第11話 予感
空は秋晴れ。窓からの日差しは暖かく心地よい。
こんな昼休みは眠気に逆らえず机につっぷすのが常なのに、今日の
「ねぇ、悪い予感って信じる?」
「は? どうしたの突然?」
窓際の席で頬杖をつく凛に、前の席に座る
「悪い予感がするのよ。それなのに、誰も信じてくれないの」
凛は眉間にしわを寄せた。
いま思い出しても戦慄を覚えるほど、昨日の男は不気味だった。
義手に搭載されたヒューマノイドセンサーの点滅。
凛の疑惑を見透かすように振り返った彼の視線が、一夜明けた今も忘れられない。
何よりも凛を不安にさせているのは、彼らが鷲須の技術を欲しているということだ。
(──あの人たちは危険だ)
凛の中の何かがそう叫んでいる。
鷲須の技術を得るためなら手荒な行動に出るかも知れない。そう思ったからこそ、彼の息子であり、ヒューマノイドの回収を
それなのに、鷲須も恭介も、凛の話を本気に受け取ってはくれなかった。
「何かあってからじゃ遅いのに……」
「危険なことなら、刑事さんに相談してみたら?」
「刑事さん?」
凛は頬杖をとき、勇樹の顔を見上げた。同時に、黒川の顔が頭に浮かぶ。
昨日はリュシアンの件で家に帰るのが遅くなった。なのに、黒川が帰って来たのはそれよりも遥かに遅い時間だった。
昨夜、もしも黒川と話をする時間があったら、自分の不安を彼に相談していただろうか。あの話をするには、凛がハンターだということを話さなければならない。
〈
(
黒川の部屋で彼の婚約者のことを知ってから、凛は黒川の呼び名を「黒サン」に改めた。
彼の辛い過去を知ってしまった自分が、彼に隠し事をしている。その事をすごく申し訳なく思っているのに、今さらどうやって話せばいいのかわからない。
凛の胸中は複雑だった。
「ほら、凛はいま、刑事さんの家に居候してるんだろ?」
「え……うん」
勇樹のほんわかした笑顔が何だかウザい。彼は、凛が女刑事の家にいると誤解しているのだ。ついでに言えば恭介も、だ。
凛は髭面の黒川をもう一度思い浮かべ、小さくため息をついた。
〇 〇
ぽっかりと浮かんだ雲を見つめながら、黒川は
『────木島は正式に、テロ対策課に配属になる。おまえはどうするつもりだ、黒川?』
昨夜の課長の言葉を思い出す。
警察を辞めるのか、それとも、資料室という名の〝別の掃溜め〟へ移って警察に留まるのか。課長に迫られた二択に、黒川は答えることができなかった。
「考えさせてください」と答えて、昨日は遅くまで飲み歩いた。
すべては自堕落な生活を続けていた自分のせいなのに、ロボット処理班という部署が消えてしまうことが黒川を迷わせていた。
ヒューマノイドの発見・回収・処分は、すべて外部委託されることが正式に決定した。今後は、通称〈ハンター〉と呼ばれる民間の組織がそれにあたる。
彼らは元々ヒューマノイドを製造販売していた企業が作った組織だ。企業自体はすべて潰れ、残っているのはヒューマノイドを回収するために作られた組合だけだが、彼らの技術協力が無ければ、警察は野に放たれたヒューマノイドを捕らえることすら出来なかった。
今後、警察はテロの主犯逮捕や流通を取り締まることに集中できるし、ハンターは警察の判断を仰ぐ必要がなくなる。どちらにも実害はない。ただ、黒川個人が居場所を失うだけの話だ。
「今さら、テロ対策課に入れて欲しいなんて、虫が良過ぎるよな」
苦笑しながら顎を触ると、ヒゲの手触りが違っていた。伸び過ぎてモサっとしている。いい加減そろそろ剃らねばなるまい。
(そういえば、凛のやつが髭剃りを買って来てたな)
『黒サン』とためらいがちに呼ぶ凛の声が、今も耳に残っている。
彼女には嫌な思いをさせてしまったというのに、あの後も黒川の家から出て行くそぶりはない。単に行く所がないだけかも知れないが、昨夜遅くに帰った時、彼女の靴が玄関にあることにホッとしている自分がいた。
本当は同居などせずに、早々に住む場所を探してやらなければいけなかった。
はじめは冗談じゃないと思っていたのに、今では彼女の存在が黒川に勇気を与えている────生き直す勇気を。
ふいに背後から、重い鉄の扉がきしむ音が聞こえた。
「先輩っ! はやくっ、早く来てください! バイヤーの一人が
木島の声に一瞬ぽかんとしてから、黒川はタバコを携帯灰皿にねじ込んだ。
「なぁっ、おれが喋ったって、誰にも言わないでくれよ!」
テロ対策課に戻ると、壁に取り付けられた大きなモニターに、取調室の様子が映し出されていた。殺風景な部屋だ。中央の白テーブルに、刑事とオレンジ髪の若い男が向かい合って座っている。オレンジ頭は怯えているのか、やけに落ち着きがない。
「バイヤーの、一番若いやつか?」
黒川がつぶやくと、モニター前に陣取っていた祐美が振り返ってうなずいた。
「
「なるほど、司法取引か」
バイヤーの中でも下っ端なら、組織に対する忠誠心は薄いだろう。当然、持っている情報も少ない。それでも無いよりはマシだ。
「────おまえが知っているヒューマノイドの取引を、すべて話せ」
「お、おれがヒューマノイドのバイヤーに回されてからは、あれが初めての取引だった。買い手からのリクエストは多かったけど、手放すヤツがいなくて仲介の仕事はマジでなかったんだ! ホントだよ! もう日本じゃなかなか手に入らないんだ。あの〈
「外国人? 名前は? どんなヤツだ?」
「な、名前は知らない。納品のときにチラッと見ただけだけど、金髪の若い男だった。えらく顔のきれいな外人だよ!」
「それだけじゃなぁ……顔のきれいな外人なんて、たくさんいるだろ?」
「そ、そりゃそうだけどさ! でも、〈遥希〉に負けない美形だぞ! そんなにいねぇだろ? それにそいつ、まだ他にも〈遥希〉を持ってるらしいんだ! うちの買い手が何人いるのか聞きたがってたって。兄貴が答えを渋ると、他のバイヤーに売ってもいいんだぞって脅してきたんだって!」
刑事とオレンジ頭の言い合いが続く。
「ハ、〈遥希〉に負けない美形だなんて……恐ろしいですね」
黒川の隣でモニターにくぎ付けになっていた木島が、震える拳を握りしめてポツリとつぶやいた。イケメンヒューマノイドに植え付けられた劣等感が蘇ってきたらしい。
「それより、複数の〈遥希〉を所有しているって、どういうことだ? 国内のヒューマノイドはあらかた狩られて品薄のはずだ。外国から密輸するにも、港湾の取締まりはもちろん、街中のセンサーだって反応するはずじゃないか?」
黒川の剣幕に、モニター前に陣取っていたテロ対策課の刑事たちがぽかんと口を開けた。
「どうしたの? 珍しくやる気じゃない?」
祐美が揶揄ってきたが、黒川は取り合わなかった。
(何かがおかしい。他にも〈遥希〉を持ってるってのは、そいつのハッタリか? いや、でも……もしも本当だったら、おれたちが見落としている事があるはずだ)
黒川は、モニターの向こうにいるオレンジ頭の男をじっと睨みつけた。
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