神降ろしの少女

さくら

御巫の少女

冷たい風が吹きすさぶ、今年の元旦。

例年以上に寒い年始となりそうだ、と今朝の天気予報のお姉さんが言っていた。


……あのお姉さん、いつも可愛いコーデしてるんだよね……すごい高いブランドの靴履いてるし……


そんなことを考えていると、外でアルバイトの巫女さんたちに説明をしている母の声が聞こえた。


今日から大忙しだ。

だって、今日からうちの神社――「三寅(みとら)神社」は初詣に来る人たちをたくさんお迎えするから。三寅神社に祀られている「神虎(かみとら)様」に、今年一年の安全を祈願するのだ。


神社に生まれた私にとって、家の手伝いをすることは当たり前のことで、小さな頃から神主でもある父の横で、大勢の人たちを見てきた。


小さな島にある神社ということもあって、古くからの言い伝えが今でも、私達の家系も含めた島民の間で信じられている。


不思議なことに、この島のみんなの信仰心のおかげか、台風の軌道上にあるにもかかわらず、幸い大規模な被害が出ずにいる。疫病も流行らず、みんなが健康に生きて、日々を送っている。


そんな私達を、きっと見守ってくださってるんだろうな、と、なぜか遠い昔に見た記憶がある神虎様を思い浮かべるのだった。




三賀日の初日を終え、家族みんなで夕食を囲んだあと、神虎様の話題になった。


どうしても聞いてみたくてずっと聞けなかったことがあったのだが、ちょうどいいタイミングだったので思い切って尋ねてみた。


「ねぇお父さん。お父さんは……神虎様を見たことがあるの?」

「うーん、それがね……うちのご先祖様に、とても高い神力をもった人がいて、その人は神虎様の御姿を拝顔できたばかりか、神託さえ受けたと聞いてるんだけど……残念ながら、そのご先祖様以来、神虎様とお会いできた人はいないらしい。お父さんも含めてね……」

「そうなんだ……」

「でもね、香那だけは『先祖がえり』かもしれないんだよ」

「――え?」

「覚えてないかい?……そっか、香那は小さすぎて覚えてないんだなぁ……」

「え?ど、どういうこと……?」


まさか……あの薄っすらと脳裏にちらつく、森の中での出来事って……


期待と、畏れと……色んな感情がまざる。

大きく深呼吸をしたあと、お父さんは真っ直ぐ私を見て、こう続けた。


「島の外れに大きな森があるのは知ってるだろう?昔ね……何歳頃だろう、まだ2つか3つくらいの頃だったかなぁ……突然、香那が行方不明になったことがあったんだ」

「え?ゆ、行方不明?」

「あぁ……お母さんが一緒にいて、ちゃんと香那のことを見ていたはずなのに、なぜかお母さん自身もその時のことを覚えて無くてね……もう、島中で大騒ぎになったのさ」

「そうね……あの時ほど自分を責めたことはなかったわ……」

「全然覚えてない、私……」


お母さんのそんな表情を初めて見る戸惑いもあったけど、二人の中ではもう過去のこととして割り切れているのか、続きを話してくれた。


「一生懸命、みんなで探したわ。警察の人もそうだし、島中の人があちこちを探してくれたの。でもね……どこにも香那はいなかったの。『ある場所』を除いて」

「まさか……そこって……」

「香那はね、神域である森深くにある神虎様の祠の前で、まるでそこに誰かがいるみたいに、真っ直ぐに祠の奥を見つめて何かを話していたの。まだうまく話せるはずがないのに、そんなこと関係ないみたいに、何かの言葉を話していたわ……」


お母さんが遠い目をして話した後、私を優しく見つめる。


「島民のみんなも、『探してないのはもうここしかない』って譲らなかったし、私もお母さんもそれなら、って……神域の中だから、私とお母さんの二人で、奥に続く道を進んでいって……祠の手前で香那を見つけたんだ。そこで、香那のその姿を見た時……声が出なかったよ。その光景の神々しさに、『あぁ、香那がそうなんだな』と思ったんだ」


