第3話 春告げ鳥の喚ぶ嵐③

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 白い塔――通称「中央塔」と呼ばれるその建造物は白い蔦を寄せ集め、ねじりながら上へ上へと伸ばしたような奇妙な形をしている。

 その塔を抱く浮島『メディウム』からは〈獣騎士団〉の治める『シルヴァ』、〈闘騎士団〉の治める『ラクス』、〈魔導騎士団〉の治める『クリスタルム』、〈鋼騎士団〉の治める『アレーナ』の四つの浮島へと天空廊が掛けられており、騎士団長のみが往来を許されていた。

 中央塔の最上階は広々として天井が高く、半球状の天窓には磨りガラスが使われていてまだ薄暗い。

 外観と同じく白を基調とした造りだが広い部屋の中央には巨大な金の鳥籠が鎮座しており、中ではひとりの女性が慎ましく暮らしている。

 透き通った白い肌と雲を細く長く紡いだような腰まである白い髪。

 ほんのり紅を差したような柔らかな唇と、睫毛の長い金色の瞳。


 ……彼女こそが『春告げ鳥』……その器だった。


「リーヴァ、とうとう始まるんだな?」

 一番に中央塔に辿り着き、最上階までを一気に駆け上がってきたのは狼を思わせる容姿の〈獣騎士団〉団長ロア。

 籠の中、紅いソファに深く腰を沈めていた『春告げ鳥』――リーヴァは立ち上がるとロアの待つ格子越しにゆるりと歩み寄り、柔らかく微笑んだ。

「俺たちが勝ったらリーヴァをここから連れ出すよ。『シルヴァ』の森を案内するからな。ほかの奴らも招待してさ」

 ロアは捲し立てると格子をそっと握り、向こう側にいる彼女に頷いてみせる。

 彼の結われた灰色の髪が肩を流れたところで――空気が動いた。

「……君ってば本当に真っ直ぐだよね。ま、さっさと〈島喰い〉を倒して『リーヴァ』を出してあげることには賛成だけど」

 振り返ったロアの後方、やってきたのは〈魔導騎士団〉団長テト。

 ロアは彼を見るとからからと笑った。

「テト! 久しぶりだな、最後に会ったのいつだ? んー、もう一年くらいか。全然成長してないんじゃないか? ちゃんと食べてるか?」

「僕はもうこの容姿でいいんだよ。諦めてるって何度言わせるつもり? ……そういうロアは相変わらず人相が悪いね」

「そうか? 俺ってそんなに恐い顔してるのかな……」

「真に受けないでよ……からかい甲斐ないよね君……。まあいいや。おはようリーヴァ」

 テトはロアの隣まで歩み寄ると右手を広げて手のひらで顔を隠すような〈魔導騎士団〉の敬礼をした。

 リーヴァはテトの言葉に頷くと、ふと彼らの後ろに視線を移す。

「おはようございますリーヴァ。さすが、早いですねロア、テト。元気も有り余っているようですし」

「レント! おはよう。久しぶりだな! えぇと……一年くらいか!」

「君、全員にその挨拶するつもり……? ――そっちこそ元気だった、レント?」

 やってきたのは〈闘騎士団〉団長レント。

 赤い簡素な鎧に身を包んだ彼は淀みない足取りで籠の前までやってくると、ロアとテト……そしてリーヴァに向けて優しそうな笑顔を浮かべ、続けて肩を竦めた。

「本を読むのに夢中でしたから、すっかり徹夜で元気とは程遠いですね」

「あの図書館にまだ読む本があるの? 君、飽きないよね……」

「まったくだな。俺はすぐ眠くなるよ」

「二度読んでも三度読んでも飽きないものですよ? あなたもどうです、テト。……ロアは……そのままでもいいかもしれませんが」

「そうだよな、狩りだって楽しいし」

「そこは馬鹿にされてるって気付きなよロア……」

 テトは「ふう」と大袈裟なため息をつくとリーヴァに向き直った。

「あとはガロンさんだけか。お告げはそれからなの?」

「……、……!」

