第十三話 黄倉 大輔(29)の場合

『避難先の小学校に到着。次の現場に向かいます』


『お疲れ。次は西区東部の……』


 頭の中に響いた茶山さんの報告と休む間もなく飛ぶ白瀧さんの指示を聞きながら、俺と黄倉くんはそろってその場にへたり込んだ。


「ひやひやしたぁ~」


「こっちは見えてるのに向こうは見えてないって……ひやひやするしジリジリするね」


「するねぇ~」


「あんなにはっきり俺には見えんのに」


「もうすぐ三十才で童貞のほぼ魔法使い見習いだからね、俺も佐藤くんも」


 俺と黄倉くんは顔を見合わせて苦笑いした。


「なるつもりでなったわけじゃないんだけどなー、ほぼ魔法使い見習い」


「いっしょ、いっしょ。この年まで童貞の理由なんてさ、大体、成り行きだと思うんだよ。大っ体、機会がなかっただけだと思うんだよ。少なくとも俺はそうだよ!」


 黄倉くんは力強く拳を握りしめると力強く言った。


「先輩たちや黒木みたいに確固とした理由や意志や覚悟があるパターンなんてレアケースだよ。茶山さんなんか魔法使いになる前は料理に童貞と命を捧げてたんだよ? そんなん、レアレア!」



 黄倉くんはひらひらと手を振って、フフンと鼻で笑った。鼻で笑うとこじゃない気もするけど、ほっとして気の抜けた俺はツッコミを入れるのも忘れていきおいよく首を縦に振った。


「だよね! ドテマの……っ」


 童貞魔法使いな本人たちに向かって通称で蔑称な〝ドテマ〟呼びはNGだ。しまった! と言わんばかりの顔をしてる俺を見て、黄倉くんはひらひらと手を振った。


「いい、いい。気にしなくていいよ! 先輩たちや黒木の前で言うのはアレだけどさ、今は俺しかいないし気にしなくていいよ!」


 ケラケラと笑う黄倉くんにほっと頬を緩めた俺は身を乗り出した。


「ドテマの取材してて童貞なことよりも、理由も意志も覚悟もなく童貞なことの方が恥ずかしい気になり始めてたけど……あれ、かなりのレアケースだよね!」


「当ったり前だろー! 成り行きでこの年まで童貞やってる俺たちが多数派! 民主主義において多数派こそ正義! 俺たちは仲間だ!」


 黄倉くんが差し出した手を俺はガシッ! と掴んだ。本当に多数派なのか、正義なのか……なんて野暮なツッコミは入れない。だって、ここには俺と黄倉くんしかいないのだ。誰も聞いてないなら何を言ってもセーフだ。多分、セーフだ!


「俺なんてドテマに入った理由、魔法使いになるために童貞なんだって言い張るためだったし! あわよくばモテるかもって思って入ったし!」


「そんな理由で入ったの?」


「夢と仕事を捨ててでもお前といっしょにいたいんだ……って、言って童貞捨てるのが夢でした!」


「……そんな理由で入ったの?」


 確かに妖精災害が発生するとSNSなんかで魔法使い、カッコいい、素敵! なんてコメントが投稿されるけど、あれは応援の気持ちで言ってるだけでモテてるわけじゃない。

 それなのに――……。


「あぁ、入ったよ、入ったさ! そんな理由だってバレたから黒木に塩対応されてるし、茶山さんにもキツメに当たられてるんだけどね!」


 今日の取材でドテマ内の人間関係もいろいろとありそうだなと思ってたけど、先輩後輩関係もいろいろとありそうだ。泣きながら屋上のふちをバシバシと叩く黄倉くんの背中を俺はそっとなでた。


 ひとしきり屋上の縁を叩いたあと――。


「なーんでこの年まで童貞なんだろ。別に積極性がないわけでも理想が高いわけでもないと思うんだよなぁ。グループで遊んだりとか普通にしてたし、女友達もいたし。イイと思った子には連絡先聞いたり告白だってしてるし」


 黄倉くんがため息交じりにぼやくのを聞いて俺は無言で手を差し出した。俺が差し出した手を黄倉くんはガシッ! と掴んだ。

 なんだろう、この感じ……。


「俺だって本当は制服デートしたかったし、親が泊まり掛けで旅行行ってるあいだに家に彼女連れ込んでみたかったし!」


「わかる、わかる! 一人暮らしの部屋に彼女連れ込んでみたかったし、社会人になったら彼女と泊まり掛けで旅行とか行ってみたかったし!」


「わかる、わかるわかる!」


 今日、会ったばかりとは思えないほどに分かり合える。親近感というよりこれはもはや一体感! これが心の友というやつか!!!

 童貞なことだけじゃなく、理由も意志も覚悟もなく童貞なことにも劣等感を覚えてへこんでたけど、同じ境遇で、同じ気持ちだろう黄倉くんと出会えたことに俺は興奮していた。テンションがダダ上がっていた。


「彼女欲しかったに決まってんだろー!」


「そうだそうだー!」


「童貞捨てたかったに決まってんだろー!」


「そうだそうだーーー!」


 俺と黄倉くんはダダ上がったテンションそのままに拳を振り上げて叫んだ。その先に悲劇が――決定的な決裂が待っていることなんて気付きもしないで。


「むっちり巨乳の彼女作って童貞捨てたかったに決まってんだろー!」


「すらっと美脚の彼女作って童貞捨てたかったに決まってんだろー!」


 同時に叫んだ、瞬間――。


「……は?」


「……は?」


 俺と黄倉くんの熱い友情が凍り付いた。


「おっぱいだろ、黄倉くん」


「いや、足だろ、佐藤くん」


「千歩譲ってむっちり太ももならわかるよ。何、すらっと美脚って。何言ってんの、黄倉くん」


「いやいやいやいや。わからないのはこっちだよ。一万歩譲ってすらっと微乳ならわかるよ。何、むっちり巨乳って。何言ってんの、佐藤くん」


 今日、会ったばかりとは思えないほどに分かり合える、まさに心の友だと思っていたのに……。

 でも、今日の友は明日の敵という言葉もある。熱い友情は瞬間冷却され、凍り付き、ひび割れて粉々になった。

 これはつまり――。


「戦争だ」


「戦争の始まりだ……!」


 そういうことだ――!!!


 今日一きょういち、真剣な表情で俺は柔道の構えを取った。ちなみに柔道は中学と高校の体育のときにやっただけだ。

 お互いの意地とプライドと性癖をかけた戦いを今まさに始めようとしていた俺と黄倉くんは――。


『レベル2の動きが変わりました。……黄倉先輩、真面目にやってます? 佐藤さんと遊んでません?』


『やってます!』


「遊んでません!」


 頭の中に響いた黒木くんの声にピシッと背筋を伸ばした。


『……真面目にやってください』


『やってます!』


「やってます!」


『へぇ、そうですか』


 俺と黄倉くんのむっちり巨乳・すらっと美脚戦争は黒木くんの軽蔑を多分たぶんに含んだ冷ややかな声によって始まる前に終わりを告げたのだった。

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