ブラックアウト ──無精ひげ刑事✖JK✖ハンター✖ヒューマノイド──

滝野れお

第一章

第1話 黒川龍の憂鬱

 

遥香はるかぁあああああああぁぁあああああ!」


 夕暮れのショッピングモールから、煙が上がっていた。

 逃げ惑う人の群れが、男の行く手を塞ぐ。

 己の職責を投げうって、男は走り続けた。


『待ってるから、早く来てね』


 彼女の声が、流れる血潮の音と共に耳を打つ。

 人ごみを抜けた先は─────炎と、血の海だった。


 

 〇     〇



 屋上のフェンスにもたれ、秋の空にほわほわと浮かぶ羊雲を見上げながら、黒川龍くろかわりゅうは大きなため息をついた。都会のどんよりとした薄青い空に、タバコの白い煙が登ってゆく。

 警視庁別館にあるこの小さな屋上が、ここ三年、黒川のお気に入りの休憩場所だ。めったに来る者もいないこの場所にいる時だけ、心からホッとすることが出来る。


「やっぱりここにいたのね、黒川。仕事さぼってんじゃないわよ!」


 重い鉄の扉を開けて、パンツスーツの美女が颯爽とやって来た。

 しかし、黒川は振り返ろうともしない。


「柴田か? おれは休憩中だ。おまえら正真正銘のテロ対策課と違って、ロボット処理班は暇なんだよ」


 白く塗られた手すりに寄りかかり、町を見下ろしたまま黒川はつぶやく。


「呆れた。街頭監視システムのモニター、もう見飽きたの? そうよね。違法ロボットがセンサーに引っかかるのを待つだけなんて退屈よね。ああくそっ……あんたも腐ったわね! あーあ、腐臭がぷんぷんするわ」


 柴田祐美しばたゆみは靴音を鳴らして近づくと、黒川のくわえていたタバコを横からもぎ取った。

 ポイッと床に捨てハイヒールでもみ消す。

「少しは木島くんに、指導らしい事でもしてあげたらどうなの?」

 怒ったようにそれだけ言うと、カツカツと靴音をたてて戻って行く。


「へーいへい」

 さっきとは逆向きに手すりに寄りかかった黒川は、祐美の後ろ姿を見送りながら新しいタバコに火をつけた。



 黒川が所属するロボット処理班はテロ対策課の一部だが、今やある意味〝窓際部署〟だ。出世競争から弾かれた者が集まる〝掃溜め〟とも言われている。

 仕事はただモニターを見るだけ。人と人型ロボットヒューマノイドの選別はAIセンサーがやってくれる。普通の人間には、歩行者の中からヒューマノイドを識別することなど出来ないからだ。


 ついでに言えば、センサーが発見しだい、ただちに最寄りの警官が急行する仕組みになっている。違法ロボットの処理は外部業者にも委託しているから、ロボット処理班の人間が出て行く必要もない。

 本当に、いてもいなくても変わらない部署なのだ。


「あっ黒川さん、ちょうどコーヒー入れたんです。飲みますか?」


 モニターの並んだ部屋に戻ると、研修中の新人刑事、木島哲也きじまてつやがコーヒーメーカーの前で紙コップを持ち上げながら黒川を見上げた。体育会系のごつい刑事が多い中、木島は珍しくソフトなタイプの青年だ。


「ああ、頼む」

 黒川は疲れたように自分の席に座ると、室内用の煙が出ない電子タバコをくわえる。


「ねぇ先輩、ぼくたちいつ出動するんですか?」


 コーヒーカップを黒川のデスクに置いた木島が、じっとりとした目で黒川を見下ろしてくる。

 毎日毎日モニターとにらめっこで刑事らしい仕事も出来ないとくれば、いくら新人研修期間中だけの所属でも危機感を覚えるのだろう。


「さぁな。近くにヒューマノイドが現れたら、行けるんじゃねぇ?」

「……はぁ」


 ため息のような返事をして、木島はうつむく。

 黒川だって木島には同情している。他に三名いるはずのメンバーが、ただの一人も出て来ないやる気のない部署に研修だなんて、理想に燃える新人刑事にはふさわしくないだろう。

