15 ネクロマンサー

「やっぱ寝れねぇな……」


 宿屋のベッドから身体を起こすエクレア。

 真っ暗な部屋の中だが、彼には昼間のように室内が見えている。


 冒険者をやるなら宿の確保が重要だとフランに言われ、教えられながら宿を決めたのだ。代金も前借りという形でフランに払ってもらっている。


 エクレアは「金を借りるぐらいなら野宿する」と言ったのだが、フランが「授業料を納めると思って!」と強引に言うので断りきれなかったのだ。


 その自称弟子であるフランは隣の部屋に泊まっている。冒険者としてはそこそこの宿らしく、騒ぐ者もいないし隙間風もない。


 こういう場所なら安心して寝られるかも、とエクレアも思ったのだが。


「自然の中で過ごすのが当たり前だったからな」


 野宿が常になっていたエクレアにとって睡眠は最も危険な時間だった。身体を休めながらも、精神は常に気を張っていなくてはいかない。

 

 睡眠中にモンスターに襲われかけたことも数えられないほどある。その為、常に神経を張り詰めながら眠っていたのだ。


 そうなれば必然的に眠りは浅くなり、短くなる。その睡眠時間で日中も活動しなくては食料などの確保もできない為、必要以上に休むこともできない。


 そんなことを繰り返す内に、エクレアは睡眠時間を必要としなくなっていた。いつの間にか、眠ることを身体が忘れてしまったらしい。拠点でも寝床は用意していたが、ふとした瞬間に横になるだけの場所だった。


 ベッドの感触を再確認し、地面やモンスターの毛皮とは全然違う快適感があることは理解できる。だがエクレアの頭には眠気の一欠片も湧いてこなかった。


 また、そんな生活に慣れたからか、夜目も異常に効くようになっている。夜や洞窟といった暗闇も、エクレアにとっては何の障害にならないのだ。


「少し歩くか……」


 野生のモンスターに警戒しない夜は、かなり暇だった。城塞都市の構造を把握する為にも、エクレアは散歩に行くことにする。


 宿から出て、夜の街を行く。繁華街の方はまだ魔導灯が点いており、明るいし騒がしい。


 だが金もないし、特に興味もなかった。エクレアにとって必要なのは、まだ見ぬ強さの克服だけ。


 とはいえ。行く宛もなくさまよえば、広い街の構造だ。都市に慣れないエクレアはすぐさま迷子になってしまった。


 通りの雰囲気からして大通りより外れ、寂れた地区に進んできているのは理解できる。だが「どうせ暇だしな」と割り切り、ひと気の少ない方へ足を動かした。


 そのままフラフラと歩き、周囲は完全に貧民街といった様相だ。スラム街ほど荒廃してはいないが、質素な家が軒を連ねている。

 スラム街の孤児院育ちであるエクレアからすれば、貧民街とはいえ立派な家だと思った。


 ただ、スラムほどではないと言っても治安は悪い。フランの説明で王都よりも治安が良いかもしれないと言われたが、曲がり角から感じる気配にエクレアは肩をすくめた。


 ――貧乏になれば、どこも一緒だ。


 そのまま歩を進め、


「死ねっ!」


 角を曲がる直前、死角から攻撃が放たれる。

 酒瓶の振り下ろしだ。エクレアの頭部を狙っているので、追い剥ぎかなにかなのだろう。


 だがエクレアには見えていたし、なにより遅すぎる一撃だった。


「邪魔だ」

「ぐぼぉぉぉっ!!!?」


 酒瓶もろとも軽い力で腕を振り抜き、浮浪者の格好をした男性の頭部を潰した。


 追い剥ぎは野盗と同じようなものだろう。ならば生かしておいても意味はない。そう判断して、エクレアは襲ってくる者を殺すことにしたのだ。


 さすがは貧民街の夜。こういった手合はどこにでも潜んでいることだろう。

 それでもエクレアはこの道を進むことを選んだ。


 別に殺人を楽しんでいるわけではない。エクレアにとって暴漢を殺すことは、普通の人間からすれば虫を潰すのと同レベルの行為だ。


 そのこととは関係なく、エクレアは今なにか妙な胸騒ぎを覚えている。危険とは違うが、どうにも空気に違和感があるのだ。


 その直感に従って道を行く。何度か追い剥ぎのようなチンピラに絡まれたが、そんなもの問題にはならない。全部腕を振るうだけで果物のように砕け散った。


 いや、その数が増えていること。それが問題ではあった。胸騒ぎの元凶に近づけば近づくほど、チンピラは増えていき――。


「グギャアアア!!」


 それぞれが獣のような声を上げながら襲ってくるのだ。人の形をしたモンスターのようになっており、その瞳にはどれも生気がない。


 ――もしかして人じゃないのか。そういう形のモンスターなのかもしれないな。


 モンスターだとわかれば対処はもっと簡単だ。道を塞ぐように群がる人型の波を、エクレアはかき分けるようにして進んでいく。


 エクレアは何十、何百という人型モンスターを殴り――実際には殴っていたと言うよりも、本当に腕を振っていただけ――殺し続け、ようやく目的地に到達する。

 