それを聞いて、朧げに覚えている気がする、森の奥深くの祠でのあの出来事の記憶が、霧が晴れたようにきれいに思い出せた。


「私……そうだ、あの時あの祠で……」


そう、あの時、あの祠で。

私は――神虎様に会っていたんだ。

雪のように真っ白な毛皮に赤い瞳をした、大きな大きな虎の姿の、神様に。


でも口に出せなかった。

あまりにも神秘的で、神々しくて――軽々しく口に出すことは、その出来事がなかったことのように消えてしまうような気がしたから。


この日、それを思い出したことが、あんなことのきっかけになるなんて、その時の私には想像できなかった。





私が神虎様とお会いし、何か言葉を交わしたことを思い出してから、私の身の回りでは少しだけ変化が起きた。


いや、少しと言っていいのかどうか分からない。


何かというと、「私」を見る島のみんなの視線が、いつもと違って見えるようになったのだ。


正確に言えば、気づいた、というべきかも知れない。


今までは気づいていなかった――いや、気付けなかったその視線――そこには、私が神虎様に抱いているものと同じ、「畏怖」、「恐れ」、それ以上に「信仰心」が、他ならぬ私に向けられていることに、今になって感じるようになった。


表面上は、今までと同じように接してくれているように見える。

ただ、あの時のことを思い出してからは、ぼんやりと――「物質的なもの以外のもの」を、まるで「別の目」で視ているかのようになっていた。


お父さんやお母さんは、何故か「その目」で視えなかった。

同じ家系だからだろうか。


夜になり、私は自分の部屋でベッドに横たわりながら考えていた。


「三寅家」に連なる人々。

神虎様と交信できたご先祖様。

代々、神主として三寅神社の祭祀を仕切ってきた私達の家系。


――そして、先祖がえりかもしれない、私。


立ち上がって、鏡に映る自分を見る。


そこにいるのは、いつもの私。


「小さな頃、神虎様と交信してたんだ、私……」


鏡に手を伸ばすと、向こう側の虚像と手が合う。


「ねぇ香那……私って『誰』なんだろうね」


自然災害や疫病がない島。

それもあって、ここに生まれた人々は、神虎様をとても深く信仰している。

小さな頃、神域の中で神虎様と交信していた私は、皆からみたら、「神託を受けた」と映ったとしても不思議じゃない。


――神託。


「……普通の高校生なんだけどなぁ……」


もし、私が神虎様と会っていたことを思い出した、と皆に言えばどんなことになるのだろう。


憎まれる?羨まれる?……嫉妬される?

それとも、神託を受けた子として担ぎ上げられる?


「……いずれにしろ、いままでとは違うんだろうな……」


この島の皆は、神虎様への信仰がとても深い。

そこに、神虎様と交信した事実を思い出した私が現れた。

それがどんな影響を与えるのか――


不安に潰されそうだった。


「……神虎様……」


ふと鏡越しの私の目が、赤く光った気がした。





あまり眠れなかった私は、母に起こされて慌てて朝食を摂り、急いで支度した。


今日は三賀日の二日目。

毎年、本土からの参拝客も多いこの島にとっては、観光客の増加は嬉しい反面、あまりよくないことも多くあった。


昨日のこともあって、私は人の目にとても敏感になっていたけど、そんなことを忘れるくらい三寅神社への参拝が今年は多く、やっと休憩を取れたのは午後3時を回った頃だった。


