第2話 剣士と魔法使い

 馬車の屋根付きのカゴ台車は強く横に揺れて横倒しになった。座っていた僕たちは大きく姿勢を崩し、強く張られた壁布に弾かれて倒れてしまった。ざらざらとした地面が荷車の布越しに伝わる。「いてて……。事故?」

 ひじを肘置きに擦ってすりむいてしまった。ただでは転ばないのが僕の悪いところだ。うーん、傷治しのポーション余ってたかな。

 と、僕はまだ自分がまだひどい災難の真っ只中にいることを理解していなかった。

 何もない荒野が続くこの地帯で、カゴ台車が横転するほどの何かが起きている。

 この時点でその事に気づいても良さそうなものだ。いや、気づいたところで僕には為す術なんてないのだけれど。

 外では馬たちのいななきが聞こえる。何やら騒がしい。

 このまま倒れたカゴ台車の中にいても仕方が無い。倒れたカゴ台車を戻さないと出発できないから。僕は仕方なく出入り口の布をまくり上げて外に出た。

 すると、目の前には絶望が待ち構えていた。 


「両手を上にあげろ!! 金目の物を大人しく差し出しな!!」


 乗り合わせていた女性客の叫び声が響き渡った。

 叫び声は拡散し、風の音にかき消される。周囲に人気は無く、助けを呼ぶことは叶わないだろう。

 盗賊の野太い声が聞こえた瞬間、身体が萎縮してしまった。

 馬車が盗賊団の襲撃に遭ってしまうなんて!

 格安の馬車を利用したのが運の尽き。護衛付きの馬車を選んでいれば……、と今考えても遅い。

 どうすればここから逃げられるか、この荒野の真ん中でどうすればいいか。無理やりカゴ台車を倒されてしまえば、とても逃げることは出来ない。

 盗賊たちのニヤニヤとした顔が、じりじりと近づいてくる。さながら僕たちは狩られる低級の魔物だ。僕たちをいたぶるのを楽しんでいる。そこまで分かってしまって、現実逃避をする余裕も無くなってしまった。

 馬車は十人ほどの盗賊に囲まれていた。馬車の客の数の倍以上の盗賊が、爪や短剣などの刃物、棍棒や鉄球などの鈍器を振り上げて威嚇している。

 僕は抵抗するのを諦めた。たとえ僕がこの短剣を持ってしても勝てる相手じゃない。不可能だ。

 いや、そもそも。そんなこと、逆立ちしたって無理なのだけれど。

 僕も故郷を飛び出して二年。曲がりなりにも冒険者として旅をしていた。最低限のルールはわきまえているつもりだ。


『盗賊団に襲われたときは、大人しく従い、時を待つべし。』


 それが命を守る鉄則。戦闘力を持たない一般市民にも等しいこの僕が、正義感を振りかざしたところで、盗賊を倒せるはずが無い。

 大人しく時を待ち、歯向かわずに流れに身を任せていれば、盗賊団は命までは奪わない。彼らが欲しいのは金品、財宝だ。次にまた盗むことができるか弱い対象僕らの命をいたずらに減らすことはしない。ひどい話だが。

 僕のような非力な冒険者がこの世の中を生きていくためには、肩身は狭いが我慢するしか無い。

 運が悪かったと。そう諦めるしかない。


「悪いな。こいつはいただいていくぜ。へっへっへ」

「あっ! ……あ。はい」


 僕のナップサックを盗られてしまった。一応盗られないようにと、倒れたカゴ台車の裏にとっさに隠しておいたのだけれど、気付かれてしまったか。あれには故郷の父と母へのみやげが入っていたのに。

 しかし、彼ら屈強な盗賊団から荷物を取り返す事などできるはずが無い。僕が持っている武器は腰から下げた短剣のみ。一応右手の袖で隠しているが、僕が持っていたところで何の意味も無い。ただ父からもらったものだから、盗まれたくない。その一心で隠しているだけだった。

 戦闘力の無い僕は黙って盗賊団が去るのを待つしか無かった。

 あぁ、この短剣を構えて、迎え来る敵をばっさばっさと倒していくような、カッコいい冒険者になりたかった。ナップサックを盗んで去っていく盗賊の背中、そのがら空きの背中を見ても反撃なんか出来るはずもない。なるべく目立たないように、なるべく大人しくしているしかない。

 すると、すぐ近くで僕と同い年の青年剣士が、盗賊に襲われていた。僕と同じくらい運の悪い人だ。さすがの剣士も、こんな大人数の盗賊団相手では、たった一人でなんて太刀打ちできないだろう。

 盗賊が彼の持っていた剣の柄をぐいと掴んだ。


「おい、こいつももらっていくぜ」

「いやだ」

 青年は首を振った。


「は?」盗賊は青年の言葉に面を喰らったようだ。

「え?」僕もつい疑問が口に出てしまった。


 黒いボサボサ頭の青年剣士は、自らの剣を掴んだ盗賊の手を、汚らわしいとばかりに払った。


「やだね。これは俺の剣だ。俺の命よりも大切な剣。くれてやるわけないだろう」


 屈強な、青年よりも大柄な盗賊は、わざとらしく大げさなため息をついた。


「大人しくしていればいいものを。ぉおい! こいつを痛めつけてやれ!!」


「「「「「おう!!!!!」」」」」


 馬車を囲んでいた盗賊団は、青年と距離を詰めつつぞろぞろと1人の青年を追い詰めていく。じりじりと、恐怖を募らせるように。

 僕は逆に青年剣士から距離をとった。巻き込まれたら危ない。

 どんなに強い剣士だって、とても一人で相手ができる人数じゃ無い!!!

