第三話 妖精ってなんですか?

「聞いてるよー! 聞いてるよ、聞いてるよ、聞いてるよ、佐藤くーん!」


 赤間さんと緑川さんに案内されて妖精災害対策課魔法室の室長室に入った俺をハイテンションで出迎えてくれたのは、室長・白瀧 直人氏ではなく妖精研究の第一人者・銀 信長氏だった。

 て、いうか銀さんしかいなかった。


 相当な広さがあるはずの室長室だけど、大量のパソコンやら謎の機械やらライオンを飼えそうなサイズの檻やらが置かれていて、薄暗く狭苦しい雰囲気だった。


 入って左手は110番を受ける通信指令室みたいな雰囲気だ。

 壁の一面には大きな画面があって、日本地図とともにグラフやら何かの数字やらが表示され、引っ切り無しに値が変わっていた。大きな画面の前には十台のパソコン画面が並んでいる。イスは二脚しかないから十台のパソコンを二名前後で見ているのだろう。


 入って右手は映画に出てくるマッドサイエンティストの研究室そのもの。檻の中では大中小さまざまなサイズの妖精がうごめいているし、何に使うのかわからない謎の機械や工具があちこちに転がっていた。


「え、M.F.エムエフの佐藤です。今日はお世話になりまーす……」


 銀さんのテンションと室長室の怪しげーな雰囲気に後退りそうになりながら、俺はヘラヘラと愛想笑いを浮かべて名刺を差し出した。


「佐藤くん、二十九才で童貞なんだってー?」


 銀さんの言葉に剥がれ落ちそうになるヘラヘラ笑いを気合でキープする。


 取材の件じゃなくてそっちの件ですか。童貞な件ですか。て、いうか誰!? そんな話まで先方に通してるの、誰!? 編集長でしょうね、編集長でしょうとも!!


 ……なんて、心の中でツッコミを入れている俺の思考を遮って、


「はい。じゃあ、佐藤くん。こっちにある三つの檻を見て!」


 銀さんは満面の笑顔で入って右手の研究室っぽいエリアに置かれた檻を指さした。


「この檻と、この檻と、この檻の三つ。中に入ってる妖精のサイズが大きいものから順に指さして。あと色も答えてー!」


「え? え???」


「ほらほら、さっさと答える!」


 二十年前の記者会見以来、銀さんはほとんどメディアに顔を出すことがなかった。記者会見当時が三十二才だったから今は五十代前半のはずだ。髪はすっかり白くなって顔には皺もある。年相応に老けているけど子供のようにキラキラとした目は変わっていない。

 それに――。


「年相応に老けてるけど……顔いいんだよなぁ」


 ぶつけるか踏んづけるかしたのだろう。歪んだメガネとヨレヨレの白衣、ボサボサの髪のせいでちょーっと隠れてしまってるけど、品の良さそうな整った顔立ちをしている。二十年前の記者会見のときにもちょっと女性たちに騒がれたけど、今でも十分に話題になりそうだ。


 と、――。


「生体検査、っと」


 銀さんがぼそりと呟くのが聞こえた。え? と、思って見ると銀さんの目が淡く光を放っている。


「もしかして……魔法?」


「そうだよ、魔法だよ。ほら、ほら、ほら! そんなことよりも檻の方を向いて! 大きい順! あと色!!」


「……そんなこと」


 ドテマの取材に来た身としてはそっちの方が本題なのだけど。地団駄を踏んでいる銀さんに言っても話は進まなそうだ。

 俺は大人しく檻に向き直った。


「大きい順に真ん中、右、左。色は真ん中が黄緑色、右が茶色で左が赤色……です」


「いいね、いいね、いいねー! 佐藤くん、素質あるよ! しかも、見たことがないパターン!」


 恐る恐る檻を指さすと銀さんが嬉しそうな声をあげた。

 ちなみに銀さん、ずーっと俺を見ている。じーっと俺を見つめる目は淡く光って明滅を繰り返している。魔法を使う前に〝生体検査〟と呟いていた。つまり俺は今、何か検査されているのだろう。


