「青い目が欲しい」〜Black Lives Matter

 ロスでは、英語がしゃべれず、アメリカ人としての常識もない中で苦労したということ以外で、肩身が狭い思いをしたことは、一度もありませんでした。

 それは本当にすばらしいことで、でも人間として当たり前のことです。

 その当たり前を作り上げたということでも、私は先人の日系アメリカ人や、アジア系アメリカ人たちに恩があると思っています。


 というのも。

 その後に移った、東海岸のある街は、東海岸の中でもかなり特殊な地域だったようで、白人至上主義者や、今で言うトランプ主義者が多く。

 勘違いではなく、私の肌の色を見るだけで嫌そうな顔をする人間の多い地域だったのです。


 あるいは、本当に思いやりがあって優しい、私の姉の友人で私のクラブの先輩だった素晴らしい女性が。

 宗教的価値観からか、トランプ支持者になった姿も目撃したり。


 あまりにも価値観が違い過ぎて、相手の人間性だけで即信用することはできない、ロス以上の異文化で、そして息苦しい地域でした。


 日本人も多くいる地域で、嫌な言い方になりますが、そんな私たちのことを「変なものは視界に入れないでおこう」と思っているのが顔に出ている、時代に逆行した人も多くいて。


 あるいは、バカな男の子たちが、スクールバスで「へへへ!」と前の席から私の席をガタガタ揺らす、ということや、ランチのカフェテリアで列に並んでいる時に、「ばあ!」と脅かされることも日常茶飯事でした。

 幼稚園生ではなく、中学生の話ですよ、これ。


 そういうとき、私は縮こまることしかできなかったのですが。

 ある日姉と一緒にスクールバスに乗っていた時、いつもと同じようにガタガタと椅子を揺らされた、その時。


「いい加減やめて! 面白くもなんともないから!」

 と、姉が一喝してくれました。


 なんて勇敢な姉だ!とその時は誇らしくなり、また自分の気弱さが少し恥ずかしかったです。


 嫌な話を冒頭からして、本当に申し訳ないです。

 なぜ、この話をしたかというと、黒人差別の歴史を学んだ時、「でも、黒人って、歴史を反省してなのか、今はアメリカ社会にけっこう馴染んでるし、日本人とかアジア人差別よりずっとマシじゃない?」と、本音ではずっとそう思っていたということを話したかったのです。


 実際、ロスではもちろんのこと、東海岸の私が住んでいた街でも、黒人の人たちはとても生きやすそうにしているように、私には見えました。

 もちろん人それぞれなのでしょうが、少なくとも肌の色で顔をしかめられていることを見ることはほとんどなかったように思います。


 それが、とてつもなく甘かったと思い知らされるのは、2020年のBlack Lives Matter、「黒人の命が危ない」運動です。


 警察に捕えられて、地面に顔を押し付けられて。

「息ができません!」、そう訴えていたのに無視をされて、結果殺されてしまった、ジョージ・フロイドさん。

 他にも、黒人であるというだけで死んでしまった、殺されてしまった多くの人たち。

 黒人として生まれると、警察に目をつけられて、何も悪いことをしていなくても、無条件に言うことを聞かなければ殺される可能性がある、と教えられるということをこの時私は初めて知りました。


 もちろん、歴史は知っていましたが、それは過去の過ちであって。

 睨まれる、嫌がらせをされる、いじめといったことは想定範囲内でも、それ以上に、命の危険が今でも直接的にあるなんて。


 60年代の、マーティン・ルーサー・キング牧師を初めとした、公民権運動の意味を、私はこの時やっと理解をしたような気がします。

 彼らは文字通り、命をかけていたのです。


 それが、私にも直接的に関係がある証拠に。


 日系アメリカ人が第二次世界大戦中に政府に受けた扱い、強制収容所に連れて行かれてしまったことなどについて、1987年に、カリフォルニア州選出のデルムス下院議員という、黒人議員がアメリカ議会下院で行った演説で。

 彼は、子ども時代に仲の良かった日系人の少年が強制収容所に送られた際の別れのエピソードを紹介したうえで次のように言ったそうです。


「これはどれだけの期間、収容されたかの問題ではない。たまたま肌の色が黄色で、祖先が日本人だという何千人ものアメリカ市民が強いられた痛みの大きさの問題です。黒人のアメリカ人として、私はアジア系のアメリカ人のきょうだいたちのために、声の限り訴えます」

(デルムス議員の演説より)


 人間として、尊重されるという当たり前。

 それを訴え続けてくれたという意味でも、アメリカの、世界の少数民族マイノリティとして、私はキング牧師やローザ・パーク、南北戦争時のハリエット・タブマン、フレデリック・ダグラス、あるいはジョージ・フロイドさんの悲劇に、強く、強く、シンパシーを感じます。


 最後に。


 アメリカが誇る黒人女性ノーベル賞作家トニ・モリソンの、鮮烈なデビュー作「青い目がほしい」の冒頭をここに記載します。

 この、幸せいっぱいの典型的なアメリカ人家庭を描いた文章を読んだ私の感想が、小説の最初と、最後でどう変わったのか。


 私は個人的には、幸せな家庭、幸せな人というものは、より多く存在した方が絶対にいいと思っている派です。

 別に性善説じゃなくて、幸せな人はいつも上機嫌でこっちも見てて気分がいいからです。


 「青い目がほしい」は、そこから抜けてしまう人たちが主人公です。

 ハッピーエンドとはとても言い難いのですが、本当に名作です。読むのにすごく体力がいるので両手を振っておすすめはできないですが、読んだことのある方がいたらぜひコメントください!





Here is the house. It is green and white. It has a red door. It is very pretty. Here is the family. Mother, Father, Dick and Jane live in the green-and-white house. They are very happy.

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私のロサンゼルス滞在記 蜂蜜の里 @akarihoney

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