29 国王の受難

 式典やその後の些事を終え、国王は自室に戻ってきた。


 豪奢なベッドやソファが揃えられ、家具からして一国の主だと示されているが既に見慣れた光景に思うことはなにもない。


 出窓から大きく差し込む夕陽だけが、国王の疲弊した心を癒やしてくれた。


「ふぅ……」


 ため息を吐いて、ソファに腰掛ける。魔族との戦争終結後、変化への対応や決定事が多すぎて全く休めなかったのだ。これぐらいのわずかな時間に息抜きすることぐらい許されるだろう。


「お疲れ様。国王ってのも大変だねぇ」


 突然背後から声を掛けられ、国王は飛び上がるようにして振り向く。

 そこにいたのは、見慣れた男だった。


「なっ……! ナーリー! 突然入ってくるなと言っていただろ!!」

「はっはっは。ごめんごめん」


 短い黒髪をかき上げて爽やかに笑うのは、『未来視』の魔術師ことナーリーだった。どの国も彼の足跡を追いかけようとして、一歩目でつまずくという不可思議な存在。


 いつもどこにいるのか、なにをしているのか。全てが謎であり、協力を要請したい時は必ず見つからず、来てほしくない時に限って現れる。


 こうやって国王の自室に侵入すること自体が、既に国家反逆罪に並ぶ不敬なのだが、国王は特に気にしていなかった。


 ――そもそも。コヤツがワシを殺そうとしているのなら、既にワシの命はない。


 王国随一の諜報機関や、国の暗部ともいえる暗殺集団の腕を持ってしても跡を追えない相手。裏を返せば、誰にも悟られずに王だろうと暗殺できるわけだ。


 エクレアの規格外の強さで上書きされてしまっているが、ナーリーは実力だって恐ろしく高い。

Sランク冒険者ですら狩れるかどうかわからないレッドドラゴンを、散歩気分で群れごと狩ってきたことだってあった。しかも傷を受けるどころか、微塵も疲弊した様子なく。


 要するに。ナーリーが敵対したならば、どうあっても助からないというわけだ。彼に対抗できるとすれば、今回生まれた英雄だけだろうが。


 ――だが、あの者もナーリー相手では勝てるかどうか。


 強者と戦いたいという望みから、ナーリーと敵対すれば戦うことにはなるだろう。だが戦士でも魔術師でもない国王からすれば、どちらが強いのかなど想像もつかなかった。


「で。なんの用だ」


 国王は冷静さを取り戻し、再度ソファに深く腰掛けた。それは諦めにも近い感情を伴っている。

 先程も思ったことだが、ナーリーが向こうから現れる時は『来てほしくない』要件を持ってくるということだ。


「彼のこと……なんて濁さなくていいか。エクレアくんのことだよ」


 やはりという思いが、国王の胸に去来した。このタイミングでナーリーが絡んでくるとすれば、彼に関してしかないだろう。


「かの英雄殿がどうかしたか? 魔族との長き戦いを終わらせ、伝説のブラックドラゴンすら倒した男だぞ。しかも野心もなく、ただ強者を求める武人のような男だ。どこに問題がある」


 口にしながらも、国王自身「問題がない」とは思っていなかった。野心がないからこそ操りにくく、操りにくいからこそ敵対する可能性はいつまでも残っている。


 エクレアの存在は強大すぎるのだ。下手すれば、人類全てが彼と敵対したとしても彼が勝つ未来だってある。いや、むしろ彼が負ける未来などあるのだろうか。


 戦えない国王に仔細は想像できない。だが報告を受けた限り、彼の強さは既に人間の域を軽々と飛び越えていると思えた。


「知ってるかい? 先代の西の魔王は、死に際に『災厄の子』の出現を予言したらしい。『災厄の子』は魔王を含めた全てを打ち破り、この地の魔族全てを根絶やしにするだろう、と」


 聞けば、今捕縛されている魔王は世襲制で成った魔王とのこと。10年前に保守派だった先代の魔王が死んだことで、現代の魔王は人間に攻勢を仕掛ける準備を始めた。


 彼が配下の魔族たちを強化し、研鑽を積ませること10年。どうやら先代魔王の予言を打ち破ろうと思っていたらしい。だからこそ10年後である今、魔族たちとの戦争に動きがあったということだ。


 いや、全ては『混沌の森』に住んでいた『ヌシ』の消滅に端を発している。もしや、先代魔王はこれすらも予言に内包していたのかもしれない。


「それをどこで知ったのだ?」

「言ってもいいけど、信じるかい?」

 

 ふわりと言い放つナーリーに対し、国王は小さくため息を吐いた。


 情報の出どころなど調べても無駄だろう。ナーリーが言うのだから、それはきっと全て真実であり、彼が『視てきた』ことに他ならない。


 国の王たちには共通認識として、「ナーリーの言うことに嘘はない」というのがある。それはナーリーが助言や予言したことは全て裏付けが取れ、かつ真実だったからだ。


 ナーリーが『未来視』を使ってなにをしようとしているのかはわからない。だが彼が現れる時、それは真実を告げる時だ。それはある意味で王たちの常識であった。


「その『災厄の子』がエクレア殿だと?」

「いや違う」

「……は?」


 きっとそうなのだろう、と思って訊き返した言葉がすぐさま打ち返された。国王はどういうことだと表情で示しながら、ナーリーの顔を見上げる。

 