「素質……ですか?」


 なんだか怖いなーと思いながら、俺はヘラヘラ笑いを貼り付かせて尋ねた。


「なぁに、きょとんとしてるのさ! 僕が素質あるって言ったら魔法使いの素質に決まってるでしょ!」


 あー、やっぱりその件ですよね。て、いうか俺、ドテマの素質あるんだ。


「魔法使いの人数ってまだまだ少ないからさぁ。どんな魔法を使える魔法使いがいるのか、全っ然わかってないし。だーいたい新発見、こんな魔法が使える魔法使いがいるのかーってなるんだけど! でも、やっぱり今まで見たことのない魔法が使える魔法使いや使えそうな魔法使い候補を見つけるとテンション上がっちゃうよね! 上がっちゃうよね!!」


 いや、言われた本人は全っ然テンション上がらないですけれども!

 かと言って、全然、全く上がりません! と言える立場でもなく。


「は、はぁ……」


 俺はヘラヘラと曖昧に笑って、曖昧に首を振った。横にも縦にも斜めにも振っているように見えちゃうくらい曖昧に、テキトーーーに首を振った。

 でも、テンションのあがった銀さんは俺の曖昧な首振りなんてお構いなし。


「どう? どう、どう、どう??? ウチに転職して魔法使いにならない!?」


 めっちゃ転職を勧めてくる。


「ウチに転職して僕の実験台にならなーい!?」


 めっちゃ転職を……転職、を???


「か、考えておきますー」


「うん、うん、うん! 待ってるよ、佐藤くーん!」


 転職を待っているのか。実験台になりに来るのを待っているのか。にっこにこな銀さんを見て、俺は引きつりそうになる顔を気合でヘラヘラ愛想笑いにした。

 ドテマになったら何をされるかわかったものじゃない。妖精災害に遭って殺される前に銀さんに人体解剖されて殺されそうだ。


 とにかく! 話題を変えようと俺は改めて檻の中をのぞきこんだ。実を言うと初めて見るのだ。


「これが……妖精」


 檻の中にはスライムのような質感の、さまざまな形と色の妖精が入っていた。


 一番大きいのはイノシシサイズの黄緑色をした妖精。食虫植物のウツボカズラに似た形をしていて、ツルが触手かヘビのようにうねうねと動いている。

 次に大きいのが中型犬サイズの茶色い妖精。カブトムシのメスやカナブンに似た形をしていて、檻の中をうろうろと歩き回っている。

 一番小さいのが手のひらサイズの炎を思わせる赤色の妖精。コモドオオトカゲに似た形をしていて、檻の隅っこでじっとしていて動かない。


「妖精見るの、初めて?」


「ネットやテレビで見たことはありますけど、生で見たのは初めてです」


 一番大きいウツボカズラみたいなやつは怖いけど、手のひらサイズのトカゲみたいなやつはちょっと……ちょーーーっとだけ……。


「……可愛い、かも」


「可愛くなんてないよ、全然」


 別人のような低い声に驚いて振り向くと、銀さんが冷ややかな目で俺を――俺の目の前にいる妖精を見つめていた。

 子供みたいにキラキラした目も、ハイテンションな話し方もどこへ行ってしまったのか。ゾクリとするような無表情に思わず息を飲んだ。俺の視線に気が付いた銀さんは何事もなかったかのように笑顔を浮かべた。さっきまでのマッドサイエンティストらしい胡散臭うさんくさい笑顔を。