「いやぁー、何、今年?人多すぎっていうか……嬉しいことなんだけど……」

「そうだねぇ。ここまで参拝客が多いのは久しぶりだねぇ」


お昼ごはんのおにぎりを頬張りながら、そんなことをお手伝いに来てくれているおばあちゃんと話していると、予想通り外から大声で怒鳴り合うのが聞こえてきた。


「ほらやっぱり。だから本土の人が来ると嫌なんだよね……」

「大人しく参拝だけしてくれればいいんだがねぇ」

「毎年だよ、ほんと。しょうがない、ちょっと行ってくるね」


毎年だ。本当に毎年のようにこういうことが起こる。特に三賀日は酷い。


先に言った「よくないこと」とは、本土からくる参拝客のマナーの悪さのことだ。

ゴミは捨てるし、煙草は吸うし吸い殻も捨てるし。おまけに参拝中に酒盛りなんてこともあった。

そのたびに、島の皆と衝突して、警察に電話する事態になることだってしょっちゅうだった。


父と母は忙しいし、それもあっていつも私と島の人達で協力して騒動を収めていたから、私が行こうとすると、おばあちゃんが引き止めた。


「いや、香那ちゃんは行かんほうがええ。御巫(みかんなぎ)様じゃからの。他の島のもんに任せときゃええ」

「え?み、みかん……?」

「『御巫(みかんなぎ)様』じゃよ。御巫様は、この島の守り神の『神虎様』の神託を受けた巫女様のことじゃ」

「……!!おばあちゃん、私のこと知って……?」

「ひゃっひゃっひゃ、知らいでか。このお婆は島で一番長う生きとるからのぅ。香那ちゃんが神域で『神隠し』にあったことは、皆が覚えておるからのぅ。しかし、香那ちゃんだけじゃった。神虎様とお言葉を交わされたのは……」


おばあちゃんに引き止められて、もう一度テーブルについた。

お茶をすするおばあちゃんが、私のことを眩しそうに見つめながら続けた。


「わしがほんに小さな頃から、『神隠し』はあったんじゃよ。そのほぼすべてが、黙って神域に忍び込んだことが原因じゃった」

「え?じゃあ、その人達も私と同じ……?」

「んにゃ、違う。神域に忍び込んだ事自体を覚えておらんかったからのぅ。決まって、『神域の外』で気を失っているのを見つけられたんじゃよ」

「え?神域の、『外』?私は……」

「そう。香那ちゃんは、香那ちゃんだけは違(ちご)うた。香那ちゃんは、神域の内側で、しかも言葉を交わしているところを見つけられた……おそらく、その時の記憶は薄っすらとあったのじゃろう?」

「……うん。おばあちゃんの言う通りだよ……で、でも私だけ?他の人達は、同じように神虎様とお話していたんじゃ、ないの?」


その問いに、おばあちゃんは首を横に振った。


「神虎様が神域の内側で、記憶を奪うことなしにお言葉を交わされたのは、わしが知る限り香那ちゃんだけじゃ」


……なんとなく、皆から感じ取れる、畏怖以外の感情――それが、「崇拝」に近いものだと、今分かった。


「そ、それって私が三寅家の家系だから?『先祖がえり』かも知れないから?」

「うむ、確かに三寅家かどうかというのは、大事な点じゃろうて。神虎様を祀ることを代々引き継いでおるからのぅ。神域に出入りできるのも三寅家の者だけじゃ。じゃが、その三寅家でさえ、遥か昔におわした御巫(みかんなぎ)様以来、誰も御神託を授かった者はおらんかった……『先祖がえり』と言われるのも無理はなかろうて」

「……お父さんもお母さんも、昨日そんなこと教えてくれなかった……」

「時期が来てすべてを話すつもりじゃったんじゃろう。一気に話したとして、お主がそれを信じて受け入れるかどうか分からんからのぅ」


情報でパンクしそうな頭を、おばあちゃんが優しく撫でてくれた。


「まぁ、香那ちゃんが御巫(みかんなぎ)様であっても、今までと何も変わらん。お主自身の中では変化があるかもしれんがのぅ。島のもんにとっては、三寅家あってこその神虎様じゃ。ずっとずっと、その血を絶やさず、神虎様をお祀り続けた。神虎様が最も感謝しとるはずじゃよ。御神託を授かったかどうかは関係なくのぅ」


おばあちゃんのその言葉に、声が揺らぎ、嗚咽を必死に堪えた。


「わ、私……神虎様とのことを思い出してから、すごく怖かった。今まで視えなかったものが視えるようになった気がするし、どうして長い歴史の中で私なんだろう、っていう疑問もあって……み、みんなから恨まれたり、嫉妬されたりしたら嫌だな、とか、か、家族からもそういう感情を向けられるんじゃないかとか、い、いろいろ思うと……ひ、ひっく……ひっく……」

「よしよし、ええ子じゃええ子じゃ。大丈夫じゃよ。みな、人は他と違うことを恐れる。それは時に負の感情となって渦巻くが、それを宥めてくださるのが神虎様、そして三寅家の者たちなんじゃよ。じゃから昔からこの島には、島民どうしの大きな諍いは起こらぬ。みな、神虎様と三寅家に、感謝しとる。じゃから、安心せい」