 リーヴァはこくこくと首を縦に振り、頬を緩めてほわりと笑う。

 ……彼女は声を出せない。

『春告げ鳥』が謳うのはお告げのときだ……と、新たな騎士団長である三人は教えられている。


 ……五年前、騎士団長に就任した彼らが最初に行ったのは『春告げ鳥』との謁見だった。


 この巨大な籠の中――『お告げ』を謳うためだけに囚われた存在。

 歳も変わらないのに、声を封じられた少女。

 指導係のアルマから『春告げ鳥』は〈島喰い〉を封じるために眠りについているのだと聞いていた。

 ならば、目の前の少女はどうして瞬きをするのだろう。

 ならば、どうして優しく微笑むのだろう。

 ロアは他に類を見ない金色の瞳を覗き込んで不思議に思った。

 ガロンはそんなロアの疑問に、どこか寂しげで苦しげな表情でこう言ったのだ。

『それはお告げの日にわかるはずだ』――と。


「なんだ、俺が最後か。若者たちはやる気があるな」


 そこに響いたのは渋い声。

 くだんの〈鋼騎士団〉団長ガロンの登場に……ロアは口角を引き上げた。

「おはようガロン! 久しぶり。……えぇと」

「半年前にここで会ったのが最後だな」

 先回りして応えたガロンは軽く右手を上げ、ぐるっと部屋を見回す。

「世話役たちはいないのか?」

 彼の言う世話役とはリーヴァの身の回りの世話をする者たちのことだ。

 テトは肩を竦めて首を振った。

「まだ明け切ってもいないし、世話役たちも眠っているんじゃないの」

「それはさすがに……彼女たちもお告げがあることは承知しているでしょう」

 異を唱えたのはレントだけれど……そこでロアの耳がぴくりと動く。

「来たみたいだ」

 その言葉にいざなわれるかのように白い部屋に入ってきたのは白いローブを頭からすっぽり被った五人の女性たちだった。

 彼女たちは『世話役』と呼ばれ、リーヴァの身の回りの世話と、この中央塔の管理を行っている。

 そしてその先頭……白髪を団子状に結い上げた妙齢の女性が黒い双眸を細めた。

「こうして全員が揃うのは一年ぶりですね。お元気でしたか?」

「はい。このとおり息災です。アルマ先生もお元気でしたか」

 レントは拳を胸元で突き合わせると軽く腰を折る。

 そう。世話役筆頭を務めるのは彼らの指導係でもあったアルマなのだ。

「おはようアルマ先生、三日ぶりだな」

「ロアは相変わらずですね」

 犬歯を覗かせて笑うロアに、アルマは「ふふ」と笑ってからふと笑顔を消した。

 とうとう来てしまった――この日が。そう思ったからだ。

 その思いは彼女の神経を緊張させ、胸がズキリと痛む。

「……皆さん、刻は満ちました。呼ばれたのですね――『春告げ鳥』に」

 肺を絞るように口にすれば、ロアの、テトの、レントの背筋が伸ばされた。

 ……姿勢を正す彼らをひとりひとり見詰めたアルマは……最後にガロンと視線を合わせる。

「……ガロン、よいですね」

「ああ。十年間……やれることはやってきた。俺にはこいつらを引き込んだ責任があるからな。さあ……『春告げ鳥』、嵐の到来を告げろ」


 その渋くて耳に心地よい声に……格子から手を放したリーヴァの細い体がゆら、と揺れたのそのときだ。

「……リーヴァ?」

 気付いたロアが籠を振り返ると……彼女は両腕で自身の体を掻き抱くようにして俯く。

 真っ白な雲を丁寧に細く長く紡いだような髪が、さらりと肩から滑り落ち――。


「…………ふ。どうやら、十年保ったようじゃの」

 その喉をふるわせて。

「随分老けたなガロン? 実に渋くて妾好みになったものよ」

 顔を上げ、金色の双眸を細め――『春告げ鳥』がさえずった。


「り、リーヴァ? 声が……⁉」

 咄嗟に格子を掴むロアに、籠の中の女性は一瞬だけきょとんと瞼を瞬き、次いで苦い表情で笑った。

