第2話

 次の日には轟音が鳴り響く。砲撃再開だ。今日のは少し近い。一斉退避、我々は駆け出す。敗走ではない。逆転するその日まで、戦力を保持し続けるための戦略だ。夜の帳が下りても安らぎとは無縁だ。照明弾が昼間のような明かりを森をもたらし、簒奪者の目が獲物を探す。今日生き延びても、明日の保証はない。昨日まで隣で笑っていた戦友が肉の塊となり横たわるのも見慣れた。敵の包囲網が狭まっていくにつれて、まともな食事をあり付けることもどんどん減っていった。兵士の行軍は食べ物を探し回る餓鬼の行進となった。食料を見つけるより、アメリカ兵の襲撃に遭う方が頻度が高い。今日は敵の斥候兵に遭遇。敵部隊の集結が想像以上に早く、今日も一人、仲間が減った。

 草を切り拓き、山を登り、谷を越え道なき道を進む。すでに佐山上等兵を始め、多くの戦士を失った。いつまでこんな日々が続くのかと思っていたが、死と隣り合わせの行く当てのない我らの旅は急に終わりを告げた。草が刈り取られ不自然なまでに平坦な場所に出た時、自分たちの軽率さを呪った。気が付いたときにはもう遅い、草むらから人影が一斉に飛び出し、数えきれぬほどの銃口が向けられ、一瞬で敵に包囲された。一方こちらはすでに弾丸は尽き、この場を抜け出すことは万に一つも出来そうもなかった。最期の時を覚悟した我々に向かって、正面から、銃も構えず、背筋を伸ばし、一歩一歩確かな足取りで一人の将校が近づいてきた。自信が漲り、余裕たっぷりな表情。怖いものなど何もない王様、世界の中心。

 私は軍刀を手に取った。しかし、持ち上げることは出来なかった。憎き敵兵が一匹、隙だらけの格好で近づいてくる。最後の一人となろうとも戦い続けるという気概を持ち続けていたはずなのだが、ここにきて体が言うことをきかない。自分の道ずれに玉砕覚悟で突撃することを頭で考えていても、それが行動に移せない。そう、私は死を恐れていたのだ。このままでいても殺される運命は変わらない。それでも一分一秒でも生き続けたいという本能が体を支配していた。

 私をここまで生き残らせてくれた戦友たちよ、すまない。私は仇を取ることは出来ないようだ。

 次の瞬間、目の前が真っ暗になった。しばらく自分に何が起きたのか状況が飲み込めなかった。やがて頬に当たる土の感触でその場に伏せていることに気が付いた。体のどこにも痛みは感じないので、銃で撃たれたわけではなさそうだ。だが立ち上がることが出来ない。体に力を入れることが出来ない。まるで全身の筋肉が溶けたみたいだ。私は意思とは無関係に敵兵に頭を下げていたのだ。地面を舐めるように深く、深く。

 足元でうずくまるような格好になっている私に向かって片言の日本語で敵の将校は言った。

「センソウハ オワリマシタ。トウコウシテ クダサイ。」

 私の肩にポンと手を置いた。目の前が真っ白となった。それの意味するところを理解できなかった。意識が飛びそうになった。他の隊員たちの泣き声が聞こえてきた。口の中が土でザラザラした。ややあってその言葉をやっと理解し、私も泣いた。肩に感じる重みに温もりすら感じた。地面に顔を伏せながら大声で泣いた。悲しみ、安堵、諦め、恐怖、困惑、後悔、罪悪感、ありとあらゆる感情が混ざり合い、言葉にできない感情が慟哭となり、戦場に響いた。取り囲む敵兵たちは、笑っていた。

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