第2話 春告げ鳥の喚ぶ嵐②


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 ――祖は汝が望みを聞き届け〈島喰い〉をこの島の底へと封じたもう。鬨の声を上げよ、刻は満ちたり。汝が得るは永久とこしえの加護なりて、〈島喰い〉を討ち滅ぼすつるぎとならん――。


 そのお告げは――彼らの耳に重く響くことでしょう。

 暁の空に浮かぶ白い月を仰ぎ見て――彼らはなにを思うでしょう。


 私は――籠の中で祈りましょう。


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 木々が絡み合い枝葉を競って空へと伸ばす森。

 まだ薄暗いその場所は朝露と緑の匂いに満ち満ち、薄らと霧が掛かっていた。

 その森の最南端、石造りの要塞の最上階からは遥か空を渡る天空廊が伸び、巨大な白磁はくじ色の塔を抱く浮島うきしまへと繋がっている。

 少しだけ前のめりな姿勢でその天空廊へ向かう彼の背では、束ねた灰色の髪が跳ね回っていた。

 それだけ急ぎ足で進む彼の臀部でんぶからは髪と同じ色のフサフサとした尾が生えていて、踏み出す足に合わせて揺れ動く。

 頭には髪を割って生えるふたつの三角耳。

 彼に気付いた者たちは直ちに作業を止めて右の拳を握り、その甲を上にして地面と平行になるよう腕を持ち上げると、肘を垂直に曲げて口元を隠す敬礼を贈った。

 これは『あなたに牙は剥きません』との意を表す……彼ら特有のものだ。

「ロア団長。こんな早くから中央塔へ向かうのですか? まだ太陽さえ起き出していませんよ」

 そこで彼――ロアの後方から声が掛かる。

 ロアは踏み出した左足を下ろしながら半身を捻って振り返った。

「ああ。聞いて驚けカルトア! お告げだ! きっとほかの奴らも中央塔に向かうはずだから行かないと」

 彼は狼の化身と名高き〈狼々族ろうろうぞく〉らしく、しなやかな筋肉を持つ精悍な顔立ちの青年へと成長していた。

 少しだけ目尻の上がった眼は冷たい青色。にっ、と笑った口元からは鋭い犬歯が見え隠れする。

 精悍で恐そうだと取られがちな風貌だが、ロアはすこぶる優しい性格そのままだった。

 ……ここは彼ら〈狼々族〉の浮島『シルヴァ』であり、ロアは〈獣騎士団じゅうきしだん〉を率いる騎士団長。

 そんなロアの右腕として働く『カルトア』はロアの言葉に頭の上の耳をぴくりと動かす。

 背中を覆う長めの髪はロアより白っぽくサラサラで、灰色の瞳をした甘い風貌はロアと対極にあると言っていいだろう。

 ロアは黒染めの革鎧に双剣を交差させて腰に装備しているが、カルトアは白染めの革鎧で長槍を背負っていた。

「お告げ? では……とうとう?」

「ああ。春告げ鳥……リーヴァが謳うはずだ。お前たちには苦労を掛けるけど――避難と戦いの準備を頼む」

「――御意に」

 カルトアはロアに向けて口元を隠す敬礼をし、周りの者たちが眼を爛々と光らせているのを見回した。

「夜勤明けですまないがもうひと働きしてもらおうか。……ではロア団長、お戻りをお待ちしております」

「おう。……カルトア、休める者は休んでもらってくれよ? 皆に無理はしてほしくないんだ。荷物運びとか……俺でもできることは残しておいてくれ」

