長い長い列車

鷹山勇次

第1話

「ちょっと寒くなってきたね。」

春から大学生になって一人暮らしを始めた私の部屋。

もちろん、私の他には誰もいない。

誰に言うわけでもないけど、そう呟いた私は椅子から立ち上がってクローゼットまで行くと、引き出しを開けた。

カーディガンを取り出して羽織ると振り返った。

パソコンの画面には、書きかけのレポート


暖かいお茶を飲もうとキッチンに行って電気ポットに水を注いでスイッチを入れた。

「今年は雪、降るかな。」そう呟いた時、2年前に“言われた言葉”が頭に浮かんだ。


高校二年生の冬だった。母親が、いや母親だった女性が自殺した。

頭に浮かんだ“言われた言葉”をトリガーにして、一連の事件が私の頭を走馬灯のように駆け巡った。

感情は無かった。

後悔も自責の念も、誰が悪いとか悪くないとか。そんなものはなかった。

ただ私の人生の一時期にそんな事件があった。

「それだけの事。」私は呟いた。


母親の死後、私は長く暗い闇を一人で彷徨っていた。そんな私が「それだけの事。」とそんな風に考えられるようになったのは、大和やまとのおかげだった。


大和やまとと私の出会いは、私が二年生に進級した時。

所属していた新聞部に、新入生だった大和やまとが入部した事だった。

写真撮影が趣味の父親を持つ大和やまとは、カメラに関する知識が豊富だった。

大和やまとが入部して間もない頃に誰かが、

「そんなに詳しいなら、写真部に入ったほうが良かったんじゃない?」と聞いたことがあったが、

大和やまとは「いやあ。俺、芸術的センスはゼロなんで。それに写真撮るだけより学校の話題とかの方が楽しそうじゃないですか。」と答えていた。


大和やまとは時々、週末に父親と撮影してきたという写真を見せていたけど、確かにキレイなだけの写真ばかりだった。

構図、色彩、光陰、何が悪いのか私にも分からなかったけど、一流のカメラマンが撮った写真にはキレイなだけじゃない、語り掛けてくる何かがある。一枚の写真は一瞬の姿しか映していないはずなのに、ストーリーがあるような気がする。

大和やまとの撮影してきた写真にはそれが無かった。

 しかし、旧式だが、父親から譲り受けたというデジタル一眼レフ。そして野球部やサッカー部の試合の時などには、父親から大きなレンズを借りてきてくれる大和やまとは、新聞部のカメラマンとしては大変貴重で優秀な存在だった。

私はいつの頃からか、「被写界深度が・・・」「F値が・・・」「レンズの歪が・・・」等と私が“聞いたことがある”という程度の専門用語を並べて何かを懸命に説明しようとする、その理屈っぽい後輩に恋心を抱くようになっていた。


 私が「それだけの事。」とつぶやいた事件があったのは2年前、私が高校2年生の冬だった。

 その事件の始まりは、さらにその一年前。

私が高校1年生の冬だった。父と母の仲がだんだん険悪になって行くのを感じた。

父と母は私の前では平静を装っていたが、私の見ていない所で何かがあることは伝わって来た。


 春には、近所に住んでいた私の祖母、母の母親も何かを隠している。そう直感した。

母も働いていたから、幼少期の私は祖母の家で過ごすことも多かった。

幼稚園に迎えに来るのはいつも祖母で、そのまま夕食を食べさせてもらう事も多く、私は祖母に育ててもらったと言っても過言ではない。

優しかった祖母まで、私に何かを隠している。そう気づいた時の絶望。

自分だけが知らない何かが、家族の間で起きている。その不安が私の心に闇を落とした。

学校では普通に過ごしていたけれど、家に帰るのが嫌になっていた。


 元々、家族仲がいいとは言えない方だったと思う。

父は母に対してどんなことでも命令口調で言うし、私に対しても自分の価値観を押し付けてくる人だった。

 私でさえ、父と母を見ていると、「この二人、なんで結婚したんだろう?」と思う事があるくらいには、お互いの事を尊重していないように見えた。

それがさらに輪をかけておかしくなっていった。


 黙ったままテレビを見ている父

黙々と家事をする母

リビングには、緊張で冷たくなった空気が満ちて、誰かが口を開けば何かが、全てが、破たんするような雰囲気があった。

私は息苦しいリビングには長居をせずに部屋に閉じこもるようになった。

一つ屋根の下のバラバラの家族。バラバラの気持ち。


 そして私が2年生に進級した時、父と母の離婚を告げられた。

保険外交員だった母が、一年前から取引先の会社の人と浮気をしていたらしい。


 その話を聞いた時、確かに思い当たる節があると私は思った。

母が浮気を始めたという一年前というのは、私が高校生活に慣れ始めた頃だ。

同じ頃、母が何か変わったのを覚えていた。華やかになったというか、明るくなったというか、雰囲気が柔らかくなったというか。言葉ではうまく説明できないけれど、確かに同じ頃、母は変わった。

