美術館のチケット

白色野菜

美術館のチケット

『○月○日晴れ。朝の巡回、問題なし。そろそろ、正面玄関の雑草が伸びてきた。草刈り機を引っ張り出す頃合いかも知れない』

「これでよしと」

 パタン、と音を立てて当直日誌が閉じられる。

 黒い皮の表紙に、黒い綴り紐で括られた髪の束は、古き良きデザインだ。

 本当の所、この施設の管理はAIが全て記録しているので人間がこうして記録する必要なんてこれっぽっちもない。

 けれど、インスピレーションを得るにはこうした何気ないルーティーンが役に立つ事を先人達が残している。

 態々それに反発するほどの反骨精神は無いし、僕自身もこうした無駄な作業は嫌いでは無かった。


 ギィっとバネが軋む椅子に腰掛ける。

 今日も一日、空想の世界に羽ばたく時間になるんだろうか。

 くたびれたスケッチブックを広げて、何を描こうか悩む。

  無駄な作業は嫌いでは無い、と言ったのを翻すようでなんだけれども、退屈はあまり好きじゃない。


 あぁ、せめてお客様というのを見てみたいな。

 

 ――そう思いながら見上げた空には一筋の飛行機雲が伸びていた。




「何でこんなところに美術館が?」

 宇宙航路を荷物を抱えて、東へ東へ進む旅の途中。

ガス欠になったポンコツ船。

 破れかぶれに出した救難信号は、人工物も無いはずのこの星に受け入れられた。

 星、といっても惑星では無い。

 資源にもならないガス星の衛星で、本来は人間の住める環境じゃ無いところに態々ドームまで作って建てられていたのは……都市でも無く、海賊基地でもなく、ただ広大な敷地を持つ美術館だってんだから、不思議なもんだ。

 AIは立ち入り禁止らしく、ぶつくさ文句を言う相棒を船に残して地面の上に降り立てば、手を振りながらこちらに駆け寄ってくる人間の姿があった。


「お~い……はぁ、はぁッグフッゲホゲホッッ」

 肩で息をしていた人間は、近くで見てみると青年体だった。

 今時珍しい無改造の人間でクラシカルな服装をしている。

 胸元には金の刺繍で『案内係』と刺繍されていた。


「はぁ、はぁ……すみません、思ったよりも運動不足だったみたいで」

「そう、みたいだな?」

 ふうふう、となんとか呼吸を整えた彼は、緊張した様子で背筋を伸ばす。


「ようこそ、私達の美術館へ――僕の代では初めてのお客さんです。どうぞ、補給はAIに任せて是非館内を案内させてください」

「初めてって――随分立派な建物なのにか?維持費だって馬鹿にならんだろ?」

「維持費に関しては……AI任せなのでよく分かりませんが、衣食住に困った事はありませんよ?そもそも住んでいるのは僕だけなので、かかっていたとしても殆どは建物の維持費でしょうか?」

…………おいおいおい。たった一人の為に酸素をドームに満たし続けるって。どんな金持ちの道楽だ

 宇宙っていうのは過酷な環境だ。

 人間が生きる為に必要な酸素、水、気温、人体に有害な宇宙線の排除。

 様々な課題を乗り越えてもなお、生涯を宇宙で生きる人間は地表で生きる人間の2/3程度の寿命しか持たないと言う。

 まぁ、それは無改造の人間の話だとしてでもだ。


 宇宙服を着ず、普段着で宇宙船の外に出られるレベルのコロニーが、たった一人の為に運用されているってのが最高にヤバイ。

 更に言うなら、この施設。空から見た限り半永久的に自立稼働出来るような設備が揃っている。最新鋭の軍用コロニーも霞むような設備の数々。

 どんだけの初期投資をすればそんな施設を作れるのか、想像すら出来ない。

 あまりの訳のわからなさに一周回って好奇心が擽られてくる。

 いったい、この美術館はどんな目的で運用されているんだ?


「あの、お時間が無いのであれば本館の方だけでも……」

 恐る恐る伺うような彼の言葉に、好奇心のまま俺は一度頷いた。



「こちらの本館には、歴代の案内人の手による最高傑作が飾られています」

 大理石に、足が沈むようなレッドカーペット。

 艶のある太い赤いロープで囲われた、美術品達がガラスケースにしまわれた状態で並べられている。

 それぞれの美術品は様々だ。

 絵だったり彫刻だったり壺であったり。

 共通しているのは、どれも人をモチーフにしたものである。というくらいか。

 プレートにはタイトルは無く、一代目二代目三代目とおそらく案内人達の代数がかけられていることぐらいか。

 確かに、それなりに上手い……とは思うものの。

 美術眼はさっぱりな上に、描かれている人物もぽつりぽつりと最近から少し古い年代の著名人がいる程度で見知らぬ人相やシーンの方がよっぽど多い。

 はっきりいって、目が滑る。

 それを誤魔化すように、意気揚々と案内する彼へ問いかけた。


「何代目まであるんだ?」

「僕で35代目なので、ここには34作品が飾られています。もっとも、本館以外には他の作品も飾られてますから、この美術館自体の展示数は5,000に僅かに届かない程度ですが」

「35人で約5,000?!」

「えぇ、もっとも本書きをしていない、スケッチ等も対象になってるので作品として成立しているのは、もっともっと少ないですけど」


「一体全体、任期どれくらいなんだ?」

「一生です。生まれてから死ぬまで……あっ、僕もこのドーム生まれです。所謂体外育ちフラスコベイビーと、いうやつです。受精卵はざっと1万人分ほど冷凍保存されています。」