 そこは貧民街の底の底。


 周囲を壁で囲まれており、行き止まりとなっている小さな空間。その中心部の地面にはなにやら怪しく光る不気味な文様があった。


 そしてその中心に立っている人物がいる。

 真っ黒なローブに身を包んだ怪しげな人物に、エクレアは声をかけた。


「なんだお前」




     ◇




「なんだお前」


 不意に声をかけられて振り向いた。まさか、という思いのままで顔を向けると、そこには白髪の大男が立っているではないか。


「なっ……! 誰だお前!? どうしてここに!?」


 ここに繋がる道には、我が眷属を多数配置していたはずだ。いやそもそも隠蔽魔術を何重にも掛けていたのだから、誰であろうと見つけられるはずはない。


 この場所を見つけられるとしたら、この世界で5人だけ――魔王様と四天王の方々だ。


「俺が先に聞いてるんだ。なにをしてるんだ、こんなところで」

「……くっくっく。わからないのも無理はない。お前はアレだな。偵察タイプだろう。だから我の何重にも張った〈隠蔽コンシール〉を突破できたのだろう」


 そうだ。声にするとはっきりしてきた。そうに違いない。この男は王国の宮廷魔術師かなにかで、我のことを察知してきただけ。となれば偵察タイプであり、戦闘能力は高くないことが察せられる。


 なんだ。落ち着けば簡単なことではないか。別にこの男に露見したからといってどうということではない。むしろこの男さえ殺せば、我の秘密は守られるのだから。


「悪いが、ここを見つかって生きて帰れると思うな。安心しろ……楽に殺してやる」

「おっ、なんだ。やる気か? いいぜ、来いよ。相手してやる」


 白髪男はスッと拳を構えた。

 だがその姿からは威圧感というものを何も感じない。我と同格である魔王軍幹部のアインであれば、構えただけで闘気を発するというのに。


 この男が自分よりも格下であることがハッキリして、なんだか安心――いやいや、気分が良くなってきた。今だからこそ撃てる最大魔術で消し炭にしてやろう。


「死への手向けに教えてやろう。我は魔王軍幹部のフュンフ。〈死霊魔術師ネクロマンサー〉よ」

「……なんて? ね、ねく……なに?」


 この男はもしかしたら頭が悪いのかもしれん。だがそんなバカに何度も教えてやるほど、我は甘くない。


「食らうがいい! 我が〈死霊魔術ネクロマンシー〉最大の術を!!」


 我は魔法陣から魔力を練り上げ、右手に集める。掲げた右手は、闇そのものが形を成したかのように暗く光っていた。


 暗澹たる魔力の塊。我が魔族生においても至高の魔力だ。これを全力で解き放てば、目の前の男など魂の欠片も残らないだろう。


 〈死の行進デスマーチ〉の為の魔力だが、少しぐらい使っても大丈夫だ。そう思わせるだけの魔力量が、足元の魔法陣から感じる。


 我は魔力の高まりが最高潮になるタイミングを察し、天に向けて右手を突き上げた。


「〈闇魂の豪雨ダークソウル・スコール〉!!」


 右手の魔力が弾け、上空へと拡散していく。まるで雨雲のように重ねられた魔力の層から、数多の球体――闇の魂魄が降り注いだ。


 ひとつひとつはこぶし大だが、それは豪雨同然の勢いで大男に迫っていく。かわせるはずもない。それにこの魂は、それひとつでAランクモンスターを倒せるだけの魔力をこめている。


 普段の我では決して出せない火力だが、この魔方陣から吸い上げた魔力によって可能となったのだ。死体を操ることよりも、これが〈死霊魔術師ネクロマンサー〉の真骨頂とも言える。


 ――さぁ、お前も無残に砕け散れ! 死体を修復したら、眷属にしてこき使ってやろう!


 だが、そんな我の思いとは裏腹に、


「違うな」


 大男は高速で降り注ぐ魂を避け続け始めたのだ。


「はっ、はぁっ!? ど、どうなっておる! なぜ当たらん!?」


 豪雨の勢いで降り注ぐ魂は大男をすり抜けるように外れ続け、地面にぶつかっては消えていく。〈死霊魔術ネクロマンシー〉なので、物質を攻撃できる術ではないのだ。


 だが生命体には非常に敏感に反応するはず。だというのに、大男は左右にブレるだけで魂の雨を避けているではないか。もしやあれが全て残像だとでも言うのか。

 

 白髪が月光に煌めいているせいか、大男の高速移動はまるで雷光の軌跡のようにも見える。それがまた腹立たしい。

 などと思っていると、上空にあった魔力の雲は薄れ始め、やがて――。


「バカな……! あれだけの魂だぞ! この都市の人間の魔力を吸い上げて作った、超級魔術にも匹敵する魔術だぞ!!」


 信じられなかった。あれだけ気分のよかった状態で放った魔術が、かすりもしないとは。

 我は上空を見上げ、魔力のなくなった空間を見上げる。だが何度見ようとも、既に魔力の残滓すらなくなってしまった。


「終わりだな」


 視線を下げると、大男がこちらを睨んでいた。その視線と目を合わせると、


「ヒィッ!?」


 先程までは露ほども感じなかった威圧感が全身を圧迫する。大男の視線ひとつで呼吸すら一気に制限されてしまったかのようだ。


「ま、まて……話せば、話せばわか」

「俺も。そして」


 弁解しようとした瞬間、大男の手のひらが視界いっぱいに広がり、


「ぐえっ!!」


 思いっきり顔面を掴まれた。万力のような力で顔面をぎゅうぎゅうと押しつぶされていき、顔の骨がミシミシと音を立てる。


「お前も弱い」


 耳の奥からグシャリという音が響き、視界が一瞬で暗転する。その時に不思議と理解した。


 ――ああ。我は死んだのか。


 地面に身体が落ちる衝撃を最後に、我の意識は眠るように沈み込んでいった。

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