「――ガロン。こやつらは新しい騎士団長かの? お前、妾のことを話しておらぬのか?」

「ああ」

 頷いて応えたあとで、ガロンは無意識に己の左眼を塞ぐ傷に指を這わせる。

『春告げ鳥』が望んだ条件のひとつ……その器が人の体であった事実を、ガロンはずっとロアたちに話すことができなかった。

 卑怯だとわかっていながら――この日を待つことを選んだのだ。

 そして器としてこの籠の中に囚われ、声を奪われた少女『リーヴァ』は……。

 ガロンがそっと瞳を伏せたとき、意外な言葉を紡いだのはレントだった。

「貴女が本物の『春告げ鳥』ですか。やっとお会いできましたね! 初めまして、私はレント。〈闘騎士団〉団長です。貴女の器であるリーヴァは……〈魔導騎士団〉前団長の娘さんですね?」

「なに? ……レント、お前それをどこで……」

 薄紫色の瞳を驚愕に瞠ったガロンに彼は「ふふ」と口角を吊り上げ、次いでテトが呆れたように肩を竦めた。

「僕たちが騎士団長に就任して五年、なにも学ばないでいたと思う? ガロンさん。……知らないのはロアだけってこと」

「え、ちょっと待ってくれよ。どういうこと? 皆、なに言ってるんだ?」

 狼狽えるロアを横目にテトは『春告げ鳥』を振り返る。

「僕たちと歳が同じ『春告げ鳥』なんてどうかしているでしょ。十年前に〈島喰い〉を封じたのがリーヴァだなんて信じられなかったんだ。もともと『春告げ鳥』は南十字サウスクロスト浮島群の『核』だって授業でも習ったし、大昔から存在しているはず。だから調べていたってわけ。まあ……〈魔導騎士団〉のなかで前団長に娘さんがいたって話も出ていたし、僕が勘付く切っ掛けは多々あったんだけどね。――君もでしょ、レント」

「そうですね。私の騎士団でも『春告げ鳥』がどういうものかは話題になっていました。……私の場合は図書館の本で読んだのですが、ずいぶん永い刻をお過ごしで知識も豊富のはずです。にもかかわらず、リーヴァはすべてが年相応という感じがしまして。『春告げ鳥』が眠っているという言葉や多くの史実から、もしや別人なのでは……と」

 レントが両腕を広げて言うと、籠の中……『春告げ鳥』はくっくと喉を鳴らした。

「よく学んでいるではないか。――時間もそうないのでな。掻い摘まんで説明するから己に刻むがよい。……妾はこの南十字サウスクロスト浮島群の核たる存在……それは間違いない。十年前に〈島喰い〉を封じたことによってもとの体はなくなったが……この『お告げ』のために器が必要だった。お前たちと意思疎通ができなければ意味がないからの」

『春告げ鳥』はくるりと踊るように踵を返すと……紅いソファへとその華奢な体を沈める。

 その堂々たる立ち居振る舞いは彼女が並々ならぬ存在であることを如実に描き出していた。

「どうやらお前たちはリーヴァのことが気になるようだの。案ずるな、別にこのまま取って代わろうなどとは思っておらぬ。……その願いくらいは〈島喰い〉を屠ることで叶うであろう」

「……えぇと。つまり君はリーヴァじゃないんだな。『お告げ』による〈島喰い〉との戦いの勝者になって……願いを叶えてもらえばいいってことか?」

 そこでロアが首を傾げると『春告げ鳥』は肘掛けに肘を置いて頬杖を突きながら……どういうわけか不敵な笑みを浮かべる。

「『お告げ』はなにも〈島喰い〉討伐に限ったことではない。今回と前回はそう・・である、というだけだの。……簡単にいえばこの『お告げ』は核である妾が成長するために必要なものでな。協力してもらう対価として願いを叶えておる。前回はガロンを勝者とみなし、その願いを叶え〈島喰い〉を封じた……というわけだの。とはいえ今回はちと様相が違う。勝てば・・・リーヴァを無条件で解放できるであろう」