怖い。

私が何なのか、誰なのか、どうして私が選ばれたのか、わからないことばかりだった。

でも、おばあちゃんの言葉で、心に引っかかっていたものが落ちた気がした。


「……ありがとう、おばあちゃん……」

「ひゃっひゃっひゃ、気にするでないわい。皆がついておる。神虎様のご真意は測りかねるが、御巫(みかんなぎ)に選ばれた理由は、そのうち分かるじゃろうて。御神託が再度あるやもしぬ」

「……うん」

「さて、お婆と話しておったらいつの間にか外の喧騒も落ち着いたようじゃの」

「あの……おばあちゃん、ありがとう。すごく気が楽になった」


そういうと、もう一度シワシワの手で頭を撫でてくれた。




二日目の夜になり、ようやくすべての仕事が片付いた三寅家は、夕食を囲みながら今日の騒動のことや、私がおばあちゃんから聞いた話を父と母に話したりした。


おばあちゃんがあまりにも詳しく知っていることに驚きつつ、父も母も、「あの人は昔から三寅家の人間でも知らないことを知っていたからなぁ」と納得もしていた。


その上で、父と母が改めて私に言い聞かせるように優しく言った。


「いいかい、香那。おばあちゃんの言ったとおり、お父さんもお母さんも、香那に本当のことを言うタイミングをずっと探ってたんだ。いつか、知っておかなければならないことだし、神託を受けた御巫(みかんなぎ)が、今後どうなるのかを知っている人間は、もうご先祖様だけなんだ。慎重にならざるを得なかったのを許してほしい」


そう頭を下げる父に、慌てて頭を上げてもらった。


「三寅家に伝わる書物によると、神託を受けた御巫(みかんなぎ)は、神虎様の言葉を伝えるため、『神降ろし』をするとも言われている。内なる声を聞くと書いた書物もある。怖いかも知れないけど、みんな一緒にいるから、みんなで支えるよ、香那」

「……!お父さん……!!」

「おっと……ははは、何年ぶりだろうな、香那がこうして抱きついてくるのは」


おばあちゃんの言うとおりだった。

島のみんなや、家族と一緒に乗り越えていけばいい。

私が御巫(みかんなぎ)としてどうなるのか、わからないことだらけだけど、神虎様を思う気持ちは皆同じだ。

そう思うと、先の見えない怖さが薄れていくのを感じた。


その瞬間。

大いなる存在――この島の神、神虎様が、遠いどこかから私を「視ている」のを感じた。

優しい、慈しむような、温かい心が、私の中を満たしていった。


「――神虎様……」

「香那?どうした?」

「今ね……神虎様を、感じた」


父に抱きついた形から、急にキョロキョロし始めた私を訝しんだのだろう。

そう答えると、「平気か?」と心配してくれた。


「うん、大丈夫だよ、お父さん、お母さん。神虎様は、きっとすっごく優しい方だよ」


こうして、二度目の神虎様との交信を経験した私は、その温かさに触れ、昨夜と異なり安心して眠ることができた。





――ここは、どこだろう?見覚えがある、森の奥……ここって神域?


私はどうしてここに……?


『……』


『……、……』


『――――!』


突如、頭の中で呼びかけられ、その呼び声がしたのが、神虎様の祠がある方向だと感じた。


『御巫(みかんなぎ)よ――此度の御巫よ、妾の呼びかけに答えよ』


「――っ!」


パチっと目が覚めると、そこは祠ではなく自分の部屋。

今見ていたのが夢だったことを知る。


――でも。


祠が見えて……そこで何かが起きている。


それに、夢の最後の呼びかけ――


あれは――神虎様が、私を呼ぶ声。


「――神虎様が……危ない……」


目が覚めたにもかかわらず、未だに夢と現実が交錯しているような感覚がする。

そんな中、真っ暗闇の神域を、まるで導かれるように、道を間違えること無く森の深部へと向かっていく。


神虎様の祠に。


やがて見えた祠に通じる道の、奥の方が、やけに明るく照らされていた。

そして聞こえてくる、騒がしい声。それも一人や二人ではない。


『――』


声ならぬ声が聞こえた気がした。焦りや怒り、そして私を見つけた時の安堵。そんな感情が視えた。


「神虎様……今、参ります……御巫(みかんなぎ)が、今参ります……」


やがて見えてきた光景に、心の中が真っ赤に焼け付くようだった。


男たちが切妻屋根(きりづまやね)を勝手に開き、中に安置してある神虎様の祠――石祠(せきし)を取り出し、あまつさえ足をかけ、バカにするように笑いながら酒をあおっていた。火を焚き大声で騒ぎながら、どうやらこの島への不満をぶちまけているようだった。