 だからといって彼を助けることができるのは誰もいない。あのラピスラズリの杖を持った女性も、盗賊たちを見ていることしかできないみたいだ。キッと盗賊たちを睨みつけている。

 杖を持つ人は魔法が使えるかもしれない。そんな期待をしていた他力本願な僕の見通しが甘かった。ただ装飾で装備していたり、足が悪いから杖を持っている場合もよくある。

 盗賊たちの装備は見たところ、粗悪品。切れ味が悪い刃物だろう。太陽の光が鈍く反射しているからだ。表面も歪で研がれてなどいない。しかし薄い鉄の刃で切られたらどんな身体もひとたまりもない。切れ味の悪い武器で切られた方が傷の治りは遅いと聞く。盗賊たちは傷つけることができれば、威嚇することができればどんな武器でも良いのだろう。

 攻撃力を重視するよりも恐怖心を与える武器を使う。

 殺傷力を重視するよりも反抗心を奪う武器を使う。

 見た目が凶悪で、触れただけで傷ついてしまうような、荒々しい武器を持つ。

 僕だったら、短剣を奪われそうになった時、反抗出来るだろうか。

 いや、いくら短剣が大事でも。命が一番大事だ。


『命よりも大切な剣。くれてやるわけないだろう』

 青年はそう言った。


 命よりも大切な剣のために、命を危険に晒すなんて。

 命よりも大切な物なんて無いんだから。

 命を無駄遣いするなんて、冒険者だったらするわけが無い。父だってそう言っていたじゃないか。『命よりも貴重な宝物はない』って!

 僕は目の前で行われるただ一方的な暴力を見たくなかったので、目をつむった。

 見ない方がいい。人が傷つき、殺されるところなんて!

 目をつむることで出来た一時の暗闇。

 強風で揺れる馬車とカゴ台車の音と、ガチャガチャした盗賊たちの装備の音だけが聞こえる。その音だけの世界の方が怖い。何も見えない方が、僕には怖かった。

 目をつむることで、恐怖は僕に静かに牙をむく。

 盗賊が僕の腰の短剣に気がつき、近づいてきていたら?

 僕が短剣を隠したと知って、僕を攻撃しようとしていたら?

 あのぎざぎざの、質の悪い鉄の板のような刃で攻撃されたら痛いなんてもんじゃない!

 怖い。

 傷つきたくない。

 僕は目をつむることもできなかった。

 僕は恐怖に立ち会って、初めて気付いた。

 やはり僕に冒険者は向いていない。

 傷つくことを恐れるくらいならば、冒険なんてできっこない。

 それを学べたことが、この旅の唯一の成長だったと思えた。

 僕は目を開けた。剣を持った青年は、まだ盗賊に囲まれていた。


「どうした? 来ないのか?」


 青年はよりによって盗賊団を挑発した。青年の手が大剣の柄に触れようとした。その時。


「路傍の石よ、その身砕けども敵を砕け!! 『ストーンハンター』!」

 僕の後方から、魔法の詠唱が聞こえた。

 二つの石礫いしつぶてが剣士のすぐ近くを通り過ぎて、彼と向かい合っていた盗賊の頭に激突した。

「ギャッ!」と盗賊は呻いてその場に崩れ落ちた。


「ヒュウ」

 剣士は振り返り、魔法を唱えた女性を見て口笛を吹いた。

「私は二人倒したんだから、あなたは残り全員倒しなさい、ボサボサ剣士!」

 ラピスラズリの杖を突きつけながら少女が叫ぶ。


「やだね。二人なら半分ずつでいいだろ」

「私の価値はあなたの10倍なの。さっさとあと20人ばかし倒しなさい!」

「計算が出来ないみたいだな。俺の10分の1しか倒せないなら、あんたの価値は俺の10分の1ってことだ」

「なんですってこの……! 何人かでも倒してから言いなさい!! このボサボサ頭!!」


 剣を持つ青年と魔法使いの女性。二人対大勢。数の差は歴然としている。

 そんな命の危機に瀕しているのにも関わらず、二人はまるで気にしていないように口喧嘩を始めた。

 それと話の腰を折るようだけれど、盗賊はどんなに数えてもあと8人しかいない。

 僕と同い年の彼らは、多勢に無勢に立ち向かう。一流のトレジャーハンターのように、あのカッコイイ父のように立ち向かっていた。

 でも僕は何をすることも出来ない。

 僕一人が加勢したって意味が無いからだ

 戦闘もできない、魔法も使えない、非戦闘員の鑑定士が出しゃばったって、人質にされたりして余計に迷惑をかけるだろう。

 このまま何もせずに、時を待つべきだ。

 剣士と魔法使いが盗賊団を全員倒すまで。

 盗賊団が剣士と魔法使いを屈服させるまで。

 決着が着くまで、僕は何もしない方がいい。

 出来ることなんて何もないんだ。

 鑑定士一人に、出来ることなんて、何も。

 僕の右手は、未練がましく短剣のザラザラとした柄を掴んでいた。

 剣士と魔法使い、盗賊団。どちらが先に動くか。一瞬のようにも、永遠のようにも感じられた膠着状態。


「あぁ!! ごちゃごちゃとうるせぇ! 俺たちは盗賊団だぞ!!」


 そんな中、盗賊団の一人が青年剣士に向かって駆けだした。それを合図に、大勢の盗賊が武器を振り上げる。

 一方的な暴力が始まってしまう。


「おりゃぁぁああああああああああ!!!!」

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