ホテル


 ビジネスホテルの割には広く、身を休めるには十分の部屋だと、まず一瞥して思った。男は眼鏡を押し上げ、スーツの襟元を正す。

 ぶらぶらと男の前を歩く、ジャージを着た青年が振り返る。プラチナの髪が、柔らかいオレンジ色の照明に揺れる。まだ幼さの残る、整った顔立ち青年が微笑する。


「ホテルって、なんか妙な息詰まる感じしない?」

「今更だけど、名前聞いていい」

 男は答えずに、少し間を置いて訪ねた。毛玉のつく青年はジャージの袖で鼻の頭を擦り、肩を大きく揺らした。

「いる? 名前とか」

「後々いるかもしれない」

「帰りたい?」

 男は俯いて、また眼鏡を押しあげる。会話が止まると、部屋には沈黙、とわかる空気の塊が満ちた。


「あのさあ、こんなこというのも変だけど。どうして俺でいいと思ったの」

 青年はベッドに勢いよく腰をかけ、男を見上げて尋ねた。

 男は取手を握りしめていた鞄を、横長のテーブルに置く。

「……深い意味はないよ」

「気になるから聞いてんの」

 じっと青年は、男を見つめる。はっきりとした二重に囲まれた大きな瞳に、星のように光が輝いている。

 男は目をそらす。会ったばかりで、どうして自分で良かったのか、など、こっちが聞きたい。

「嫌いじゃない顔をしてたから」

「あはは。好みではない?」

 また答えに詰まった。好みかそうでないかといえば––––わからない。青年は整った顔をしているが、微かな不潔さがあった。見た目ではなく、どこか、見えない部分。仕草? 表情かもしれない。そう感じる理由を知りたい、と思っているうちに、男はうなずいていたのだ。

「俺もそうかも」

 青年は立ち上がり、男に詰め寄った。ぎくりとした。自分の中身を、見透かすような瞳。青年は急に破顔し、男の両頬を挟んだ。

「嫌いじゃない顔」

 男の眼鏡を外し、鞄の隣に置く。青年は窓に寄り、カーテンを開く。外はもう夜になっていた。青年は振り返る。

「ねー、明かりは消していい?」

 青年の姿は、点滅する青い光に照らされる。それから赤い光が、彼のシルエットを染める。信号機が近くにあるらしい。

「今日は月が綺麗だからさ、その中であんたの顔を見たら、好みになるかも」

 ふと目を細める彼には、最初に感じていた、違和感のような不潔さはない。むしろ––––寂しさを滲ませる、ただの少年のように見える。

「君はいいの」

 気づくとそう問いかけていた。青年は少し、目を見開いて、今度は彼がしばらく押し黙った。

 息が、詰まる。青年がそう感じているのだ、と、男は伏せられた表情から、そう読み取った。

「後々決めようよ」

 青年は首をすくめて笑う。信号はまだ、赤だった。



 翌日未明、男性二人の変死体が、ホテルから発見された。ニュースでは一人は会社員、一人は、十代の大学生と報じられている。死因は薬物中毒死と見られている。

 二人の男性の関係性は、不明である。

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