 それ以前は、高校受験を控えた私が父に当たり、よく言い争いをしていた。家庭内は私の進路が一番の重要事項だった。しかし受験が終わり、第一志望の学校に合格した私を祝福して私と父の言い争いも終わった。家の中の雰囲気も受験前に戻っていた。

その事が母を変えたのだと思っていたけど、まさか浮気していたなんて。


 ゴールデンウィークには、母は生活の拠点を近所の祖母の家、つまり母の実家に移した。

しかし、はいさようなら。これですべて終わり。と言うわけにもいかなかったようだ。

父と母はその後もお互いの親と弁護士を交えて散々攻防があったらしい。

一番の問題は、私をどっちが引き取るか?という事だったようだ。


 私は私でどっちの味方にもなれなかった。

生活やお金に関する知識もなく、どっちについたら得。そんな風には考えられない。

もちろん一人で生きていくことは出来ない。

 私にとって母の「浮気」とは耐え難い罪であり、「母」はたった一人の母なのだ。だから余計に「罪」は許し難く、こんな時に傍にいて話を聞いて欲しいのは「母」で、泣きながら抱きしめられたいのも「母」なのだ。

すがる存在、寄り添う存在、足元さえ失った私は、ただ暗い宙に浮く不確かな存在でしかなかった。

この頃の私を存在させてくれたのは、学校と友人だけだった。


 母が出て行くと家の中は荒れ始めた。

炊事や洗濯、父が家事を全く出来なかったからだ。

家の中の仕事は、ほとんどは私がやることになった。

部活が終わってからスーパーに寄って食料品を買って帰る。帰ったら食事の支度、お風呂に入っている間に洗濯。

時々、なんで私がこんな事を!私の青春を返せ!そんな言葉が口から出た。


 そして、たまに見る母は徐々にやつれていき、数か月後には10歳以上は老けて見えた。

そんな母を見る度、怒り、哀れみ、悲しみ、たくさんの感情が襲って来て、真っ白になった。


半年が過ぎた頃、私は父に育てられることで話は決まった。


そして、

そして母は自らの命を断った。


 祖母からの連絡を受けたのは父。

父が話している間、私が見ていたテレビ画面にはイルミネーションがキラキラと輝いていたのを覚えている。

電話を切った父が、私に事情を説明したが、私は父が何を言っているのか理解できなかった。

信じたくないという気持ちが、父の言葉を跳ね返していた。


 ようやく事態が飲み込めた私に、父は「パパは葬式とか一切行かないから。ばあちゃんと一緒に行きな。」と冷たい言葉をかけた。


 それからは「なぜ?」「なぜ?」私の心にはこの言葉しかなかった。

わからない。わからない。確かに父と母は仲が良くなかった。

じゃあ別れて正解だった。これから一人の人間として生きて行けばいいじゃない。

「なぜ?」「なぜ?」


 母の葬式から10日間ほど私は何も出来ずにほとんどの時間を部屋に引き籠って過ごした。

父が買ってくる食事は、パンとかお弁当とかそんなものばかりだった。


 ようやく「学校に行かなきゃ。」そう思えた頃、祖母が倒れた。そして二日後には帰らぬ人となった。


 私は祖母の葬式には出なかった。いや、出ることが出来なかった。母の自殺でほとんど壊れていた私の心は、祖母が亡くなったと知らされて完全に壊れた。

真っ暗な心で何が出来るだろう。何も手につかなかった。じわじわと父への憎しみだけが這い上がって来た。

 なす術もなく私は泣いた。数日経つと泣く気力もなくなった。心にぽっかりと空いた穴を何かで埋めようと、人のブログを読み漁り、Youtubeをみて、ドラマやアニメをどこか上の空のままに見入った。

 だけどそんなものは、心に留めることが出来ず、まるでテトリスのゲームのように心に落ちて少し溜まると壊れ、全てが壊れると真っ黒な闇が私の心を支配した。

泣きながらべッドを叩き、枕を持ち上げ叩きつけて、枕を抱きしめてまた泣いた。


 どれくらいそうしていたのか分からない。何日経ったのかもわからない。

何を思うわけでもなくベッドの上で空虚を見ていた。

視界の端では、小さな雪がひらひらと舞い落ちていた。

そんな時、ノックの音がして大和が顔をのぞかせた。

帰宅していた父が、部屋まで案内したようだ。

 

 部屋に入って来ると「大丈夫ですか?有希ゆき先輩。」と声をかけてきた。

「大和君も、お母さんが、お婆ちゃんが、今のアタシを見て悲しんでいるよ。なんて言いに来たの?」「分かってるよ。もう。」「そんな言葉、聞き飽きたの!」

ふて腐れて叫ぶように言う私を、大和は冷めた目で見ていた。

そして、涼しい顔をしてこう言った。

「そんなこと言いませんよ。大体、死んだ人間に喜ぶとか悲しむとか感情があるわけないじゃないですか。」

「え?」私は目を丸くして大和の顔を見上げた。

「俺は、人は死んだら“無”になると思っています。」

「む?無ね。」つぶやいた私。うつむいて理解しようとした。


 「いいですか。先輩。」一拍置いてから大和が話を続けた。

「誰かが死ぬ事と、先輩の人生は全然、別物なんです。確かに有希ゆき先輩の今までの人生に大きく関わった人かもしれない。でも、その人がいなくなっても先輩の人生は続くんです。先輩はこれからずっと、先輩の人生を生きていくんです。その道の過程で誰かと関わり、誰かと離れていく。

