第4話

 この私が目を覚ましたのは、正午を五分ほど過ぎたころだった。人を一人殺してしまった後にしてはよく眠ったと思う。


 偽装には自信があった。我ながら完璧だと思う。本人の筆跡で記された遺書が残っているのだ。

 もし仮に彼女が遺書を書くよう脅された後に殺されたのではないかと疑うようなやからがいたとしても、この私に疑いの目が向くはずがない。

 なぜなら、この私にはメリット――遺産相続や立場改善などの要素――が何ひとつないからだ。

 加えてこの私とあの女との社会的関係性は極めて薄い。

 肉体関係にしても、あの女はシャワーを浴びて自身で痕跡をすべて洗い流したのだ。

 この私につながるものは何もない。誰もこの私には辿りつけない。


 だから今朝、この私は安心して眠ることができたのだ。罪悪感はなかった。帰宅運転中でも睡魔とだけ闘っていたくらいだ。

 目覚めたいまも、五日ぶりに到来した休日をゆっくり満喫しようとテレビのリモコンに手を伸ばしている。


 休日を満喫? いや、本当は気をまぎらわすためかもしれぬ。さすがのこの私でも、たびたび葛藤が小刻みに押し寄せてくるのだ。

 本当にこれでいいのか。自首したほうが傷は浅く済むのではないか。

 今朝は熟睡したはずなのに、壁掛け鏡に映るこの私の顔にはくまができている。


 くそっ……。


 弱気を誘う邪念を振り払うため、この私はリモコンのスイッチを押した。

 テレビではお昼のニュース番組をやっていた。顔立ちがはっきりしていて、つやのある黒髪をバシッと後ろにまとめている女性キャスターの、原稿に目を落としてはすぐに視線を正面へと戻す健気な姿が映っている。

 彼女の流暢りゅうちょう朗誦ろうしょうをバックグラウンドミュージックとして、この私はパスタをであげた。ソースは醤油バターを基調とし、小さいきのこを散りばめた、この私のオリジナルブレンドソース(に最も近い市販品レトルトソース)である。


 ニュースは東京都内で起きている連続殺人について報道していた。

 今回の殺人でもう十件目となるが、殺害方法は刺殺、絞殺、毒殺とさまざまである。それでなぜ連続殺人だと分かるかというと、一連の事件において、殺害された被害者の親指が必ず切断されているのだ。

 顔も名前も不明な殺人犯ではあるが、警察やメディアからはサムという呼び名がつけられている。サムとは英語で親指という意味だ。

 キャスターが警察は模倣犯もほうはんの可能性についても視野に入れて捜査しているむねを述べた。


 まったく、どうでもよいことだ。

 重要なのは、この私が手ずから調理したパスタである。味は上々。香ばしい風味に加えて茸がいいアクセントとなっている。凡夫ぼんぷの生産しためんとソースであっても、これは十分に非凡夫なるこの私の味覚を満足させることができた。

 もっとも、それはこの私がパスタの茹で時間を秒単位で管理するという力添えの賜物たまものではあるが。


 と、そのとき――。


「ぶふぅっ」


 むせた。そしてき込んだ。最後の一口を口に含んだ直後のことだ。

 どうにか料理を口から吐き出すという粗相そそうをせずにとどまったこの私だが、口の中に残ったお昼の朝食を咀嚼そしゃくすることも忘れ、テレビのニュースに釘づけになった。


 いつかは報道されるだろうと思っていたが、それにしても早すぎる。

 これはちょっと、もしかしたら、不自然かもしれない。

 だがしかし、案ずることはない。キャスターのしゃべり口が流麗りゅうれいすぎてうっかり聞き流しそうになったが、この私はしかと、あの女が自殺したものとみられていることを聞き届けた。


 やはり完璧だった。この私は完璧だ。あっけなくて拍子抜けするくらいだ。

 実のところ、この私はあの女の名前を知らなかったが、このニュースで名前に加えて年齢まで知ることができた。

 女の名前は馬氷鷹子まこおりたかこ

 年齢は29歳。この私より5歳年下である。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 今後はきもを焼いてニュース等に敏感になることもあるまい。いやもちろん、この私には心配する必要なんてなかったのだがね。なにしろこの私は完璧に偽装工作を成し遂げたのだから。警察がこの私に辿りつくはずがないのだよ。

 なあ、おまえさんたちもそう思うだろう?

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