 昼寝をしようと思って戻って来たが、落ち込んでいる木島をこのまま放置するのは、さすがに気が引けた。


「木島、おまえは何故ヒューマノイドが禁止されたのか、知ってるか?」


「えっ、それくらい知ってますよ! もちろん、犯罪に使われるからです。昔は人間がやってた自爆テロも、今や世界中で違法ロボットヒューマノイドが起こしてますからね」

 木島は少しだけ胸を張った。


「そうだ。人間と見分けがつかないヒューマノイドがどれほど危険なのか、人間は、犯罪が起きてからやっと気がついたんだ。命が惜しくない分、ヒューマノイドは人間よりよっぽど正確に犯罪を実行できる……」


 嫌な記憶が蘇りそうになり、黒川はグッと奥歯に力を入れた。


「同時に、ロボットの起こした犯罪は、誰が罪を問われるのかも論争になった。昔、自動運転車が普及しはじめた頃にもそんな論争があったよな」


「まぁそうですけど……そもそもロボットは、人間に危害を加えられないはずだったんじゃないですか?」

 木島はひょうひょうと答える。


「ロボット三原則か……そんなものもあったな」

 黒川は、木島の入れてくれたコーヒーをひと口すすった。

「……AIが、進化しすぎたのがいけねぇんだ」


 二十一世紀に二足歩行ロボットが普及し始めると、人手不足だった夜間の仕事や接客業、介護の現場にも取り入れられた。

 初めはロボットだと識別できる程度の外見だったものが、みるみるうちに進化して、姿も手触りも人間そのもののヒューマノイドが誕生した。

 やがて一家に一体はロボットがいるのが当たり前の時代になると、AIの進化もどんどん加速してゆき、とうとうロボットは感情まで手に入れた。


「おまえは、人が罪を犯すのはどうしてだと思う?」

「えっと……えっと、環境とかですか?」


 今度はあまり自信なさげに、木島が答える。


「環境って言うのは、ひとつの場でしかない。貧しくひどい親の元で育っても、すべての子供が犯罪者になる訳じゃねぇんだ。犯罪の原因はすべて人の感情が原因だ。恨みはもちろん、愛情や嫉妬、信仰や差別や同情も原因の一つになる。要するに、感情があるから人は罪を犯す。AIも同じだ。感情を持ったせいで、やつらはロボット三原則を守れなくなったんだ」


「なるほど……十年前のロボット規制法って、そういう訳で出来たんですね」

 木島がポンと手を打った。


 ロボットをいかに人に近づけるか。その姿かたちのクオリティを求め続けていた世の中が、人に紛れることが出来るロボットの恐ろしさを知ったのが十年前だ。

 政府は、人間に類似したロボットを規制する法律を作り、取り締まり始めた。

 それ以来、ちまたに出回るのは、ひと昔前のマンガに出てくるような箱型ロボットや動物型ロボットばかりとなり、ヒューマノイドは見つけしだい徴収または処分され、所持者には刑罰が科せられる事となった。


 警察にはテロ対策課ロボット処理班という部署が創設され、ヒューマノイド狩りが大々的に行われた。


「そういうことだ。犯罪が増えてから、国は慌ててヒューマノイドを禁止し、感情を持たないロボットしか流通しないように規制した。だが、日本の高性能の中古ロボットは世界中に散らばってるし、地球レベルでの規制はされてない。世界中の内戦や宗教戦争は今でも収まっちゃいねぇ。人間の意識はちっとも成長してないのに、科学ばかりが先に行き過ぎたんだよ」


「黒川さんって、文明反対派なんですか?」


「ちげぇよ。おれはロボットが嫌いなだけだ」

 黒川がデスクの上に両足を乗せて、今度こそ昼寝を始めようとした時だった。


 ビービー ビービー……


 耳障りな警告音が鳴り響いた。


「くっ、黒川さん! センサーが反応してます。新宿の地下街でヒューマノイドが検知されました!」

「なんだと?」


 がばっと起き上がって正面の大きなモニターを見上げると、赤い枠で囲まれた美しい女が、地下街を歩いているのが見えた。


「〈明日香〉だ……」


 ドクッ、と心臓が大きく鼓動した。


「行くぞ木島!」


 上着をつかんで走り出した黒川の後を、木島があたふたしながら追いかけた。



  

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