 彼は感情を悟らせない笑顔で言葉を続けた。


「だって考えてみてよ。どこの魔族が根絶やしになったのさ。それで『災厄の子』の予言が当たったって言える?」

「いや、それは……」


 確かにそうだ、と国王は考えなしに返答したことを悔やむ。エクレアの強さに気を取られ、『災厄の子』という響きに意識を持っていかれてしまった。


「実はね。『災厄の子』はフランだったんだ」

「……なに?」


 こっちにとっては衝撃の事実を気軽に投げてくるナーリー。国王は情報が飲み込めず、一度深呼吸をすることにした。


「フラン殿も卓越した魔術師だと言う。それになにより、お前の弟子だろう。それが『災厄の子』で、魔族を根絶やしにするって?」

「うん。そうだよ」


 否定してほしくて言葉を返したのに、ナーリーはなんでもないように頷く。ここに至って、国王は言葉に詰まってしまった。


 ――コイツは今からなにを言おうとしてるんだ?


 その事実を無数に推測してしまい、背筋がぞわりと粟立つ。


「私が『視ていた未来』はそうだった。フランはひとりで魔王城に乗り込み、四天王全員を相手して死にかけた時、彼女だけが持つ最高峰の魔術を昇華させ、四天王を打倒し、ブラックドラゴンすら討伐する。ただし、その代償としてしばらく正気を失い、魔族を根絶やしにするまで止まらない。……それが、私の『視た未来』だったんだ。あまりの結末に、私が初めて『未来』に介入しようかとも思ったほどだよ」


 肩をすくめるナーリー。

 戦場を知らない国王ですら、想像するだに恐ろしいほどの光景だ。


「でも今は違う。そうはなっていない」


「そこが問題なんだ」


 ナーリーは軽薄な笑みを引っ込め、珍しく真剣な表情で口を開く。


「先代魔王が死に際に『視た』のも『未来』なんだ。私と同質の『未来視』だったと推測できる。だからこそ、『災厄の子』という予言が魔族に伝わったわけだしね」


 国王は思わず唇を湿らせた。なにか、得体のしれない恐怖が背中にのしかかってきている。


「では、『どうしてそうならなかった』のか。それは彼の存在――エクレアくんが関わってきている」


 ナーリーは音もなく部屋の中を歩き、窓際に立った。真っ白なローブが夕暮れに染まる。


「彼の存在を、先代魔王も、私も『視る』ことができなかった。彼は既に『未来視』の外――過去から未来へと続くはずの『歴史』から外れた存在になっている。そう……『ヌシ』である水龍の消滅は、あくまでも寿命だったはずなんだ」


「……なにが言いたい?」


 着地点が見えず、国王は結論を急がせた。王国が総出で英雄と決めた男が、どれほどの存在なのか。知るのは怖いが、知らぬ方が恐ろしい。


「ハッキリ言って、彼は危険だ。既に『歴史』の管理下にいない。そしてもっと衝撃の事実だけど……彼は私より強い」


 かの『未来視』の魔術師に告げられて、国王はぞっと血の気が下がっていくのを抑えられなかった。


 それは、つまり――。


「そう。もし彼が人類に敵対した場合、人類は死ぬ。勝てる相手がいないからね。人類総出で戦っても、勝てる道理がない。それとも時間軸に囚われない存在に対して、有効打があるかい?」


 答えなど求めていないだろう。いや、無言こそが答えなのか。

 有効打などない。それがナーリーの求めた結論だろう。


「……どうすればいい? できる限り友好的にはするが」


 あの野心がひとたび別の方向を指し、王国の協力という名の権力を好き勝手にしようとすれば。

 それだけで簡単に国は滅びの道を進み、人類も破滅していくだろう。


「今はそれでいいさ。どうにも彼は自分に自信がないようだからね。今の所はそれの対処で手一杯だろう。でも、もし……この世界において、彼が自身の強さを自覚したとしたら……その時は……」


 ナーリーは最後まで語らない。人類どころか、世界の崩壊すら握っている男の行く先を。

 不意にナーリーは首を回し、夕陽に向かって微笑んだ。


「ま、全部悪い想像さ。ただ国王である君には、最悪の未来を知っておいてもらわなきゃならない」


「わかっている。忠告、感謝する」


 国王は形だけの礼を取った。厄介事を持ち込みおって、という悪態は表には出さない。


 知らなければ知らないで通せた事案だ。それだけに、わざわざ言いに来たナーリーには感謝などしたくもない。


 ――来てほしくない時に限って現れる、か。本当にそうだな。


 憎々しげな視線を送ると、それを知ってか知らずかナーリーは笑顔のままで国王に向き直った。


「ここはいっそ、開き直るのも手かもしれないね。強い冒険者には二つ名を付けるだろう? この『災厄の子』については一般的な解釈の方を広めて、魔族が恐れる『災厄』を持った男――そうだな。『〈災厄の雷撃ライトニング〉使い』なんてどうかな?」


「……考えておく」


 とにかく、今はもうエクレアについて思考したくない。

 国王は投げやりな気持ちでソファに横たわり、柔らかいクッションに身体を沈めこむのだった。

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