第六話 紫村 誠(52)の場合

「……おっと、こんな時間か」


 ポッポーポッポーという鳴き声に紫村さんが顔をあげた。休憩室の壁に掛けられた昔懐かしい鳩時計から白い鳩の人形が飛び出してお辞儀をしている。

 もう十時だ。一時間近く紫村さんと話し込んでいたことになる。取材と言うより本当に話し込んでいた感じだ。


「もうそろそろ仕事に戻らないといけないんだけど……こんな話ばっかりで大丈夫だった?」


 こんな話――というのは紫村さんがどれだけ幼馴染の白瀧さんと銀さんに振り回されてきたか。紅野 龍二氏が加わって、それがどれだけひどくなったかという話だ。

 取材と言うよりは話し込んでいた感じだったけど、銀研究事務所時代や魔法使いたちの素顔を知れたのだから大収穫だ。


「大丈夫です! 全然、大丈夫です! ものすごーく大丈夫です!」


 心配そうな顔をしている紫村さんに俺は力一杯うなずいて見せた。本当は絶対に良い記事になります! と言わなきゃいけないんだろうけど、記事を書く俺の技量の問題もある。その一言は言わないでおいた。て、いうか言えなかった。


「お忙しい中、ありがとうございました! ……妖精災害が発生したんですか?」


「ううん、事務仕事。妖精と戦うのが魔法使いのお仕事だけど、いい年した大人だからね。社会や書類とも戦わないといけないんだよ」


 ハハ……と、乾いた声で笑って紫村さんは後頭部をポリポリと掻いた。魔法使いも大変だけど組織人も大変そうだ。


「それじゃあ、佐藤くん。今日はありがとうね。他の子たちのこともよろしく」


 そう言って紫村さんはテーブルに手を付いて立ち上がった。その紫村さんの指が一瞬、キラリと光った……気がした。


 ***


 次の取材対象者がいるトレーニングルームに案内する。そう言って歩き出した赤間さんと緑川さんの後ろをついていきながら、俺の頭の中ではずっと疑問が渦巻いていた。

 どう考えても紫村さんの指でキラリと光っていたアレはアレだ。でも、ドテマのはずの紫村さんがアレを付けている理由って……?


「紫村さん、優しい人だったでしょー」


「アクの強いメンバーが集まっている魔法室で数少ない良心です」


「俺らのお父さん、第二のお父さんだよ!」


「あ、あの……!」


 ついに我慢できなくなった俺はしみじみと紫村さんについて話す赤間さんと緑川さんを遮った。


「紫村さんってご結婚されてるんですか? 左手の薬指に……あの、その……」


 俺の突然の大声に目を丸くして振り返った二人だったけど、あぁ……とすぐに声をあげた。どうやら二人は紫村さんの左手の薬指にはまっている指輪の事情を知っているらしい。


「佐藤くんってさ、白瀧さんから箝口令、掛けられてるんだっけ?」


「え、あ、はい」


「……それなら大丈夫か」


 赤間さんと緑川さんは顔を見合わせてうなずき合ったあと、再び俺に顔を向けた。困っているようにも、寂しげにも見えるけど、どこか温かさのある微笑みを浮かべて。


「紫村さん、お酒にすっごく弱いんだよね。飲んでるときは楽しそうにしてるんだけど、次の日になると自分がどれくらい飲んだとか何話したとか全っ然覚えてないの!」


「だから、この話を俺たち後輩が知ってること。多分、紫村さんは知らないんです」


 だから絶対に記事にはしないでくださいと念を押して、緑川さんが言った。


「大学在学中に結婚したんだそうです。中学時代からの同級生で、高校時代から付き合ってた彼女と」


 中学時代の同級生と、高校時代に付き合って、大学時代に結婚。

 それって――。


「紫村さんって魔法使い……なんですよね?」


 童貞じゃないんですか? それってどう考えても童貞捨ててるパターンじゃないですか!?

 ……ていう言葉はさすがに飲み込んだけど、俺の言わんとすることは察したらしい。赤間さんも緑川さんも苦笑いになった。


「その方、体が弱くて中学の途中からずっと入退院を繰り返してたんだそうです」


「中学、高校の頃の野郎なんてそういうこと、やりたい盛りじゃん。彼女さんもその辺、気にしてたみたいでさ。何度も別れようって言われたんだって」


 病室のベッドに腰かけて、窓の外から聞こえてくる同年代の子たちの笑い声を聞きながら、多くの恋人たちが進むだろう段階に進むことのできない体を抱きしめる少女の姿を思い浮かべた。

 背中を丸めてうつむく大切な少女の後ろ姿を、まだ少年と呼べる年だった紫村さんは偶然にも見てしまったのだろうか。


「三十才まで童貞だと魔法使いになれる。そう信じていたのは銀さんだったそうですが、三十才まで童貞を貫いたら本当に魔法使いになれるのか、試してみようと言い出したのは紫村さんだったそうです」


「……へ?」


「銀さんや白瀧さんに巻き込まれて童貞魔法使いの実験をすることになった。でも、三十才過ぎまで童貞なんて変な目で見られるだろうから、このまま彼女でいてほしいって。カモフラージュに協力してほしいってお願いしたんだってさ」


 そんなバレバレな嘘、まだ少女と呼べる年だった彼女でも気付かないわけがない。気付いた上で、彼女は紫村さんの優しい嘘を受け取ったのだろう。


「その彼女さんは……?」


「紫村さんが大学時代に余命宣告を受けて、その数か月後に亡くなったそうです」


「そのときにもお願いしたんだってさ。三十才過ぎまで童貞なんてまわりから変な目で見られるだろうし、このまま結婚してほしいって。カモフラージュに俺を既婚者にしてほしいって」


 そのときもバレバレな嘘に気付いた上で、彼女は紫村さんの気持ちを受け取ったのだろう。


「銀さん情報によると結婚式のときの写真、今でも部屋に飾ってるらしいんだけどさ。ぜーったいに見せてくれないんだよね、紫村さん。写真だよ? 三十年近く前の写真なのに!」


 それなのに、誰にも見せたくないと思ってしまうほど今も彼女のことを愛しているのだろう。


「その女性自身にも、ご家族にも、いつか好きな人ができたら気にせず幸せになってほしいって言われたそうです。でも結局、そういう相手には出会えないまま、この年になってしまったって。紫村さん、いつも嬉しそうに笑って言うんです」


 べろんべろんに酔っぱらった紫村さんが、だろう。くすりと笑う緑川さんにつられて俺もくすりと笑った。


 三十才まで童貞で、魔法使いになったのは成り行き。そう紫村さんは苦笑いで言っていた。

 でも――。


「成り行きなんかじゃ、ないじゃないですか」


 どうやら紫村さんは昔から嘘つきらしい。

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