ることができたのだろう。


 彼らが、無防備に背中を向けた騎士を斬り倒すのは、造作もないことだった。


「リシャールは、心ここにあらずだったよね。それにさ、ボルドロー子爵は、君を目の敵にしてたから監視対象だったし。何も知らせなかったんだ。隠れ蓑に使ったことは、謝るよ?」


 焼き討ちにされ、生き残った人もいない村。


 殺気立ったアルウィン派の騎士たち。無慈悲に倒されていくボルドロー派の騎士たち。


 そして、唖然とする俺。何食わぬ顔をしているのは、太陽とアルウィンだけだ。


「謝る必要はないだろ。敵を欺くにはまずは味方からだ。気にしていない」


 俺は、どこで学んだかも分からない言葉をかけた。実際にアルウィンを恨む気持ちもない。


 仕方のないことだ。


「なにそれ。リシャールは、時々わけのわからないことを言うね。まぁ、いいよ」


 アルウィンは、伸びをする。俺は、あらためて焼き討ちにされた村を見た。


 魔物に襲われたというのが、アルウィンの流した偽情報ならば村人たちは、どうしたのか。


 俺は、アルウィンを見た。


「アルウィン子爵、ボルドローを捕らえました。おら、さっさと歩けっ!」


 乱れた頭髪、灰で汚れた顔、殴られ腫れた目。斬り刻まれた豪華な司令服。


 協力者によって蹴り飛ばされたボルドローは、命乞いをしながら引きずられてきた。


「ひ、ひぃ。や、やめてくれ。ど、どうして……」


 なにか言葉を発するたびにアルウィン派の騎士──さっきまでは部下だったに暴行を受ける。


「……まだ、元気じゃないか。アニュレ砦につくまでに少し締め上げよう。祖国を裏切った代償だよ。証拠?  あったけど、焼けちゃった。仕方ないよね。焼けちゃったんだから。だから、僕がお詫びをするね。君には、名誉の戦死をあげよう」


 アルウィンは、その女性のような繊細な指先で、ボルドローの胸に光る勲章に優しく触れる。


 『アニュレの虎』と呼ばれる砦の司令に与えられる称号章を剥ぎ取った。


「ひ、ひぃ。ひやめぇてくださ……ぐがァ!!」


 アルウィン派の騎士は、ボルドローの顔を強く地面に押し付けた。


「今日から僕が、アニュレ砦の司令だよ。異議のあるものはいるかな? ボルドロー君のほうが好きだなって人は、遠慮なく手を上げてね」


 アルウィンは、その白鳥の翼のような腕を天に上げる。誰からか忍び笑いがもれた。


 やがて、それは大きな笑いへと変わる。


 第5話【アルウィンの手】完。

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