 そう言って口角を上げたロアに、カルトア以下、その場の者は密かに思った。

『恐そうな風貌だけれど本当に優しいんだよな、この人は』……と。


◇◇◇


「ようやくこの日が来ましたか……」

 ランプの灯火が揺れるなかでひとり呟き、読んでいた分厚い本を閉じた彼はまだ薄暗い窓の外へと視線を移す。

 晴れた空は濃紺をゆっくりと塗り替えている最中で、粉砂糖のように散りばめられた星々が薄れていくところだ。

 湖畔に佇む煉瓦造りの図書館の最上階からは『春告げ鳥』のいる中央塔がある浮島『メディウム』とそこに繋がる天空廊、そしてくっきりと浮かび上がる白い月が見える。

 彼は深々と身を預けていたソファから体を起こして優雅に立ち上がると……本を壁沿いに並んだ本棚へと戻した。

「まさか徹夜明けでお告げを聞くことになるとは……我ながら運がないですね。それもこれもこの本があまりに魅力的だからですが。数多の浮島群が存在する世界の物語……私もそんな場所が見てみたいものです」

 ひとりごちて右手で掻き上げた短めの髪はハッとするほど鮮やかな炎の朱色。瞳はそれよりも明るい橙色。……中性的な美しい顔立ちの男性へと成長したレントである。

「レント様、夜が明けます。そろそろお眠りになっては……」

 そこにやってきたのは白鬚をたっぷりと蓄えた初老の男性だ。

 少しゆるく見える黒い燕尾服は、数年前まではぴったりだったように思う。寄る年波には抗えぬということか。

 レントは微笑むとゆっくりとした足取りで踏み出した。

「ありがとうシーフォ。どうやらお告げが降りてきたようでして。私は中央塔へ向かうので……準備をお願いできますか?」

 それを聞いた初老の男性、シーフォは驚いたように眉を跳ね上げた。

「なんと――!」 

「私たちの勝利まで付き合ってくださいね、シーフォ」

「……! このシーフォ、レント坊ちゃんのためでしたら蘇ってすらみせますとも。天空廊は冷えましょう、すぐに外套をお持ちします」

 シーフォは拳と拳を胸元で突き合わせる敬礼をして軽く腰を折ると、洗練された所作でくるりと踵を返して部屋を出ていく。

 それを見送ったレントは自身の装備――赤を基調とし、急所を重点的に護る簡素な作りの鎧である――を纏った。

 ここはレント率いる〈闘騎士団とうきしだん〉が住まう浮島『ラクス』。

 図書館は騎士団の住居兼詰め所であり、誰でも本を読むことが許されていた。

「さて……私の物語も末代まで遺せるでしょうかね」

 レントは呟くと――中央塔へ向かって拳を合わせ、軽く腰を折った。

「待っていてください『春告げ鳥』……ふふ」


◇◇◇


「ふんふん、ふんー」

「こんな朝っぱらから鼻唄混じりになにしているんですかー、テト団長ぉー」

「……ん、なにって決まってるでしょ。中央塔へ行くんだよ。呼ばれたから」

 さらさらした金色の髪に映える翠色の瞳はくりくりと大きく、背があまり高くない――いや、どちらかというと低い部類である少年……もとい青年テトはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