間違いなく、昼間に騒動を起こした連中だった。


『――』


神虎様の声が再び聞こえる。

この強い悲しみは――きっと、御自身の石祠があんな扱いを受けていることに対するものだけではない気がした。

そうではなく、もっと広い――私達人間への、深い悲しみが感じ取れた。


「……あぁ?何見てんだコラ?」

「テメェ、この島のモンだな……やたらと徒党を組んで俺らを邪魔者扱いしやがってよ……」

「おい、へへ、見ろよ、テメェらが後生大事にしてる、カミトラサマってやつを祀ってる場所だろ、ここ?どうだよ、こうして足蹴にされてる気分はよぅ?ギャハハ!」


心の底から怒りが沸き起こる。


どこに、地元民が大切にしている場所を踏み荒らす権利があろうか。

この場所が、私たちにとって、どれほど神聖で大切な場所か。

代々、三寅家が守り続けてきたこの場所を荒らし、神虎様を侮辱するなど――


――神虎様、力をお貸しください――


『御巫(みかんなぎ)よ――妾の怒りと悲しみを受け止めよ』


肯定の意を示す間もなく、私の怒りが神虎様の怒りと共鳴していく。


「う、うわぁ!な、なんだ!?」

「ひ、光りだしたぞ!?」


「見えないものを視る目」が捉える。

石祠から御姿を現す神虎様が、私と重なるのを――


大いなる存在が私と一つになり、私は神虎様となり、神虎様は私となる。

神虎様が私に降り――赤い瞳をした、白く大いなる虎の神の姿が、まるで私と一つとなり、重なっていく。


神が降り、私の言葉は神虎様の言葉であり、神虎様の言葉は私の言葉となった。


その言葉は、『神言』であり、その一言一言に強力な言霊を含んでいた。


「『傍若無人に妾の神域を荒らす輩共よ――』」

その言葉だけで、嵐のような風が森中を吹き荒れ、一瞬で石祠の周りの火を消し、男たちが倒れていく。


「『我が神域に足を踏み入れるまではよし……だが、妾の石祠にまで手を出し、妾のみならず、愛するこの島の者たちまで侮辱されるのは、我慢がならぬ』」


私の意思に関係なく、口から自然に言葉が――神言が溢れ出る。


「『長らく妾の御巫(みかんなぎ)は不在であったため妾だけでは何もできんかったが――この者が覚醒したからには、貴様らのような、信仰を踏みにじる輩には、大いなる災いを与えてやろう』」


一歩、一歩。

私が近づくことは、神虎様が近づくことだ。


男たちは腰を抜かし、逃げようにも逃げられずにいる。


『神なんているはずがない』


そんなことを神社でも、そしてこの場所でも叫んでいた彼らは、ありえるはずがない現象を見るかのように恐怖に慄(おのの)いている。


私の一歩が、やがて男たちを見下ろすところまで近づき――

私の腕が伸び、神虎様がその指先を、この哀れな者たちに向けた。


「『愚かな者共よ――汝らの罪は決して消えぬ。この場所を穢した罪は災いとなり、そなたらがその命が散らすその時まで、そなたらを追い続けるであろう』」


「ひ、ひいー!!」

「も、もう二度としません!」

「お、お許しをー!」


「『失せるがよい、この場を穢した者らよ』」


そして、私の腕をひと振りした時――再び暴風が私と神虎様の周りに巻き起こり、風が収まったときには、すでに彼らがここにいた痕跡そのものすら残っていなかった。


『あやつらは、この出来事が現実に起きたことであることを決して忘れることができない。目が覚めた時、妾の言葉がやつらの脳裏に焼き付き、生涯に渡り己の業を思い出すであろう』


私と二人だけになった神域で、私に降りたままの神虎様が言う。


『いや、それももはやどうでもよい。御巫(みかんなぎ)よ、よくぞ妾の声に応えてくれた。久しくおらんかったが、そなたの家の者たちが、今の今まで、ようしてくれた。それに妾も応えてやらねばならぬ』


