第四話 なんで記者になったんですか?

「それくらいにしろ、信長」


 低く落ち着いたバリトンボイスに振り返ると、いつの間に室長室に入ってきたのか。スリーピーススーツをビシッと着た、中性的な顔立ちの細身の男性が――妖精災害対策課魔法室室長・白瀧 直人氏が俺の後ろに立っていた。


「悪いな、ウチのキチガイに付き合わせてしまって」


「い、いえ……!」


「誰がキチガイだよー」


「お前以外、誰がいるんだ。……打ち合わせが予定よりも長引いてしまったんだ。実にくだらない、形ばかりの打ち合わせが」


 小馬鹿にしたように鼻を鳴らして白瀧さんはパソコンがずらりと並ぶ通信指令室風の席へと向かった。腰に届くほど伸びたつややかな黒髪がひるがえる。

 息を飲んだのは一挙手一投足の美しさ、優雅さだけが理由じゃない。二十年前の記者会見映像に映っていた白瀧 直人氏と目の前にいる白瀧さんがあまりにも変わっていないからだ。


 艶やかな黒髪も、皺のない透き通るような白い肌も、中性的な細い体付きも少しも変わっていない。銀さんと同様、すでに五十代前半のはずなのに二十代に思えるほど若々しい姿をしている。

 二十年前から変わったことと言えば短かった髪が長くなったことと、目の奥にある光というか……そういう感じの何か。年相応に外見は老けたけど、子供のようにキラキラした目はそのままの銀さんとは真逆だ。


M.F.エムエフの佐藤です。きょ……今日はお世話になります」


 白瀧さんの涼やかな、だけど二十年分の凄みを感じさせる目に見つめられて、俺はガチガチに緊張しながら名刺を差し出した。ただでさえヘラヘラとした顔が緊張すると余計にヘラヘラと情けない愛想笑いになるのはなんでだろう。


「…………」


 ……なんて考えていることすら見透かされているんじゃないかと疑ってしまうほど。白瀧さんの目は凪いだ夜の湖をのぞきこんでいるみたいに底が見えない。


「取材を受けるメンバーはこちらで決めさせてもらった。だが、君は気にせず聞きたいことを、聞きたい相手に、聞いたいだけ聞いてもらって構わない」


 言いながら白瀧さんは熱を測るときのように俺の額に手を押し当てた。熱なんてないはずなのに白瀧さんの手は氷のように冷たい。白瀧さん自身の体温が低いのだろう。


「我々にとって都合の悪い情報は口に出すことも文字にすることもできないよう、写真も視認できないよう魔法をかけさせてもらう。だから今日一日、君は何も気にせず自分の仕事を全うしてくれ。……箝口令かんこうれい


 〝箝口令〟――。


 そう呟いた一瞬、白瀧さんの手が淡い光を放った気がした。


「もしかして白瀧さんも、銀さんも……」


「魔法使いだよー!」


 食い気味に答える銀さんに同意するように、白瀧さんはさらりと艶やかな黒髪を揺らしてうなずいた。


「魔法使いは妖精と戦う戦闘職……というイメージが強い。最初に世間に出た魔法使いがあの・・龍二先輩だったのも大きいがな」


「あのヒト、筋肉ムッキムキで暑苦しかったもんねー。ホント迷惑」


 銀さんが実に嫌そうな顔で言った。何があったのかはわからないけれど、何かはあったのだろう。筋肉ムッキムキ大作戦的何かが。


「だが、戦闘向きではない魔法しか使えない魔法使いもいる。そういう魔法も妖精災害の現場では必要となる」


「僕が使う治癒魔法っぽいのとか、直人が使う精神魔法っぽいのとかねー」


 魔法や魔法使いについて銀さんがハイテンションで話すのを話半分に聞きながら俺は考えた。


 ドテマは――魔法使いは謎に包まれた存在だ。


 二十年前の記者会見のときに紅野 龍二氏が顔を見せたきり、これまで一度もメディアに顔を出したことがない。妖精災害の現場でも魔法使いを目撃した人は大勢いるし、写真や動画もたくさん撮られてる。