 ……幼い容姿の面影をこれでもかと残して成人したテトが纏うのは金糸で細かな刺繍が施された厚手で深緑色のローブ。こだわり抜いた特注品だ。

 黒い大地からそこかしこに水晶柱すいしょうちゅうと呼ばれる巨大な水晶が突き出した浮島『クリスタルム』は、魔法を得意とする者たちが住まう場所である。

 水晶柱はどんなに小さくとも大人ひとり分はあり、碧、赤、翠と様々な色合いを宿してぼんやりと光っていた。

 彼らが居るのは採掘された水晶で造られた城だ。

 内装も様々な細工や彫刻によって彩られており、重厚な紅い絨毯が映える幻想的な空間は見るものを魅了するほどだった。

「呼ばれたって……こんな朝っぱらからですかー? むしろ夜ですよぉ。ふあぁ」

 鏡に向かって髪を整えるテトの後ろ、不躾に扉を開けて大欠伸をしている騎士は滲んできた涙を指先で拭い取る。

 彼はテトよりも簡素な灰色ローブであり、赤茶色の髪と同じ色の瞳を持つどこか殺伐とした風貌の青年だ。

 テトは鏡越しに彼を見詰め、双眸を細めてみせた。

「馬鹿だなぁ。お告げだよ、お告げ。始まるんだ、僕たち騎士団の戦いがね。エルドラ、僕の魔導書取ってくれる?」

「お告げ……⁉ え、戦いが始まる? ちょっと、そういうのは早く言ってくれないとー!」

 エルドラと呼ばれた騎士はその瞬間にビッと背筋を伸ばすと、魔導書が立て掛けられた棚に手を伸ばしながら続けた。

「……ということは、ですよー? 避難も必要でしょうし? ほかの騎士団長も動き出しているってことですかねぇー」

「当然そうだろうね。ま、どうせ僕ら〈魔導騎士団まどうきしだん〉が一番活躍するんだけど」

 テトは踵を返してエルドラが差し出した己の魔導書を受け取ると、悪そうな笑みを浮かべた。

「それじゃエルドラ。準備をしておいて」

 城から伸びた天空廊を目指して踏み出した彼に、エルドラは苦い笑みを浮かべ、右手を広げて手のひらで顔を隠すような敬礼をした。

「はいはい。かしこまりましたぁー」


◇◇◇


「――さぁて、俺も行くとするかね……」

 ばん、と膝を叩いて立ち上がった壮年の男性は、左眼を塞いで縦に奔る傷を右手の指でなぞる。

 よく手入れされ整えられた顎髭と髪は白と茶を混ぜ合わせた砂色。

 瞳は高貴な宝石のようだと称賛されるほど美しい薄紫色で、誰もを惹き付ける不思議な魅力があった。

 実にいい歳の取り方をした渋い容姿を持ち、その声も実に渋い。

「ガロン団長、ご、ご武運を――」

 そんな彼におどおどした口調で言ったのは黒髪黒眼の小柄な男性で、大きな垂れ目と下がり眉がいつも困っているような印象を与える騎士だ。

 その実は戦闘能力が非常に高いのだが……ガロン相手には常に従順である。

「はっは、こんなオッサンに期待はかけてくれるなよフルム? まあ、やれるところまでは全力でやるさ」

 そんな彼に、ガロンは鍛え抜かれ締まった体を確かめるようにグイグイと腰を捻りながら豪快に笑う。

 フルムは首を竦めて頷いた。

「ガロン団長なら、だ、大丈夫です……戦いの準備は、任せてください……」

「――避難の準備も頼むぞ」

 ガロンは笑ったままそう返すと一変して憂いを帯びた表情で外を見遣り、まだ薄暗い浮島の風景を心に刻んだ。

 ……眼下に広がるのは砂の大地。乾いた風が刻んだ紋は緩く曲線を描き、砂色の上で生命の煌めきが色濃く浮かび上がると信じられる場所。

 砂石で組み上げられた四角錐の巨大な金字塔、その頂点からは遥か先に白い塔を抱く浮島『メディウム』へと天空廊が伸びている。

 彼らは砂漠の浮島で生きる戦闘民族であり、ガロンが率いるのは戦士が集う〈鋼騎士団はがねきしだん〉だ。

 その名のとおり彼らが纏うのは鋼の鎧で、武器は主に剣。

 歴戦の猛者たるガロンもご多分に漏れず、大振りの丸盾を背負い、鍛え抜かれた剣を腰に下げている。

 鈍色に艶めく磨かれた鎧が彼の風格を現しているかのようだった。

 十年前の〈島喰い〉との戦いでただひとり生き残った――いや、遺された騎士団長。

 ロア、テト、レントの三人を鍛えていたのはもう五年も前で、それからは時折手合わせする以外、自身の騎士団を鍛え上げてきた。


 ――勝たなければこの浮島群はすべからく喰われて消える。ここまで生き残ったからには足掻いてみせる……それが俺の責任。背負うべき――罰だ。


「い、いってらっしゃいませ……!」

 重い足取りで踏み出すガロンに向け、フルムは自分の剣を抜き放つと胸の前でしっかり握り、天空に向けていた切っ先をくるりと右回りに返して石床を軽く突いた。

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