神虎様――


『しかしそなたは妾のこの姿を怖がらんのじゃな。いや、以前、初めてそなたに会うた時もそうだったよのぅ……妾を見て妾の言葉を解する者など、絶えて久しかったからのぅ……ここまでそなたが成長してくれて、ありがたく思うぞ』


その言葉に、今度は私は自分で答えた。


「いいえ、神虎様。神虎様にお会いできたのは、きっと私の運命だったのです……貴方様の盾となり、必要とあらば剣ともなりましょう」


今の出来事で理解した。御巫が、どういう存在なのか。私が、何のためにこの歳で覚醒したのか。全ては、神虎様をお守りするためだったんだ。


――おばあちゃんや、父や母が言っていたことは、こういうことだったんだ――


私の心を読み取ったのか、神虎様は嬉しそうな、温かい感情を私に隠すこと無く向けてきた。


『ふふふ……此度の御巫(みかんなぎ)は言うことが情熱的じゃのぅ……前の御巫は妾を恐れてばかりじゃったのに。気に入ったぞ、香那。また相見えようぞ』

「――、神虎様っ!!」


――大丈夫じゃ、妾の御巫であるそなたとの絆は切れることはない。今宵はひとまず休むがよい――


私に降りていた神虎様が遥か彼方へと離れていくのが分かり、焦って声をかけた。


でも、その慈しむような優しい言葉に、自然と安堵し……いつの間にか帰ってきていた自室のベッドで、瞼を閉じたのだった。





朝起きると、大変なことになっていた。

三賀日の三日目の朝で、慌ただしく準備しなくちゃいけないのに、父と母ばかりか、おばあちゃんや島民のみんなまで、三寅神社に早くから集まっていた。


よくよく聞くと、昨日の夜中の騒動が皆に伝わったらしく――それだけでなく、「神虎様の顕現」まで、全員が感じ取ったらしかった。


もちろん、私が神虎様に選ばれた「御巫(みかんなぎ)」であることも。


「これまで長う生きてきたが……あれほど神虎様を近くに感じられる日が来ようとはのぅ……」

「まさか、あんな話をしていた翌日に、早速顕現なさるとは……香那の力を、神虎様がそれほど頼りにしていたということだよ」


おばあちゃんや父、他の皆からいろいろと昨日のことを聞かされて、最後に改めて私が自分のことを説明することになった。


「あ、あの……ゆ、昨夜はお騒がせしました……神虎様の御巫(みかんなぎ)として覚醒したばかりでしたが……神虎様が私に降りて下さったおかげで、不埒な者たちを懲らしめることができました。若輩者ですが……みなさん、改めて宜しくお願いしま――」


その時、大きな存在が急に私に降りてきて、私の言葉の最後が途切れてしまった。

只事ではない雰囲気に騒然とする皆だったけど、私とは違う声色、そしてオーラで、今私に降りているのが神虎様だということが瞬時に分かったようだった。


皆が頭を下げているのを見て、神虎様が私の体を通して伝える。


「『頭をあげよ、島の子らよ――愛しい妾の子らよ。こうして妾の言葉を伝えることができることを嬉しく思う。今まで、よう妾を信仰してくれた――そなたらには感謝してもしきれぬ』」


私の目を通して、神虎様が島民の皆を見やり、感謝の意を伝える。

いかに神虎様がこの島を愛し、島の皆を大切に思っているかが、私にも伝わってきた。


「『そして三寅家の者らよ。遥か昔から妾を祀り続けてくれたその大恩に、妾も報いねばならぬ』」

「……勿体なきお言葉、痛み入ります……」

「私たちは、私達の使命を果たし続けてきただけですから……」

「『うむ。これからもよろしく頼む。特に、この御巫(みかんなぎ)……香那といったか……この娘が、ほんによう働いてくれた』」


神虎様が、父、母に言葉をかけた後、私自身に向けて言葉を続けた。


「『この三寅香那。久しく不在であった妾の御巫(みかんなぎ)よ。妾の神域を破壊しようとした輩から守ってくれた。ほんにようできた娘じゃ。この娘を、みなよろしく頼むぞ。妾の大切な『番(つが)い』じゃからの』」