 離れていくのは、ただ疎遠になるだけかもしれない。相手が死ぬのかもしれない。理由がなんであれ、先輩の人生から関わりが無くなる。

 それだけのことじゃないですか。先輩のこれから続く長い人生というドラマの中の一つのエピソード、小さな事件に過ぎないんです。

 大事なのは先輩が先輩の人生を生きていくことです。関係した人の死は、先輩の人生のストーリーにはあまり関係ないんですよ。」大和は私になんて言おうかちゃんと考えていたんだろう。一気にまくし立てた。


 ぼんやりとした頭の中に、大和の言葉が長い長い列車のように走って行く。ふと見た大和の目は『分かってくれたかな?』という不安の中に『考えていたことを言い切った。』という満足感を滲ませた微妙な灰色をしていた。

しばらく沈黙の時間が流れた。


「そんな風に割り切れないよ。」なんとなくだけど、大和の言っていることが分かった私はそうつぶやいた。

「そうですか。」大和もつぶやくように言った。

「だけど、有希先輩。今、先輩がそうやって悲しんだところで、お母さんもお婆さんも慰めてはくれませんよ。」大和が続けて言う。

「そんなことっ!」

「母」と「祖母」そして「慰め」私の心のカギとなる言葉を言われて、私は思わず叫んだ。

「そんなこと、そんなこと・・・。」私はそれ以上言葉を続けられず涙をあふれさせた。


 大和が近づいてきた。私の頭に手を置いて、ポンポンと二回叩いた。

私は頭の上の大和の手に自分の手を重ねると、ゆっくりと自分の頬に滑らせて、両手で大和の手を握った。


 黒と灰色が渦巻いていた心を大和の言葉の列車が切り裂いていく。意味のある言葉になって染み込んでいく。

伝えたい言葉。伝えたい想い。分かりたい。


 大和の腕に額を乗せて静かに泣き始めた。

大和は片腕を取られたまま、私が泣き止むのをただじっと待ってくれた。


 どれくらいの時間泣いていたのだろう。

私は顔をあげて大和に「ありがとう。」とだけ言った。

大和は一瞬、照れたような顔をしたけど、すぐに真顔に戻って「じゃ、明日学校で待ってますよ。」と言って帰って行った。


 大和が帰ると、突然世界が色を取り戻した。

大和って私の部屋に入って来た?

こんなに散らかってるのに?

下着とか出てない?

私、顔、ひどいよね。ずっと泣いてたんだから。

あーーーーっ!

恥ずかしいっ!もう違う意味で学校に行けないよ!

生意気な後輩め!


 ひとしきり騒いだ後、大和のぬくもりがよみがえってきた。

そして、「よし。明日から学校に行こう。」そう思えた。


 そして翌日、学校に着くと1年生の教室のある2階で大和を待った。

私の学校は、1年生の教室は2階、2年生の教室は3階と、階によって学年が分かれている。

大和に、昨日の事は絶対に誰にも言うな。と口止めするためだ。


 5分もしないうちに大和が来た。

私を見つけると、手を挙げて駆け寄ってきて、「おはようございます。有希先輩。来たんですね。よかった。」そう言った。

 私は大和の手首をつかんだ。そして廊下の端っこによけると、大和に「昨日の事、誰にも言ってない?」と聞いた。

「言ってないですけど。」大和が不思議そうな顔をして普通に答えた。


 こいつってば、分かってないな。私は大和の顔を見てすぐそう感じた。

やっぱり男の子ってこうなんだな。と半ばあきれながら、大和に言った。

「大和君、昨日はありがとう。だけど、私の家に来た事とか絶対誰にも言わないでね。」

大和がまた不思議そうな顔をした。

「待って。私の家に行くって誰かに言った?」そう聞くと

「有希先輩の家、知らなかったから矢ノ部やのべ先輩に聞きましたよ。」

「やべちんか。じゃ、私の家には行ったけど元気そうでした。ってだけにしておいて。お願い。」「部屋に入ったとか言わないでね。」私が大和に言うと、大和は「まぁ。分かりました。」となんだか頼りない言葉を返した。

「絶対だよ。」念を押すと「はーい。」と軽い返事が返ってきた。

私は教室に向かった。


 私が教室に入るとちょっとした騒ぎになったけど、すぐにHRが始まり、騒ぎは収まった。

私は席に座って、よし。ここから私の高校生活の再出発だ。そう思った。

三週間ほど休んでいたので、まずは勉強に追いつくのが大変だった。

大和とは微妙な距離感のまま、私は受験生になり部室へも行かなくなった。

大和と会わない日々、勉強の日々が続いた。

そして高校卒業と同時にあの淡い恋心も散った。


今、私は母の死も、祖母の死も、不登校になった日々からも遠く離れた場所で独り暮らしをしている。

自分の人生を生きている。

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