思わずぎょっとした目で見る。

 フラスコ育ち事態は珍しくは無い、珍しくはないがそれでもこのドームにたった一人の人間として産み出されるのは異常だ。

 

「何でまたそんな変な事を」

「――変だと思いますよねやっぱり」

 思わず思った事が口に出てしまったのか、少しばかり表情を暗くした案内人が言う。


「ここは、実験施設なんです。芸術を文化を生み出す為の実験施設」

「……実験?」

「はい、僕もパトロン――つまり、運用者に関しては知らされていません。芸術に関する才能を持つ人間を、衣食住とを保証した上で生涯を芸術のみに捧げさせた場合どんな作品ができあがるか。そんな、実験の」

「――それ、だけの為にこんなドームを?」

「はい、それの為に。この施設は作られました」

 案内人が笑う。

 それは自嘲のようであり諦念の笑みのようにも見えた。


「この美術館は半永久的に……それこそ、うっかり人類が滅びてしまったとしても保護、運用され続けます。そんな美術館に作品を展示して貰える、というそれだけの『名誉』が僕らに与えられた甘い餌です。――とても甘い、得がたい報酬です」

「つまり、あんたらは自分で望んで案内人を一人っきりでやってると?」

「はい、僕らは望めばこのドームの外。貴方が来た宇宙や人の住む星に自由に出て行く事が出来ます。ただ、一度出たら戻る事は出来ません。そして、外でこの『名誉』を越えるものを手にする事が出来るかも、分かりません。僕はそれが恐ろしくてたまらない。まるで生身で宇宙に放り出されるみたいだ」

想像をしたのか、一度ふるりと身震いをする。

 そして、真っ直ぐに俺を見つめる目は限りなく透明に近い。

 悟った目だった。

 

「僕らは、貴方のようにソラを飛ぶ羽を持っていても鳥かごから出る勇気がありません。それを寂しくも情けなくも思います。けれど、それでも、確かに満足しているのです……こうして、本当に時たま貴方のような旅人さんに『僕ら』を見て貰えるなら余計にね?」





「て、ことがあったんだよ」

『ふーん』

 外を見ても360℃全部星の海。

 つまらない景色の中、操縦席で留守番にふてくされた相棒に語って聞かせたのはさっきまで居た風変わりなドームの話だった。

 潤沢な燃料に任せて、自動操縦モードに切り替えた航路は実に順調だ。

 金持ちの道楽って言うのは、実に訳が分からんと。

 そんな思い出の共有に語った話に、呆れた機械合成音が帰ってくる。

 

『いやぁ、向こうのAIとも話しましたけどほんっと人間って馬鹿なんですね。そんな真面目に信じるなんて』

「…………は?嘘?いやでも、嘘言ってるような様子じゃ無かったぞ?」

『そりゃそうですよ、あの案内人の人間はそれが本当だと思ってるんですから』

「は?は??」

『ま、航路データも消去されてますし記憶頼りじゃ戻れない程度の距離も離れましたので教えてあげましょう。あの美術館の事実を』




 

『先ずですね、違和感を感じませんでした?

 あの美術館の、というかドームの豪華さに


 はぁ、流石にそこまで馬鹿じゃなくて良かったです


 で、そもそもどんな金持ちだろうが軍用よりも良いものなんか民間で買えるわけ無いでしょう?

 そうですよ、あの施設は連合の持ち物です。

 実験施設ってのは本当ですがね。


 彼がフラスコ生まれなのは本当です。

 ただ、完璧に調整されたデザインベイビーですが。そうです、目的の才能を持たせる代償に寿命が極端に短いあれです。

 違法?まぁ、それはそうでしょうが取り締まる側がこっそりやってるんですから違法もへったくれも無いですよ。


 美術の才能?

 いえいえ、美術館を見たんでしょう?

 一般人である貴方の感性にすら響かせられない程度の、作品しか作れないのが美術の天才調節された能力な訳がないでしょう?


彼等が持っているのは、予知能力です。


 そう、彼等が描く絵はどれも未来の出来事、未来の人物なんです。

  まぁ、過去に描かれた絵は既に今の我々から見たら『昔』の出来事になってるかも知れませんけれど。

 とはいえそう上手く重要な出来事を見れるわけでも無くそれこそ、インスピレーションを受けるように唐突に、漠然と無作為な場面のイメージが湧き上がるだけですが。


 彼等はね、その予知能力を十全に発揮して貰う為にあのドームに飼われているんですよ。

 もっとも、最初期の目的である『未来を知る』っていう目的は大分早い段階で頓挫したそうですがね。


 なんでかって?

 よく考えてもみてくださいよ、今の人類の生息圏の広さを。

 星を越えて宙を越えて銀河を越えて。

 そんな広い広い世界で、時間も時代も分からない絵や壺に描かれたたった一人やたったワンシーンを探し出す、なんてどれ程の手間と時間がかかると思います?

 それこそ、砂漠に落ちた金の粒を探す方がまだ簡単です。


 それでも、幸運が重なった見つけ出したとしてもそれが役に立つかはまた別の話ですからね。

 利益が欲しいなら、高性能なAIの研究した方がまだマシだってもんですよ。


 なのであの美術館は実の所、博物館としての機能が強いんです。

 人類史の記録の保管場所。

 ノスタルジックでとても人間が好きそうな単語ですね。


 まぁ、似たような施設は手を替え品を替え宇宙のあちらこちらに隠されているんでしょうけども。

 あそこもそのうちの、一つだった……と、いう事です。

 

 だから彼だって言っていたのでしょう?

 ようこそ私達のour美術館へ、と』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美術館のチケット 白色野菜 @hakusyokuyasai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