「……そうなんだ。ありがとう『春告げ鳥』。そうすれば君も解放できるってこと……だよな」

 ロアがほっとしたように頬を緩めると『春告げ鳥』は眉尻を上げ、優雅というには悪そうな笑みを以て頷いた。

「ほう。妾の解放も望むか〈獣騎士団〉団長よ。気に入った! 〈島喰い〉は浮島を喰らい成長していくが、それは妾とて似たようなものでな。揺蕩たゆたう魔素を取り込んで成長するのだ。つまり〈島喰い〉を屠りその体が内包していた魔素を取り込むことでも成長は可能というわけだの。……今回の〈島喰い〉を屠れば、封印とそれを保つためにこの十年で消耗した魔素を補充できよう。それは即ちリーヴァと妾の解放よな」

 その言葉にレントとテトが頷き、ガロンは瞳を伏せる。

 ロアはただひとり腕で口元を隠すような〈獣騎士団〉の敬礼を『春告げ鳥』へと贈り、鋭い犬歯を見せて笑った。

「わかった。倒す」

「倒すって……簡単に言うよね君」

 テトは肩を竦めてみせるけれど、その表情からは『敗北への不安』など微塵も感じられない。

 レントも胸元で拳を合わせて軽く腰を折ると続けた。

「まあ、そのために訓練してきたわけですから。……さて。まずは敵について学ばなくてはなりませんね」

 彼の橙色の瞳は爛々と煌めいており、闘志が燃えているのがわかる。

「ふは。なかなか良い心掛けよの――では告げよう、新たな騎士たちよ。そろそろ封印が破られるのでな、こちらから破棄してやろうと思う。さすれば〈島喰い〉はこの島を襲うであろうが、まず動くのは本体ではなく眷属どものはずだ。どの島へと向かうかはわからぬが、それを屠り避難する一般民を護れ。なぁに――本体もすぐに現れよう」

『春告げ鳥』はそう告げると……ゆるりと立ち上がり両腕を広げた。

「心せよ、お前たちの敗北は妾の死。妾の死は浮島の死――あらゆる者の死となろう。さあ――嵐の到来じゃ」


 瞬間、ズン、と重い衝撃が塔を揺らした。


「うわ、なに?」

 テトの声を皮切りに全員が衝撃に備えるため腰を落とす。

「――外に出ろ、眷属どもの動きを把握するぞ!」

 ガロンは鋭く発すると剣と盾を構えて走り出す。

 ロア、レントが続いたところで……テトは振り返って『春告げ鳥』を見た。

「ねぇ『春告げ鳥』。最初から君が〈島喰い〉を倒すことはできなかったの? 僕の見る限り……君は強い魔力を宿していると思うけど。その籠だって……すごい魔力が流れているじゃないか。君が流しているんじゃないの?」

 その大きな翠色の双眸は幼い容姿に似合わず鋭い。

『春告げ鳥』は口元に右の指先を当ててくっくと喉を鳴らすと……囁くように応えた。

「あのときの妾では封印が精一杯。いまはそれよりさらに弱っておるのでな。言わずもがな……といったところだの。本来、妾はお前たちに干渉していい立場にない――。前回の封印は勝者ガロンが望んだから実現したようなものなのだ」

 そのとき、先に部屋の入口まで走っていたロアが大きく手を振ってテトを呼んだ。

「テト! 行こう!」

「……。わかった、いまは君の『お告げ』に専念するよ」

「気を付けるがよいぞ騎士たちよ」

『春告げ鳥』は駆けていく騎士団長たちを見送ると、ゆっくりと立ち上がり金色の籠を中から見上げた。

「――さてアルマ。お前たち世話役は一般民の避難を援護せよ。いまこのときより『メディウム』の地下を開放した。……本来ならば先回りするのだが今回はそうもいかなかったのでな……苦労をかけるが頼んだぞ」

 巨大な籠は己を護る殻。

 無機質で……人の温もりなど忘れてしまったかのような冷たさに、彼女は唇を結んだ。

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