「ホント、ホント! ぜーんぜん可愛くないから、ちょっと見ててよ!」


 そう言いながら銀さんはトカゲ型の妖精が入っている檻に指を突っ込んだ。

 瞬間――。


「ギャーーー!」


「ギャーーー!!」


「ギャーーー!!!」


 想像以上の早さですっ飛んできたトカゲ型妖精が、想像以上に鋭い歯が並んでいる想像以上に開く口でバクーン!! と、銀さんの人差し指を食い千切った。


 噛み付いた、じゃない。

 食い千切った。


 ちなみに最初のギャーーー! がトカゲ型妖精の鳴き声。

 次のギャーーー!! がトカゲ型妖精に指を食い千切られた銀さんの悲鳴。

 最後のギャーーー!!! が銀さんの悲鳴と指の惨状に驚いた俺の悲鳴だ。


「ゆ、指……指が……」


 再び檻の隅っこでじっと動かなくなったトカゲ型妖精。でも、スライムみたいに半透明な体をしているから見えている。銀さんの人差し指が腹の中に(以下、自主規制)


「あれですか! あれですよね!! マジックとか手品とか種も仕掛けもあるタイプのジョークですよね!?」


 そんなわきゃないと思いつつ、わらにもすがる思いで銀さんに詰め寄った。半泣きだ。


「違う、違う、ちがーうよー。ちゃんと食い千切られてるよ、ほらー」


「ギャーーー! 断面見せないでください! 断面見せないでください!! ちょっと見ててよって、ちょっと見てたらとんでもない惨状になってるじゃないですかー!! 指一本持ってかれてるじゃないですか!! ギャーーー!!!」


「まぁ、妖精ってのは小さくてもこれくらい凶暴だから。例え小さくて可愛く見えても、とっとと逃げてねって話。別にさぁ、無知で軽率な馬鹿がケガするのも死ぬのも僕としてはどうでもいいんだけどね」


 妖精災害から人々を守るのが妖精災害対策課魔法室とそこに所属する魔法使い――ドテマたちの使命だ。そんなドテマの一員とは思えないことを言って、銀さんは冷ややかな笑みを浮かべた。口元は笑みの形をしてるのに、目は少しも笑ってないタイプの笑みだ。


「でも、近くにいる人間がケガしたり、死んだり、泣いたりしてると困るんだよ。研究が進まなくなるからさぁ」


 照れ隠しにひねくれた物言いをしているのか。率直な感想なのか。

 どちらなのかは銀さんとほぼ初対面の俺にはわからない。でも、銀さんは銀さんなりに仲間をの――妖精災害対策課魔法室に所属する魔法使いたちの無事を願っているのだろう。


「自分の指一本を犠牲にして教訓とするほどに……!」


 これは妖精の危険性をきっちり記事にして、読書の皆々様にお伝えしなければ!

 ……なんて、感動に目を潤ませ、珍しく記者としての使命感に燃えていた俺の目の前で――。


「佐藤くんや佐藤くんのまわりに回復魔法が使える魔法使いなんていないでしょー? 切断四肢再接合術」


 銀さんの食い千切られたはずの人差し指がひょっこり生えてきた。


 ひょっこりと生えてきた人差し指とニコニコ顔の銀さん、檻の中のトカゲ型妖精を順繰じゅんぐりに見る。スライムみたいに半透明な体をしているトカゲ型妖精。そのトカゲ型妖精の腹の中にあった銀さんの人差し指が消えている。

 これは……つまり……。


「魔法で元に戻せたんですか!?」


「そりゃそうだよー。二度と生えてこないのに妖精に指を食わせたりしないでしょ、フツー」


「魔法で指を生やせるなんてフツーの人は思わないんですよ、フツー!!」


「えー、フツーに思わない? 医療と同じように万能でもなければ限界もあるし、そんなに突拍子のないものじゃないよ、魔法って。死んだ人を生き返らせるとかは無理だし、フツーに」


 半泣きで怒鳴る俺を見て、銀さんはあっけらかんとした顔で言う。

 フツーとは? 常識とは? ってな哲学的迷宮に迷い込みそうになっていた俺は、


「それくらいにしろ、信長。……悪いな、ウチのキチガイに付き合わせてしまって」


 低く落ち着いたバリトンボイスに慌てて振り返った。

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