その言葉に父と母が目を見開いた。

それはそうだ。私も今、神虎様の爆弾発言で驚いて声も出ない。

……降りている状態だから、声は出せないんだけど……


「『ふっふっふ、この香那は、妾になんと申したと思う?『貴方様の盾となり、剣にもなりましょう』と宣言してくれたのじゃ。これで妾も他の11柱に自慢できるというもの……熱烈なぷろぽおずじゃったのぅ……』」


私の体を使ってデレるのは止めてください神虎様。

というか、あの言葉は無意識で言ったもので、そういう意図があったとは……


「『ん?香那がなんぞ申しておるのぅ。なになに、そんなつもりで言ったのではない?はっはっは、照れるでない、妾とそなたは互いの感情を感じ取ることができるじゃろう。限りなく互いの存在を認めあっている時にしかその現象は起きぬからの。最初の御巫(みかんなぎ)には、ついぞできんかったことじゃ。それに『盾となり剣となる』とは、すなわち、『病める時も健やかなる時も』という婚儀の際の宣誓と似ておろう。どうじゃ、納得したかの?』」


どれどれ、妾の番いがこんがらがっておるから、今はこれくらいにしておこう、という言葉を最後に私から離れていった神虎様。


誤解を解かなくては、と思っていると、ふと神虎様の声が私に聞こえた。


『ふふ、どうじゃ、みなに分かるように説明してやったぞ。これで円滑に物事がすすもうて』

「か、神虎様ってばなんて説明を……!」

『まぁ待て待て。鏡を見てみよ』


その声に、ちょうど姿見がある場所に映っている私自身と、もうひとりの、古式ゆかしい美女が映り込んでいた。


「ま、ま、まさか、神虎様!?こ、こんな美人だったのですか!?」

『いい反応じゃのう。初々しくて妾も楽しいぞえ』

「か、神虎様って大っきな虎の御姿だったのに……」

『あぁ、あれは神として顕現した姿じゃ。妾を含めた12柱の神は、みな人型をとることができるからの』


カラカラと楽しそうに鏡の中で笑う神虎様。

大虎の御姿のときと異なり、人の姿をしている分、なんだか親近感が湧いてしまう。

というより、あまりにも美人な女性だったので、驚いて何も言えない。

美人すぎて見惚れてしまう。


『さて、香那よ、妾の御巫(みかんなぎ)よ。時間はたっぷりあるでのぅ。そなたを口説き落とすには十分すぎるかもしれんの?』

「も、もう神虎様ってば!」

『ふふふ、そなたの唇を奪える日が楽しみじゃ。のぅ、香那よ?まぁ、そなたのその反応を見ておると、割と早そうじゃがのぅ』


あまりにも艶やかに、妖艶な笑みで私を口説き始めるその姿に見惚れている私。


でもその私の姿はまだ人前だった、という事実に私が気付くまで、しばらくかかり……あとでいろいろと根掘り葉掘り聞かれることとなったのだった。


「もう……せめて一人の時にしてくださいよー!神虎様ったら!」


もみくちゃにされて、皆が三賀日の準備に散っていったあとでそう叫ぶ。

でも神虎様はそれを聞き逃す訳もなく……。


『ほぅ、一人の時なら、と言うたの?ほほほ、言質は取ったからの。覚悟したもれ』


かぁ、っと顔が熱くなるのをさんざん神虎様にからかわれ、それ以来、神虎様の気配をいつも感じるようになったのだった。


これが、私が一柱の神様と出会ったお話。

このお話の続きは……


『妾と香那の子ができてから、じゃの?』

「も、もう!いま出てこないでくださいよ!それに服着てください!!」


……またの機会に、かな。


Fin



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あとがき

こんにちは、桜宮です。

恋愛要素は少なめですが、神道の用語を参考に、いつか書いてみたかった「神降ろし」「巫女」「神様×女の子」というジャンルができました!

神降ろしの少女がのし上がっていく、みたいなストーリーではないのですが、お楽しみいただけたなら幸いです。

なお、作中に出てくる「御巫(みかんなぎ)」については、史実上の役割とは変えて、あくまでもこの作品の中での扱いとしてあります。また「神言」と書いて「しんごん」と読ませていますが、この語も作中の造語です。

読了、ありがとうございました!

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