 なのに魔法使いたちの顔はノイズが掛かってるみたいに見えない。体型もいまいち判別できなくて最低でも何人の魔法使いがいる! 程度も特定できてないくらいだ。


「あのノイズも……」


 もしかしたら白瀧さんの〝精神魔法っぽい〟魔法の一つなのかもしれない。

 じっと見つめると視線に気が付いた白瀧さんが涼やかな目で俺を見返した。そして――。


「それにしても……君はずいぶんと素直だな」


 淡々とした表情のまま首を傾げた。


「君は本当に記者なのか?」


 白瀧さんの唐突な問いに俺は思わずヘラヘラ笑いを引っ込めて、きょとんとしてしまった。


「へ?」


「今、君に掛けた〝箝口令〟もそうだが、私の魔法は人の意識や行動に影響を与えるたぐいのものだ。見た情報を認識できないようにする。知り得た情報を口外できないようにする。……つまり抑え込む」


 そう言いながら白瀧さんは俺の額に手のひらをかざした。見えない何かを――意識を抑え込もうとするかのように腕にグッと力をこめて見せた。


「だから魔法をかけるときは抵抗される。抵抗を感じる。記者やカメラマン、報道関係の仕事に就くような人間なら尚のこと。だが、君に魔法をかけたときは少しの抵抗も感じなかった。……君は本当に記者なのか?」


 二十年前の記者会見映像も面と向かって話をしている今も、淡々とした表情からほとんど変わらない白瀧さん。その白瀧さんがあからさまに困惑の表情を浮かべていた。

 でも――。


「いや、ファッション誌の記者なら君みたいな感じなのかもしれないな。気にしないでくれ」


 白瀧さんは困惑の表情をさっさと引っ込めると、元通りの淡々とした事務的な表情に戻った。


「緑川くん、赤間くんに案内は任せてある。取材を受ける魔法使いも彼らが把握している」


「最初はまことのところだねー」


 銀さんの言葉を肯定するように白瀧さんはさらりと黒髪を揺らしてうなずいた。

 そして――。


「それじゃあ、よろしく。佐藤くん」


 そう言って室長室から出て行く俺を見送った。


 ***


「お、戻ってきた!」


 室長室があるフロアの角。窓から街が見下ろせる場所に置かれたテーブルで待っていた赤間さんが大きく腕を振った。向かいに座っていた緑川さんも顔をあげて微笑んだ。

 でも――。


「どうかしましたか?」


 俺の顔を見るなり表情を曇らせた。緑川さんの言葉に目を丸くしたかと思うと、赤間さんも眉を八の字に下げた心配そうな顔になった。


「もしかして銀さんに人体実験されましたか!?」


「いえ、されてないです!」


 したそうにはしてたし誘われてた気もするけど、されてはいない。


「もしかして白瀧さんに怒られた!? わかる、怖いよな! バックに吹雪が見えるよな!!」


「い、いえ、怒られてないです!」


「白瀧さんを怒らせるようなことをするのは赤間くらいだ」


「……そうか?」


 慌てて否定する俺と額を押さえる緑川さんを見て、赤間さんは首を傾げた。


「大丈夫です、大丈夫です! ホント、なんでもないんで!」


 きょとんとしている赤間さんと、まだ心配そうな顔をしている緑川さんに向かって俺はヘラヘラ笑いで首を横に振った。いくら白瀧さんに聞きたいことを、聞きたい相手に、聞きたいだけ聞いてもらって構わないと言われたとはいえ、これは二人に聞くようなことじゃない。


 ――君は本当に記者なのか?


 歩き出す赤間さんと緑川さんの後を追いながら、頭の中でリフレインする白瀧さんの声にうつむく。白瀧さんの問いに返す言葉がなくて、俺は俺自身に尋ねた。


 俺は本当に記者なんですか?

 なんで俺は記者になったんですか?

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