そして鐘が鳴る

 結婚式の前日は、梅雨の時期でも稀に見る大雨だった。

 だが、夜が明けると、悪天候が嘘のように、晴れやかな青空が広がった。

 まるで二人の仲を祝福するような晴れ空の下、千景はもう一度、美雨と出逢った教会に足を向けた。

 千景を見とめた美雨が、ブーケを持った手を大きく振る。


「見て。ちょうどクライマックスよ」


 美雨の言葉を証明するように、教会の尖塔に飾られた鐘が鳴る。

 アーチの向こうの扉が開き、階段の上に主役となる男女が現れた。階段の下で拍手とともに招待客に出迎えられる。

 門の入口に立つ千景には、その様子をよく見ることができなかった。ハレの日に湧き立つ人垣ばかりが目に入る。


 だから、鐘の音が悲鳴に掻き消された瞬間に起きた出来事を、その詳細を千景は把握することなどできなかった。

 騒然としながら階段の下に集まる礼服の者たち。誰も彼もがまとまりのない言葉を叫ぶものだから、こちらには何一つ伝わりやしない。


「知ってる? あの階段ね、濡れるとすごく滑りやすいんだ」


 おそらくこの場で最も冷静な女が、千景の耳にそう吹き込んだ。

 日当たりの問題なのか、それとも他の理由があるのか。日の出からずいぶん時間が経過しているが、階段上の水分を飛ばすには不充分だったらしい。

 そんな足元の悪い中、花嫁も花婿も、着慣れぬ服に履き慣れぬ靴を履いていた。招待客を迎える立場で、きっと足元に注意を払う余裕などなかったことだろう。

 そんな様々な要因が重なって、このような事故が発生した。


「一つ聴かせて?」


 めでたい日に起きた悲劇を目の当たりにしても、少女は眉一つ動かさなかった。騒ぎを眺めたまま、冷淡に、背後に立つ花嫁姿の幽霊を振り返る。


「連れて行ったの? それとも、引き離したの?」


 背中の後ろで手を組んだ彼女は、うっすらと笑みを浮かべた。


「なんのこと?」


 千景はもう一度騒ぎに目を向ける。しかし、すぐに興味をなくして視線を戻すと、そこにはもう誰も居なかった。

 用をなくし、現世に留まる理由をなくし、とうとう旅立っていったのだろう。

 挨拶もなく置いていかれたことに、千景は肩を竦めた。

 止める者がいないのだろうか。鐘は今も狂ったように鳴り続けている。


「この式場、潰れてしまうわね」


 一度花嫁を亡くしたこの場所で、もう一度血が流れたのだ。それが花嫁だろうが花婿だろうが、生きていようが死んでいようが、風評被害からは逃れられまい。

 呪いをかけるだろう花嫁の亡霊は、もう存在を消しているというのに。

 それがなんとも皮肉めいていて、千景ははじめて口の端を持ち上げた。


「まあ、どうでもいいけれど」


 身を翻し、教会から離れていく。彼らの結末に興味はなかった。

 緊急を告げるサイレンの音は、なかなか千景の耳に届かなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

祝福の鐘は良心の下で鳴り響く 森陰五十鈴 @morisuzu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